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独善雑記「迷説般若心経・168」 [2008年01月21日(月) ]

 第十三章(8)
  心無罫礙 無罫礙故 無有恐怖

「無有恐怖」も表面の訳が多い。
「〜故に恐れが無い」などと訳すようだ。
それなら「無恐怖」で事足りる。
「有」の字が入っている意味を無視している。

何度もいう。
「無」を「無い」と訳すから意味が汲み取れないのだ。
「無」は「こだわらない・気にしない」と訳すのだ。
「こだわらない」と訳せれば「有」の字が活きる。

恐怖が無くなる、のではない。
恐怖が有っても大丈夫だぜ、と言ってくれている。
ブッちゃん(仏陀)は優しいんだ。
理屈で「無くなる」なんて強調しない。
生きている、というのは「恐れ」と共生しているのだ。
先が見えない(恐怖)から、この世で生物として存在しているのだ。

恐れの無い生物は存在できない。
無くなったら、この世にいる意味が無い。
肉体を持っている意味は、結構深いんだぜ。
そんな事は当たり前だろ。
                      
       
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)

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独善雑記「迷説般若心経・167」  [2008年01月20日(日) ]


  第十三章(7)
  心無罫礙 無罫礙故 無有恐怖

いままでの心経の訳には身体が抜けている。
心の部分だけ取り上げていた。
心経は心(精神)分野の経だと思われている。
それは、とても大きな間違いだと思う。

肉体(物質)が無い世界なら魂が主役だ。
だが、この世界(色界)は物質(肉体)が優先する。
心や魂が重要なのは解るが、優先するのは肉体だ。
心や魂が肉体に影響するが、増して肉体が心や魂に影響する。

底の浅い宗教や、宗教まがいの組織の教えは似ている。
精神的正しさを強調した教え。
肉体の無い世界でしか通用しない理屈。
それで肉体を持った衆生やケモノや妖怪は救われない。
心は誤魔化せるが、肉体は誤魔化せないのだぜ。

                      
       
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独善雑記「迷説般若心経・166」  [2008年01月19日(土) ]


  第十三章(6)
  心無罫礙 無罫礙故 無有恐怖

心無罫礙 無罫礙故が同じ意味なら・・・
「心無罫礙故」の一節でいい。
どこが違うか?
一目瞭然。
前節に「心」があり、後節にはない。

つまり「無罫礙故」の網や石は心の事じゃない。
心でなければ、身体だ。
身体の網は病の事だ。
石は怪我の事だ。
(この訳は多分、日本でもワシ一人だと思う)

ゲンちゃんは、わざわざ心と身体を区別して書いたのだ。
この世界では、心も肉体も同等に重要なのだ。
つい、心や精神を重要視しがちだが、それは間違いやすい点だ。
同等だが、むしろ肉体が優先する世界だぜ。
精神世界スキスキ人間は、ここで必ず間違える・・・。

                     
       
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独善雑記「迷説般若心経・165」  [2008年01月18日(金) ]


  第十三章(5)
  心無罫礙 無罫礙故 無有恐怖

「無罫礙故」に、また仕掛けがある。
今までの「色不異空」と「空不異色」。
「色即是空」と「空即是色」などと同じだ。
そのまま字面を訳したら、マヌケだろ。

ゲンちゃん(玄奘)はボケてない。
せっかく心経という凝縮経にしているのだ。
同じ意味言葉の繰り返しなどしない。
だから、ここも違う訳にして欲しいのだ。
通常の訳者が間違うのは、訳者の立場だからだ。
書き手の立場になれば判る。
まして、イタズラ坊主のゲンちゃんだ。

書き手は、文章に仕掛けをしたいものなのだ。
短い文章になればなるほど仕掛ける。
詩や俳句や短歌をみればいい。
言葉に様々な仕掛けを付ける。
訳し手や読み手の事など、少し度外視してしまう。
書くのが愉しいから、そういう仕掛けをする。
創る愉しみは個人的な愉しみが必ず入る。
何事も個性があってこそ活きる。

                    
       
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独善雑記「迷説般若心経・164」  [2008年01月17日(木) ]


  第十三章(4)
  心無罫礙 無罫礙故 無有恐怖

網に引っかかっても、気にするなよ。
石につまづき転がるなんて、普通だぜ。
網を無くそうなんて考えなくていい。
石を避けようなんて思わなくていい。

先の事は判らねぇ。
誰も先は見えねぇもんだ。
生きるってのは、闇の中で歩いている。
人により、真っ暗か薄闇かの違いはある。
先に光を感じるかどうかの違いもある。
それは大きな違いかもしれねぇ。

