自然、温泉、めぐる季節と一つになりたい。

虫や鳥、草や木の声を聞き取りたい土筆です

出雲大社ー2(宝物館・他) [2007年08月27日(月) ]
 大国主大神(オホクニヌシノオホカミ)は、またの名を大穴牟遅(オホナムヂ)、またの名をアシハラノシコヲ、またの名をヤチホコ、またの名をウツシクニタマと多くの名前を持つ神ですが、私たちは一般に「だいこくさま」と親しみをこめて呼んでいます。
この神には三たりの妻がいますが、その一人が宗像の奥つ宮にいます神、タキリビメです。




宝物館には須佐之男神や稲田姫も。


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出雲大社ー1 [2007年08月27日(月) ]
 、「豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」 古事記の中でも最も不可解なのは「国譲り」です。これ以後、スサノオーオオクニヌシラインはぱったりと消えてしまいます。
 出雲大社に参拝してみると、出雲大社は今風?の神社です。「ただ私の住むところとして、天神の御子の、代々御世を嗣ぎ給うべき天津日嗣をお受け継ぎになって、天下をお治めになる、富足りた、太陽の照り輝く壮大な構えの宮殿と同じほどに、地の底の岩根までも深く宮柱を埋め立て、高天原に千木の届くほど屋根の高い、立派な宮殿を築いて私を祭って下さい」と古事記に記されているような神社ではありませんが、この中にオオクニヌシノミコトが今もお隠れなのか?
《先の発掘調査で明らかになった様に、出雲大社は、中世に於いても30メートルを越える高さがあり、古代にはもっともっと高かったと伝えられています。もともとは巨大建造物だったのでしょう》
 この大社に参拝しても、古事記の謎が解けるわけではありません。しかし、何故か私の内も、身体も勝手に動き回るのを感じます。
 多年に亘る苦心経営の国土を天津神の御子に悦んで献られた大国主大神の思いと須佐之男大神が八俣大蛇退治で獲られた草那芸の太刀を、天照大神に献上したこととがよく似ている様に思われます。





 この出雲大社の御本殿の裏に、ひっそりと摂社 素鵞社(そがのやしろ)【御祭神・須佐之男命】がありました。私は何故か心が震える様な哀しみをおぼえました。



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出雲にてー初めての涼体感ー八雲風穴 [2007年08月26日(日) ]
 須佐神社から車で更に奥に20分ほど走ると八雲風穴があります。(島根県出雲市佐田町朝原)毎年夏になると涼を求めてたくさんの観光客が訪れるそうですが、私が訪ねた時は朝早かったせいか、観光客は誰もいなく、その清涼感を一人満喫しました。
 八雲風穴は、昔から「清涼山」と呼ばれ、冷風を発する地域だったと伝えられています。風穴の年間平均気温は10度前後で気温の変動が少なく一定のため、昔から天然冷蔵庫として農林産物の保管に役立ててきたのだそうです。真夏でも風穴の施設内部は10度以下の冷たい風が吹き出し、地下には雪が保存してあって、夏でも見ることができる天然の冷房です。地下水によって冷やされた空気が岩の間から吹き出しているのだそうです。


風穴の内部は気温8℃、外は34℃ですから如何に涼しいか分かります。
一瞬で冷気に包まれるという感覚です。本当に天然の冷蔵庫。立ち寄って良かった、と思ったことです。


