人との出会いは、広大な砂漠の中から一粒の砂を見つけるほどの確率です。出会いを大切にしたいと思います

ひでさんの横顔
教員も切れた  [2010年09月03日(金) ]
この暑さで教員も切れた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100903-00000508-san-soci
それにしても、伝書鳩はどこへ行ってしまったのでしょうか。

Posted at 07:09  | この記事のURL
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おじさんのシューカツ準備  [2010年08月30日(月) ]
おじさんの毎日は、新聞の求人広告をチェックすることから始まります。
失業保険を貰うには、シューカツの実績が必要とされます。
カツはカツでも、こちらは食べられないね。それでは、ということで、きょうのランチはカツ丼と相成りました。

シューカツの準備、まずは、履歴書用の顔写真を自作しました。
この暑い中で、しばらく着ていないスーツにネクタイ。奮闘すること1時間弱。汗びっしょりとなり、写真BOXの中に入ってやる自動プリントよりはいい男に仕上がりました。
きょうはこれまでにし、汗を流しにスーパー銭湯へ。
お気楽なもんだね。

さて、きょうの二胡は、【おんなの宿】
昭和39年のヒット曲です。
<玉置宏 調で>
叶わぬ愛に溺れた女ごころの切なさよ。
伊豆の夜雨(よさめ)を 湯舟できけば 明日の別れが つらくなる。
好きなあんさんとなら、燃えて火となれ 灰になれ。
ああ・・・・・・・・。
なにやら禁断の愛。こんな恋愛をしてみたい。ん、有り得ないか。
http://www.youtube.com/watch?v=3Z3drFPFdtE


【画像は、伊豆河津の七滝「初景滝:踊り子と学生像」】

川 島(旧制一高生)
「かおるさん 貴方が好きです。僕と結婚してください」

かおる( 踊 り 子 )
「そ、そんな、川島さま。私、私どうしましょ・・・・・・・・」

(てな雰囲気?、本当かなあ)

1 想い出に降る 雨もある
  恋にぬれゆく 傘もあろ
  伊豆の夜雨(よさめ)を 湯舟できけば
  明日の別れが つらくなる

2 たとえひと汽車 遅れても
  すぐに別れは くるものを
  わざとおくらす 時計の針は
  女ごころの かなしさよ

3 もえて火となれ 灰になれ
  添えぬ恋なら さだめなら
  浮いてさわいだ 夜の明け方は
  箸を持つ手が 重くなる

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気が付けば秋色  [2010年08月29日(日) ]
気が付けば黄昏
気が付けば空蝉
気がつけば惜寂の海
気が付けば虫の音
気が付けば秋色

過ぎ行く晩夏と生まれ出る秋色の狭間に
なぜか気だるさを覚える
夏よ 今一度楽しませておくれ
秋よ 今一時待っておくれ

季節は遠い古からはるかな旅を繰り返し
人はその時空に行き交う旅人
春には若葉の如く生まれ出で
夏には灼熱の太陽に向う向日葵にも似て
秋には紅葉の如く実り色づき
冬には枯葉の如く散り行く

この世に今ひと時の安息を求め
人は旅行く
【2003/8/25のHP(閉鎖中)から】

きょうはちょっと気取って詩人になりました。
8月も「暑い暑い」と言っている内に終わろうとし、9月がやってきます。
ということは、今年もあと4ヶ月。
あまりにも早いじゃありませんか。
退職から2ヶ月なのに、もう半年も経った気がします。
福祉講座もあと1ヶ月。ラストスパートです。

さて、きょうの二胡は【古城】
http://www.youtube.com/watch?v=oYfCh9uBvrU



画像は駿府城「巽(たつみ)やぐら」です。家康さん、弥次さん、喜多さんも居ます。
徳川家康は、鷹狩りが好きで、右腕に鷹がとまっています。家康は鷹狩りに藤枝へ行き、そこで食中毒を患い、それが死因とも言われています。
お時間のある方は、[2010年01月03日(日) 初詣]をご覧ください。

