【手談への誘(いざな)い・第45回】棋聖戦 (6) 【2008年04月01日(火) 】
第32期棋聖戦七番勝負の第6局は静岡県熱海市で3月13、14日に打たれ、白番の挑戦者・趙治勲十段(51)が山下敬吾棋聖(29)に4目半勝ち。「七番勝負の鬼」と呼ばれた趙に往年の迫力を取り戻した感があり、「旅」(趙の言葉)は最終戦まで続くことになりました。
注目の第7局は3月19、20日に静岡県御殿場市の経団連ゲストハウスで行われ、ニギリ直して趙十段の黒番。最終局はこの七番勝負を象徴する激しい碁でした。非勢の挑戦者は持ち時間8時間を使い切り、早くから秒読み。その中で放った勝負手が再び混沌とした局面を招来し、秒読みが苦手という山下棋聖も最後は残り1分に。しかしコウ争いの中で冷静を失わなかった山下は、大石を捨ててフリカワリ、勝勢を確立しました。
「負けました」 万策尽きた挑戦者がはっきり口にして投了。二ヶ月余にわたった激闘が終わりました。山下は4勝3敗で防衛を果たし、棋聖を三連覇(通算4期獲得)。双方が死力を尽くした歴史に残る七番勝負でした。
「闇試合(やみじあい)」とは、一手先も見えない乱闘のことです。盤上の死闘は観る者にとって大歓迎ですが、盤外の闇試合は……。1975(昭和50)年の年明けから名人戦問題はこじれて、まさに闇試合となりました。
山崎祐男が日々書き記した『昭和の囲碁界』から、同年3月17日に開かれた棋士総会の様子を抜粋します。
- 有光理事長は午前の理事会に出席していたようだが、棋士総会には出席しないで山科理事が出席し、1月以降の経過説明。 1月13日の理事会の後、朝日新聞社と正式契約を結ぶ予定で、その旨朝日へも連絡してあったが、当日になって有光理事長から(中略)自身の進退をも含めて、交渉の権限一切を田実渉総裁に一任するとの申し入れがある。(中略)結局総裁一任となる。 総裁は岡田顧問(元副理事長)を起用し、それに伴い、岩本、杉内が交渉から退き、山科、三輪が岡田の助手となる。
田実総裁、総裁の意を体した山科理事、岡田顧問は外部役員で財界の方々。有光理事長は元文部事務次官です。
- 岡田は名人戦は朝日と契約し、新たに名人戦以上の格の棋戦を設けて読売と契約したいと両社に申し入れたが、読売に断られ岡田退陣。
山崎はさらに色々と書き留めており、こんなことも書かれています。
- 秀行の発言の中に、大臣の稲葉修が棋院の態度を強く非難しているばかりか、福田赳夫も同じ意向だというのがあった。有光はその方向には弱い筈である。彼は自ら泥をかぶってでも朝日との契約をまとめると語っていたが、棋界の泥は厭わなくとも政界の泥までかぶる気はないであろう。何か関係があるのかもしれない。
秀行とは藤沢秀行九段、それから1年後に始まった読売の棋聖戦で六連覇を遂げ、名誉棋聖を名乗る、いまも健在な「秀行(しゅうこう)先生」です。当時、稲葉さんは法務大臣、福田さんは副総理で、お二人は大の囲碁ファン。
一棋士として批判的に執行部を見ていた山崎八段と、棋士理事のトップとして渦中にあった岩本薫九段では、思いが違います。岩本は回想録『囲碁を世界に』で当時の苦しい心中を語り、「国会で私を吊し上げようという話が出た」こともあったそうです。
名人戦問題から棋聖戦創設に進んだ現代囲碁史の話は重要で、興味深いものがあります。それから30年余が過ぎ去り、今期の棋聖戦が終わって、プロ碁界の関心は十段戦五番勝負、そして本因坊戦七番勝負に。今年も桜が咲き、季節は移り行きますが、この話をいましばらく続けたいと思います。
(続く)
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