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自然、温泉、めぐる季節と一つになりたい。

虫や鳥、草や木の声を聞き取りたい土筆です

神前結婚式 [2008年08月31日(日) ]
  7月の、風もなく、じりじりと真夏の暑い陽射しの照りつける日、この新潟でも気温は33℃をこえていた。私は市内で執り行われる親戚の結婚式に招待されていた。
 披露宴会場に着いて、受付をすませると、新郎と白無垢の花嫁が現れて、列席者に挨拶があり、そのまま歩いて7分ばかりのところにある古い大きな社まで、照りつける強い陽射しを浴びながら、皆で歩いて行った。
 私は全身汗まみれ、熱中症か、頭がくらくらするので、きっと花嫁は真夏にどてらを着て我慢大会に出ているような気分じゃなかろうかと思い、近づいて、花嫁の顔はと見るに、にっこりと爽やか、なんと汗一つかいていない。花嫁の後ろには打掛の裾を持った人が続き、花嫁の脇には扇子で花嫁を扇いでいる人がいる。もう一方の脇には大きな日傘を花嫁にさしている人がいるとはいっても、このにこやかで、爽やかな表情は何だ。私は思わずうなってしまった。心頭を滅却すれば火もまた涼し、と云うけれど、一生に一度の晴れ舞台、花嫁さんの心は一点の曇りもない、仕合わせ感が身心全てをつつんで暑さなど、感じていないのかも知れない。それに対して新郎の方はと見れば、タオルで顔や首筋の汗を、しきりにぬぐいながら歩いている。う〜ん、この違いは何だ。様々な思いが一瞬脳裏に浮かんだが、それは此処には書かないでおこう。
 やがてお社に着き、荘厳な拝殿での厳粛なる挙式。恥ずかしながら、私は今まで神前結婚式には出た事がなかった。私と妻の結婚式は、下仁田の山の中の破れ寺、此処の住職が妻の山仲間なので、このお寺で式を挙げた。一年で一番寒い2月の初めだった。だだっ広い寺の本堂での結婚式だった。今はとても寒かったのしか思い出せない。他にいままで、友人知人の結婚式に参列はしたが、結婚式場以外は、どこも何故かお寺や教会での式ばかり。神社での式に参列するのは初めてだった。
 古式ゆかしく、「いいものだな」と思った。昔からこの様な結婚式が日本では当たり前だったのだろうかと、家に帰り、調べてみたら、現在のような神前結婚式が行われるようになったのは、明治時代になってからの事らしい。
 鎌倉時代の武家の婚礼では婿方の家に輿(こし)に乗った花嫁が来ると、婿方の家族も参加して夫婦の杯を交わし、その後、親戚などに紹介するという、ごく簡単なものだったようだ。やがて、婚礼はしだいに儀式化していって室町時代になって三三九度もなされるようになった。
 現在の神前結婚式の形は、明治三十三年の皇太子(後の大正天皇)のご成婚の際の儀式を手本としているらしい。婚礼の儀式も婿方の家以外の場所で行うようになるのもこの時のご成婚を契機としてだという。時代により、結婚式のやり方も変わっていくのだろう。
 これからの時代、どのような結婚式の形になるのか、私には今、想像も出来ない。