「影を慕いて」(再録画)アップしました。
http://www.youtube.com/watch?v=tlPeU-K_jKA

Posted at 22:09  | この記事のURL
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'10 涼を求めて 箱根編  [2010年08月28日(土) ]
いつまで続くこの暑さ。
これではたまらんと、おじさんとおばさんは涼を求めて箱根散策して来ました。

道の駅「箱根峠」→箱根関所→芦ノ湖遊覧→(芦ノ湖沿い)→大涌谷→箱根湿生花園。

箱根関所は以前に車で前を通過したことがあるが、何か様子が違っていました。
調べたところ、平成11年度から箱根関所の跡地一帯の発掘調査を行ない建物を復元し、平成19年春全面公開されていました。
詳しくはこちらをご覧ください。
http://www.hakonesekisyo.jp/index.html
芦ノ湖遊覧は湖面からの涼しい風でいつまでも揺られていたいものでした。
涼しさで食欲も倍増し、大涌谷を目指して芦ノ湖沿いに車を進めたところ、「横浜中華街」の看板。おや、ここは箱根じゃないか。
富士山五合目ではお昼はラーメンでしたので、今回はリッチに横浜中華街箱根「福満園」でコース料理にしました。
http://fukumanen.jp/japanese/index.html

大涌谷でも中国や韓国その他多くの外国からの観光客がいました。
今や何処へ行っても外国人が観光しているものだ。
例によって、「玉子茶屋」で黒玉子を買って食しました。
以前のキャッチフレーズでは、「1個食べると7年長生きする」とあり、子供が小さい頃行ったときなどは上の子が「もうひとつ食べる」などと言っていたことを思い出しましたが、今回のは「これはうまい!黒玉子は栄養満点 『食べると長生きできる』という言い伝えも・・・・」とありました。公正取引委員会或いは厚生労働省からクレームでもあったのかな?(苦笑)

箱根湿生花園、♪知床の岬に ハマナスの咲く頃♪ハマナスの実をはじめて見ました。
礼文草もありましたが、北海道でなくここでもいいの?

それでは、ご一緒にどうぞ。
http://webryalbum.biglobe.ne.jp/myalbum/1004457005386283b3e33a16142ffab118c63f430/196718015519592821

Posted at 11:48  | この記事のURL
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ゴーヤー  [2010年08月23日(月) ]
花が咲いてからおよそ4週間、日除け代わりのゴーヤーの実を収穫しました。

店で売っているような、長くてぶっといものではなく、おじさんに似て“ずんぐりむっくり”です。

早速、ゴーヤーチャンプルーにしました。ビールが進むこと。

チャンプルーとは、ウィキペディアによれば、“野菜や豆腐などを炒めた沖縄料理。チャンプルーとは沖縄方言で「混ぜこぜにした」というような意味があり、野菜や豆腐に限らず、さまざまな材料を一緒にして炒める。「ゴーヤーチャンプルー」「タマナーチャンプルー」などのように主な材料の名を冠して呼ばれることが多い。”というものです。

小振りながらも味は一人前で苦味が益々食欲をそそります。
せっかくダイエットしたのに。
まだ数個、収穫目前です。花もまだまだ咲きそうです。

Posted at 22:01  | この記事のURL
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'涼を求めて 決行!富士登山、ん?  [2010年08月19日(木) ]
昨日は朝からうだる様な暑さ。
カミさんは休みでしたので、どこか涼しい処へ行こう、ということで、いつもは富士宮から上りますが、今回は初めて山梨側から富士山五合目へ上りました。

マイカー規制の谷間、平日だから空いているだろう、という予測は大幅に裏切られ、富士スバルライン料金所の看板に「五合目駐車場に駐車できるまで3時間」とのこと。
ここまで来て引き返すことはない。とにかく五合目を目指すことに。

まもなく「メロディーロード」のお知らせ看板。50キロで走行するとタイヤと路面の摩擦が音楽になっているとのこと。
♪あーたまをくーもおのー
うーえにーだあしー♪
なるほどね、粋な計らいである。

