自然、温泉、めぐる季節と一つになりたい。

虫や鳥、草や木の声を聞き取りたい土筆です

今年の出来事 [2006年12月28日(木) ]
藤原直哉が今年の出来事と特徴を書いている。もっともだと思われるので此処に載せます。

安倍内閣の発足と支持率急落。
自民党復党問題と小泉内閣の後始末、
北朝鮮の核実験と安倍政権の核論議、
安倍右翼内閣誕生に伴う日本外交の孤立
日銀の量的金融緩和終結と利上げ、
ホリエモン、村上ファンドの破綻、
日本株暴落、
米国住宅バブルの破綻、
米国中間選挙でのブッシュ政権の敗北
イスラエル・ヒズボラ戦争でのイスラエルの事実上の敗北
米国のイラク戦争敗北とラムズフィルド国防長官辞任
イランの核開発に対する国連制裁
湾岸親米諸国の米国離れ
イスラム戦争勃発(エチオピア対ソマリア)
ロシアの孤立化と欧州外交の綻び
ドル安・円安の勃発
サハリン開発のロシア奪取
相次ぐ県知事の逮捕と夕張市の破綻、
沖縄普天間基地移設問題での国と県の対立
灰色金利撤廃による消費者金融業界の没落
日興コーディアル証券にみる上場廃止すら考慮される粉飾決算
教育3点セット(いじめ、未履修、タウンミーテングのやらせ)と教育再生会議の混乱

よくもまあ、いろいろありました。
以上の様な今年の事件や出来事の原因を線でつないでゆくと来年以降の時代の流れがみえてくるのではないでしょうか。

Posted at 16:29 | この記事のURL
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性格は変わるか [2006年12月27日(水) ]
性格は変わるものでしょうか。性格が変わるか変わらないかは昔からよく議論のあるところではないでしょうか。変わらないと主張する人は「三つ子の魂百まで」といい、変わるという側の人は「氏より育ち」と反論したりします。
性格は変わらないといえば確かに変わらない、三つ子の魂は成人しても何処かに残っていて、とっさの場合の行動は先天的の直感か、あるいは幼児期の習慣から生まれた判断力によるところが極めて多いものです。然し常識的に考えても性格の全てが生まれながらに刻みつけられたままで一生変わらないと思う人はいないでしょう。
実際に人間を冷静に眺めるとむしろその変わり方の激しいのには驚くほどです。「士別れて三日なれば刮目して相俟つ」という言葉もあります。心境のあがる人は三日も会わないと別人かと思われるほど変わっているから人生は面白いと言えましょう。
結局のところ、「万物は変じて変ぜざるもの」という哲理は人の性格の上にもそのまま当てはまるものといえましょう。
つまり、性格は先天的、遺伝的、素質的なものと後天的、経験的、環境的なものとから出来上がっていると思われます。先天的、遺伝的、素質的なものは無意識のうちに働きますから、自分の無意識界の動きをよく観察してこれを是正し、修養し、よりよく変ぜしめて高く美しく生きんとするのが人間の生きるという意味ではないでしょうか。
そういうお前はどうなんだという声が聞こえてきそうですが、自分の無意識の動きを探るのは相手の反応であり、相手に写った自分の姿であり、自分が引き起こした問題事に潜んでいますから、日々注意は怠らないつもりではありますが、なかなか難しいのも事実です。

Posted at 08:12 | 性格 | この記事のURL
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じん香も焚け、屁もこけ [2006年12月26日(火) ]
越後の国が生んだ偉人に驍将、河井継之助がいます。名将で学者で政治家で経済家で哲人で改革者で、そして最後まで平和論者であった彼がもし西郷南洲と会見する事が出来たら越後戦争は起こらず、談笑の内に大事が決して、南洲、海舟の会談によって江戸百万の市民を救ったと同様の美談が此処にも生まれたでしょう。
継之助の腹の内を理解するものは南洲以外になかったと思われます。遂に会えずに死んだという事は継之助の不幸というより長岡の悲劇であり、日本の悲劇でありました。継之助の遺風の中に育った山本五十六大将の運命を考える時、人の運命の不思議さを痛感させられます。
「じん香も焚け、屁もこけ」とは継之助が若者に言って聞かせた言葉で有名です。小廉曲謹の事なかれ主義者が今の世には蔓延っていないでしょうか。

