それぞれの風
〜ふたりのおおきみ〜
あのとき 確かなものを 感じた
気が遠くなるほどの 風の中で
不思議な 馬上で揺られる 安らぎ
貴方の鼓動だけが 聞こえてきた
白藤の衣で 抱き寄せられた時の
首すじにかかる 息が忘れられない
君待つと わが恋をれば わが屋戸の
すだれ動かし 秋の風吹く font>
ああ風でなく わたしが待っているのは
貴方
妹よ 羨ましいわ そうして
心ふるわせて 待っているのね
わたしも 昔は夫を 愛した
でももう何もかも 終わったのよ
野に咲く花たち 鳥の啼き声にさえ
胸しめつけられ 耳をふさいでしまう
風をだに 恋ふるは羨し 風をだに
来むとし待たば 何か嘆かむ font>
もうわたしには 待つひとがない
風も吹かない
この詞も歌にしてから かなりの時が過ぎていますが、今も作詞者の所在がつかめず、連絡がとれないものです。
私の子供の頃の思い出は、京都、大阪、奈良と三都にまたがっています。
子供時代に見た風景を思い起こす時、自分でもつくづく古都に縁があると思います。
今日は、その中のひとつである 奈良のお話を少ししたいと思います。
母の友人が奈良に居て、そこに私と同じ年の子供さんがいました。
当時、私は都会の真中にいて、何度注意されても ついボールを追いかけて道路に飛び出してしまうという毎日でした。
そんな私の 春、夏休みのどこかいい遊び場所を探していた母。
片や、母の友人のお家は、お父さんは学校の先生、お母さんは親の代からの農家を継いで 農業の仕事をしていて、休みになっても子供の相手をしていられない、誰かいい遊び相手がいたら...という両方の思いが重なって、私は小学校に入る前あたりから、休みの度、そこのお家に遊びに行かせて頂くという幸運を得ました。
始めは すぐに泣いて帰って来るかとも思ったらしい母の心配をよそに 地元の子供達ともすぐに仲良しになった私は、むしろずっとここにいたいと思う程、そこの暮らしにとけ込んでいきました。
春は、つくし、すみれを探しに、夏は、オニヤンマや アゲハを追いかけ、山を駆け回りました。
そうして遊びに行く山の中に、地元の子供達が「ご陵さん」と呼ぶ場所があり、私もよく行きましたが、そこの空気は私にとって他の場所とは何か違う異次元でした。
そこにある大木が醸し出す独特の空気のせいなのか今だに分かりませんが、そこに入ると こちらが見ているというより、逆に何か大きなものから自分の方が見下ろされているような感じを受け、その感じも 何だかとても神聖なものだったのです。
そうして、いつも遊んでいたその場所が、万葉の舞台の真っ只中であったことを知ったのは、ずっと後になってからのことでした。
「ご陵さん」は、壬申の乱で有名な 天智・天武天皇の父である じょ明天皇(すみません、変換の中にジョの字がありませんでしたので仮名にしました)のお墓で、そこから山間の道を少し歩くと、先の歌の二番の歌詞中の歌を詠んだ 鏡女王(かがみのおおきみ)のお墓がありました。
いつも この辺りにすみれの花を探しに行った私には「鏡女王」というと、この辺りに咲くすみれのような気がしてなりません。
また、一番で歌われている歌は、額田女王(ぬかたのおおきみ)の歌で、万葉の時代のことを少し聞きかじった方なら多分よくご存知の歌人と思います。
鏡女王と額田女王とは、親子説と姉妹説がありますが、私は様々な本を読み比べて、昔よくあった親子ほど年の離れた姉妹ではなかったかと思っています。
この人のお墓は、その理由を後でもし書けるなら書こうと思いますが、理由あって今その所在も分かりません。
ですので残念ながら「その場所」から感じ取れるものは何もないのですが、もし思い浮かべるなら、「すみれ」より少し情熱的な花を感じます。
ともあれ、こうした思い出を持った私の前に現れたこの詞は、「古代」の歌ではなく、山の生き生きとした風景と共に、生きている「今」の歌のように感じられました。
少し長くなりすぎましたので この歌に関連する恋模様等に関しては、また、今度にさせて頂きます。
(続)
〜ふたりのおおきみ〜
あのとき 確かなものを 感じた
気が遠くなるほどの 風の中で
不思議な 馬上で揺られる 安らぎ
