シニア向けコミュニティ STAGE ステージ
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自然、温泉、めぐる季節と一つになりたい。

虫や鳥、草や木の声を聞き取りたい土筆です

ガソリン価格高騰は何を招くか [2008年05月31日(土) ]
私は仕事で毎日車を使っています。東京にある会社の営業代理店をしていますが、社員をおかず、仕事は私一人です。私の仕事での行動範囲は新潟と南東北の各県、それに長野県です。年間の走行距離は数年前までは7万キロを超えていましたが、昨年は6万キロ強、今年は6万`に届かないと思います。自営故に車の燃料費は誰にも請求出来ませんから、経費のことを考えると出張では赤字になりかねず、今年に入って宮城や山形へはまだ行っていません。ここまでガソリン価格が急騰してくると一個人では何も対策をたてられないのが現状です。

それにしても、なんとまあ、世の中は典型的な不安と物価高の時代になったものかと驚くばかりです。4月の1ヶ月間、ガソリン税がなくなったので、よし、是で何とかやれるかなと思ったのもつかの間、ガソリン税は元に戻り、加えてガソリン価格の烈しい高騰です。
明日からまたガソリン価格が大幅に上がると聞いて、安いスタンドに先ほど行ってみたら、車が並んでいます。皆、防衛に忙しい。もっとも、私のように1日〜2日おきに給油している者にとっては、1日〜2日分の防衛に過ぎませんが、それでもしないわけにはゆきません。

こんな事がいつまで続くのか。石油が上がることで何から何まで上がるから国民の生活は急激に追いつめられてきていると思いますが、日本人はまだ行動を起こしません。いつ国民の怒りに火がつくのか? 秋口までには火がつくだろうと予感しています。
既に上場企業は減収減益が大勢でしょうから、今後急速に税収は減っていくと思います。自民党内でさかんに議論されている消費税の引き上げなど、国民の目から見たら、何を血迷っている、と怒りを通り越して唖然とするしかありません。今の政治家と国民の意識の乖離がこれ以上広がったら間違いなく、国民はぷっつんします。

ここまで来たら国民にとっては早く選挙をやって、なんとか少しでもまともな政治家に国を委ねたいと考えるのが当然ですが、民主党の人の中に大連立などを考えている人がいたらもう一巻の終わりでしょう。
今度選挙をやれば落選するのでは、と内々で思っている議員が多くいるように思います。だからこれだけ不支持が多い政権にも拘わらず、倒閣運動も起きないし、だらだらと時間だけが過ぎていっている。政治家の誰も、国民に目が向いていないんじゃないか、自分の処世しか考えていないんじゃないか。そのようにさえ見えてしまいます。

この国の現状を、真に憂いている人よ出よ、私はもう、今政治をやっている政治屋の誰ひとりとして信用しておらんのだよ。


Posted at 11:36 | 時の流れ | この記事のURL
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集合意識 [2008年05月29日(木) ]
昨日の帰途、車のラジオのスイッチを入れると丁度ニュース、大阪の船場吉兆、女将の会見が耳に飛び込んできました。小さな声で廃業する旨を言っていました。その少し後に、街で拾ったインタビューの声が2〜3人から聞こえました。
若い女性らしい声が
「あれだけ不信感を与えたのだから廃業して当然でしょう」

中年のサラリーマンらしい男性の声
「以前、2回行った事があるが、高級感のあるお店でした。残念です」

牛肉産地偽装事件で経営が悪化し、残った料理を別の客に提供していたことが明らかになり、ついに廃業に追い込まれた高級料亭、大阪の船場吉兆。
この事件からは様々な事を考えさせられます。
その一つに、地域には、地域に住んでいる人達が生活の中で生み出してきた意識があります。それはまた、文化でもあるでしょう。大阪には大阪特有の意識、お金や仕事等に対する共通する考え方、生き方があると思います。だから、大阪人は大阪人らしいとなるのです。
巨大都市大阪に高級料亭が一体どのくらいあるのか、地方の田舎に住んでいる私には想像も出来ませんが、今度の船場吉兆の事件は、大阪にある他の高級料亭でも、もしかしたらやっているかも知れない、という疑念を抱かせます。少なくとも、全くあり得ない事だとは考えにくくなった人も多い事かと思います。

今のようにマスコミが発達して、日本人の全てがある意味で共通の価値観、共通の意識で生きていますから、食品偽装の問題は広く全国各地でも起こりうるし、又実際起こってもきました。現代人の人としての規範の乱れは底なしのように思います。人として生きる意味が見いだせない、そんな混乱した意識状況が見えてきます。大阪の船場吉兆の事件はそんな意識の象徴なのかも知れません。


