自然、温泉、めぐる季節と一つになりたい。

虫や鳥、草や木の声を聞き取りたい土筆です

今年が幕を閉じようとしています。 [2007年12月30日(日) ]
自民党参院選の大敗 ねじれ現象下の政治 安倍首相続投宣言 安倍首相の辞任 福田首相の誕生、小沢代表の辞任表明と撤回 安倍、小沢のぶざまな出処進退騒ぎ→「昭和の政治の終焉」

原油の高騰、諸物価上がりだす、サブプライムローンの破綻→「世界的不況、恐慌への道」

さまざまな食品偽装と内部告発→「企業倫理の崩壊」

ネットカフェ難民 派遣の問題→「格差の拡大」 

温暖化 猛暑日 40℃を超える→「気象の異変」

年金の照合不能問題、薬害肝炎問題、医療問題 建築確認遅延問題、防衛汚職 役人の仕事のずさんさ→「官僚国家の崩壊」

能登半島地震、中越沖地震→「自然災害の頻発」

お茶を飲みながらちょっと振り返っただけでも今年は実にいろいろありました。来年がいい年でありますように。



Posted at 21:23 | 時の流れ | この記事のURL
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しめ縄づくり [2007年12月27日(木) ]
 私の住んでいるところは70戸からなっている。近年ムラの田んぼをつぶしてすぐ近くまで新しい住宅地が迫ってきているが、新しく造成された方は新しい地名が付けられたので、昔から住んでいる私たちとは異なる。江戸、明治、大正、昭和、平成と70戸の家は存続してきた。

 自治会は従って70戸からなるが、今でこそ自治会などといっているが10年位前までは「部落」といっていた。年に2度各家から集める自治会費も当然、部落費といっていた。この辺りは関西あたりと違って被差別部落など殆ど聞いたことがないので、同和問題とは無縁である。江戸の昔から「うちの部落は・・・」という言い方が当たり前であった。

 今年、我が家は隣組の組親にあたった。この一年間、何かにつけて配りもの等で忙しかった。私が出張で家を空けることも多いので、その場合は妻が回覧板をまわした。

 この23日の日曜日に隣組の組親とムラの役員が全員お宮様に集まり、しめ縄づくりをした。今年のムラの役員と組親の最後の仕事である。ムラの鎮守様は八幡様である。鳥居に一年間つけていたしめ縄をとりはずし、新しい年用のしめ縄をつくって架けるのである。

 朝8時、集まったのは全部で20人ほど、挨拶を交わし、お茶を飲み、最後に今年の自治会長の挨拶と共にしめ縄つくりは始まる。うちの隣組は5軒であるから5年に一度は組親になって、しめ縄つくりに参加しているのだが、最初は全く手順を忘れていることに気付く。

 先ず、全員でワラをすぐることから始まり、3〜4人ひと組になりしめ縄をつくっていく。3組がそれぞれしめ縄をつくって最後に3本のしめ縄をよりあわせ、それを雨水で腐らない様にビニールで包み、鳥居に取り付けるのである。作業が始まったのが朝の8時半、作業が全て終わったのは12時半である。昔は縄を全て手でなっていたのでしめ縄つくりは二日がかりだったという。今は太さ2分の縄はホームセンターから買ってくるので縄を手でなう必要はない。それでも朝の8時半から20人で4時間はたっぷりかかるのであるからやはり大変な作業ではある。

 終わった後は会場を公会堂に移し、自治会の役員と組親のこの一年間の慰労を兼ねた飲み会となる。

Posted at 07:21 | ムラの生活 | この記事のURL
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竹炭 耳より情報 [2007年12月25日(火) ]
 先日、仕事帰りの運転中にラジオのスイッチを入れたら突然、女性アナの声が聞こえました。「今年の色は『黒』だそうです。『黒色』が流行しました」と。

 ファッションに限らずインテリアや建築物、いろいろなところに黒色が流行ったと女性アナが話しているのが耳に入りました。その前に何が話されていたのか脈絡は分からないのですが、食べ物にも黒色の色素を有する食材などが使われたとのことです。炭の粉を練り込んだスパゲッティーやアイスクリームなど、あまり食欲をそそるとは思えませんが、そんなスパゲッティーやアイスクリームも売り出されたのではないかとラジオを聞きながら想像しました。

 家に帰り、ひと風呂浴びたところに知人から電話があり、「竹炭を手に入れたいのだがどこに売っているか分からない。扱っているところを教えてくれないか」 思わず、ブルータスよ、お前もか、と一瞬思いましたが、よく聞いてみると知人は竹炭を湯船に入れたいとのこと。

