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【手談への誘(いざな)い・第44回】棋聖戦 (5) 【2008年03月16日(日) 】

第32期棋聖戦七番勝負の第5局は、2月27、28日に京都の東本願寺別邸・渉成園で打たれ、黒番の挑戦者・趙治勲十段(51)が山下敬吾棋聖(29)に3目半勝ち。山下棋聖の3勝2敗となって七番勝負の行方はわからなくなりました。

一つの棋戦だけに集中できないのが囲碁棋士のつらいところです。3月6日、趙十段は十段戦五番勝負の第1局を新潟県岩室温泉で打ち、高尾秀紳本因坊に白番中押し負け。山下棋聖は同日、本因坊戦リーグで山田規三生九段と対戦し、黒番2目半負け。それぞれこれも大事な碁に負けた両者ですが、注目の第6局は静岡県熱海市で3月13、14日に打たれます(この稿はその前に書きました)。

日本棋院渉外担当理事であった杉内雅男九段の決断に有光次郎理事長、岩本薫副理事長が賛同した名人戦の移行は、1972年12月12日に朝日新聞と仮契約(年間契約金1億円)をしながら、決着まで1年を要したのでした。寝耳に水の打ち切り通告を受けた読売新聞は強く反発し、名人戦の継続に向けて手を打ち始めました。

名人戦移行に最も強硬に反対した棋士が「読売とは個人的な付き合いのある」藤沢秀行九段であったと、山崎祐男『昭和の囲碁界』に書かれています。この件が初めて棋士に報告された12月20日の棋士総会で、「(藤沢は)原読売副社長の言として、来期1億1千万円、更に過去にさかのぼって若干の補償をすると言っている。だから朝日との契約は中止したらどうかと激しく応酬」とあります。

読売の巻き返しが奏功したのか。有光理事長は年明け早々14日の棋士総会で「棋士の意見を聞いて最後の態度をきめようというところ迄後退」したとあり、さらに、その棋士総会は当日になって中止されたのでした。「この年になってから有光理事長が棋士総会に現れなくなる」と山崎は記しています。

岩本薫九段の回想録『囲碁を世界に』(講談社 1979)を読むと、棋士理事のトップであった岩本が苦しい立場に立たされたことを理解できます。財界の重鎮であった田実渉日本棋院総裁の考えは、棋院が読売と敵対することなく、円満な解決を図るようにということだったのです。有光理事長がそのような総裁の意向を体していると察した岩本は、朝日との本契約を先延ばししました。

やがて、岩本副理事長は変節したのではないかと、杉内理事はじめ朝日派の棋士たちから疑われるようになったのでした。

(続く)

【追記】

1月15日の本欄で福田康夫現首相は「碁を嗜むと聞かれない」と書きましたが、誤りでした。福田赳夫元首相と父子対局の写真が、昨年の首相就任時にメディアへ提供されたことを知らず、お詫びいたします。写真の対局年月日は不明で、勝敗も、康夫氏が何子置いたのかもわかりません。

福田赳夫元首相の碁好きは広く知られ、没するまで日本棋院顧問でした。免状はアマ八段。ただし、実際の棋力を問われると「それは国家機密」とケムに巻いていたということです。日本棋院が福田康夫首相に初段の免状を贈る話があったのかどうか……現首相の実際の棋力は、やっぱり国家機密でしょうね。

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