カテゴリアーカイブ
蘭奢待(らんじゃたい)の中に東大寺有り [2007年01月14日(日) ]
 前回の 「香りのお話」 の続きです。

 紀元前4世紀のマケドニア。
アレクサンダー大王が香料のおかげで 東方大遠征に 行ったか行かなかったか、そんな遠い所の 遠い昔のお話、今、私達のいる日本には 何の関係も無い・・・・

 一見して そう感じますが、これが そうでもないんです。

 アレクサンダー大王の 東方遠征によって出来た東西の交通路は、その後、紀元前2世紀に 中国が内陸アジアに向けて作った交通路と結ばれ、そこに 東西をつなぐ 大きな道ができました。

 これが、「絹の道」、今も 「シルクロード」 として呼ばれる道になったのです。

 この「道」を通じて、東西文化の交流は 活発化し、日本にも 遣隋使、遣唐使の活躍を通して 遥かペルシャの美術品、工芸品まで やって来ることになったのです。

 そして、その時の 様々な品が現存し、納められているのが 東大寺正倉院。
 毎年、行われる「正倉院展」には 多くの人が 今も足を運ぶ・・・

 というわけで、関係大有り、”「香料」大活躍” というわけです。

 正倉院に納められている宝物の中にも 貴重な香木があります。
元々、香料は高価ですが、その中でもすでに値の付けられないような価値を持つ、と言われる 「蘭奢待(らんじゃたい)」です。

 天平勝宝8年(756年)に光明天皇が献納した時には 13キロもあったと言われる大きなものですが、歴代の天皇や 将軍たちが、手柄のあった者に少しずつ切り取って与え、現在は11.6キロまで減っているそうです。
 もらった人の中には、足利義政、織田信長、明治天皇もいて、この3人のために削り取った跡も残されているそうです。

 ところで、この香木に 「蘭奢待」という名前をつけられたのは、足利義満の時代からだそうで、「猛々しくおごった侍が必ず欲しがる」 という意味がこめられているそうです。

 で、タイトルの不思議に戻りますが、

「東大寺」の中に「蘭奢待」有り、 「蘭奢待」の中に 「東大寺」有り。


 と言われていることを ある時知りました。
 先の意味は その通りでわかりますが、後の意味は何だろう? と思って調べてみると、
 「蘭」 の字の中に 「東」、「奢」の字の中に「大」、「待」の字の中に「寺」がかくされていて、これを合わせると 「東大寺」となり、それで
   「蘭奢待」の 中に 「東大寺」有り。
 と言われているのだそうです。 そのため、この香木は 「東大寺」と呼ばれることもあるそうです。

 昔の人は、物の命名にしても 粋なことを考えたものだと思いました。
それとも・・・戦さの時以外は、よっぽど暇だった、なんて言ったら怒られますよね。


 写真は、正倉院にある、「五弦琵琶」です。
琵琶を弾く人が、らくだに乗り、その上の方には椰子の木が描かれています。
 椰子の木の周りにいる鳥はなんでしょう?
 これは、熊五郎さん、散輪坊さんの分野のようです。私の写真は写りがわるくてすみません。(^^)
 




**********************
「時の舟旅」のブログに書く筈の記事を 始めにクリックする箇所を間違えてここに書き込んでしまいました。
サークルの皆さん、すみません。今から消して書きなおすのが私には大変な作業なのでこのままにしました。
ほんとにすみません!

Posted at 13:43 | 時の舟旅(歴史) | この記事のURL
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愛の降る街 [2007年01月12日(金) ]
 
 誰も聞いていなくても

 悲しんでいる人を見たら

 それは いつかの自分と思って

 やさしい言葉を かけてあげよう




 誰も見ていなくても

 困っている人を見たら

 それは いつかの自分と思って

 助けてあげよう



 
 誰もほめてくれなくても

 自分にできることを

 してみよう


 
 お願いしてもいないのに

 太陽が


 あたたかな光で 包んでくれるように


 
 頼んでもいないのに

 きれいな野の花が

 いっぱい花を 咲かせてくれるように


 