Posted at 09:16 | 時の流れ | この記事のURL
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歩き方と座り方 [2008年08月30日(土) ]
 85才になる母がぎっくり腰で二日程寝込んだ。私の住む農村地域では老人は大抵腰か膝を痛めている。母は今まで腰の痛みとは無縁であったが、今度畑で畝づくりをしていてぎっくり腰をやり「もう年だ」と何か安心したかのように言っている。地域の同年配や年下の仲間が「腰が悪い」とか「膝が痛い」とか言っているのを聞いているので、自分も仲間入りをしたという安心感があるのかも知れない。
 農村地域に限らず、一般に老人は腰や膝の痛い人が多いが、整形外科の知人に言わせると昨今、30代40代の膝痛、腰痛の人が多く来院するという。10年前の倍はいるんじゃないか、と聞くとその原因を知りたくなる。知人は、最近の若者は歩き方、座り方がまるでなっていない、という。たしかに街を歩いている若者を見るに、身体の何処に中心があるのかと思わせられる歩き方をしている人が実に多い事に驚かされる。これでは腰痛になるのも仕方ないだろう。大股で腰をねじって速く歩いている若い女性など加齢とともに腰をいためるは当たり前だろうし、和食のお店などで目にするがちゃんと座れない女性がいる。見るからにだらしのない格好だが本人は気付いていないに相違ない。足を前に投げ出してすわっている女性や正座出来ず右か左の片側に両足を出して座っている姿を見ると自ら望んで背骨をはじめ、腰や股関節を歪ませているとしか考えられない。もう二十年もしたら日本の人口の半分が車椅子では笑えない。
 サプリメントやビタミン剤を飲んで健康に気を付けているとしたら本末転倒である。

Posted at 10:17 | 健康 | この記事のURL
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好悪の感情 [2008年08月22日(金) ]
 人の行動は何によってなされているのでしょう。言い換えれば人は何の種で行動しているのでしょうか。皆さんはそんな事を考えた事はないでしょうか。私はよく考えます。今俺のやった事は何故なんだろう。理由はいろいろありますが、どうもそれはとってつけたようで我ながら納得がいかない。別に俺がしなくともよかったんじゃないか、自分でした事なのに、うまく自分の行動に説明が出来ない。そんな事が屡々あります。 
 人は自分の価値基準、善悪の基準があって、それによって行動しているのだろうか、それともどうしてもしたい目的があってその為に全ての行動をその目的遂行の為に費やしているんだろうか。考え出したらきりがありませんが、案外人は自分の中にある好悪の感情で動いている場合が多いのではないかと最近とみに思います。
 好きか嫌いか、この感情に理由はありません。好きだから好きで、嫌いだから嫌いなのです。では、その好悪の感情は自分の中に元々あったのだろうか。いや、違うと思います。
 それは前世から持ってきたものは勿論あるでしょう。例えば、水が嫌い、水が怖い、という人がいる。何故彼は水に対して異様に恐怖心や嫌悪感を抱くのか。その原因を探っていくと、前世、彼は水の事故で命を落としたなどという事が退行催眠によって明らかになったりします。そのような事は勿論ありますが、多くの好悪の感情は家庭環境、とりわけ幼児期に於ける母親の影響が大きいと考えられます。母親の嫌なものは子供も嫌なのです。母親が好悪の激しい人であった場合、子供もその影響を受けて育ちますから、母親と同じように好悪の激しい人間になります。
 理屈などは何時も後からいくらでもついてきます。人間の行動を促すもの、それは好悪の感情が先ず第一ではないでしょうか。ある人にとってはしんどくてとてもやる気が起こらないのに、ある人は嬉々としてやっている。それくらい好悪の感情は人間の行動を支配していると言っても過言ではないのかも知れません。だとすると、母親の責任は大変に重いと考えざるを得ません。好悪の感情の激しい母親はそれだけで子供の未来を狭めていく事になります。子供を産んだから女が母になるのではなく、男が父になるのではなく、親として自覚したから男も女も父や母になっていくのではないか。自覚と責任について幼い子供を持つ親は真剣に考えなくてはいけない。
 ふとそんな事を思ったのは、姪が一日中3ヶ月の子を連れて我が家に遊びにきていて、その様子に接し、今日は著しく不安を抱かせられたからかも知れません。
 

Posted at 20:09 | 感情について | この記事のURL
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枕と北枕 [2008年08月21日(木) ]
 死者が出た時に、通夜の前に、菩提寺の僧侶に枕経を読んで貰う最初の仏事が行われますが、この際、遺体を北枕にし、顔に白い布をかけるのは誰しもご存知だと思います。
 枕を北にするのは、釈迦の入滅に由来していると云います。釈迦が北を頭にして死去した事から北を頭にするのは死者を意味すると考えるようになったからですが、神式でも同じように北枕にしますから必ずしも仏式だけの習慣ではないようです。
 いずれにしろ、死を忌むことから、北枕は縁起が悪いこととされ、死者の極楽往生を願い遺体を安置する際のみ許されていました。

