なぜ走るのか。これに簡単に答えることは難しい。
有名な「何故山に登るのか」という問いかけのフレーズ
がありますが、この問いに似ていると思います。
楽しいから。
でもこれでは、走ったことのない人には何も分かり
ませんね。何か拒否されたように、この瞬間会話は
バタっと止まってしまいそうです。
人はウォーキングしていて、他の人の走りを見て
ちょっと走りたくなる。少し走れれば、もうちょっと先まで
行ってみたくなるものではないでしょうか。
そこには何か強制力が働くわけでもない、人の自然な
気持ちの流れではないでしょうか。
赤子がハイハイのあと立ち上がり歩き始めるように、
自然に人間の身体はそうなっているように 私には
思えます。
走る、ということの価値。走ることは、シューズさえあれば、いつでも、どこでも、
気が向けば一人ですることができます。
今の季節なら晩秋の枯葉を踏み、また春なら青々と
色を増す木々の木漏れ日の中を、風を感じながら
ゆっくり走る。
或いは夏、まばゆい真青な海辺の広大な空の下を、
更には白々と明ける朝日に向かい、オレンジに揺ら
めく落日を背に、シルエットになって走る。
これを楽しいと言わず、何と言うのでしょう。
急に走るからツライのです。ゆっくり、歩くように
走るのです。
自分の呼吸と靴音、身体の反応を聴きながら走れ
ばいいのです。
疲れたら歩き、心音が落ち着いたら走る、それだけ
です。
そして、こうして走れる自分の健康と、それを支えて
くれた家族に感謝する気持ちに包まれる瞬間。
これを小さくても幸せと言わず、何と言うのでしょう。
Posted
at 15:26
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これは走る人にしかわからない答かもしれないですね。(走っている人にもわからないかも)
走りについて,深く考えた事はありませんが運動の基礎として2時間くらいシゴカレました。辛かったですが,その甲斐あってか野球で優勝し「走りこむ」大切さを意識しました。
その後は,先ずランニングから,を後輩にも指導し自らも実践してきました。山岳も同じです。辛くて,止めようと思いますが,何故か「希望」?に繋げ,行けるところまで走り続けたいと思っています。