          外でも石段一段ごとに体感温度は全く異なります。

Posted at 20:44 | | この記事のURL
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出雲路 須佐神社 [2007年08月26日(日) ]
 20日、お昼ちょっと前に津屋崎に別れを告げ、九州自動車道に車を乗り入れた私は、九州を後に中国自動車道を東に走りました。運転席の脇にはS・Aでもらった中国地方版マップ。目指すは出雲です。地図で見ると「出雲市」のすぐ南に「立久恵峡温泉」とあります。
 今日はここに泊まろうと決め、中国道の三次ICで降り、国道54号線を北上、ひたすら出雲を目指しました。54号線はまさに神話街道、車を走らせながらも心が奇妙に落ち着いているのを感じていました。
 夕方の6時ちょっと前、立久恵峡に漸く着いた私は、目についた温泉宿に飛び込みました。宿の名は御所覧場。この宿は緑深い渓谷にたつ鄙びた感じの宿です。部屋の中から、また露天風呂から雄大な立久恵峡が望まれます。露天風呂でゆっくりのんびり旅の疲れをいやしました。



 翌朝、食事を終えるとすぐに宿を発ちました。私は、昨日、宿に着くまでの道のあちこちで目にした須佐神社の案内板が気にかかっていたので、今日は先ず須佐神社に行こうと決めました。
 須佐神社は「出雲国風土記」(天平5年=733年)にも出てくる歴史の古い神社です。今の本殿は450年ほど前に、戦国武将の尼子晴久の時代に建て替えられたもので、「大社造り」という古い様式の神社建築だそうです。
「出雲国風土記」には、次のように記されてあるそうです。『この国は小さい国であるがよい処である。それで自分の名は石木につけない、この土地につけると須佐之男命が仰せられて、大須佐田、小須佐田を定められ、自分の御魂を鎮められたという意が掛かれてあり、即ち御名代として又大神の御本宮である』と。とても霊験あらたかな御社と言うことになります。

 『やくも立つ いづもやへがき 妻ごみに やへがきつくる そのやへがきを』
 大好きな須佐之男命のお社に偶然とはいえ、参拝することが出来て、この旅はなにか或る意図のもとに行動させられているのではないかという気が一瞬しました。


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大分からの旅ー7(つやざき千軒) [2007年08月26日(日) ]
 福岡県福津市津屋崎の漁港から民俗資料館「藍の家」の間は通称「つやざき千軒通り」と呼ばれています。この通りは古くから漁港・貿易港として栄え、今なお美しい街並みを残しています。藍の家や津屋崎組み木夢会館など面白い建物が並んでいます。そんな中に造り酒屋を見つけました。豊村酒蔵です。中に入るといかにも造り酒屋。銘酒「豊盛」の大吟醸を試飲させて頂きました。日本酒に目のない私は「豊盛」の大吟醸の馥郁たる薫り、すっきりした喉ごしの味に魅了されました。お店の女性のお話では地元と福岡市の一部だけに今は出荷しているとのこと。、昔は九州一円、関西地方、とりわけ奈良に多く出荷していたそうです。今のような焼酎ブームでは日本酒はただただ縮小していくしかありません。この様な美味しいお酒がうずもれたままになっている、また規模を縮小し続けていることがとても残念でなりません。日本の食にはやはり日本酒が一番合うと思っている私は、多くの人にもっともっと日本酒を飲んで頂きたいと、心から願うものです。




Posted at 14:34 | | この記事のURL
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大分からの旅ー6(宮地嶽神社) [2007年08月25日(土) ]
 宗像大社から津屋崎町に戻るとそこに鎮座する宮地嶽神社がある。この神社は日本一を誇る大注連縄が何とも見事である。ここは他に日本一があと二つある。一つは大きな錫。もう一つは大太鼓。錫と太鼓はそれそれ独立した上屋に納められておりガラス戸が閉まっているので写真撮影は難しい。



 神社の脇は公園のようになっており、アヤメや南国の木々が良い光景をつくっている。アヤメの時期とサクラの時期は人出が相当ありそうである。富山から移築された茅葺きの古民家などがあり、散策するのに良い所である。



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大分からの旅ー5(宗像大社) [2007年08月25日(土) ]