 私はもう十数年北枕で寝ています。北枕で寝た方が心身が休まるからです。頭を東に向けて寝ると身体が休まらないのですが、北枕で寝ると休まるのです。

 因みに枕も、これ又十数年していません。人間は何故、枕をするのでしょうか、私もまた、生まれてからずっと枕をしてきましたが、枕をすると頭に血液が循環しにくくなるように感じています。また、頸椎もずれやすいと感じています。枕をしなくなってから身体の不調が消えました。
 枕をしている人に、朝起きた時の首・肩・腰の痛み、さらには片頭痛に悩まされている人が案外多い。枕が合わないのが原因と考えられます。枕は人間の歴史とともにあり、古代エジプトの墳墓からも出土されていますから、人間にとって枕は必需品なのでしょうが、枕のせいで首の頭痛とも言うべき「大後頭神経痛」になっている人が多いのは事実です。

 頸椎の7つの骨の間には「つい間板」があり、骨の隙間からは「神経」が頭や肩・腕などに伸びています。睡眠中に十分首が休まっていないと、首の筋肉が緊張してこれらの神経を圧迫します。これが「大後頭神経痛」と呼ばれる片頭痛のような症状や、肩こり・腕のしびれの原因となるといわれています。「枕」の語源は魂の休むところ「たまくら」(霊倉)といいますから、人間には必要なものですが、合わない枕は健康を損ねます。私のように枕無しで寝るのも一つの選択だと思います。

Posted at 07:22 | 健康 | この記事のURL
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全ては自分の責任 [2008年08月15日(金) ]
 煙草の煙は嫌いだ、あっちへ行け、と思っていると、タバコを吸う人がやってきて、よりによって自分の前に座り、煙草を吸い始める。「煙草の煙」に意識がいった所為で煙草の煙が嫌いでも好きでも同じこと、煙草の煙を現実に呼び込む結果となります。
 身のまわりには、うまがあわない人がいるものです。苦手タイプと云いましょうか、あの人とは付き合いたくない、そんな人が身のまわりに必ず一人やふたりいるものです。そんな人とは会いたくないのに、何故か会う羽目になります。
 目の前に現れる現実は全て自分の心の反映だと考えると、苦手なタイプの人間は自分の中に持っている自分の心模様が現れ出たものと解釈出来ます。相手は自分の鏡であり、自分の様々な表現の一部だと考えた方がつじつまが合います。だから嫌な相手の出現は自分がそうさせているのであり、「完全な自己責任」なのです。
 「自分の人生の完全な責任とは、自分の人生の中の全てが、単にそれが自分の人生の中に存在していると言うだけの理由で、自分の責任である」のです。この考えは自分が見たり聞いたりするすべての世界が自分の創造であると云う事を意味します。
 この考えは大方の人からは認められないでしょう。自分の言動が自分の責任だというのは分かるが、自分の人生に於けるあらゆる人の言動が自分の責任だというのは認める事が出来ない、と。
 しかし、ハワイに住む心理学者イハレアカラ・ヒュー・レン博士は「全世界が自分の責任だ」と言い切っています。
 ハワイには昔から伝わっているヒーリングで「ホ・オポノポノ」があります。「ご免なさい、許して下さい、有難う御座います、愛しています」の4つの言葉を唱えるだけで、自分をはじめ、周囲まで癒す事が出来るという究極のヒーリングです。レン博士は精神障害を理由に不起訴、減刑、或いは無罪となった人々の病棟に収用されていた人達全員を、誰一人診察することなく、癒しました。
 レン博士は患者のカルテを読み、自分がどのようにしてその人の病気をつくり出したのかを理解するために自分の内面を見ました。患者はレン博士自身の思考、想念の一部であると考えたのです。そして彼は自分自身を改善するにつれて患者を改善したのです。現在その病棟は閉鎖されているそうです。患者が誰もいなくなったからです。レン博士が自分を癒す為に使ったのはホ・オポノポノです。
 皆さんは、そんな事はあり得ないとお考えでしょうか。

