笑う門に福きたる。(今年のモットーです。)

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小学生・お祭り [2007年11月30日(金) ]
小学生・祭り(うなぎ)・(みちこちゃん)の続き

毎年10月の決まった日になると町の秋祭りがありました。町の東西の山に神社があり、日の出とともに雄、雌それぞれの神鳥を載せたお神輿が海に入りそれぞれの町会で屋台を繰り出し練り歩くのです。

祭りの日は学校はお休みです。私とみぞた君は2週間前から町会の屋台小屋で太鼓の練習をしました。
屋台には、大太鼓がひとつ、小太鼓がふたつ、手で持つ小さな鐘がひとつ、当日大人衆の笛が加わります。
その年の新入りは私とみぞた君とまんじゅう(本名は忘れました。)の3人でした。

テレンガスッテンテンを符号で「鮎(アユ)っこしょっぱいな」という風に先輩が歌って教えてくれます。
練習用の小太鼓で「鮎っこしょっぱいな」と大声を出しながらバチで叩きます。お腹が空いてくると、町会の役員の山へ柿を取りに行きました。
ちゃんと先輩が甘い柿の木はどれか知っていて、教えてくれるのです。練習が終わると生卵の白身とお酢を太鼓の皮に塗ります。
これがすごく臭くてニオイがなかなか消えないので新入りの役目です。次の日手が臭くて困ったものです。

祭りの当日は町会のお揃いのハッピにサラシを巻きちょっとした男衆気取りです。2週間の練習で手は豆だらけなので15分くらいで順番に交代で太鼓を打ちます。
当日、笛の担当の大人衆がお酒を口に含みサッと吹きかける様がかっこよくて今でもよく覚えてます。
屋台の上には若い衆が乗り威勢をつけ、引き手が大勢で屋台を引っ張ります。笛吹きのせいでお酒臭い屋台で1日夢中で太鼓を打ちました。
気づくと手は血豆で痛々しくなっていましたが、大人の世界へ少し踏み出せたような満足感を覚えたものでした。


@誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の友ならなくに@

フニャ

Posted at 18:27 | nikki | この記事のURL
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小学生・みちこちゃん [2007年11月26日(月) ]
小学生・みちこちゃん(小学生・うなぎ編のつづき)

みちこちゃんのおうちはとても大きいのです。みちこちゃんの親戚が結婚式をするときはみちこちゃんのおうちの大広間でしました。

結婚式があるとき私はお呼ばれするのです。かんざしを一杯つけてきれいな着物を着たみちこちゃんと羽織はかまをつけたわたしは、大広間の隣の部屋で待ち大きな声で
「高砂や〜〜・・・・・・・・・・」と始まるのを待つのです。

その合図があると、女中さんがふすまを開けます。手をつないだ私たちはゆっくり大広間に入り、花婿さんと花嫁さんの前にしずしずと歩きます。
みちこちゃんが花婿さんの前に、私が花嫁さんの前に座ると女中さんの合図で朱塗りのお銚子で小さな杯に少しだけお酒を注ぐのです。

帰りには一杯お菓子を貰って帰るのですが、私はこの結婚式が大嫌いでした。
みちこちゃんのおとうさんが「やーー、かわいいアベックだ。アベックだ。」とはやし立てるからです。


昔のアルバムを開くと、にこにこ満面の笑顔のみちこちゃんとしかめっつらをして泣き出しそうな私の白黒の写真がその時の私の気持ちを物語っています。

高学年になると、みちこちゃんと遊べなくなりました。みちこちゃんのおうちに家庭教師が来るようになったからです。
やがて、中学になるとみちこちゃんはお金持ちの行く‘私立‘の中学へ行くようになり会えなくなりました。

高校生の時一度だけみちこちゃんから電話があり、二人で東京へベートーベンの第九を聞きにいきました。
次にみちこちゃんと会ったのは私と「奥」の結婚式でした。

3年後にみちこちゃんが結婚したとの話を、偶然会ったみちこちゃんちの女中さんから聞きました。
「あら、かおちゃんお久しぶり。アタシたち古株の女中はみちこさんが結婚すると聞いて、やっとかおちゃんとの思いがかなったのだと喜んだのですよ。」