Posted at 22:44 | この記事のURL
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孝行 [2006年12月26日(火) ]
私には82歳の父母がいます、毎日一緒に暮らしています。最近父の調子が良くない。食事量が減ってきている。老いた親との同居は何かと心配の種が尽きないが、一体孝行とは何だろうと夕べちょっと考えました。

東洋の古人は孝行を3種に分かち大孝・中孝・小孝と名づけています。曾子の言葉に大孝は親を尊くす、その次は辱(はずかし)めず、その下は能く養う、とあります。又、小孝は力を用い、中考は労を用い、大孝は匱(つ)きず、とあります。父母の慈愛を思って自己の労を忘れるのは力を用いるという事です。仁の道を尊び、正義正道に安んずるのは労を用いるという事です。博く施し、多くの人物を活用して各々その存在の意義を全うさせてゆく事は際限なく親を尊ぶという事です。
公明儀という人が曾子に尋ねました。「先生ならば孝と申せましょうか」と。すると公明儀は「とんでもない。真の孝は父母の意に先んじて父母の志を体認し、父母を道に生かす事です。私などはただ養うというだけで、とても孝などというべきものではない」と答えています。
仏説の父母恩重経にも「仏更に説を重ねて宣わく、汝等大衆能く聞けよ、父母の為に心力を尽くしてあらゆる佳味、美音、妙衣、車駕、宮室等を供養し、父母をして一生遊楽に飽かしむるとも若し未だ三宝を信ぜざらしめば、猶以て不幸となす」と説いています。
親も子も共に道に生きるのが本義とは「孝」も又道に他ならないと感じ入った次第です。

Posted at 08:16 | この記事のURL
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全能感 [2006年12月25日(月) ]
最近若い頃教わった授業ノートを取り出して見る事が多い。精神的に疲れたり、行き詰まった時など、何気なくノートを読んでいるとその中にヒントがあったりして今の難問が解決するなどという事もある。以下はそのノートに書いてある事です。昨今の悲惨な事件を見ていると今の若者に決定的に不足しているのは教育を受けてこなかった事ではないかと思います。学校教育以前に親が子を教育してこなかった。世の乱れは私たちの責任でもあります。

生まれたばかりの赤ん坊は教えられないでも先ず乳を求める。親はそれに応じて与えてやる。その上着物の着せかえや大小便の始末まで悉く親がやってくれる。子どもはただ泣いたり笑ったりしていればいい。このころの時代を心理学では全能感の時代という。子どもとして何不足のない時代です。
この全能感を整理しないでいつまでも生のままで残しておくと、先ず困るのは当然ながら親です。食べ物や着物の好き嫌いに始まって欲しいものを与えてやらないと駄々をこねる。
精神的には自分一人を可愛がって貰えないと機嫌が悪い。全能にほど遠い実生活から生ずるものは劣等感と嫉妬心です。家族中集まって自分たちの事は棚に上げて他の悪口を言って喜んでいる家庭が時にありますが、これは親も子も共に幼児期の全能感から脱しきれない精神的不具者と言えるでしょう。自分の家族でなければ人でないといった家族的慢心感はこの全能感の変形である様に思います。
親が子に真に正しい発達を望むならば幼児期の全能感を奪い去ってやらねばならない。さもないと傲慢不遜の利己主義者となって親子共に不幸に陥るばかりでなく、世の中を毒するものとなってしまいます。
親が子に対する教育で難しいのは与えるより、この様に奪う事なのかも知れません。

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トミオカホワイト美術館 [2006年12月16日(土) ]
「私の『白の世界』とは、私の雪国に対する望郷の精神がベースにあって、雪国の旅、巡礼を通して白の不思議な美を発見し表現することでした。私は、雪深い越後に生まれました。私の制作は先ず、「トミオカホワイト」と名付けた白い絵の具を作ることから始まりました。自分に必要な白の絵の具を発明し、必要な道具、長大ペインティングナイフを鍛造させ、あらゆる状態の「白の世界」を創り出すためすための技法を開発し、世界中の誰もが到達していない、私だけの「白の世界」に挑戦したのです。」
とは、富岡惣一郎の言葉である。毎年雪が降り出す頃になると何故か富岡惣一郎さんに会いに行きたくなる。新潟県高田市に生まれた彼の雪に対する思いが凝縮された世界に足を運んでしまう。作家は白の世界に無限の美を見出したのだろうか。今年は未だ里に雪はなく、霊峰八海山を白く染めていただけであった。