Posted at 11:10 | 意識について | この記事のURL
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激変する農業と食糧 [2008年08月14日(木) ]
 アメリカ・NASAの発表によると北極の夏の氷はあと5年で完全に消滅するということです。これは予測よりも30年も早いそうです。
 温暖化の真の原因は明らかではありませんが、私は海底核実験などが相当に影響しているのではないかと思っています。温暖化による環境破壊は農業に大きなダメージを与えます。一度、破壊された環境は1年や2年ではまったく回復しません。環境破壊は激しい気候変動を発生させます。大雨、台風、日照りによる大旱魃です。この事については皆様は、この夏の気温や雨の降り方から納得されているでしょう。

 農作物は気候変動の影響をもろにうけます。温暖化すると南方から入ってきた害虫が全部越冬します。それらが暖かい夏になると大繁殖をします。地球温暖化はわずか一年ですさまじく変化しています。一年前の温暖化情報が嘘のようです。このような大きな変化の中で昨年と同じような栽培方法をしていてもうまくはいきません。

 この地球上で、食糧資源の底は尽きようとしているのに世界ではまだ資源を開発して経済発展を続けようと多くの国が競争しています。環境はますます悪くなっています。破壊された環境が元に戻るにはどれくらいの時間が必要なのか誰にもわかりません。少なくとも、ここ20年や30年は改善されることはまったくないと言ってもいいでしょう。そんな中で農業生産がなされています。いつまで続くか誰にもわかりません。

 今の私達を取り巻く現状を私たちはもっと正確に認識する必要があります。誰あろう、私達自身が招いた事ですが、私達は相当に困難な時代を迎えています。


Posted at 17:25 | 自然 | この記事のURL
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意識は物質? [2008年08月13日(水) ]
 人が何事かを思う時、想念波動を出します。、それは電気、熱、光、音などと同じく現実的なものです。人の耳に聞こえなくとも虫や精密機器が感知する音はあるし、人の目に見えなくとも繊細な機器に感知出来る光の波はいくらでもあります。新しい機器が発明されて新しい波が出現するのではなく、機械が発明されようと発明されまいと波は存在しているのは誰しもご承知でしょう。磁気・磁力は私達の感覚器官に引っかからないけれど、存在している事を私達は磁石の存在から知っています。また磁気波が鳥を寄せ付けない事も農家の皆さんには経験的に知っています。鳥が磁気・磁力を感知している事は明らかです。、
 人は同じ周波数で引き合うのです。愛には愛が、憎しみには憎しみが引き合います。強い想念、長く思い続けている想念に対しては、その想念に応じる他の想念を引き寄せます。類は友を呼ぶ、これは真理です。愛に満たされている男女はどんな面にも愛を見て、他の愛を引き寄せますし、憎悪を抱く人は最大限の憎悪を受けます。人生は闘争だと思っている人には常に戦いの種が待っています。
 私達は残念な事に意識・想念の使い方について教えて貰ってきていません。学校は単に知識を詰め込む場でしかなく、意識について、人間の生き方について全く教えてはくれませんでした。
 私達の今は多かれ少なかれ、自らが思った結果です。直接言葉によって、あるいは想念の波を介して伝わってきた他者の思いも影響していますが、心の態度全体が自分の発する想念だけではなく、他から受け取る想念の性格も決定するからです。人はその人の心の態度全体に調和する想念だけを受信します。心の態度と調和しない想念は殆ど影響を与えませんし、反応も起こしません。人は自分の心に合うもの、探しているものを見つけ出すのだと言えます。その意味で、秋葉原の無差別殺人事件で犯人が刺した人は偶然のように見えて実は犯人の意識波動と繋がっていたのかも知れません。丁度テレビのある番組が犯人の意識波動だとするとその番組にチャンネルを合わせた人が被害者となってしまった。
 もし心が強く、明るく、楽しく、仕合わせで、自信に溢れ、積極的に動いていれば、勇気を感じ、仕事をよくこなし、目的を遂行し、成功への道を進むでしょう。他に影響を与え、協力したいと願わせ、後に続きたいと願わせる強く積極的な思いを放つからです。
 断言とか決意表明は大きな役割を果たします。積極的な宣言をする事で同じような波動を引き寄せる事が出来るからです。これが、「アフォメーション」(宣言)と「自己暗示」の重要なところです。アフォメーションの目的は二つあります。
一つは新しい心の態度を自ら設定する事で、自己改造、性格形成に驚く程役立つこと。
もう一つは、同じ思いに生きる他の人の積極的な想念を受け取るように心の常態を高めること。
創造的に生きる為には、断言・宣言や決意表明が如何に重要かが分かります。

