【手談への誘(いざな)い・第42回】棋聖戦 (3) 【2008年02月15日(金) 】
第32期棋聖戦七番勝負は山下棋聖の2勝1敗となり、佳境を迎えています。山下(29)の三連覇か、趙(51)が9年ぶりの最高位に復するか。次の第4局は2月21、22日に長崎市雲仙市で打たれます。
1月30、31日に島根県益田市で打たれた第2局は、挑戦者の趙治勲十段が白番で中押し(ちゅうおし)勝ち。山下の棋聖戦連勝記録は9連勝で止まりました。
第3局は2月7、8日でした。対局場は愛知県田原市、太平洋と三河湾を望む渥美半島の先端、伊良湖(いらご)岬にある伊良湖ガーデンホテル。
碁は難解な新変化で始まり、一日目の打ち掛けまでわずか25手という遅い進行でした。苦境の打開に長考を重ねた趙十段は、二日目の夕方前に早くも秒読み(持時間8時間、残り10分から1分単位の秒読み)。奮闘およばず挑戦者が134手で投了し、山下棋聖の白番中押し勝ちとなりました。
「名人戦問題」が決着し、棋聖戦が誕生するまでの話を続けましょう。私が入段する(プロ初段になる)2年ほど前のことです。棋戦誕生のきっかけ、そこにはいつも財政難がありました。
昭和49(1974)年12月、日本棋院が名人戦の契約打ち切りを読売新聞に通告したのが、「名人戦問題」の始まりでした。名人戦の契約金を10年以上にわたって増額しない読売に不満を募らせた日本棋院は、事前に読売と協議せず朝日新聞への名人戦移行を決め、仮契約したのです。
私の手もとに『昭和の囲碁界』と題された自費出版本があります。著者は山崎祐男(1920−2000)。日本棋院棋士七段の山崎が自身の日記をもとに、長年にわたり山崎が目で見、耳で聞いた日本棋院運営の実態を記した貴重な書です。その15章に名人戦問題の推移が書かれています。
「杉内九段が渉外担当理事に就いて、先ず手がけた大仕事は歴代の渉外理事ではどうすることも出来なかった新聞社との契約金の改定であった。先ず最大の棋戦である名人戦の読売新聞社との交渉である。これは杉内氏以前の理事達も増額の申し入れを行ってはきたが、読売側はこれを完全に無視して、この2、3年は無契約状態のまま、棋戦が行われていたのである。これは明らかに理事会の無力と読売の不誠実によるものではあるが、杉内理事は従来の無契約状態を読売側の責任として、契約の打ち切りを読売側に通告した。」
(続く)
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