自分の可能性走ることは昨春から始めましたが、私にとって走る
ことは、「新しい自分」の発見、でした。
走るたびにそれはとてもエキサイティングな出来事
でした。
走るなんて、高校のときサボりながら全校マラソンを
走って以来、数十年の間走った記憶はありません。
それがトロトロと走り始め、きついなーと感じながらも
徐々に走れる距離が1キロ、2キロと伸びていくに
従って、喜びも増していきました。
「やればできるじゃん!」
走り始めて半年にもなると、多少でも筋肉も心肺機能
もついてきたのでしょう、余計走れる距離も伸びて
きました。
そして、小さな大会で5キロレースに出るようにもなり、
昨年12月には、ハーフマラソンにチャレンジもしま
した。

人間、60の還暦を前に身体の機能も能力も落ち、
悪くなることはあっても良くなるものがあるわけがあり
ません。
そんな心身の下り坂を感じる時に、全く期待もしてい
なかったこの「走ること」での自分の可能性の発見は、
新鮮な驚きでした。
自分から最も遠いところにあったスポーツの世界に、
自分の新しい希望を見出せるとは、思っても見なか
ったことでした。
私の友人が、私が喜々として話すジョギングの話に、
あっけに取られて聞いているのを、私は実は愉快に
思ってもいました。
フルマラソンへハーフマラソンの2回分がフルマラソンではありません。
これを痛いほど味わうことになりました。
ホノルルマラソンは、驟雨の中のスタートでした。
フルは、30キロから身体の疲労が、35キロからは
気持ちの疲労が激しく襲い掛かかってきました。
ふくらはぎや太ももはもう硬く張ってしまい、身体全体
の動きはブレーキがかかったようです。
その上に、疲労で麻酔がかかったような脳に、もう
歩いたら?休んだら?止めたら?と、もう一人の自分
が囁いてきます。
ゴールした直後は、涙は出ませんでした。1年半も
待ち焦がれた瞬間なのに、です。
それは、もう走らなくていい、という開放感でした。
ゴールを本当に感じたのは、しばらく先にあるもう一つ
のゲートで美しい女性に完走者への貝のレイを掛けて
もらったときでした。
そして、振り返って大勢の人波の中にカミさんの顔を
見たときでした。
私の初のフルマラソンは、こうして終わりました。
私にとってのフルマラソンは、時間が経ちようやく形と
なってきました。
それは、「自分に克った」という感動です。
42キロ余りの距離は、素人ランナーの心身を容赦
なく擦り減らします。
自分の動かない身体を引きずり、やめる誘惑を振り
切って、残った僅かな精神力だけでゴールできたギリ
ギリの闘いでした。
フルマラソンは、ほかの誰との競争でもない、自分
との闘いです。
それは自分の可能性を、また一つ拡げられたことと
言えましょう。
Posted
at 21:48
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一つの目標を達成したからといってまだまだ人生はゴールではないのですから、これからも頑張ってください。