行けるところまで行って、駐車場手前1.5キロの路肩駐車場に停めて、往復3キロの“富士登山”なんちゃって、を決行。
河口湖口五合目は海抜2,305m、気温17度、涼しさを満喫しました。

お昼は「雲海ラーメン」、ま、普通のラーメンでしたが。涼しくて全然汗は出てきません。
北海道といい、黒部・立山といい、富士山といい、外国人が多いのには驚かなくなりました。やはり富士山はインターナショナルだ。

馬が5、6頭いて、おじさんが「馬に乗らない?」っていうので、「乗馬はウマくないので。それに高所恐怖症で落ちたら怖いから」と私。
おじさん「大丈夫。落ちないように守ってやるよ」って。
・・・・・・・やっぱり止めときました。

“下山”途中、霧が立ちこめ、小雨となり、急いで車へ戻った途端、ゲリラ豪雨とも言うべき大雨に遭いました。ラッキー!!

帰りは富士宮経由で。途中「道の駅 朝霧高原」へ寄って久しぶりに富士山が見えました。
こちらご覧ください。
http://www.digibook.net/d/2b04897fa19d9029ecafb5e44469e99c/?viewerMode=fullWindow&isAlreadyLimitAlert=true

Posted at 09:47  | この記事のURL
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350万人の物語  [2010年08月16日(月) ]
昨日は静岡市でも戦没者追悼式(静岡市では戦没戦災等戦争犠牲者追悼式)が行われました。全国では軍人・軍属約230万人、空襲や原爆で亡くなった一般市民80万人に上り、静岡市内では約1万6千人に上ります。

【英霊が祀られている静岡県護国神社 みたま祭】

その内の一人に叔父がいます。
実家の仏壇を置いてある部屋に、軍服軍帽姿の凛々しい叔父の遺影が掲げられています。子どもの頃は訳も分からず拝んだものでした。

叔父は若干二十歳で戦場に散りました。その時何を思って死んでいったのでしょう。父母のこと、兄弟のこと。友人のこと。故郷の野や山や川。
一人で寂しかったでしょう。野戦病院で亡くなったことは、せめてもの救いでした。戦争がなければ、恋愛し、結婚し、子どもを儲け育て、人並みの生活を送ったことでしょう。
それが無残にも打ち砕かれたのです。戦争はなんと惨いことでしょう。

父もまた、戦争に駆り出され、敵の銃弾を膝に受けたと、幾度か生々しい傷跡を見せてくれました。多くは語りませんでしたが、食料が底をつき食べられるものは何でも食べたそうです。
父が戦死していたら、勿論私はこの世に生を受けることはなかった。
戦争がなかったら幾人の子どもが生を受けられたことでしょう。

義父は東北から静岡へ出てきて、浜松の航空隊へ志願しました。
国に命を捧げるつもりだったのでしょうか。
運よくそれは実現しませんでしたが、一度は死ぬはずだった義父は強いものです、必死のおもいで事業を立ち上げました。今はあの世で平穏に暮らしていることでしょう。

終戦ドラマスペシャル『歸國(きこく)』を見ました。(14日:TBS)
戦死した英霊が現代に戻ってきて、平和になった故郷を目撃すること。
そして、かの海にまだ漂う数多の魂に、その現状を伝えることが目的です。
http://www.tbs.co.jp/kikoku2010/story.html
現実には有り得ないドラマですが、決してそうも言い切れないような重く難しいドラマでした。

戦後日本は豊かさを得たが、引き換えに失ったものは計り知れないと英霊が現代を憂いていました。涙なくしては見られませんでした。その中で「貧幸(ひんこう)」という言葉が出てきました。かつての日本人は、「貧しかったが皆幸せだった」ということです。

現代はどうでしょう。少なくとも家族の絆というものは昨今の出来事をみても希薄になっているのではないでしょうか。
祖父は私が小学2年生の頃家で最期を迎えました。叔母や母が介護をしておりました。 祖父は命の大切さを家族に「死んでみせて」くれました。
無駄死にではありませんでした。
叔父は一人寂しく死んでいったのかと思うと涙が出ます。

