【手談への誘(いざな)い・第20回】呉・木谷・高川の時代(6) 【2007年03月15日(木) 】
芸能やプロ競技の発達を、スポンサー抜きで語ることはできない。
時の経つのを忘れ、碁盤の上で純粋な知性の戦いを繰り広げる棋士も、仙人ではありません。碁で生活しているプロである以上、お金のことは重要です。
日本棋院所属棋士は、日本棋院から対局料や賞金(囲碁棋戦では優勝・準優勝のみ獲得)および若干の固定給が支給されます。棋戦スポンサーとの年間契約金の半分以上が当該棋戦の賞金・対局料として棋士に支払われ、残りは日本棋院の運営費に充てられています。
戦後日本の囲碁を支えた第一のスポンサーは新聞社でした。日刊各紙が主催する新聞棋戦が次々誕生し、掲載された棋譜・観戦記がファンの関心を集め、囲碁界は発展。名人戦の創設はその端緒となりました。
戦後の二大紙は朝日と毎日でした。朝日新聞は大手合(おおてあい)、毎日新聞は本因坊戦を掲載。
大手合は1924年(大正13年)の日本棋院創設とともに始まった昇段対局の制度です。2004年に大手合が廃止されるまで80年にわたって続き、棋士の昇段は大手合の成績のみによって決まりました。1927年から朝日がスポンサーになり、読売が名人戦を創設した1661年に朝日がスポンサーを降りた後は、日本棋院が自主財源で大手合を続けてきました。
毎日新聞は昭和14年に第一期の予選が始まった本因坊戦を今日まで一貫して主催。この5月には第62期本因坊戦の挑戦手合七番勝負(本因坊は高尾紳路名人)が始まります。
二大紙を追いかける読売新聞が掲載した「呉清源・打ち込み十番碁」は大いに注目を集め、同紙の発行部数増加に寄与したといわれます。読売が朝日を抜いて発行部数一位となったのは1977年でした。
名人戦は曲折を経て、1961年(昭和36年)読売新聞主催の最高棋戦として誕生しました。
さらに1974-75年の名人戦騒動を経て、名人戦は朝日新聞に移り、今日に至っています。
現在の最高棋戦は、名人戦の朝日移行に伴って読売が創設した棋聖戦です。
その話は後にするとして……
1952年(昭和27年)に朝日新聞が、大手合に順位戦を導入して名人戦をつくろうとしたことがありました。 (続く)
【参考文献: 『昭和囲碁風雲録(下)』中山典之/著 2003 岩波書店】
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