シニア向けコミュニティ STAGE ステージ
50歳未満お断り! 紳士と淑女の知的コミュニティ (シニア向けコミュニティ STAGE ステージ) http://www.stage007.com
プロフィール
リンク集

【手談への誘(いざな)い・第22回】呉・木谷・高川の時代(8) 【2007年04月16日(月) 】

碁はしばしば、対局者の思いもよらない進行を辿ります。
一局の中盤まで黒地であった場所。終盤になってみれば、そこが白地に変わり、代わりに強固だった白の一団が死んでいる。そんなことも、ときにプロの碁で起こります。

人の世も然り。

明治41年(1908)田村保寿が21世本因坊に就いて秀哉と名乗ったとき、300年以上続いた本因坊家を自分が終わらせることになるとは、露ほども思わなかったに違いありません。

関東大震災がなかったら…碁家(囲碁棋士)の経済的不安は増すことなく、財団法人日本棋院の設立がずっと遅れたかもしれません。
そして、本因坊の世襲が続いたら…秀哉名人に可愛がられた藤沢庫之助(のち朋斎)が22世本因坊になったかもしれません。

本因坊一門の逸材、藤沢庫之助八段が日本棋院の大手合で昇段点に達し、大手合制度による初の九段に昇ったのは昭和24年(1949)6月でした。

日本棋院が大正13年に誕生して大手合が創設されるまで、九段=名人。
江戸時代から、同時代に八段=準名人は複数いても、名人は一人と決まっていました。実力が一頭地を抜いていると皆の認める棋士だけが、名人に就いたのです。

昭和24年藤沢庫之助が九段に昇段したとき、誰もが認める実力者は呉清源八段でした。翌年、日本棋院は呉清源を九段に推挙。「古今未曾有の二人の九段」(『昭和囲碁風雲録・下』中山典之/著、岩波書店2003)が同時に存在することになりました。

読売新聞専属の呉清源は「打ち込み十番碁」を舞台に活躍。
昭和23、24年、呉は本因坊だった岩本薫八段を先相先(一段差ハンデ)に打ち込みました。
「次の相手となると、めきめきと実力を付けてきた藤沢庫之助さんしかいませんでした」(『中の精神』呉清源/著、東京新聞出版局 2002)

しかし、藤沢との十番碁はなかなか実現せず、本因坊を岩本から奪還した橋本宇太郎八段(第2、5、6期本因坊)と第二次十番碁を読売は企画。第一次で打ち込まれた橋本の先相先で始まりました(昭和25、26年)。
結果は呉の5勝3敗2持碁(ジゴ=引き分け)。「橋本は最終局に勝って、かろうじて先相先を維持した」(『昭和囲碁風雲録・下』)

曲折を経たのち、昭和26年10月から呉・藤沢十番碁が始まりました。(続く)

◆注目の第62期本因坊戦(毎日新聞)七番勝負が始まります。第一局は5月10、11日、和歌山県白浜町にて。
高尾紳路本因坊(名人、30歳)に挑戦するのは依田紀基九段(元名人、41歳)。本因坊戦リーグ5勝2敗、同率の蘇燿国八段(27歳)をプレーオフで降し、二度目の本因坊挑戦です。

---------------------------------------
[ 平本弥星ブログ『手談への誘(いざな)い』は毎月15日・30日ごろ更新します。お楽しみに! ]
●STAGE連載エッセイ『碁で人と文化を知る』を読むにはこちら
●平本弥星の主著『囲碁の知・入門編』の詳細はこちら

Posted at 09:05 | 囲碁 | この記事のURL
コメント(0) | トラックバック(0)

この記事のURL

http://salon.stage007.com/header1017553/archive/11/0

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://salon.stage007.com/header1017553/tb_ping/11

コメントする

名前:
Email:
URL:
クッキーに保存
小文字 太字 斜体 下線 取り消し線 左寄せ 中央揃え 右寄せ テキストカラー リンク

コメント






<< 2008年10月 >>
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
カテゴリアーカイブ
最新トラックバック
Copyright(C) 2006-2008 Senior Communication Co., Ltd. All Rights Reserved.
シニア向けコミュニティ STAGE ステージ