幸せとは何をもって幸せとするか百人百様ですが、家族という最少基盤がしっかりしていなければ幸せもなにもありません。

戦争犠牲者350万人。そこには350万人の物語があります。
死を無駄にしてはなりません。

【惜別の歌】
恥ずかしながら、私めの二胡演奏です。学徒出陣で学友を戦地へ送る歌です。
http://www.youtube.com/user/HIDEO1480#p/u/28/UyufbkmSrmM


【暁に祈る】
http://www.youtube.com/watch?v=7WOVJbs4pOM&feature=related
【麦と兵隊】
http://www.youtube.com/watch?v=vn2OgHd99GE&feature=related
【露營の歌】
http://www.youtube.com/watch?v=lzpjBdxz5io&feature=related
【ああ紅の血は燃ゆる】
http://www.youtube.com/watch?v=6j6JQNHTSFw&feature=related
【若鷲の歌】
http://www.youtube.com/watch?v=r7y9JKAP1Bc
【同期の桜】
http://www.youtube.com/watch?v=yY6WraxaTZk&feature=related
再び【異国の丘】
何度聴いても目が潤んできます。
http://www.youtube.com/watch?v=9hkoI_r3MLM

Posted at 10:43  | この記事のURL
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我が家の前に・・・・  [2010年08月14日(土) ]
きょうの真夜中、午前1時前、ちょうど爆睡していた頃のことです。
すぐ近くで何やら騒がしい物音に起こされ、2階のベランダへ出て眠気まなこで外を見たところ、なんと我が家の目の前に消防車が1台、その後ろにも1台停まっていました。
そして、消防士が無線で連絡を取ったり、画像の上(南側)へ走っていったり騒然としていました。

近所の皆さんも「どうした。どうした。」と一斉に2階から様子を見たり、外へ出て消防士の後をついていったり、訳が分かりません。
オバサンはそれでもスヤスヤとお休み。「おいおい、大変だぞ」でやっと起きました。

どうやら、画像の右側(西側)がアパートで行き止まりになっており、その向かいのアパートと思われる部屋から小火があったとのことで、消防車が到着したときには鎮火していたようです。
道幅は消防車がやっと通れる程の幅しかなく、しかも袋小路です。
もし大火事になったら、と思うとぞっとしました。

昨年の8月11日の大地震http://salon.stage007.com/header1017124/monthly/200908/、その1年後の今回の出来事。
日頃の危機管理をしっかりしておく必要があると肝に銘じた真夏の夜の出来事でした。

Posted at 18:54  | この記事のURL
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本当の「終戦の日」は?  [2010年08月13日(金) ]
まもなく65回目の「終戦の日」がやってきます。
第二次世界大戦の犠牲者はおよそ6,000万人、うち日本人は310万人に上ります。人間が人間を殺しあう。あってはならないことです。
今あるのはこれらの方々の犠牲の上にあることを忘れてはなりません。
そして、決して戦争は二度と起こさないことを人類は誓わなくてはなりません。
犠牲者の方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。

【静岡県護国神社・みたま祭】

1945年8月15日、玉音放送によって戦争は終わったことになっていますが、しかし、そこから始まった戦争があったことを恥ずかしながら最近知り、このようなことがあっていいものかと残念で不理尽な気がします。
沖縄・広島・長崎の悲惨さは伝えられてきましたが、占守島の戦いは多くは報じられてきませんでした。

終戦の3日後、旧ソビエト軍は領土拡大のためかつては日本の領土であった占守(しゅむしゅ)島に攻めてきました。
一旦は戦争が終わり、これで家に帰られると思ったその矢先、再び戦渦に巻き込まれ、日本軍は北海道を死守しましたが、その戦争で1千人余りの日本兵が無念の死を遂げました。
そしてソ連軍の捕虜になってシベリアに抑留された日本軍65万ともそれ以上ともいわれる数の日本人が戦後シベリア等に抑留され、およそ6万人の人々が再び祖国の土を踏むことが叶わず異国に散りました。
8月21日、この戦いは終わりましたが、8月28日から9月5日までに北方四島は占領されました。9月2日、日本はポツダム宣言に正式調印し降伏しました。
本当の終戦は9月2日という方が適切ではないでしょうか。