はるか昔のちょうど今頃の季節のことでした。

フニャ

Posted at 18:28 | nikki | この記事のURL
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目黒不動 [2007年11月24日(土) ]
昨日と違い、風もなく暖かいので、目黒不動へ行ってきました。

ずっと前、五色不動をアップ(日曜のテレビから)して、目赤不動の写真を載せましたが。

目白、目黒、目赤、目黄、目青不動の五色・・・皆、東京にあるのだ。

目黒から目黒線で不動前下車、徒歩15分くらい。




五色不動のほか日本三大不動だそうです。
804年に出来たというから古い。



仁王さまも古い。
ご本尊は12年に一度のご開帳とかで見れませんでした。(残念)

さつま芋で有名な青木昆陽の墓もありました。(有名人のお墓シリーズがまた増えた〜)



ランチはお寿司を食べたどーーーーーーーー



帰りに芋のお菓子の詰め合わせを買ったどーーーーーー^



皆、「奥」のリートの配当で買ったどーーーーーーー

Posted at 17:29 | 散歩 | この記事のURL
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小学生・うなぎ編 [2007年11月21日(水) ]
「かおちゃん、学校へ行こう。」
毎朝、7時になるとみぞた君とみちこちゃんが迎えにきました。

小学生の頃、私の一日は元気なおともだちの声で始まりました。昨日の夕ご飯のメニューも忘れてしまうこの頃ですが、○○年前のあの頃は手に取る様に思い出します。

子供ですから、二人との繋がりは母親を通してでした。みぞた君とはバイオリンのお教室で一緒。みちこちゃんとは、みちこちゃんが生まれた時、みちこちゃんのおかあさんのおっぱいの出が悪く、近所でたまたま私の母が私と一緒におっぱいをあげたことからのおつきあいでした。

毎朝私たちは、30分くらい歩いてかかる小学校への道を、1時間くらいかけて歩きました。
みぞた君がワンちゃんが大好きでワンちゃんが居るおうちには、ワンちゃんに必ずご挨拶をするためどうしても学校へ着くのが遅くなるのです。

たくさんの思い出があるのですが、今日は夏休みのある日の思い出について書いてみます。

私の故郷には、少年が興味をいだきたくなるような川が幾つかありました。その内のひとつがみぞた君のおうちの横を流れていました。
何にでも興味深々のみぞた君と私は川の始めはどうなっているのだろうと思ったのでした。
でもそれは小学生にとっては大冒険のように思えました。みぞた君と私は綿密な計画をたてました。それは次のようなものです。

・これは男の子の冒険だから、親にも内緒、みちこちゃんにも内緒。
・学校の決まりで5時に役所のサイレンが鳴るとおうちに帰らなければなら ないので出来るだけ朝早く出発する。
・ながいもの蔓を見つけたら根っこにリボンをつける。(みぞた君のおとうさ んはながいも掘りの名人でみぞた君の提案です。夏に若い自然薯の蔓に リボンをつけ、冬に蔓が枯れても芋が掘れるという昔ながらの知恵で   す。)
・もし出来たらカブトムシをつかまえる。

こんなことを決めました。麦わら帽子をかぶり、昆虫かごをぶらさげて出発です。木漏れ日が強く川に足が入るととても気持ちが良かったので、川の流れもゆるかったこともありどんどん二人は上流へ登って行きました。川藻で滑らないように夢中で進んで行くとさわがにやもっと大きなもずくがに、小魚などを見つけてはふたりは大喜びをしました。
ちょっとした、間違いはお昼はパンでも買うつもりでふたりのおこづかいを合わせて30円をポケットに入れてきたことでした。お日様が真上にきてお腹が空いてきたころにはパン屋さんはおろかあたりはうっそうとした木々で小学生にはジャングルに迷い込んだくらいの迫力です。

どちらからともなく、そろそろ帰ろうかといい始めたころ私が大きな‘うなぎ‘を見つけたのです。そいつはゆっくり川の流れに沿って泳いできました。
みぞた君が探してきた棒で私が力いっぱいたたくと、そいつは簡単に捕まりました。
ふたりには帰る絶好の理由です。棒にからみつけ私がかつぐとペコペコのお腹が私たちをすべるように川を下らせました。