 「日本書紀」を読んで以来、裏伊勢ともいわれている宗像大社にいつか行ってみたいと思っていました。機が熟していたのでしょうか。遂に参拝することが出来ました。早朝で誰もいない社を歩き、神域の荘厳さに打たれました。宗像大社は天照大神の三柱の御子神をおまつりしています。田心姫神(たごりひめかみ)湍津姫神(たぎつひめかみ)市杵島姫神(いちきしまひめかみ)の神様です。沖ノ島の沖津宮には田心姫神、大島の中津宮には湍津姫神、田島の辺津宮には市杵島姫神がそれぞれおまつりされています。この三宮を総称して宗像大社といいます。今回は残念ながら時間が無い所為で神宝館を見ることが出来ませんでした。また沖津宮と中津宮には行くことが叶いませんでしたが、又の機会の楽しみにとっておきます。

Posted at 09:02 | | この記事のURL
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大分からの旅ー4(津屋崎の浜) [2007年08月25日(土) ]
 旅館に入った時には泊まり客が多くいるように感じていたが、朝起きると、館内は森閑としている。旅館は海際に建っているので、砂浜を散歩。引き潮で海が穏やか、というより池のような感じです。

 濡れた砂浜に所々親指大の穴が空いている。なんだろうと思ってみていると、犬と散歩しているご老人がやってきました。犬が穴に鼻をくっつけ、勢いよく掘り出した。ここ掘れワンワンです。


 穴の中には小さなカニ、このカニを捕まえようと必死で掘るのですが、なかなか難しい。地元の人達はこの小さな穴に乾いた砂を入れで埋め、そして掘っていくと白い乾いた砂が無くなった所にカニがいるということになります。かなり深いので、気の短い人はカニとりをしないとご老人は言っていました。
 朝食に食堂に行くと、お客は私一人、宿のご主人に聞くと、今年は海に鮫が出て海水浴客がさっぱりとのこと、昨日はたまたまビーチボール大会があったので久しぶりに賑わったが、いつもの年なら泊まる客も今年は誰も泊まらなかったとのこと。海の異変が浜辺で生きる人々の生活に大きな影響を与えています。
 旅館の前には新潟では見ることが出来ない高さのキョウチクトウが今を盛りと咲き誇っていました。


Posted at 07:46 | | この記事のURL
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大分からの旅ー3 [2007年08月24日(金) ]
 九州国立博物館の後はヤフードームの近くの福岡市立博物館へ。ここでは鑑真和上展が開催されていました。
 唐招提寺は1998年に世界文化遺産として登録されました。この唐招提寺は、12年間、6度にも及ぶ多難な渡航を乗り越えて唐(中国)より来日した名僧、鑑真和上により、759年に創建されました。
 天平時代の仏教美術の至宝が紹介されており、友人はしきりに感心し、又感動していましたが、私にはちんぷんかんぷん、仏教美術はよく分かりません。国宝・鑑真和上坐像を中心に、国宝9件26点、重要文化財34件69点を含む140点が一堂に公開されていました。
 福岡市立博物館を出るともう夕暮れ時、今日の泊まりは友人の案内で、福津市のつやざきの浜です。

Posted at 21:16 | | この記事のURL
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大分からの旅ー2 [2007年08月24日(金) ]
 古賀インターで友人と待ち合わせて、太宰府天満宮へ。
 天神様と言えば菅原道真公です。十数年前に大学の後輩と参拝した折りは暮れも押し詰まった頃のこと、参拝客の姿もなく寂しい雰囲気でしたが、今日は猛暑にもかかわらず、人で溢れかえっています。梅ヶ枝餅はここの名物。 あちこちのお店で梅が枝餅を売っています。有名な歌が頭に浮かびました。ーこちふかばにほいおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそー。




 隣の九州国立博物館では「やきもの展」をやっていました。
 ここはまた建物が素晴らしい。さぞや名のある人の設計だと思われます。やきものの国、日本。世界の中で日本人ほど豊かなやきものの歴史を持つ民族はないでしょう。縄文土器一つとっても納得できます。やきものを観ると私は何故か心があたたかくなります。



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