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我が家の野菜達ー1 [2008年05月03日(土)
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新潟の市 [2008年05月03日(土)
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新潟では今でもあちこちに市がたっています。私はこの数年は市に行くことは殆どなくなりました。本当に久しぶりに今朝は市に行きました。ここは3と8のつく日が市がたつ日なのです。
家から歩いて5分ほどのところに市はたっています。市には魚から洋服、お菓子、果物など何でも売っていますが、今の時期は野菜苗が主です。もう十数年、家で野菜苗を作ることはなくなったので、今年の野菜苗を買いに行きました。 買った苗は ナスは ミズナス12本、 十全 2本、 丸ナス 4本、 紫水5本、焼きナス4本の計27本です。他にオクラ3本、ピーマン2本 シシトウ2本、南蛮1本、そして黄色いパプリカ1本、キウリが12本。昨年と殆ど同じです。 あまり多く作っても食べるより捨てる方が多いのではどうしようもないので、多少余分が出て知人にあげられるくらいにしています。 買った野菜の苗です。 Posted
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感謝考ー1 [2008年05月03日(土)
]
感謝とは何でしょう。人は物や人に感謝します。ありがたい、という思いはどこから来るのでしょう。 〜して貰ってありがたい、と思う時、人はその対象に価値を置いています。自分にとって価値あるものなのです。自分の窮地を救ってくれたから、あるいは自分の欲望の手助けをしてくれたから、あるいはもっと、自分が生かされていることに気付いたから等々、気付き方次第でいろいろな対象が感謝の対象になりえます。
通常、感謝は自分や自分の属する集団にとって価値ある物や行為がもたらされたことによって発生する感情といえましょう。「ありがたい」という思いは生きていく上でもっとも必要な思いでもありますが、人はなかなか感謝できない。 また感謝の質についても考える必要があります。私は仕事上、得意先で毎日「有難う御座います」と感謝の言葉を口にしていますが、心から感謝して言っているかというと、どうもそうではありません。営業という仕事上の決まり文句、挨拶代わりの言葉として使っていることも多いです。「ありがとう」という感謝の言葉は同じでも、発する人の心の状態は実に様々です。 日常生活において常に感謝を中心に生きている人も多くいます。人や物の手助けがなければ生きていけない人々は必然的に「ありがとう」を口にせざるを得ない。すべてが自分を支えてくれる対象となるからです。 世の中には実に様々な人達が居て、その中には傲慢さが衣を着ているような人達も決して少なくありません。世の中は、或いは会社は自分が居てこそ成り立っているのだと言わんばかりの態度です。しかし、そんな人でも、ちょっと見方を変えれば自分が生かされていることに気付く。病気になった時、或いは事態が思惑とは反対の方向に向き始めた時、そんな時こそ自分の意識を振り返るチャンスなのだと思います。 また、いつも不満たらたらの人も見かけます。ご主人に、また奥さんに対して不満と不平の言葉をのべつまくなし言っている。すること為すこと、何かにつけて気に入らない。伴侶となったことを悔やんでいる。そんな夫婦もいます。価値観が違う、こんな人だとは思わなかった等々いろいろですが、その人が夫に、また妻に不満を発すれば発するほど事態は好転しないものです。不満の波動は相手の内から同じ波動を呼び起こすからです。愛には愛が、不満には不満が返ってくる。相手の姿が自分の姿だと気付きたくて不平不満を言っているようなものかもしれまえん。 この様な人は相手が代わってもやはり代わった相手が不満の対象になります。不満の対象になる相手しか選ばないとも言えましょう。 感謝について考えてみるに、果たして自分は自分自身に対して感謝してきただろうかと思わないわけにはいきません。五十有余年人生をやってきて一度も自分に感謝したことがなかったのではなかろうかと思います。飲みたいだけ飲み、食べたいだけ食べ、、暴飲暴食、随分無理な身体の使い方、不摂生をやってきたのに強靱な私の肉体は不満も言わず健康を保っていてくれる。また、自分のなかで時に密やかに表の私に思考や行動の指針を与えてくれる自分の魂、それら自分自身に私は万感の想いをこめて今感謝しないではいられません。 Posted
at 08:37
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