Posted at 08:38 | 意識について | この記事のURL
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災害? [2008年05月25日(日) ]
 基本的に私たちは自分の五感を頼りにしている。五感以外は信じないとも言える。顕微鏡や科学によるいろいろな機械、例えばX線撮影や断層撮影も五感の延長線上以外のものではないように思える。
 物言わぬ山や川、或いは他の動植物にしろ人間にとって痛みの伴わない利用すべきものに過ぎない。だから山を削り、木々を伐採し、川を堰き止め、或いは流れを変え、海を汚してきた。地中深く穴を掘り石油を掘り出し、ウランを掘ってきた。まるで湯水の如く石油を燃やし、ウランで核実験をし、原発施設を稼働させもしてきた。
 人間はまるで地球の王のような振る舞いを何の違和感もなくやってきたけれど、ガイアと言われているように地球は生命体であり、私たち人間は元々地球の子供に過ぎない。人間の肉体を構成する分子は大地を構成している分子と何等変わらない。
 この事を今、真に認識する必要があるのではないかと最近とみに思う。ガイアが自分の身体を守るために、自分の身体のエネルギー調整をするだけで地球表面に住まわせて頂いているに過ぎない人間はおおわらわ。
 10万人規模の死者を出したミャンマーの巨大サイクロン、また四川大地震による被害は24日、中国政府は死者が6万560人、行方不明者が2万6221人、被災者が4550万人余りに達したと発表した。温家宝首相は地震による死者が8万人以上に達する可能性があると言っている。
 また、休火山の状態が300年も続いていたチリ南部のチャイテン山の噴火活動などを考え合わせると、大規模災害がすでに地球規模で発生し始めていることは間違いないように思われる。
 チャイテン山の噴火は2日から活動が活発化してきており、すでに火口から30キロ離れているチャイテン町には火山灰が数十センチも積もっており、政府は住民を海軍の艦船を使って近くの町に避難させ始めているようであると伝えている。

 このブログでも度々紹介したジュセリーノ・ノーブレガ・ダ・ルース氏が来日しているが、イザ!編集部による14日に東京都内で行われたインタビュー記事がインターネットに載っているのを見つけた。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/145111/
 それによると手紙は中国政府に昨年出しており、5月12日に中国でマグニチュード(M)7・8の地震が発生するという内容の予知をし、伝えていた。「何か対策を考えてほしい」という内容の手紙だという。地震直後から中国からの問い合わせメールが6000〜7000件も来ているという。中国政府はこの度の四川大地震について昨年には既に知らされていたのだ。しかし、有効な手を打っていたとは思えない。一個人の予言を信じる事など端からなかったのかも知れない。
 今度の四川大地震で動いた活断層は竜門山断層帯だが、その竜門山断層帯が主に活動したのは2億年前〜6500万年前までで、ちょうど恐竜がいた時代。それが1千万年前以降は活動が低調で、地震で断層がずれた量を年平均に換算した「活動度」は垂直方向に年1ミリ以下。竜門山断層帯の西側にあり、頻繁に大地震を起こしている鮮水河断層帯の年10〜20ミリと比べ、10分の1以下だという。 このため、専門家も「死んだ断層」と考え、注目していなかったのだという。この事は何を意味しているだろうか、現代の科学の限界、現代文明の限界を示していることなのかも知れない。

 私たちは、生命とは何か? この地球を含め、生きとし生けるものについて真に考え直さなければならない時に来ているのではなかろうか。人間も自然も同等の価値を有するものであることを、いや人間は生命体ガイアの大いなる愛に包まれた子に過ぎないことを知るべきではなかろうか。
 ジュセリーノ氏の言われるように、人類は今、心から自分たちのやってきたことを悔い改め、意識を変えなければ、滅亡の日は近いのかも知れない。

Posted at 20:18 | 時の流れ | この記事のURL
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行者ニンニクの花 [2008年05月23日(金) ]
昨日偶然山道で見かけました。

