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【手談への誘(いざな)い・第46回】囲碁による「まちづくり」 (1) 【2008年04月15日(火) 】

第32期棋聖戦七番勝負で惜しくも棋聖復位が成らなかった趙治勲十段(51)は、その翌週、第46期十段戦(産経新聞)第2局で優勢を築きながら、攻めを誤って二連敗。カド番となった五番勝負の第3局は4月3日に長野県大町市で打たれました。挑戦者の高尾紳路本因坊(31)が黒番で中押し勝ち、初の十段位を獲得して二冠に。3年ぶりに無冠となった趙は再び25世本因坊治勲と呼ばれることになりました。

ところで、大町市における十段戦挑戦手合開催は連続15期を数えました。あらゆるタイトル戦の地方開催を通じて、これは過去に例のない記録で、来年以降もさらに延びるでしょう。

続けてきた話、名人戦問題から棋聖戦の創設に至る経緯を一休みして、囲碁による「まちづくり」についてすこし書きましょう。まず、私も何度か訪ねた長野県大町市のこと。

大町市は全国で初めて囲碁による地域振興を目指し、「囲碁に学ぶ・囲碁で学ぶ」を基本的な考えとする「アルプス囲碁村」構想を策定・推進してきました。その契機となったのが平成6年、市制40周年を記念して誘致した第32期十段戦の第3局でした。以来、大町にとって十段戦は北信濃の春を飾る棋戦となりました。

さらに第18回世界アマ選手権戦(1996)、第36回女流アマ囲碁都市対抗戦(1998)、第27期囲碁名人戦第3局(2002)などのビッグイベントや、毎年の「アルプス囲碁村まつり」など数々の企画を実行。そうした活動は大町市と長野県の文化発展にとどまらず、日本全国、そして全世界における囲碁を通じた人々の交流に役立っています。

市内各所のポケットパークには碁盤が彫り込まれた休憩テーブルがあり、車止めに詰碁タイルがはめ込まれています。詰碁ウォークラリーもできるとか。大町市長として「アルプス囲碁村」を推進した腰原愛正さんは現在、長野県副知事(2006年9月就任)です。むろん、日本棋院と日本棋院大町支部が全面的に協力しています。1年前にはアルプス囲碁村会館がオープンし、現市長の牛越徹さんは「囲碁を通じたまちづくりとして、多くの方々が気軽に立ち寄ることができる憩いの場として施設を利用していただきたい」と挨拶しました。

大町市を先駆として、地域振興に囲碁を活用する自治体が各地に生まれています。広島県尾道市、神奈川県平塚市、宮崎県日向市、青森県黒石市、宮城県白石市ほか。これら自治体の参加する「囲碁サミット」を、平塚市が本年10月に計画しています。

本因坊秀策の生誕で知られる瀬戸内海の因島は昔から碁が盛んで、市技を囲碁と定めていました。2006年に因島市を編入した広島県尾道市はそれを引き継ぎ、尾道市のまちづくりに囲碁を役立てて行こうとしています。「尾道市の市技を定める条例」(2006.1.10施行)より。

    本市の代表的伝統文化である囲碁の継承・発展に努め、地域文化の創造と振興に資するため、囲碁を市技に定める。

(続く)

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【手談への誘(いざな)い・第45回】棋聖戦 (6) 【2008年04月01日(火) 】

第32期棋聖戦七番勝負の第6局は静岡県熱海市で3月13、14日に打たれ、白番の挑戦者・趙治勲十段(51)が山下敬吾棋聖(29)に4目半勝ち。「七番勝負の鬼」と呼ばれた趙に往年の迫力を取り戻した感があり、「旅」(趙の言葉)は最終戦まで続くことになりました。

注目の第7局は3月19、20日に静岡県御殿場市の経団連ゲストハウスで行われ、ニギリ直して趙十段の黒番。最終局はこの七番勝負を象徴する激しい碁でした。非勢の挑戦者は持ち時間8時間を使い切り、早くから秒読み。その中で放った勝負手が再び混沌とした局面を招来し、秒読みが苦手という山下棋聖も最後は残り1分に。しかしコウ争いの中で冷静を失わなかった山下は、大石を捨ててフリカワリ、勝勢を確立しました。

「負けました」 万策尽きた挑戦者がはっきり口にして投了。二ヶ月余にわたった激闘が終わりました。山下は4勝3敗で防衛を果たし、棋聖を三連覇(通算4期獲得)。双方が死力を尽くした歴史に残る七番勝負でした。

「闇試合(やみじあい)」とは、一手先も見えない乱闘のことです。盤上の死闘は観る者にとって大歓迎ですが、盤外の闇試合は……。1975(昭和50)年の年明けから名人戦問題はこじれて、まさに闇試合となりました。

山崎祐男が日々書き記した『昭和の囲碁界』から、同年3月17日に開かれた棋士総会の様子を抜粋します。

    有光理事長は午前の理事会に出席していたようだが、棋士総会には出席しないで山科理事が出席し、1月以降の経過説明。 1月13日の理事会の後、朝日新聞社と正式契約を結ぶ予定で、その旨朝日へも連絡してあったが、当日になって有光理事長から(中略)自身の進退をも含めて、交渉の権限一切を田実渉総裁に一任するとの申し入れがある。(中略)結局総裁一任となる。 総裁は岡田顧問(元副理事長)を起用し、それに伴い、岩本杉内が交渉から退き、山科、三輪が岡田の助手となる。

田実総裁、総裁の意を体した山科理事、岡田顧問は外部役員で財界の方々。有光理事長は元文部事務次官です。

    岡田は名人戦は朝日と契約し、新たに名人戦以上の格の棋戦を設けて読売と契約したいと両社に申し入れたが、読売に断られ岡田退陣。

山崎はさらに色々と書き留めており、こんなことも書かれています。

    秀行の発言の中に、大臣の稲葉修が棋院の態度を強く非難しているばかりか、福田赳夫も同じ意向だというのがあった。有光はその方向には弱い筈である。彼は自ら泥をかぶってでも朝日との契約をまとめると語っていたが、棋界の泥は厭わなくとも政界の泥までかぶる気はないであろう。何か関係があるのかもしれない。

秀行とは藤沢秀行九段、それから1年後に始まった読売の棋聖戦で六連覇を遂げ、名誉棋聖を名乗る、いまも健在な「秀行(しゅうこう)先生」です。当時、稲葉さんは法務大臣、福田さんは副総理で、お二人は大の囲碁ファン。

一棋士として批判的に執行部を見ていた山崎八段と、棋士理事のトップとして渦中にあった岩本薫九段では、思いが違います。岩本は回想録『囲碁を世界に』で当時の苦しい心中を語り、「国会で私を吊し上げようという話が出た」こともあったそうです。

名人戦問題から棋聖戦創設に進んだ現代囲碁史の話は重要で、興味深いものがあります。それから30年余が過ぎ去り、今期の棋聖戦が終わって、プロ碁界の関心は十段戦五番勝負、そして本因坊戦七番勝負に。今年も桜が咲き、季節は移り行きますが、この話をいましばらく続けたいと思います。

(続く)

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