 皆さんは一番風呂に入りますか? 家で一番風呂に入るのはご主人でしょうか、それとも奥さんでしょうか。あるいは子供たちでしょうか。その家庭により様々でしょうが、実は一番風呂はとても危険なのです。知人はそのことを知り、急ぎ私に電話をかけてきたのでした。

 何故一番風呂は危険なのでしょうか。 知人の話によると、一番風呂には塩素が充満している。その塩素が最初に風呂に入った人に全部取り付き、その人の体内に吸収されていくのだそうです。そう言えば、一番風呂に入るとチクっと肌に刺す様な感触があり、そのことは誰しも経験していることと思いますが、あれが塩素によるものなのでしょう。それに対し人の入った後の風呂の湯は何とも滑らかな感じがします。

 皮膚から塩素を吸収していると、身体の免疫機能が失われていくそうで、特にお年寄りにはよくないとのことです。その塩素の害を取り除くために湯船に竹炭を入れる。一晩使った竹炭は翌日は天日に乾かし、代わりの竹炭を使う、そのため竹炭は網の袋に入れて交互に使うので二つ用意する必要があります。使う量はそれぞれ1キログラムもあれば充分だそうです。

 里山にある竹林は日本中荒れ放題、私たちの生活が昔の様に竹を使う生活ではなくなっているので竹を切り出しても始末に困る、という風ですから竹は炭にでもする他なく、山里の周りの道をちょっと走れば今は竹炭はいくらでも手に入ります。知人の分も合わせて近いうちに竹炭を買い、お風呂に使ってみようと思っています。

Posted at 20:30 | 耳より情報 | この記事のURL
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『未来予知ノート』 [2007年12月21日(金) ]
 ブラジルの予言者ジュセリーノ氏が日本に初来日、夕べはテレビの特別番組で2時間にわたって放映されkました。 このテレビ出演によりジュセリーノ氏について多くの国民が知ることとなりました。
 この度このテレビ出演に合わせるかの様にジュセリーノ氏の『未来予知ノート』がソフトバンク・クリエイテイブ(株)から出版されました。夕べ一読したのですが、私たちの近未来は相当困難を極めるものと覚悟しなければならないようです。ただ、たとえどの様な深刻な状況になってもそれは私たちが招いた結果であり、私たちが受けなければならないものです。
 では一体、私たちに何が起こるのか。詳しくは『未来予知ノート』を読んで頂きたいと思いますが、地震だけでも凄い数に上ります。日本に起こる地震で来年と予言されているものは次の通りです。

2月15〜28日 M6・3 川崎

4月又は5月14日 M6・7 千葉

8月6日 M6・5 東京

9月13日 M8・6 東海 3万人が被災し、600人以上の死者。この地震は日本ではなく、中国で起きる可能性もある。その場合は日本より被害が拡大する。

 地震に限らず、疫病、戦争、熱波による旱魃、宇宙からの影響等々により2043年までに地球人口の8割弱が死滅すると書かれていますが、ジュセリーノ氏に絶望感は見られません。2043年を境に地球が全く新しい文明へと向かうことに希望を見出している様に思われます。

 私はこの本に書かれている次の文章を紹介したいと思います。
 「人間は何よりも霊的な贈り物を授かっている生き物である。その贈り物を正しく用いて心の育成をたゆまず続ければ、見返りとして最高の目標ー真実の楽園である魂の故郷で永遠に生きることーを達成出来るかも知れない。現世にいる間には物質的な恩恵も受けるが、霊的な贈り物ほど重要ではない。
 したがって、物質的財産の獲得を人生最大の目標と見なすのは、とんでもない過ちだ。深刻で危険な過ちといっても良い。創造主の意図に反したゆがんだ考え方であり、決して良い結果をもたらさない。人間は第一に魂の存在であり、優先すべきは魂の向上である。物質的な恩恵は内面を磨いたことの一つの結果に過ぎない」 