ギョウジャニンニクの花です。

皆さん、あまり目にすることはないと思いますので、此処に載せます。



ギョウジャニンニク、今年は食べる機会がありませんでしたが、来年は是非とも食べたいと思っています。

Posted at 08:46 | 自然 | この記事のURL
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福田内閣の支持率 [2008年05月22日(木) ]
「福田辞めろ」の世論が沸点に達している。最近の福田内閣の支持率は朝日新聞が先週末にやった世論調査では19lである。
こんな体たらくにも拘わらず福田首相は選挙はやらない、などと言っているのだから政治家とは何だろうと改めて考えざるを得ない。これでは国民の支持率が数l台に落ち込むのも時間の問題かも知れない。そうなったら国民の怒りが直接的行動として起こってきそうである。
ここまできたら政治を自分の飯の種だと考えているような人、とにかく当選して政治家でいたいというような人、中身がまるでなく若さだけが売り物の人、自分で手を汚さない評論家然とした人、二世、三世で政治家としての資質の何もない人、これらの今まで政治の舞台でのうのうとやってきていた人は害毒にこそなれ、決して国民のためにはならないのだから国民から袋だたきにあう前に政治の舞台から降りることを考えられたらいかがかかと老婆心ながら心配せざるを得ない。

時代は急変しつつあり、自民がだめだから民主だと、言えないところが私たちの不幸でもある。同じ穴の狢がのさばっているのが見えているからだ。
それでも多少は風通しを良くするためには一度は民主党に政権運営をして貰った方がいいだろう。そしてその実力の程が知れ、国民が本当に呆れた時から新しい政治が真に始まるのかも知れない。

今日の「日刊ゲンダイ」によると携帯電話の利用者が知らずに徴収されている税金、電波利用料の総務省の使途が社保庁や国交省と全く同じ構図で、その出鱈目振りが明らかになりつつある。ここまで来ると絶句の他はない。

Posted at 20:11 | 時の流れ | この記事のURL
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旅情、盲腸線の旅がしたい [2008年05月20日(火) ]
世にてっちゃんと呼ばれる人達がいる。女性の場合は鉄子さんと呼ばれる。この人達は或る特定の場所に集まっているのではなく、全国各地にいる。所謂、鉄道マニアの人達のことを指す。

この人達は鉄道のこととなると何でも詳しいが、そういうマニアの人達でなくとも盲腸線という響きは私たちの心にある種の郷愁に似た思いを呼び起こす。盲腸線とは短い区間の線のことを言い、起点と終点のどちらかが他路線と接続しておらず盲腸の様に見えることからこう呼ばれるようになった線のことである。

終着駅の旅というのは何か特別な感傷がある。とくに盲腸線の終着駅となればなおのことだ。その先に線路はないのだ。終着駅には鉄道を敷設した人々の想いが強くこめられていたはずだ。たから、たとえどんなに小さな駅であっても、途中の駅とは違う何かがある、という期待感を抱かせる。

今、日本には北海道から沖縄まで終着駅は全部で356あるという。私は後数年して仕事を辞めたら、のんびり鉄道の旅がしたい、そして盲腸線の旅がしたい、観光地とは無縁な終着駅の地に堆く積もった人々の意識、その地の歴史に触れたい。そんな想いにさせられた1冊です。『終着駅と盲腸線の旅』(人文社発行)

Posted at 08:29 | | この記事のURL
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『偽善エコロジー』 [2008年05月19日(月) ]
5月の末に、武田邦彦氏がまたまた刺激的な題名の本を幻冬舎から出します。その名も『偽善エコロジー』。
この人の著作はこれまでにも『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』(洋泉社)、『「リサイクル」してはいけない』(青春出版社)などのエコロジーの裏の部分を暴く刺激的な本を出してきました。
私たちはエコロジーと聞くとそれだけで地球環境に良いことだと、思い込んでいるところがあります。日常生活に於いて如何に物事を深く考えなくなっているか、マスコミの喧伝することに一も二もなく従っているかを改めて思い知らされます。

今度の本の内容は「エコバック推進はかえって石油の無駄使い」「割り箸は使った方が森に優しい」「家電リサイクルに潜む国家ぐるみの偽装とは」・・・・身近なエコの過ちと「環境」を旗印にした金儲けのからくりを明らかにしている、と謳っています。
私たちのエコ生活が環境に悪化をもたらし、企業を太らせ、国や自治体の利権の温床となっている事実を明らかにしているこの本。何が本当のエコか、環境問題の新しい教科書として読んでみようと私は予約することにしました。この刺激的な内容の本を読まない手はありません。

Posted at 07:37 | 業界の裏側 | この記事のURL
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感謝考ー4 感謝する自分とは? [2008年05月18日(日) ]
誰が自分を窮地に追い込むような現実をつくるものか、と誰しも思うことでしょうが、実はその現実を作っているのが同僚ではなく、自分自身だったとすると事はちょっとややこしくなります。つまり自分が同僚に頼み、そのような現実を招き寄せたと。