みぞた君のおうちの前にはみぞた君のおかあさんがお昼の準備をして待っていてくれました。

「おばさん、大きな‘うなぎ‘が捕れたよ。」

私が言うと、おばさんは大きな目をもっと見開いて、どんと尻もちをつきました。

「アレー、蛇じゃないの。」

それは大きな死んだ‘青大将‘だったのです。

おばさんに散々叱られたけど私とみぞた君は大きな夏の思い出を作ったのでした。

追伸:ながいものことはすっかり忘れてしまっていたのでした。

Posted at 18:36 | nikki | この記事のURL
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クレープじゃ! [2007年11月17日(土) ]
今日、生まれて初めてクレープなるものを食べました。

買うときちょっと恥ずかしかったです。



私めの「チョコばなな生クリームクレープ」どす。



「奥」の「ブルーベリーアイス入りクレープ」じゃ。

こうして写真で見ると差が無いが、恥も外聞もなく歩きながら交換したりして食ったのでやんす。

今日は寒かったのに「奥」の「ブルーベリーアイス入りクレープ」のアイスがおいしかった。
ワタシメのはバナナとチョコの組み合わせ・・・・・・バッチグーでした。



「奥」に渡す前の「チョコばなな生クリームクレープ」



「奥」から帰ってきた哀れな「チョコばなな生クリームクレープ」

公園の人の少ないところでかぶりつきました。



おまたせしました。これが「インチキ家庭菜園」で二十日で出来るはずが、2ヶ月かかってできた、二十日赤かぶ大根です。

サラダで葉まで全部食べました。
オッパッピー

Posted at 17:52 | 散歩 | この記事のURL
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飽食の時代 [2007年11月14日(水) ]
これは、ブラックジョークです。冗談だと思って頂いても結構です。(と、書くと多くの人があなたはいつもジョークばかりですね、とご指摘を受けるかもしれません。)


ここ数年、食品の賞味期限の問題がフューチャーされ、特に今年は○○ミート、白い恋人、赤福、吉兆・・・・・・立て続けですね。でも私、それで集団食中毒が起きたとの話を一切聞きません。

コンビニでは、賞味期限の切れたお弁当類を家畜のエサにしてるとか。多量の生ゴミが埋立地をひどい匂いにしていることはご承知の通りです。


古代帝政ローマでは、延々と続くパーティーで吐いては食べ、また吐いては食べ、していたのは有名な話です。
日本も平和な時代が続き末期症状になっているといってよいのではないのでしょうか。


世界では、今この瞬間にも多くの子供が餓えて死んでます。何億という子供が栄養失調です。中国の農村では、食べるために娘を売っています。
そう考えると、苦悩の表情で謝罪会見をした上記の社長さんたちは、食べ物を大事にしてるといってよいのでは、何て思います。

賞味期限ってナニ、小さい頃、私の母は食べ物をクンクンと嗅ぎ「これは食べられる。」とか「これはお腹をこわす。」とか言ってました。
今、思えばすごい能力を母は持っていたのです。母が食品衛生法だったのです。

こう書いていても実際、どうしたら食べられる余ったものを、餓えている人に渡せるか手立ては思いつきません。


大体、あっちこっちに出かけては夫婦で甘い物を食べまくっている私がこんなことを書く自体がブラックユーモアかもしれません。
おそまつ

フニャ


かなしきは
喉(のど)のかわきをこらへつつ
夜寒(よざむ)の夜具にちぢこまる時


はたらけど
はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり
ぢっと手を見る


ある朝のかなしき夢のさめぎはに
鼻に入(い)り来(き)し
味噌(みそ)を煮(に)る香(か)よ

☆一握の砂 より(抜粋)

Posted at 18:28 | kenkou | この記事のURL
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伝通院 [2007年11月08日(木) ]
イヤ〜ア、お墓巡りって本当に楽しいですね〜〜