Posted at 07:58 | 意識について | この記事のURL
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23人の妻 [2008年08月10日(日) ]
 江戸時代の事、17年間に23人も妻をとりかえた男がいた。仙台に住んでいた男だが、入り婿して女房と一緒になったものの、その女房に馴染めず、出奔する。
 以後京に出て次々と22人の女と所帯を持つが誰一人添い遂げる事が出来ず、最後は裏長屋に住み、菅笠の骨竹を削る仕事をしながらその日暮らしの生活をやっと送る毎日の、赤貧の身に落ちぶれて一生を終える。この男の一生は女に惹かれ一緒になるが、一緒になったら女の本性が見えて、女から逃走する事の繰り返しで、女の表と本音を察知出来ない男の悲哀が滲み出ている。
 結婚は人生の墓場だという意見もあるくらいだから男にとっても女にとっても或る程度諦めが肝腎で、諦めたところから二人の生活が続くと言えるかも知れない。本人の思い込みが強ければ強い程、こんなはずじゃなかった、という思いに駆られるは必定で、出す感情もろくなものでなく、一度そのようなマイナスの感情を出す事に慣れると、それが潜在意識そのものとなり、常態となり、女が変われど、ちょっとした事で今までの慣れ親しんだ関係と慣れ親しんだ想念、感情に支配され、マイナスの感情が吹き出す事になる。新しい女にも今までの関係を敢えて作りだしていくと言った方がいいかも知れない。
 結局は女との出会いから、出来事から何も学んでいないから自分を変える事が出来ず、同じ環境、同じ境遇を辿る。吐き出し続けた想念・感情だけが自分の身体に蓄積し、影響を与えて文字通り身を滅ぼす結果となる。人を呪わば穴二つ、というが、人を嫌えば穴二つであり、人を愛せば穴二つなのである。23人の妻をとりかえた男の話は人間の潜在意識の凄まじさを改めて教えてくれているように私には思われてならない。
 

Posted at 10:57 | 潜在意識について | この記事のURL
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看護士受け入れ [2008年08月09日(土) ]
 いつの間にか看護士、介護福祉士の受け入れが続いている。インドネシアとの経済連携協定(EPA)に基づくインドネシア人看護師・介護福祉士候補者らの第一陣101人が、8月7日成田空港に到着した。
 TVで見ていると看護師・介護福祉士候補者たちは、色とりどりのシャツに身を包み、大きな荷物をカートに載せてゲートを潜った。取り囲んだ報道陣を前に、長旅の疲れも見せずに笑顔で質問に答えていた。
 入国後は、海外技術者研修協会と国際交流基金が実施する日本語研修を約半年にわたって受ける。その後病院や介護施設で働きながら研修を受け、看護師や介護福祉士の国家試験合格を目指すのだという。
 私の友人が経営する病院でも既に受け入れが決まっている。慢性的な看護士不足の解消に彼は受け入れを決めたのだと言った。彼の病院は地域の中核病院であり、救急病院でもある。看護士は3交代制、きついのですぐに辞められ、困っているのだと言うが、看護士の収入の安さが大きな原因ではないだろうか。
 看護士も介護福祉士も資格を持っている人は多くいるけれど、収入の少なさと労働のきつさが辞める原因だと考えられる。看護士や介護福祉士の収入を上げないでよりやすく使える外国人労働者の受け入れは将来大きな問題が生じる事にならないかと危惧される。