それでも網に絡まる。
薄闇でも光を感じても、石に転がる。
絡まる、転がるのは大前提さ。
そんな事ぐらいで、立ち止まる必要は無ぇぜ。

 
                    
       
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独善雑記「迷説般若心経・163」  [2008年01月16日(水) ]

  第十三章(3)
  心無罫礙 無罫礙故 無有恐怖

網に引っかかるな、と言っても絡まる。
石につまずくな、と言っても転がる。
それが人間で生きているって事だ。
その大前提を認めた上で説法が活きる。

心の中は多種多様なモノが沢山ある。
不都合なモノだけ無くせ、というのは無理だ。
多種多様で心を形成しているのだ。
清く正しいだけの心は存在しないし存在できない。

そんな事もわからないで心の領域に踏み込もうとする。
宗教家や教育者や生真面目な人達。
言っている本人も自分の心にフタをしている。
嘘をついている。
あるいは、観る目も無いのに理屈で話す。
だから落ちこぼれは救われない。
閉じこもりも出られない。
心に正しさを押し付けても回復しないのだ。

                    
       
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独善雑記「迷説般若心経・161」  [2008年01月14日(月) ]



  第十三章(1)
  心無罫礙 無罫礙故 無有恐怖

前章の続きだ。
その前に、罫礙(けいげ)の説明だ。
(注:罫のトが無い字だが、変換できない)
罫は網で礙は石。
網にからまったような心。
石につまずくような心。

何故、網や石に束縛されるか。
「こだわり」が網や石を引き寄せる。
「無(こだわらない)」なら、網や石も邪魔じゃない。
世の中には網も石もあるのだ。
網や石が無くなるわけじゃないぜ。
だが邪魔にならなければ、不都合じゃない。

落とし穴も沢山ある。
しかも先が真っ暗の時もある。
それでも歩かなければならない。
毎日生きているからだ。
                   
       
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独善雑記「迷説般若心経・160」  [2008年01月13日(日) ]


  第十三章(12)
  菩提薩多 依般若波羅蜜多故

「誰でも菩薩なんだけどよ、
菩薩として生きるコツがあるんだ。
そのコツを知って実行すると、楽に生きられる。
苦しむと、生きるのが大変に思えるだろ。
苦しむ菩薩より、愉しめる菩薩になりなよ。

そのコツが般若ってヤツだ。
何も難しい事じゃ無ぇ。
何度も言っているだろ。
この世の仕組みはイイカゲンだ。
だから、イイカゲンに心を合わせるのさ。

万物が流転しているし、諸行は無常だろ。
心を固定したら苦しくなるのは当たり前だ。
毎日身体だって変化しているんだ。
心だけこだわるのは不自然だろ。
それに気づく事が、般若ってことさ。」
                  
       
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独善雑記「迷説般若心経・159」  [2008年01月12日(土) ]


  第十三章(11)
  菩提薩多 依般若波羅蜜多故

ワシ的訳。
これは次章に繋がる部分だから途中までの訳になる。

「お前ぇ等は皆菩薩なんだぜ。
生き物ってのはよ、その立場立場で生き方が違う。
それでも方向は同じなんだぜ。
気づいても気づかなくても同じ方向に歩いている。

この世界に生まれて、死ぬまで生きる。
一人一人の個性で生きる。
個性は共生を活かす為のもんだ。
この世ってのはよ、多種多様なモノが合わさって出来ている。
どんな立場でも、他の役に立っているんだ。
だから、気づいても気づかなくても菩薩だ。

もちろん一度の人生で完成するわけが無ぇ。
何度も生まれ変わるのさ。
いろいろな立場を経験するのさ。
そして、少しづつ進むんだ。
幸せ、そのものの境地に向かっているんだ。
生きているってのは、幸せに向かう事なんだぜ。」

                  
       
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独善雑記「迷説般若心経・158」 [2008年01月11日(金) ]


  第十三章(10)
  菩提薩多 依般若波羅蜜多故

生きる事は趣味なのだ。
個性で生きる事(趣味)が本道だ。
だからグレちゃん(創造主)は別々に創った。
一人一人、一つ一つ、個性がある。
「個性で生きろよ」
そういうメッセージだろう。

生きる事。
最後まで大切に生き続ける事。
それが菩薩行になる。
個性があるのは、個性ある菩薩行が必要だからだ。

遠慮しないで、個性溢れる生き方をしよう。
ただし・・・肉体生命は期限がある。
生命は最後まで大切に扱う意味だ。
立派に生きなくてもいい。
だが、大切に生きるのは、当たり前なのだ。
その、当たり前を話しているのがブッちゃん達だ。
難しい理屈じゃない。
                 
       
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