 呼んでもいないのに

 かわいい小鳥が

 やさしいさえずりを 聞かせてくれるように


 
 誰に気づかれなくても


 自分のまわりの いろいろなものに

 あたたかい心で ふれてみよう


 
 誰に言われなくても

 そのあたたかい心で

 自分にできることを やってみよう





 そうすれば いつか

 きみの居る所は

 愛の降る街になる


 
 きみの歩く道は


 愛の降る道になる


 
 きみがどこに行こうと

 きみの行く所は

 愛の降る街になる



 

 そして いつか

 街に愛を降らせてくれたきみに

 たくさんの友だちができ

 その友だちが

 きみと同じように 世界中を歩いたら

 世界中 愛の降る街になる



 


 ★今日で 100回目のブログになりました。
始めは、どこまで続けられることかと思っていましたが、思いがけないあたたかいコメントを沢山頂き、今まで続けられたと思っています。
STAGEの皆さんに とても感謝しています!

 人は人、人のことに関わっていたら自分が大変な目に遭う・・・そういう見方もあり、それも正しいと思っています。なので、迷ったあげくに この詩、しばらく非公開にしていました。
 でも あまりに殺伐とした話の多い昨今、そして偶然今回が百回目と気付き、少し勇気を出して公開にしました。

Posted at 23:55 | | この記事のURL
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時の舟旅 [2007年01月05日(金) ]
 3日の夜、「時の舟に乗って、一緒に楽しく遊覧し、見聞を広めませんか・・」 というような紹介で 「時の舟旅」という歴史探訪の 新サークルを作ってみました。

 私自身、歴史が好きだからなのですが、詳しい分野はやたら詳しいのに、縁のない分野は まるっきり、と 知っていることに偏りがあり、ここの方から様々な知識を得、楽しいお話の交流ができたらと願って作ってみました。
 興味をお持ちの方、一度覗いてみてください。

 ハズかしい昔話ですが・・・

 小学校の時、「社会」が 嫌いでした。
何かこの教科が好きになれるきっかけはないものかとボンヤリ思いながら、中学に入った時、「社会部」というクラブがあったので、あまり考えずに、そこに入部しました。
 しかし、この 全く面白くない部名の為に、新入部員が殆どなく、間もなく、部として成立しなくなり、それは 「歴史研究」というサークルに変わりました。

 何となく寂しい感じを持ちながらも 活動を続けているうち、そこから、子供の頃、奈良の桜井で 嬉々として遊んだ古墳の中で感じた匂いと同じものを感じ始め、「嫌いな教科」は、一転し、一番興味あるもののひとつへと 変わっていき、他に入っていたスポーツ系の部もやめて、そこの活動を楽しみにするようになりました。

 写真は、その活動で、最初で最後の 発掘作業に参加した時、手に入れた 矢じり (正確には、「錐」というものらしいです)です。
 

自分で掘り出したものではなく、何も見つけられずにがっかりしている私を見て、研究員の方の一人が、その日、掘り出したものの一つを下さったものです。

 もう嬉しくて、嬉しくて、家に帰ってから、机の引き出しに 入れては出し、入れては出しを 何回も繰り返すうち、また新たなことに気付きました。
 何度も触っているうち、矢じりに 物凄く尖った部分があることに気付き、ふと思いたって、机の上に 新聞紙、その上に白い紙を敷き、その角で、思い切り、線を引いてみました。

 すると・・何と、紙は、上の一枚だけでなく、下の2,3枚まで、スパッと まるで鋭利なカッターナイフで切ったかのように きれいに切れたのです。

 2000年、或いは、もしかしたら それ以上昔の人の作った道具が、今も道具として使えることに気付き、感動しました。
 そして、これ程 固くて強い石を 石という石の中から探し出して作った古代人の知恵の素晴しさにも。
『これなら、鉄がなくても生きていける!』  そう、思いました。

 古い話が 長くなってすみません。
 
別に こんな太古のお話ばかりでなく、一頃 言われた面白いお話・・・

 義経は、平泉で亡くならずに、大陸を渡って チンギスハンになった・・
なんていう、エーッというようなお話も歓迎です。

 もしかしたら、そんな変なお話の中にも 意外な真実が眠っているかもしれませんものね。

 楽しいお話、お待ちしています。

Posted at 15:39 | 時の舟旅(歴史) | この記事のURL
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