【手談への誘(いざな)い・第31回】名人戦 (7) 【2007年08月30日(木) 】
囲碁界の秋は名人戦の季節。高尾紳路名人(本因坊秀紳)に張栩(ちょう・う)挑戦者(碁聖)が挑む注目のシリーズが始まります。
2年前は自身が棋戦史上5人目の名人本因坊であり、当時は最強の棋士と呼ばれた張栩。その後も国際棋戦などで活躍を続ける若き張栩にとって、この第32期名人戦は負けられないリターンマッチです。
一昨年の本因坊戦(1勝4敗)、昨年の名人戦(2勝4敗)と張栩は高尾に敗れ、現在の大タイトルは碁聖(国内棋戦序列七番目)一冠に甘んじています。
第1局は9月6、7日に広島市の広島全日空ホテル。第2局(19、20日)長野県松本市。第3局(26、27日)宮城県仙台市。第4局(10月10、11日)静岡県伊豆市と続き、フルセットになれば第7局は11月8、9日に静岡県熱海市で予定されています。
三大棋戦の挑戦手合七番勝負はいずれも二日制、持時間は各8時間です。残り10分前から1分単位の秒読み。
昭和51(1976)年に棋聖戦が誕生して以来30余年。囲碁の三大棋戦は@棋聖戦(読売新聞) A名人戦(朝日新聞) B本因坊戦(毎日新聞)となっています(棋戦序列は契約金額に拠る)。
山下敬吾九段(棋聖、28)、高尾紳路九段(30)、張栩九段(27)は10代の頃から互いに好敵手で、前棋聖の羽根直樹九段(31)とともに平成四天王と呼ばれています。羽根は日本棋院中部総本部所属で、他の三人は日本棋院東京本院所属。
平成四天王の相互対戦成績は、張栩が山下にやや優位(19勝14敗)で、山下は羽根に大きく勝ち越している(23勝10敗)ことを除けば、ほぼ互角です。
高尾紳路VS張栩の対戦成績は15勝15敗1無勝負。まったく互角ですが、内容は偏っています。七番勝負では高尾が強く(8勝3敗)、他の棋戦(一日制や早碁棋戦)では張栩が優位。じっさい昨年の名人戦で敗れて以降、張栩は高尾と4戦して4勝、負けなしです。(年齢と成績は平成19年8月20日現在)
高尾−張の対戦成績にある無勝負1回は、平成18年3月の竜星戦でのこと。珍しい三劫(コウ)が生じ、「日本囲碁規約」により無勝負となったものです。「日本棋院対局管理規定」に基づく再対局の結果は張栩の勝ち。
日本棋院のデータベースに記録されている過去約50年間の棋士成績において、無勝負は19局あり、約9000局に1回の出来事です。高尾−張戦の後は、今年6月に全日本早碁オープン戦で無勝負が一度あり、河野臨天元と秋山次郎八段の対局で四劫無勝負。
高尾の師はタイトル戦史上初の名人(旧第1期名人)に輝いた藤沢秀行名誉棋聖です。
台湾に生まれた張栩。その師匠は大陸に生を受け、台湾で育った林海峰(りん・かいほう)名誉天元。林も張栩も子供の頃に来日し、日本で囲碁の修行をした日本の棋士です。
林の師は呉清源(ご・せいげん)九段。棋界の第一人者として長く君臨しながら、不運にも名人位に就くことができなかった呉にかわって、弟子の林が名人位を獲得したのは昭和40(1965)年、弱冠23歳のときでした。
次回は第32期名人戦(朝日)の様子も交えながら、第1期名人戦(旧名人戦、読売)について前回の続きをお話ししましょう。
(続く)
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【手談への誘(いざな)い・第30回】名人戦 (6) 【2007年08月15日(水) 】
- 何年か前に、朝日新聞社が名人戦を企画したが、日の目を見なかった。しかし、朝日とは大手合開設以来の長い付き合いがあるので、私は筋を通して、まず朝日に声をかけることにした。
つぎは中山典之(六段)『昭和囲碁風雲録(下)』(岩波書店)より。
- しかしながら、(中略)直前まで囲碁に理解があり、話が通じていた朝日の信夫(しのぶ)専務が辞職していたのである。新任の後任者では、ハイ、結構なお話で、と言う訳には行かなくなっていた。
そこで日本棋院は、改めて「事実上の名人戦」「実力名人戦」と号する六強戦を主催している読売に話を持って行ったのである。
契約金2千5百万円(年)は本因坊戦(毎日新聞)の2.5倍。「名人戦を作らなければ棋院の財政が破綻するとあって、評議員会で評決が行われ、賛成29、反対4、白票4という圧倒的多数で名人戦が決まった」(『昭和囲碁風雲録(下)』)
ただ独り、木谷實九段は絶対反対を主張し続けました。
- 木谷先生は「名人は自然に生まれるのを待つべきだ」という持論をつらぬいた。それも立派な見識と思ったが、「ただ待っているだけでは、名人位はタカラのもちぐされになりかねない」という私の主張とは平行線をたどった。(『碁打ち秀行』)
輝く第1期名人の筆頭候補はむろん呉清源九段。その呉が不運な交通事故に遭ったのは、同年の8月でした。入院2か月を経て、3か月後に呉は名人戦リーグ復帰。その間、読売新聞は日程をやりくりして呉が不戦敗にならないように配慮しました。
- 退院はしたものの、まだ正座できる状態ではない。私は椅子に腰かけて対局することになったが、相手の棋士はみな椅子の対局は不慣れである。とくに、名人戦のような重大な手合では、椅子では気合が乗らなくて困るという棋士も多かった。そこで、私は椅子に腰を掛け、相手は台の上に畳を置き、そこに座布団を敷いて座るという対局となった。(『以文会友』呉清源/著、白水社)
(続く)
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