此処で「自分」とは何か? という問題が浮上しますが、「自分」という存在について考えてみると、なかなかやっかいなことだと判ります。「自分」とは自明であるようですが、さて本当に自明かというと、どうもそうでもないからです。

日本には昔から「霊」「霊魂」「魂」「魂魄」「一霊四魂」などと言う言葉があります。古事記に出て来る大国主命を祀った出雲大社に参拝すると、誰もが目にすることと思いますが、大国主命と兎の像があり、荒魂(あらみたま)・和魂(にぎみたま)があります。古事記の時代から一霊=「直霊」(なおひ)と4つの魂(荒魂・和魂・幸魂・奇魂)という考え方があったことになります。

数年前に99歳で私の祖母が亡くなりました。病室で看護婦さんが死に化粧をして下さるというので病室の外に出て廊下の長椅子に腰掛けて待っている間に、私の左肩に虹の玉が乗っているのに気付きました。丁度シャボン玉が乗っている様で重さは全く感じられないのですが、その虹の玉が祖母だとすぐに分かりました。私は祖母に「おばあちゃん、長い間有難う。ぼろぼろになった衣をやっと脱いだんだね。今まで沢山の愛をいただいて本当に有難う」 そのような言葉を私は意識で語りかけました。祖母は私の肩から私のお腹の所に降りてくるとほんの数秒、其処にいた後、すっと消えました。祖母との最後の別れでした。

この数年、身内や知人の死に際し、魂の存在を感じることが多くなるとともに、私にとって人間に霊=魂があるというのは、いつのまにか自明のことになりました。人間とは魂が肉体を羽織って此の世に出てきた姿そのものであると今では当然のことの様に思っています。もっと言えば肉体とは魂の選んだ着物、魂の乗り物とさえ言えましょう。

私たちは此の世で自分一人で生きてゐるのではありません。自然や人工物や人との関係性の中で生かされています。肉体を羽織った魂は何の目的で此の世に顔を出したのでしょうか、そのことを私はずっと考えてきましたが、最近、私は気付きました。きっと魂はあらゆる旅がしたいのだ、と。永遠不滅の魂はありとあらゆる経験がしたくて此の世に顔を出すのではないのか、肉体を羽織ることによってしか旅が出来ないのではないか、と。
今生は「薄幸の美女となって悲劇のヒロインをやってみたい」とか、あるいは「お金を儲けるためだけに執念を燃やす守銭奴をやってみようか」とか、実にいろいろな、その魂なりの目的を持って、自分の目的に一番相応しい肉体、相応しい環境を選んで此の世に顔を出す。そう考えた方がしっくりくるのです。

だから自分の目の前に現れる現実は時に舞い上がるほど仕合わせなこともあり、時にはどうしようもなく困難にぶち当たることもありますが、その仕合わせ、困難は自分の魂が自ら招いているのではないかと思う様になりました。仕合わせの現実、また困難な現実を自ら体験することで、魂は一つ、、またひとつと知恵を獲得していくのではないか、魂の旅とは知恵の獲得以外にないんじゃなかろうか、とそのように考えます。

そのように考えると、内なる自分=魂が望んで仕合わせな現実、困難な現実を自ら設定したと考えることが出来ます。勿論、表の自分は困難な現実などまっぴらご免ですが、内なる自分はそれを望んでいる。そしてその困難な現実から徹底的に学びつくし、知恵を獲得することでその対象に対して感謝する。およそ、そのような仕組みになっているのではないか、と最近私は思う様になりました。

Posted at 13:41 | 意識について | この記事のURL
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マクロビオティックに於ける砂糖 [2008年05月17日(土) ]
私は一日の内、一食は玄米を食べている。玄米に小豆を入れたり、黒豆を入れたりして炊いている。
以前は酵素玄米だったが、一升炊くと何日もあり、発酵が進んで、夏など一口食べると汗が噴き出すほどエネルギーが高いので、いつの間にか食べなくなった。
その代わりこの数年は圧力釜で3合ずつ炊いている。妻も母も玄米は食べないので仕事で昼食時におにぎりにして食べている。丁度3日で食べ終える。玄米も昔は圧力釜でないと炊けなかったが最近は普通の電気釜でも炊ける様になっていて、手軽に玄米ご飯を頂ける。