 数年前、小泉さんが首相の時に彼は、人口減少などに伴う労働力不足を補うために外国人労働者を安易に受け入れることは慎重に考える必要があると述べている。 衆院予算委員会で、坂口力委員(公明)の質問に答えたものだが、 小泉首相は「労働力が足りないから外国人を入れればよいという議論 がよく出てくる。ある程度、外国人労働者を入れるのは一つの時代の 流れだが、一定の規模、外国人労働者が増えると必ず衝突が起こる」と 指摘している。 一挙に開放した場合は「労働力はよくても、衝突が起こって犯罪が多く なっては元も子もない」とし、「安易にどんどん受け入れることで労働力 の不足を補うことは、慎重に考える必要がある」と語っていた。
 ただ単に安い労働者を確保出来ればいいという病院や福祉施設の経営者はいないかもしれないが、看護士や介護福祉士の不足問題はそれらの方々の収入という観点から考えないと解決はしないだろう。

Posted at 20:54 | 時の流れ | この記事のURL
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農家の悲しみ [2008年08月07日(木) ]
 単純に自然界の生き物について考えてみるに、自然界はまことによくできていて、まさに神の配剤としか言えないように設定されている。この地球上の命有るものの凡てがそれぞれの命を輝かせて生きていくようになっている。しかし、今の文明が人間のエゴ、人間に都合のいいように自然界に働きかけてきた結果、人間の浅知恵が木っ端微塵に打ち砕かれる、そんな状況に至っているように思う。生きとし生けるものたちの御親である地球様のエネルギー調整がはじまった。自然界を人間が自分達の都合のいいようにしてきたことに無理があるのだ。
 野菜の産地化がなされ、産地の野菜でなければ出荷すら出来ない状況が農業を歪なものにしてきた。知人夫婦は千葉県の習志野駅の近くで農業を営んでいるが、作るのは50eの畑で人参だけである。毎年毎年人参だけを作り続けている。みんなで人参だけを作って出荷しているのである。
 同じ作物を作り続ける事は天敵の存在を無くしてしまう。即ち、害虫の天下となる。害虫をやっつける為にはより強力な農薬が必要となる。いたちごっこである。害虫は種の保存のために自分の身体を作りかえるから世代交代によって農薬に適応するようになる。ついには究極の農薬、遺伝子組み換え作物が登場する。害虫が食べると死んでしまう作物の登場だ。そんな野菜が人間の身体にいいとは到底思えない。
 そんな農業をやってどうなる、と私は思うのだが、知人は産地でなければ生き残れない。生活出来ない、と云う。市場がそもそも取引してくれないからだ。少しばかりの作物を多品種作ったところでそれをどうやって販売するんだ、販売出来なければどうにもならないじゃないか、とは知人の言い分である。
 彼の言う事も一理あるが、そもそも流通の都合に合わせた結果、農業が歪になった。自然の法則に背いているからである。自然界ではある種だけが無限に増えない仕組みになっている。必ず天敵がいてバランスがとれている。私が10eちょっとの草ぼうぼうの畑に150種類の野菜を育てようとしているのは自然の法則に任せたら作物はうまくバランスがとれて成長していくと考えているからだが、私の場合は、野菜を作ってそれを売って生活していくのではなく、気楽に楽しみとしてやっているので、野菜農家として、職業としてやっていくのなら、私もまた枝豆なら枝豆、メロンならメロン、苺なら苺というふうに単品を作っていかざるを得ない事になるだろう。
 日本の農業が今の市場の流通の枠組みから脱する事が出来なければ農家の疲弊と悲しみは続く他無い。

Posted at 19:57 | 野菜作り | この記事のURL
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