遊水地の水もぬるんできたことでしょう。柳が芽吹き、桜ももうすぐです。
【水ぬるむ】既出ですが、昨年3月15日の様子です。
http://webryalbum.biglobe.ne.jp/myalbum/1004457005386283b3e33a16142ffab118c63f430/030239011257017321
さて、きょうは【花かげ 高校生編】です。
昭和40年4月静岡市の公立高校に入学しました。1年生のクラスでは、席順は入学試験の成績で決められました。成績の良い方が後ろから座りました。私は運良く後ろの方でした。この頃の教育は今のように「みんな一緒にゴールイン」ということはありませんでした。実力試験などの成績も貼り出され、成績は一目瞭然で分かってしまいます。
高校には立派なプールがありました。私は泳ぎが苦手で、よく「パンツを忘れました」とか「風邪をひいています」などと言い訳していましたが、いつまでも許されるものではありません。50mは必修だったのです。
検定試験の時、平泳ぎで泳ぎ始めましたが、25m程泳いだところで息が苦しくなり、溺れそうになって、ちょうど中央にいた先生に藁をも掴むおもいで必死にしがみつきました。格好わるいこと甚だしいことです。
清水市から静岡市へ引っ越してきたところは、家の前は女子高、隣はその寄宿舎という教育環境は最高(?)の場所でした。幼稚園の頃、寄宿舎住まいの優しい女子高生のお姉さんと話をした憶えがあります。どういう訳か母性のようなものを感じました。
今の女子高生には在り得ないことです。
自転車通学をしていました。朝、家を出るとき、多くの女子高生と出会います。女子高の前ですから女子高生も私を注目していたのでしょうか。それとも私の自我意識が強かったのでしょうか。毎日わくわくした気持ちで家を出ました。
ある日、隣の寮で生徒が騒いでいました。何かと思ったら、寮の2階のベランダに干しておいた下着類が無くなっていたようです。
いえ、私ではありません。庭へ出て見上げればベランダですが。
高校2年の時、好きな女子がいました。個人的にお付き合いはしませんでしたが、卒業して彼女にラブレターのようなものを出しました。差出人である自分の住所氏名は書きませんでしたので、不審に思ったことでしょう。彼女から返事が来たと思いますが内容は憶えていません。
私は英語が好きで、「百万人の英語」や「FEN放送」など東京の放送を聞いたものでした。
受験勉強で疲れると夜空を見上げ、「この宇宙は何処まで続いているのだろうか」「地球の果てはあるのだろうか」と思いを巡らせ、にわか詩人になったものです。
進路は「これからは経済が分からないと駄目だ」という「政治・経済」の先生の影響で、東京のM駅から1分と、すぐ近くの大学の経済学部を目指しました。
受験の下見で行った学校の正門の前で、雪が積っていたため、歩きなれない私はすってんころりんしてしまい大恥をかきましたが、また、受験番号は「○○79」と「泣く」かと思いましたが、何とか合格することができました。
ブレザースーツや身の回りの生活用具を揃えてもらい、私の胸は早や東京生活へ傾いていました。
東京の生活は果たして期待通りだったのでしょうか。
次回【花かげ 学生編】をご期待ください。
Posted
at 05:28
| この記事のURL
コメント(0)
| トラックバック(0)