Posted at 07:25 | 時の流れ | この記事のURL
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手作り酒 [2007年12月18日(火) ]
 私の趣味ですが、昔からいろいろなものを35度のホワイトリカーに漬け込んで楽しんできました。一時などドクダミまで採って漬け込んだものです。十字花の咲いた全草を採取し、よく洗い、陰干しし、それを20度の焼酎で漬けるのです。一斗もつくったことがあり、「化粧水に良いよ」とあちこち友人知人に配りましたが、不評でした。あの独特の匂いが鼻につき、5分もすれば消える匂いもやはり顔につけるのは我慢がならないとみえて、差し上げた方からその後お礼を言われることも、また再度欲しいと云われることもなかったのです。飲むとやはりあの匂いが鼻につき、息を止めて飲むほかなく、昔から十薬といわれているドクダミ、如何に身体によくとも、毎日飲みたいとは到底思えないお酒です。
 キウイ酒、紫蘇酒、レモン酒にカボス酒、珈琲酒など様々つくりましたが、つくったなかで全部飲みきったと云う酒はあまりなく、いつの間にか妻が処分してしまいます。ただ、カボス酒とキウイ酒は飲み心地がよく、3升でも4升でもつくると大抵飲みきっています。
 3年ほど前に知人から枇杷の古くて厚い葉を大量に頂いたので調子に乗ってやはり一斗、ホワイトリカーに漬けました。枇杷の葉温灸、枇杷の葉健康法がある位ですから、枇杷の葉の薬効には目を見張るものがあります。お酒に漬け込み、薬効成分を抽出して飲むことは身体にとても良いのです。枇杷の葉酒は独特の香りがありますが、嫌な匂いではなく飲みやすい。もっとも如何に飲みやすくとも35度です。一斗もあるとあちこち配って、我が家でも時々は飲んでもまだ3升も残っています。毎日飲む酒は幾つもあり、枇杷の葉酒だけ飲んでいるというのではありませんから。
 枇杷についてはアミグダリンが葉の30倍もあるという枇杷の種もホワイトリカーに漬けたりしました。梅酒は5年も前のものが未だ納屋にごろごろしています。漢方酒も様々つくりましたが、こちらの方は匂いがきつく、最初におちょこで一杯飲んでそれきりというのが殆どです。
 最近楽しんでいるのが黒豆酒。黒豆をから煎りし、日本酒に漬け込むだけです。簡単に出来上がります。翌日には飲めるのです。しかも日本酒ですから炒った豆の香りがするだけで、美味しく飲めます。炒らないで生のまま漬け込んでもよく、生の豆に漬けた場合はきれいな澄んだ赤紫色のお酒が出来上がります。生の場合は私は漬けてから1週間〜10日ほどしてから飲み始めています。

 因みに黒豆酒の作り方は以下の通りです。
 黒豆一合に対して日本酒3合の割合です。黒豆を炒って使う場合は5〜10分から炒りしたものに日本酒を注ぎ入れる。翌日には飲めます。
 生の豆の場合はよく洗い、陰干ししてから日本酒に漬ける。1週間〜10日経ってから飲みます。写真は大きい瓶の方は生の黒豆2合に日本酒6合。小さい瓶の方は炒った黒豆1合に日本酒3合です。小さい瓶の方は今、毎日夕食時におちょこで一杯飲んでいるのでそろそろなくなりそうです。

Posted at 20:17 | | この記事のURL
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ムンクの絵 [2007年12月16日(日) ]


 昨日、上野にある国立西洋美術館でムンク展を観ました。纏まってムンクの絵を観るのは初めてですが、とても感動しまた。私はムンクの名前は知っていましたし、「不安」「叫び」などの絵も本で観て知っていましたが、ムンクが何処の国の、いつの時代の人で、どのような絵画のジャンルの人なのか、そのような美術史的知識は全く持ち合わせていませんでした。ムンクがノルウエーの人だと知ったのも、第二次大戦中になくなったのも今回初めて知りました。
 無心に絵を観て、ただ私は、ムンクの多くの絵はエネルギーそのものを描いている、と感じました。彼には絵に描かれている空間も含めて人間の発するエネルギーの流れがよく見えていたのではないか、そう思わずにはいられませんでした。描かれている曲線が私にそのような思いを抱かせたのです。想念エネルギーを感じ、想念エネルギーがハッキリ見えていた画家だと思いました。
 絵は当然のことながら、一枚の絵は一枚の絵としての完成度が必要でしょうが、ムンクの絵は、何枚もの絵を繋げて一つの空間表現にいたる装飾的な壁画として構想されていると知らされ、ムンクの意図する壁画空間が様々な音色で表現されているのを今回の美術展で知りました。
 久しぶりに東京へ出て、久しぶりに美術館に入りましたが、とても有意義な時間を過ごし、満たされた良い一日となりました。

Posted at 09:01 | | この記事のURL
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時代の変わり目 [2007年12月02日(日) ]
 高度経済成長の頃、人々はムラを捨て街に出ました。地方の街からは東京や大阪の大都市に人々が流入しました。首都圏や関西圏の都市は地方から人々を吸い上げ続けていき巨大都市になっていきました。棚田ばかりの山間のムラは全国どこもかしこも廃村、棄村で人がいなくなり、山は荒れました。何百年という長い年月を山で暮らし続けた山人(やまんど)の営みがあっという間になくなったのです。棚田は一旦放置されるとすぐに自然にかえります。先祖が汗水垂らして作り上げ、営々と受け継ぎ続けて来た耕作地が自然にかえったのです。

