【手談への誘(いざな)い・第49回】秀策が生きた囲碁黄金時代 【2008年05月30日(金) 】
第63期本因坊戦七番勝負が始まりました。四連覇を目指す高尾秀紳本因坊と挑戦者・羽根直樹九段は同年齢31歳で入段も同期(14歳)。山下敬吾棋聖、張栩名人とともに平成四天王と呼ばれる両者ですが、これまで三大棋戦で対戦がなく、二人による初の番碁ということもあって注目を集めています。
本因坊戦は最も歴史のあるタイトル戦です。21世本因坊秀哉名人が本因坊の名跡を日本棋院に譲り、引退したのが昭和13(1938)年。翌年から本因坊戦の予選が始まり、昭和16年に関山利一が第1期本因坊に就きました。
秀哉の師が17世・19世本因坊秀栄名人。秀栄の師であり実父である14世本因坊秀和八段は秀策の兄弟子、事実上の師匠です。明治維新(1868)の後まで秀策が生きていれば15世本因坊になり、明治以降の囲碁史はまったく違ったものになったでしょう。
NHK「そのとき歴史が動いた」は私の好きな番組です。2006年7月5日に放送された「勝負師は志高く〜碁聖・本因坊秀策の無敗伝説〜」は長く続いている同番組が初めて囲碁史を取り上げたもので、期待をもって見ました。「そのとき」は文久元(1861)年11月17日、本因坊秀策が御城碁19連勝(無敗)を達成したときでした。
囲碁史で語られてきた碁聖秀策の逸話が要領よくまとめられ、碁を知らない人にもわかりやすい内容でした。囲碁・囲碁史に関する教養が広まり、大局的にはよかったと思います。
江戸時代に発達した伝統文化の一つである囲碁。番組ではその修業法もテーマの一つでした。また、明治維新にともなう封建制の崩壊により変わって行く伝統文化の象徴として、200年余り続いた御城碁が最後となった「そのとき」を位置づけていたように思います。
その視点は良いのですが、重大な事実誤認があり、誤った認識に基づいてゲストが解説していたことに驚いた私は、いささか憤りを感じました。それから2年が過ぎましたから、もうよいでしょう。二つの誤認について初めて述べます。
まず一つは「見取り稽古」。本因坊家をはじめ家元における囲碁の修業では「見取り稽古」が重要だったという、ゲスト・木村幸比古氏の解説を聞いて…???
囲碁歴は半世紀になる私ですが、この言葉を一度も聞いたことがありませんでした。しかし、その意味はすぐわかりました。先達の技芸をしっかり見ることを「見取り稽古」と言い、剣道をはじめ武術では重要な修業法です。
囲碁でも「見取り稽古」が大切で、秀策は師の12世本因坊丈和から直接指導を受けるのでなく、丈和が打つ碁を見て、その技を覚えたという主旨でした。たしかに、碁の師匠が弟子を育てる伝統的な方法は直接指導でなく、弟子たちは自分自身で学びました。秀策は先輩棋士の胸を借りて腕を上げました。
事実誤認とは、碁の技術習得に「見取り稽古」は必要ないということです。囲碁で先達の技芸を学ぶ方法は棋譜並べであり、現場でプレイを見る必要はありません。当時の本因坊家には初代本因坊算砂以来、二世紀半にわたる名手の棋譜や打碁集がありました。秀策は師丈和の棋譜のみならず、日本の碁を飛躍的に高めた碁聖道策(4世本因坊)の遺譜や御城碁の古い棋譜も繰り返し碁盤に並べて体得し、研究を深めたのです。
霊山歴史館学芸員で幕末近世思想史が専門というゲスト・木村氏は武術の専門家でもあり、剣道・居合道の大家です。碁はよく知らないのかもしれません。たとえ少し碁を打たれるとしても、囲碁史を知らないのは明らかです。それはつぎの重大な誤認からわかります。
江戸時代の囲碁文化は徳川幕府の権威と保護に支えられた家元制のもとで発展し、囲碁が大衆化したのは明治維新の後であったと、木村氏は語りました。後半部分の認識は決定的に間違っています。
囲碁が民衆に広まったのは中世(鎌倉・室町時代)です。室町時代には、少し裕りある農民の家の多くに碁盤・碁石があったと思われます。中世には「碁遊びの普及」によって「庶民の数観念が錬磨」したと、日本中世史が専門の横井清が記しています。拙著『囲碁の知・入門編』(集英社新書2001)の194ページをご覧ください。
徳川家康が囲碁将棋を好み、優れた碁打ち・将棋指しに扶持を与えたことから、幕府の保護のもとで家元制が確立し、御城碁が恒例となりました。しかし幕府から支給された禄は少なく、それでも碁家の多くは裕福でした。有力な武士や僧侶のほか、商人ら市井の後援者から得る収入が多かったのです。
江戸時代後期は「囲碁黄金期」と呼ばれるほど碁が盛んで、名の知れた碁打ちの人気は高く、中でも秀策はスーパースターでした。
ホントか?
はい、本当です。具体例をあげて、次回にお話ししましょう。
(続く)
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