【手談への誘(いざな)い・第30回】名人戦 (6) 【2007年08月15日(水) 】
- 何年か前に、朝日新聞社が名人戦を企画したが、日の目を見なかった。しかし、朝日とは大手合開設以来の長い付き合いがあるので、私は筋を通して、まず朝日に声をかけることにした。
つぎは中山典之(六段)『昭和囲碁風雲録(下)』(岩波書店)より。
- しかしながら、(中略)直前まで囲碁に理解があり、話が通じていた朝日の信夫(しのぶ)専務が辞職していたのである。新任の後任者では、ハイ、結構なお話で、と言う訳には行かなくなっていた。
そこで日本棋院は、改めて「事実上の名人戦」「実力名人戦」と号する六強戦を主催している読売に話を持って行ったのである。
契約金2千5百万円(年)は本因坊戦(毎日新聞)の2.5倍。「名人戦を作らなければ棋院の財政が破綻するとあって、評議員会で評決が行われ、賛成29、反対4、白票4という圧倒的多数で名人戦が決まった」(『昭和囲碁風雲録(下)』)
ただ独り、木谷實九段は絶対反対を主張し続けました。
- 木谷先生は「名人は自然に生まれるのを待つべきだ」という持論をつらぬいた。それも立派な見識と思ったが、「ただ待っているだけでは、名人位はタカラのもちぐされになりかねない」という私の主張とは平行線をたどった。(『碁打ち秀行』)
輝く第1期名人の筆頭候補はむろん呉清源九段。その呉が不運な交通事故に遭ったのは、同年の8月でした。入院2か月を経て、3か月後に呉は名人戦リーグ復帰。その間、読売新聞は日程をやりくりして呉が不戦敗にならないように配慮しました。
- 退院はしたものの、まだ正座できる状態ではない。私は椅子に腰かけて対局することになったが、相手の棋士はみな椅子の対局は不慣れである。とくに、名人戦のような重大な手合では、椅子では気合が乗らなくて困るという棋士も多かった。そこで、私は椅子に腰を掛け、相手は台の上に畳を置き、そこに座布団を敷いて座るという対局となった。(『以文会友』呉清源/著、白水社)
(続く)
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