 地方から人を集めて、工業立国日本の輸出産業はいくら人がいても足りないくらいに忙しく、急成長していきました。反面、都市部で公害が叫ばれる様にもなりました。日本はGNPで世界第2位となり、自信にあふれた日本人が誕生しました。モノカネに価値を置くエコノミックアニマルの誕生です。

 人々の生活も変わりました。日本人の主食は米ですが、その米が昭和30年代になって日本の歴史上初めて不足することなく自給出来るようになったと思ったらすぐに米が過剰となり、減反政策がとられる様になりました。農業は邪魔者扱いされはじめました。日本人の食生活も変わったのです。米を作っている農家の食事でさえ、米を食べずにパンを食べる家庭が出始めたのです。日本人は自分が日本人であることを心の中で嫌い始めたのです。たとえ錯覚であってもマスコミに喧伝される欧米の都市部の人間であるかの様に生きたくなったようです。

 私が東京の大学へ入った頃、寄席に行くと、若手で売り出し中の落語家、立川談志が高座で口癖の様に「どん百姓」と口汚い言葉を発していました。そんな談志が受けて寄席は押すな押すなの大賑わい。寄席のお客は談志の噺に笑い転げていました。客席の笑いの渦の中で新潟の田舎から出てきた農家出身の私は何とも言えない寂しい気持ちになったことを覚えています。農家、また農家出身であることがまるで罪人ででもあるかのような気持ちにさせられたのです。そんな雰囲気が当時の都会にはありました。私は自分が農家出身だと、とても言い出せないと思ったことを覚えています。農家はさげすみの対象以外ではなかったのです。

 やがて日経平均4万円に手が届きそうな時点で昭和のバブルが崩壊します。バブル崩壊以後、日本の経済成長はそれまでとは変わりはじめました。銀行の不良債権問題がつづき、失われた10年といわれる期間となります。デフレの時代です。

 今や都市に吸い上げられていた戦後生まれの人達が大量に退職する年齢となりました。昨今はその年齢層の人達を中心にして農への関心が高まっているのだそうです。定年後は田舎へ、と考える人々が急増しています。本格的に田舎に定住して農業をやろうと考えている人、市民農園を借りて農に親しもうとする人など様々です。だが農業への関心は、それら定年前後の人々ばかりではなく、都市部の若い人達にも急速に高まっていると先日我が家にやってきた農協の若い職員が話してくれました。農地が借りられないか、また、農業をしたいが働けるところはないか、との問い合わせが最近は都市部の若い人達から寄せられる様になっているとのことでした。
 時代は大きく変わりつつあるようです。




Posted at 13:49 | 時の流れ | この記事のURL
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毎年頂くカレンダー [2007年12月01日(土) ]
 

 

 例年のように有元利夫のカレンダーを友人から頂きました。2008年版です。彌生画廊で出している掌にのる小さなサイズのカレンダーです。毎年頂くとすぐに12ヶ月全ての絵を観ますが、今度頂いたカレンダーの表紙絵は「告知(部分)」でした。
1月 アルルカン 
2月 幕の間の出来事
3月 春 
4月 ラルゴ
5月 テアトル 
6月 古曲
7月 飛ぶ人 
8月 花火の日
9月 多島海 
10月 使者
11月 若い音楽家 
12月 啓示
 特別に有元利夫大好きというのではありませんが、彼の描いた世界をいつも面白いと感じている自分がいます。例えば7月の絵は「飛ぶ人」です。1973年に描かれた絵ですが、全体に青黒っぽい色の世界で男性か女性か定かでない有元氏の描く特徴ある人物がまるで天井に足のひらと掌が吸い付くかの様な格好で描かれています。絵を逆にしてみると大地に四つ足で立っている様な何とも奇妙な感じのする絵です。絵の下部には山らしきものが描かれていますから高いところに奇妙な格好で浮かんでいるといった方が良いかも知れません。                      
 ちょっと見ると手と足のひらの描き方が奇妙です。足の格好から腰から下はお尻を上に向けている様に描かれていますが、手、腕の様子からは腰から上は胸を上に向けて描かれている様にも見えます。掌を見ると判りますが、実際は背中を上にして描かれているのです。しかし、そう見えないところが何とも奇妙でおかしい。というのも手を背中に直角に振り上げることなど普通誰も出来ないからです。
 一体絵はどのようにして描かれるのか? 画家の内面にハッキリと絵が浮かんでいるのか? 絵を観るといつもそんなことを考えますが、有元利夫という人は独特な世界と繋がっていた人ではないか。そして彼の絵を観るたびに彼の繋がっていたその独特な世界が私を魅了する、今はそんな風に考えています。
 

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