過日、東京の中央区にも中洲があったという記事をアップしましたが、今日はその続編です。
あの記事の直後に、たまたま読んだ山本一力氏の近著「銭売り賽蔵」(集英社文庫)の終章近くの六十章に「中洲」が出てきたではありませんか。時代小説のこと故、真意のほどは定かではないが・・・</色>

箱崎町の中洲は、大名屋敷で埋まっている。
田安中納言の下屋敷が、一万三千坪。
下総古河藩主土井大炊頭中屋敷が、四千五百二十八坪。
三河吉田藩主松平伊豆守下屋敷が、三千三百十八坪。
そして下総関宿藩主久世大和守中屋敷が三千三十一坪。
(中略)
中洲の一隅には、十軒ほどの民家もあった。大川を目の前にした地の利のよさに加えて、大名屋敷四家の警護は厳しく、治安のよさも図抜けていた。
ゆえにここの民家は、日本橋大店の隠居所がほとんどである。(中略)
三井両替店の別宅も、この地にあった。(中略)
玄関はわざと小さく拵えてあり、格別の門もない、表札すらもかかっていないのは、三井の用心のあらわれと言えた。
大川には、自前の船着場が設けられている。もともと、人影のほとんどない町だ。日暮れてから船でこの別宅をおとずれる客は、顔を見られる心配は皆無だった。
四月十五日の暮れ五ツ(午後八時)。曇り空に月星はなく、町はすでに闇に包まれていた。
が、百目ろうそくが十本も灯された別宅の二十畳座敷は、部屋の隅ま明るかった。
床の間を背にして座っているのは、幕閣のなかで頭角をあらわし始めた田沼意次である。享保四(一七一九)年生まれの意次は、四十八歳の円熟味にあふれた男だ。
ざっと、こんな具合でした。
一応、田沼意次も登場。側用人として権力を揮う少し前の意次ですが、中洲の盛衰に大きく影響しているようです。
以上。余談でした。
私。明日より4日まで、岡山での気の合う高校時代の仲間と旧交を温めたのち、田舎に帰省します。
なにしろ、母親が一人暮らし。一年ぶりに顔をみせ、少し早い墓参りを済ませてきたいとおもいます。
あの記事の直後に、たまたま読んだ山本一力氏の近著「銭売り賽蔵」(集英社文庫)の終章近くの六十章に「中洲」が出てきたではありませんか。時代小説のこと故、真意のほどは定かではないが・・・</色>

箱崎町の中洲は、大名屋敷で埋まっている。
田安中納言の下屋敷が、一万三千坪。
下総古河藩主土井大炊頭中屋敷が、四千五百二十八坪。
三河吉田藩主松平伊豆守下屋敷が、三千三百十八坪。
そして下総関宿藩主久世大和守中屋敷が三千三十一坪。
(中略)
中洲の一隅には、十軒ほどの民家もあった。大川を目の前にした地の利のよさに加えて、大名屋敷四家の警護は厳しく、治安のよさも図抜けていた。
ゆえにここの民家は、日本橋大店の隠居所がほとんどである。(中略)
三井両替店の別宅も、この地にあった。(中略)
玄関はわざと小さく拵えてあり、格別の門もない、表札すらもかかっていないのは、三井の用心のあらわれと言えた。
大川には、自前の船着場が設けられている。もともと、人影のほとんどない町だ。日暮れてから船でこの別宅をおとずれる客は、顔を見られる心配は皆無だった。
四月十五日の暮れ五ツ(午後八時)。曇り空に月星はなく、町はすでに闇に包まれていた。
が、百目ろうそくが十本も灯された別宅の二十畳座敷は、部屋の隅ま明るかった。
床の間を背にして座っているのは、幕閣のなかで頭角をあらわし始めた田沼意次である。享保四(一七一九)年生まれの意次は、四十八歳の円熟味にあふれた男だ。
ざっと、こんな具合でした。
一応、田沼意次も登場。側用人として権力を揮う少し前の意次ですが、中洲の盛衰に大きく影響しているようです。
以上。余談でした。
私。明日より4日まで、岡山での気の合う高校時代の仲間と旧交を温めたのち、田舎に帰省します。
なにしろ、母親が一人暮らし。一年ぶりに顔をみせ、少し早い墓参りを済ませてきたいとおもいます。
Posted
at 18:14
| 仕事半分東京散歩
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ご返事が遅くなりました。申し訳ございません。
地図で見ると狭いんですけどね。
私にはとても縁遠い、実感のわかない面積です。
遅くなりました。
東京から友人と同じ新幹線でしたから、いきなり「・・・じゃけぇのう」でした。
姫路あたりからは完璧に広島弁でしたが、岡山駅で同じく東京から来た女性陣とバッタリ。
一瞬だけ、東京と広島が入り乱れましたが、それも最初の挨拶程度でした。
山の緑になぜかホッとする自分です。