今日はマクロビオティックの会があった。私も会員になっているので、何かのっぴきならない用がない限り出席してマクロビオティックの調理を習っている。習った中で比較的簡単に作れて美味しい料理は出張で自炊宿に泊まった時など自分で作って楽しんでいる。今日は脂ののった中アジの3枚におろしたのを天ぷらにした、アジの天ぷらが美味しかった。アジを3枚におろし、そのアジに梅肉を塗り、それを大葉で巻いて衣を付けて揚げるのである。これは酒の肴にも絶品、揚げる油は菜種油にごま油を混ぜてある。

今日は他に玄米の筍ご飯、厚揚げの白和え、それにアラメの煮たものである。どれもとても美味しかったが、マクロビオティックでは調理に砂糖は使わない、砂糖の代わりにメイプルシロップを使う。今日メイプルシロップを使った料理は厚揚げの白和えであったが、ほんの少量使っただけである。メイプルシロップはご存知の方も多いと思われるが、カエデの樹皮を傷つけて採取するカエデの樹液である。とても甘く砂糖の代わりとして使われている。
マクロビオティックは陰陽の原理に則っているが故に極陰の砂糖は先ず使われることがない。そもそも砂糖が日本に入ってきたのは鑑真和上が来日した時だったと言われている。砂糖は薬として持ち込まれたので当然の事ながら当時の日本人はそれが甘味料であることなど知るよしもなかった。
江戸時代になると砂糖の輸入量も徐々に増えていったが、とても高価で庶民の手のでるものではなかった。白砂糖、黒砂糖、それに氷砂糖などが知られていたが、庶民の口には殆ど入らなかった。日本で砂糖の生産に力を注いだのは八代将軍吉宗であった。吉宗は甘藷栽培を奨励し、砂糖を精製する技術を研究させた。そのうち讃岐に於いて上質の砂糖が生産される様になった。これが和三盆である。
江戸時代余程のことがない限り庶民が口にすることのなかった砂糖、その砂糖が今は過剰に摂られている。一日の内で砂糖を口にしない人は殆ど皆無であろう。だが、その砂糖、極陰の故に病気も又増えたのである。
写真はアジの天ぷらです。


厚揚げの白和え

Posted at 14:46 | | この記事のURL
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アサリ人気 [2008年05月13日(火) ]
三重の鈴鹿の友人からアサリがどっさり送られてきました。すぐにお礼の電話をかけると、今、伊勢湾ではアサリが涌いているのだそうです。潮干狩りに行って、じょれん (鋤簾)でいくらでも捕れるので 我が家にも送ったのだと。こんなに涌く様にアサリがいる事は今まで何十年もなかったことだと彼は言います。海もいつもの海ではなくなって、異常なのかも知れませんが、ありがたいことです。
そういえば、彼の家から海は目の前です。

さて、このアサリ、どうしたらいいかと考えました。先ずは酒蒸しで一杯やろうと一掴み酒蒸しにしました。大粒のアサリは身がふわりと柔らかく、とても美味しい。
大量に送られてきたので酒蒸しだけで食べきれるものではない。妻に佃煮にして貰ったら、大瓶で一瓶出来ました。これがまた美味い。ご飯のおかずに最高です。保存がきくのでしばらく楽しめます。アサリの佃煮でご飯をいただいたら、急に、先日読んだ本に載っていた江戸の家庭料理で人気があったアサリの「むきみ切り干し」料理を思い出しました。

江戸時代に刊行されたその本、『日々徳用倹約料理角力番附』によると、家庭料理で魚料理の一番人気は「メザシイワシ」だそうです。これは干し物で、生のイワシの塩焼きは全然人気がなかったそうです。次ぎに人気があったのが、「むきみ切り干し」で、アサリやハマグリをむき身にし、切り干し大根と一緒に煮たものだそうです。もう少し早く思い出していればこれを妻に作ってもらったのに、残念ですが仕方ありません。

改めて本を読みなおしてみると、豆・野菜料理で一番人気は「八杯豆腐」とあります。どんな豆腐料理だったのか説明がないので判りませんが、江戸時代の人々は豆腐をよく食べたようです。『「豆腐百珍」』という江戸庶民に親しまれた「豆腐」を題材にした料理本が大ベストセラーになったほどですから。
豆・野菜の総菜では他に「こぶ油揚げ」「きんぴらごぼう」「煮豆」「焼き豆腐煮」「ひじき白和え」「切り干し煮付け」「芋がら油揚げ」「小松菜のおひたし」とあります。これは我が家の日頃の総菜と殆ど同じで、江戸の昔から総菜はあまり変わっていないのがよく分かります。

Posted at 22:09 | この記事のURL
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