貴方の鼓動だけが 聞こえてきた
白藤の衣で 抱き寄せられた時の
首すじにかかる 息が忘れられない
君待つと わが恋をれば わが屋戸の
すだれ動かし 秋の風吹く font>
ああ風でなく わたしが待っているのは
貴方
妹よ 羨ましいわ そうして
心ふるわせて 待っているのね
わたしも 昔は夫を 愛した
でももう何もかも 終わったのよ
野に咲く花たち 鳥の啼き声にさえ
胸しめつけられ 耳をふさいでしまう
風をだに 恋ふるは羨し 風をだに
来むとし待たば 何か嘆かむ font>
もうわたしには 待つひとがない
風も吹かない
この詞も歌にしてから かなりの時が過ぎていますが、今も作詞者の所在がつかめず、連絡がとれないものです。
私の子供の頃の思い出は、京都、大阪、奈良と三都にまたがっています。
子供時代に見た風景を思い起こす時、自分でもつくづく古都に縁があると思います。
今日は、その中のひとつである 奈良のお話を少ししたいと思います。
母の友人が奈良に居て、そこに私と同じ年の子供さんがいました。
当時、私は都会の真中にいて、何度注意されても ついボールを追いかけて道路に飛び出してしまうという毎日でした。
そんな私の 春、夏休みのどこかいい遊び場所を探していた母。
片や、母の友人のお家は、お父さんは学校の先生、お母さんは親の代からの農家を継いで 農業の仕事をしていて、休みになっても子供の相手をしていられない、誰かいい遊び相手がいたら...という両方の思いが重なって、私は小学校に入る前あたりから、休みの度、そこのお家に遊びに行かせて頂くという幸運を得ました。
始めは すぐに泣いて帰って来るかとも思ったらしい母の心配をよそに 地元の子供達ともすぐに仲良しになった私は、むしろずっとここにいたいと思う程、そこの暮らしにとけ込んでいきました。
春は、つくし、すみれを探しに、夏は、オニヤンマや アゲハを追いかけ、山を駆け回りました。
そうして遊びに行く山の中に、地元の子供達が「ご陵さん」と呼ぶ場所があり、私もよく行きましたが、そこの空気は私にとって他の場所とは何か違う異次元でした。
そこにある大木が醸し出す独特の空気のせいなのか今だに分かりませんが、そこに入ると こちらが見ているというより、逆に何か大きなものから自分の方が見下ろされているような感じを受け、その感じも 何だかとても神聖なものだったのです。
そうして、いつも遊んでいたその場所が、万葉の舞台の真っ只中であったことを知ったのは、ずっと後になってからのことでした。
「ご陵さん」は、壬申の乱で有名な 天智・天武天皇の父である じょ明天皇(すみません、変換の中にジョの字がありませんでしたので仮名にしました)のお墓で、そこから山間の道を少し歩くと、先の歌の二番の歌詞中の歌を詠んだ 鏡女王(かがみのおおきみ)のお墓がありました。
いつも この辺りにすみれの花を探しに行った私には「鏡女王」というと、この辺りに咲くすみれのような気がしてなりません。
また、一番で歌われている歌は、額田女王(ぬかたのおおきみ)の歌で、万葉の時代のことを少し聞きかじった方なら多分よくご存知の歌人と思います。
鏡女王と額田女王とは、親子説と姉妹説がありますが、私は様々な本を読み比べて、昔よくあった親子ほど年の離れた姉妹ではなかったかと思っています。
この人のお墓は、その理由を後でもし書けるなら書こうと思いますが、理由あって今その所在も分かりません。
ですので残念ながら「その場所」から感じ取れるものは何もないのですが、もし思い浮かべるなら、「すみれ」より少し情熱的な花を感じます。
ともあれ、こうした思い出を持った私の前に現れたこの詞は、「古代」の歌ではなく、山の生き生きとした風景と共に、生きている「今」の歌のように感じられました。
少し長くなりすぎましたので この歌に関連する恋模様等に関しては、また、今度にさせて頂きます。
(続)
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at 16:47
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