【占守(しゅむしゅ)島の戦い】
http://sidenkai21.cocot.jp/m582.html
【異国の丘】
http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/10/post_6517.html
【異国の丘】動画
http://www.youtube.com/watch?v=9hkoI_r3MLM

先月、北海道を旅行した際、稚内公園の「九人の乙女の碑」と「氷雪の門」を見学しました。
【九人の乙女の碑】
※下記に説明

【氷雪の門】
※説明は「リンク集 北海道旅行3」をご覧ください。

終戦直後の8月20日、ソ連軍による樺太真岡侵攻の最中、 勤務する真岡郵便局の交換台を最後まで守り、自らの命を絶った9人の若き女性交換手の慰霊碑には亡くなった9人の名前、彼女達の最後の言葉となった「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら・・・・・」の文が刻まれていました。

かつて、いや現在も世界史上は戦争の歴史でした。戦争の教訓が生かされず、幾度も幾度も戦争は繰り返されてきました。
人類はその学習も生かすことが出来ない愚かな生き物でしょうか。
そうは思いたくありません。

この地球は「運命共同体」です。人間は地球を支配していると思い上がってはなりません。思い上がりは破滅に向かいます。謙虚であるべきです。
この地球に住まわせて貰っている。多くの国・人々・動物・植物に生かされている。自分を大切にする。他人も大切にする。
人間は謙虚になったとき、「本当の人」になれるのではないでしょうか。

戦争による人々の傷跡は消えることはないでしょうが、北方領土問題、この1年間に新たに亡くなった原爆犠牲者5千人、また先日は十和田湖底で、1943年9月に4人が乗り込み墜落した旧陸軍機の練習機が見つかったことなど、戦争の傷跡もまだまだ残っています。その意味では戦争は依然として続いているといっていいでしょう。

人類が平和の意味を真に理解出来たとき、本当に戦争は終わったといえるのではないでしょうか。
そして、良し悪しは別として、日本人はあの頃の連帯感、家族の絆をもう一度思い起こすことが求められているのではないでしょうか。

この夏、浅田次郎の「終わらざる夏」を読んでみたいと思います。
http://www.shueisha.co.jp/1945-8-18/

Posted at 10:37  | この記事のURL
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一日が気持ちよく  [2010年08月11日(水) ]
二胡カルチャー通いでバスを利用しています。
この間の日曜日、いつものようにバスに乗り、あいにく満員でしたが2人掛けのシルバーシートが空いていましたので、お年寄りが乗るまでの間、座らせてもらいました。

2つ先の停留所でお年寄りが数人乗車しましたので、席を立って前方へ移動し手すりにつかまりました。
すぐ傍らの座席に座っていた70前後と思われるご夫婦の奥さんから、「どうぞお座りください」と席を譲られました。
奥さんは、私が二胡と教則本で膨らんだバックを見て、大変だろうと思いそう声をかけてくれたのでした。

私、「とんでもありません。そのままお座りください。」
奥さん「それでは、荷物が重たいでしょうからお預かります」
私「大丈夫ですよ」
奥さん「いいえ、持たせてください」

といって、二胡とバックはスルリと奥さんの膝に乗せられました。
私「どうもすみません。ありがとうございます」

奥さん「お稽古ですか」
私「ええ、これは二胡といって中国の楽器です。今からカルチャーに行きます」
奥さん「濡れると大変ですから、雨が降らないといいですね」
私「そうですね。大事なものですから」

私は恐縮しながらも奥さんの好意に甘え、
私「次の停留所で降ります。どうもありがとうございました。」
奥さん「頑張ってください」

その日一日が気持ちよく過ごせたことは言うまでもありません。
優しさを行動に表すことを、その奥さんに身をもって教えていただきました。
どこの方かも分からない奥さん、ありがとうございました。

Posted at 07:45  | この記事のURL
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