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【手談への誘(いざな)い・第36回】名人戦 (12) 【2007年11月15日(木) 】

フルセットの好勝負となった第32期名人戦、9月初めから2か月に及んだ熱戦がようやく決着しました。

10月11、12日の挑戦手合第4局で張栩(ちょう う 27歳)挑戦者が勝ち、3勝1敗。カド番に立たされた高尾紳路(たかお しんじ 31歳)名人でしたが、二日制の七番勝負はとくに強いという評判どおり踏ん張りました。第5局を制した名人は、さらに11月1、2日の第6局(山梨県甲府市)で白番半目勝ち。勝負の決着は最終局に持ち越されたのです。

第7局は11月8日午前9時から静岡県熱海市で打たれ、9日午後5時42分に292手で終局。黒番の挑戦者が2目半勝ち。シリーズ4勝3敗で張栩碁聖が高尾名人を破り、昨年失った名人のタイトルを奪還しました(名人位通算3期)。

「去年より少しは成長した気がする。本当に強い相手で、たくさん教わりました」と張栩碁聖。「(第4局に敗れて)このまま負けるのかなと思ったが、そのあと二つ勝てたので、大きな自信になった」という高尾名人の言葉、そして爽やかな笑顔(談話と写真:asahi.com)。

碁の内容、品格ある両者の態度、どこにも曇り一つない素晴らしい七番勝負でした。

なお日本棋院の規定で、正式に張栩碁聖が名人・碁聖、高尾名人本因坊が高尾本因坊(前名人)と呼ばれるのは対局終了の翌日となっています。

今日の囲碁最高棋戦は棋聖戦(読売新聞)です。次いで序列順に名人戦(朝日新聞)、本因坊戦(毎日新聞)。また、棋聖と碁聖は同じ意味の言葉ですが、碁聖戦(共同通信、地方新聞掲載)は国内棋戦の序列7位です。

昭和36(1961)年から50(1975)年まで、最高棋戦は(旧)名人戦でした。読売から朝日に名人戦が移り、棋聖戦の創設が決まったのは昭和50年12月。新聞紙上を賑わわせた「名人戦騒動」が和解し、碁界に再び春が訪れました。

戦後の囲碁界最初の春は、今からおよそ半世紀の昔。囲碁ファン待望の名人戦が昭和36年1月に始まりました。第1期は13名によるリーグ戦の優勝者が名人に就き、翌期は10名のリーグ戦で、優勝者が名人に挑戦、七番勝負で名人位を争うという規定でした。

第1期名人戦リーグ13名の参加者は、11名の全九段と、最高位のタイトルを持っていた藤沢秀行八段、加えて最強戦(名人戦の前身)の最終第3期に三位(4勝4敗2ジゴ)の好成績を収めていた岩田正男七段(現達明九段)。

「昭和37年8月5日、6日。リーグ戦は最終局を迎えてクライマックスに達していた」と『昭和囲碁風雲録・下』(岩波書店)にあります。

リーグ戦開始から1年8か月、総当り全78局のうち76局を終えて優勝はまだ決まらず、初代名人位の行方がかかる最後の2局が同日に別の場所で打たれました。劇的な結末を迎える呉清源・坂田栄男戦の記録係を務めたのが若き日の中山典之六段(上記著者)でした。

(続く)

【ご案内】
戦前戦後、激動の歴史の中を懸命に生きた呉清源。昭和の棋聖と呼ばれる同九段の人生を描いた秀作(中国映画)『呉清源 極みの棋譜』が11月17日から全国で公開されます。

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Posted at 21:50 | 囲碁 | この記事のURL
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