都営三田線の春日で降り、文京区役所の裏を中央大学の方へ坂道を10数分登って行くと、徳川家康の生母「於大の方」のお墓がある伝通院に着きます。
谷中や上野の様にこの辺りも歴史ある由緒正しいお寺が多いので、一度来たいと思っていた場所です。

伝通院へ入る手前を左に折れた稲荷神社に古い立て札を見つけて、ちょっと嬉しい発見。




見にくいが、橘の里とある。太田道灌が、急な雨に蓑を借りたいと村の娘に言ったら、黙って山吹の花を差し出し

@七重八重 花は咲けども 山吹の みのひとつだに なきぞ悲しき@

蓑がないことを古歌に例え、この歌を知らなかった道灌が己を恥、以後勉学に励んだとされる場所だ。(正確には、場所は認定されておらず、色んな説がある。)

伝通院の門をくぐるとすぐにある「指塚」。‘押せば命の泉沸く‘でおなじみの指圧の関係者の記念塔です。(浪越徳次郎を若い人は知らないのでしょうね。)




いよいよお目当ての「於大の方」の墓だす。





於大の方(おだいのかた、享禄元年(1528年) - 慶長7年8月28日(1602年10月13日))は初め松平広忠、のちに久松俊勝の夫人で、徳川家康の母として知られる。晩年は「伝通院」と称した。

次は、「千姫」の墓でごんす。




千姫(せんひめ、慶長2年4月11日(1597年5月26日) - 寛文6年2月6日(1666年3月11日))は、安土桃山時代から江戸時代の女性で、豊臣秀頼・本多忠刻の正室である。父は徳川秀忠、母は浅井長政と信長の妹お市の娘である崇源院。号は天樹院。


千姫は、男をもてあそびその後すべて殺したという話が有名であるが、真実ではないという説が有力らしい。いづれにしろ、戦国最後の悲劇の女性であることには間違いないと思う。お市の方の血筋なので、美人と思うが現代と違いのっぺりした顔だと思う。

この廻りには、徳川初期のまだ活力のある頃の巨大遺跡とも思えるお墓が圧巻です。由緒正しいお墓が多く「冷泉家」とか「五条何とか家」とかあり、「オオーかっこいい、苗字を冷泉に変えようか」とか「奥」と話ました。


最後は、清川八郎の墓です。数年前、SMAPの香取慎吾が主役をやった、NHKの大河「新撰組」をご覧になった方には懐かしいと思います。



この人も時代に振り回され、最後は牢獄で死んだとか、幕府に暗殺されたとか、諸説あります。最後が哀れだとお墓、ちっちゃい、普通の人のお墓より、小さいお墓でした。


ダハハハハハ、今回はある理由(知ってる人は知っている・・・・何のこっ
ちゃ・・・)で甘いものはな〜〜いよ。

オッパッピー

Posted at 18:25 | 散歩 | この記事のURL
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責任 [2007年11月03日(土) ]
先週の土曜日、‘責任‘をテーマにビートたけしが色々話してました。
あの人も映画監督として認められるまで、若手を熱湯に沈めたり、囲ってる女性のところに行く途中バイクで事故ったり、フライディに殴りこんだりやりたいほうだい。

ゲストコメンテイターの東国原知事も未成年者、誨淫でつかまったり。

また以前、細木数子(個人的には嫌い)が、結婚するなら、お嬢さんより昔ヤンキーでまともに戻った女性の方がいいと言った。

聖路加病院の院長が医者を募集したとき、大病をしたことがある人を優先的に採用するとNHKで言ってた。

でも、一般人には、許されても、公人になると何年も前にやったことで非難轟々となったり。

人はあやまちを犯すと成長する。(しない人もいる。)

真面目に書いてたら、ここまで絵文字が無い。

ここから、グッと柔らかく。

やはり、娘を持つ友人が言ってました。
「どうせ、できっちゃった結婚なら、1流大学を出て1流会社に勤めてる相手にしてくれ、それなら許す。順序を守ってもプータローにはやらないぞ」って・・・・・・

私だってそれなら許すよ〜
フニャ

Posted at 15:20 | nikki | この記事のURL
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