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【手談への誘(いざな)い・第43回】棋聖戦 (4) 【2008年02月29日(金) 】

第32期棋聖戦七番勝負の第4局は2月21、22日に長崎市雲仙市で打たれ、前3局と同様、どちらも妥協を嫌う激しい碁でした。対局態度は静と動。秒読みで奮戦する趙治勲十段(51)に対して、終始冷静を失わなかった山下敬吾棋聖(29)。黒番山下棋聖が中押し勝ちで3勝1敗とし、棋聖三連覇へあと一勝としました。注目の第5局は2月27、28日に、京都の東本願寺別邸・渉成園で打たれます(この稿はその前に書きました)。

大タイトル戦の挑戦手合は全国各地、ときには海外で行われますが、通常の対局は日本棋院本院関西総本部中部総本部)および関西棋院で打たれます。現在は主に木曜、次いで月曜が対局日となっており、最も対局数が多いのは市ヶ谷駅から近い東京本院です。

日本棋院会館(本院)は1971年に落成した8階建てのビル。その5階と6階にプロの対局場があります。5階の特別対局室「幽玄」をはじめ10室ほどある対局室は和室で、数年前に6階の大広間「洗心」だけ洋室に改造されました。

6階の「燦々」は対局日の食事や休憩の場所として用いられ、ベテラン棋士を中心にそこで食事(店屋物)をとる棋士も少なくありません。45分と短い昼食・夕食休憩ですが、若手棋士の多くは外へ出ます。

昭和49(1974)年12月5日の木曜日、藤沢秀行九段が「昼食の時、閉口していた」と山崎祐男が『昭和の囲碁界』に書いています。山崎八段はこの本を自費出版した2000年に80歳で逝去。

謹厳な人柄と風貌から「碁の神様」と呼ばれる杉内雅男九段が日本棋院の渉外担当理事となり、名人戦の契約打ち切りを読売新聞に通告しました。名人戦を朝日に移すと杉内から聞いた藤沢は、「しきりと“神様だから”を連発していた」、「日記には記されていないが、“飲まないから”と途方に暮れたように呟いていたのを記憶している」と山崎は書いています。14年前に渉外担当理事として名人戦を創り、しかも第1期名人になった藤沢秀行は、読売と親しい関係が続いていたのでした。

それから数年後、藤沢秀行は名誉棋聖の資格を得ます(タイトル五連覇以上で名誉タイトル者)。棋聖すなわち「碁の聖(ひじり)」となる人が、「神様は飲まないから」と歎いたのでした。

藤沢はアルコール中毒でしたが、創設された棋聖戦で優勝。棋聖戦七番勝負が近づくと「必死の酒断ち」をしました。つぎは名誉棋聖の夫人・藤沢モト著『勝負師の妻』(角川oneテーマ21)より。

    そんなときにいちばんお世話になったのが、当時、読売新聞社にいらした藤井正義さんです。ホテルのようなところを借りて、監禁状態にして、酒を断ってくれました。本人が何を言おうと、一切、聞かない。体格のいい方なので、暴れても押さえ込めます。ときには縛りつけることもあったようです。
    棋聖戦は第6期、昭和57年まで六連覇しました。その蔭には、こうしたアルコール断ちの闘いがありました。周囲も本人も、必死の思いで碁を打てる身体にして、対局に臨んでいたのです。

最近は品行方正な棋士が多く、無頼派のトップ棋士はいなくなりました。囲碁界としては喜ぶべきでしょうが……。

(続く)

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