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無農薬 [2006年12月10日(日) ]
夕べ友人宅でテレビの番組を録画したというリンゴの無農薬栽培の番組を見た。12月7日にNHKで放映した「プロフェッショナル 仕事の流儀」と言う番組である。青森の津軽で無農薬、無肥料でりんごを栽培している木村秋則さんという農家の方が7〜8年の歳月をかけてりんごの無農薬栽培に成功するまでを紹介していた。
大地は生き物である。小指の先ほどの土塊にも無数の微生物がすんでいる。岩木山の裾野に広がるリンゴ畑、また信州のリンゴの畑もそうであるが、一年中農薬を散布している様に見える。胴体だけのずんぐりした芋虫の様な、畑の中を動き回って農薬を散布する車をよく見かける。リンゴの木の幹も枝も葉も農薬の青い色で着色され、元々のリンゴの木の色が何色なのか分からなくなる時期もあるほど農薬漬けの中でリンゴは育っている。
当然それだけ農薬を散布すると土は死んでしまう。微生物のいない、病害虫が繁殖しやすい酸化した土になってしまう。農家はますます農薬が手放せなくなる。
リンゴや桃、梨などの果樹は無農薬栽培はとても難しいとされている。お米では各地で無農薬栽培はいろいろなやり方で成功しているが果樹は農薬無しでは先ず無理だというのが一般的な見方である。私も家の前の一枚の田んぼを完全無農薬で十数年やってきたが、なまじ収量を多く、等と欲張るとろくな事はない。草をなるべく取ってやり、あとは稲の生命力に任せただけであった。ときおり、朝、田に行っては早苗に声をかけるのみで、仕事が忙しい所為もあるが、草取りの辛さの故に取る後から生えてくる草に半ばお手上げ状態であった。私の趣味的な田んぼの経験からしても無農薬栽培は始めて数年がやはり大変である。自然のエネルギーに溢れる、土を蘇らせるまでの期間が数年かかるからである。農薬散布になれていると農作業の辛さが骨身にしみる。
番組では50代後半になる木村秋則さんがりんごの無農薬栽培を成功させるまでを悪戦苦闘のエピソードを交えながら紹介していた。経済的困窮や村八分状態で精神的に追いつめられ、岩木山中で自殺をも考えたという苦難の道を通ってきたにもかかわらず、屈託のない様子で話す木村秋則さんの笑顔がとても輝いていた。
この様な番組を見て感じるのは確実に無農薬に取り組む農家の方々が増えていることだ。時代は大きく変わり目に入ったように思う。人間中心の近代合理主義的思考ではこれからの時代は生きていけないだろう。人間は自然の一部である。自然なくして人間は生きていけないのである。自然に生かされている人間は自然の声に心傾け、自然との対話と調和の中で生きていく、そんな時代がもう目の前に来ていると考えさせられたことであった。
以下は木村秋則さんのブログです。
http://www.sun-act.com/kimura/

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「そうじ力」 [2006年12月03日(日) ]
 『夢をかなえる「そうじ力」』と同じ著者の本もう1冊『そうじ力であなたが輝く』、どちらも総合法令刊、この2冊を若い友人からすすめられて読んだ。内容がすんなり頭に入ってきた。
先週、大分市で明屋に入ったら文庫で『3日で運がよくなる「そうじ力」』(三笠書房)という本が31万部突破、と謳った帯の文字とともに目に飛び込んできた。この3冊とも舛田光洋さんの書かれた本である。著者の肩書きは《そうじ力研究会代表》である。結局立て続けに3冊読んだが、内容は殆ど同じである。1冊読めば大概分かる。
目の前に現れる現実が自分心の反映である様に、家も部屋も自分の心の反映であろう。今まで私は掃除とは無縁に生きてきたが、やっと重い腰を上げる決意をした。部屋の中がグチャグチャしているのは自分の頭の中がいつもグチャグチャしていると言う事だと漸く分かったからである。
捨てられない、片づけられない、整理整頓が出来ない、窓は閉め切ったまま、自分の座っているところから手の届く範囲に全てがある、出せば出しっぱなし、こんな人生からおさらばする時が漸くやってきたのかも知れない。
舛田さんはリビングを見ればその家の夫婦関係、親子関係、また子どもが学校でいじめられているかどうかさえすぐに分かるという。宜なるかな、皆さんにお勧めする本である。目から鱗の本である。
それにしても最近は「意識」についての切り口の新鮮な本がいろいろ出てきている。時代が大きく変わりつつある様な気がします。

Posted at 08:58 | この記事のURL
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