故郷のこと。いったん最終章 [2008年06月29日(日)
]
私の故郷、広島県庄原市東城町(旧比婆郡東城町)に帰省する際、多くの場合、山陽新幹線の岡山駅で伯備線に乗り換え、映画「八ツ墓村」の舞台にもなった中国山地の中央部の街・新見市(ルルさんのご主人の出身の街)で芸備線に乗り換える。
※たいていの場合、この新見で乗り継ぎのために1〜2時間は時間をつぶす事になります。
岡山と広島の県境、あの若山牧水が「幾山河越え去り行かば・・・」と詠った二本松峠を越えると、列車は急勾配を軽やかに下り始める。
やがて車窓から東城の象徴とも言える「城山」が見えてくる。
「帰ってきたか・・。」
決まり文句がなんとなく口をつく。坂を下りきったところが街の玄関口「東城駅」だ。日本各地のローカル線同様に、今はすっかり寂れて無人駅となっってしまった。
子供の頃は多くの駅員や保線区の人が働いていたのに・・・。
小学校の頃、私の初恋の女の子も駅長さんの娘で、4年生のときに転校し行ってしまった。次の正月のこと、女の子にはじめて出した年賀状は彼女宛のものだった・・・
東城駅に降り立つと、さっきまで車窓に見えていた「城山」が真正面に。
「ただいま!」誰に言うともなく心の中で叫ぶ。
この山間の町もいくつかの小説のなかに登場してくる。
その1つが、島田荘司の「龍臥亭事件」。(余談だがヒロイン・里美は私のカミさんと同じ名前です。このヒロインも地元の県立高校を出たといいますから私の同窓生ですね)
小説上は岡山県の貝繁村という架空の村が舞台となっているが、
モデルとなっているのが東城町であり、登場する「階楽座」という映画館も実在した。
1階の椅子席の左右と2階には桟敷席があり、古く懐かしい芝居小屋の風情漂う映画館だったが、残念ながら、今は取り壊されて駐車場になってしまっている。
※そうそう、先日の記事にある岡山での同期会の参加者の中に、その映画館の娘さんもいました。
ほんの3〜4日の滞在では、
故郷で過ごした18年の想い出を一つ一つ辿ることはできないが、おいおい思い出すままに少しづつ書き残し、やがて一つの糸で結ばれれば私を育んでくれた故郷への恩返しにもなるのではないか。
そんなことを想う今日この頃です。
さぁ、6月も終わり、平成20年もいよいよ後半戦。
これで、いったんブログ上の帰省シリーズを終えて、日常に戻ろうかと思います。
Posted
at 14:01
| 故郷への想い
| この記事のURL
コメント(6)
| トラックバック(0)
故郷では母の手伝いで草取り [2008年06月22日(日)
]
約1年ぶりの帰郷となった今月初め。
田舎では85歳になる母が一人暮らし。元気で暮らしているか? と、いつも気にかけてはいるものの、幸い高速道路で約1時間半の岡山市内に在住する妹がいつも連絡を取り合い、ときどき帰省くれているのに甘えさせてもらってる。
10年ぐらい前までは、早朝から趣味の花畑に出かけ、土いじりと花の世話に精出していたが、膝痛が悪化してからはそれもできなくなった。
今は小さな庭に花を咲かせる程度だが、この時期やっかいなのは草取りだ。
聞けば、5月に草取りに精出し過ぎて、しばらく起き上がれなくなったというではないか。
というわけで帰省2日目は少しだけ庭の草取りを手伝うことに。
しかし、情けないことにどれが「雑草」だか、いまひとつ区別がつかない。あらかた受け持った場所の草取りが終わったと思ったら、母より「この草はすぐ根を張るから抜かないと」との指摘。
これでは本当に役に立ったかどうか・・・ はなはだ疑問? で、ある。
帰省3日目は、この4月の父の十三回忌に帰省できなかったこともあり、最初から予定に入れていた「お墓の草取りと墓参り」。
庭と違って、目に入る草という草を片っ端から抜けばいいので気遣いはないが、ときどき母が草取りに来ているようで、周りは小さな草ばかり。
次に母が来るのはお盆だろうか? それまで草取りの必要が無いように と、神経を使ったつもりだが、あれから約三週間いったいどうなっていることやら。
父、母方の叔父、祖父母、曽祖父母が眠る墓。いずれは自分も入れてもらうことになる墓があるのは、前記事で紹介した城山の下に広がる旧市街地の真ん中にある「西方寺」という浄土宗の寺。
ご覧のような山門に、いまにも朽ち果てそうな(住職さんゴメンナサイ)本堂を持つ歴史のあるお寺です。


浄土宗西山深草派「豊国山 西方寺」。
室町時代初期の1394年(応永元年)開基で、もともとの山号は「城見山」と号していたといいます。
1668年(寛文8年)、東城町内の大火ですべてが消失したそうですが、宝暦年間に入り再建されたとのこと。
江戸時代の領主である広島浅野藩家老・浅野高秀は、この西方寺を回向所と定め、供養米百八十四石を給して領内諸寺院の最上席と掟を定め、東城勤番家中の菩提寺としたそうです。
現住職は、丹波篠山の由緒ある寺院の出で、遠く故郷を離れた東城で単身この寺を守っていただいています。
母が過ごす居間に、この私のブログのコピーが置かれていました。
聞けば、この西方寺のご住職が、我が家の仏壇にお経を上げていただいた折に持参して下さったものとか。
ありがたいことに、そんなところまで気遣っていただいています。ありがとうございます。
Posted
at 09:25
| 故郷への想い
| この記事のURL
コメント(14)
| トラックバック(0)
私の田舎のこと [2008年06月16日(月)
]
岡山での同期会を終えて、友人の車に同乗させてもらい帰省した私の田舎は「広島県庄原市東城町」(旧・比婆郡東城町)。
比婆郡(ひばぐん)と読みます。
なにか思い出しませんか? そう、その昔ちょっとだけ話題になった「ヒバゴン」の故郷でもあります。
中国山地の真っ只中の盆地の町です。
その昔、室町・戦国の時代より、良質の砂鉄の産地として有名で「タタラ」の工房で賑わい、山間の商業の中心地として栄えた町でもあります。
私が子供の頃まで地元では製鉄工場が稼動していたことを覚えています。
町の真ん中を流れるこの川は、中国山地に源を発し、瀬戸内海に注ぐ高梁川の支流・成羽川の上流にあたる。地元では有栖川の名で町民に愛されていますが、町の名を冠して東城川とも、大川とも呼ばれています。
川の右岸の桜の並木には、桜の季節にはボンボリが灯り、花見客がそぞろ歩きます。
この季節に合わせて、旧市街の通りの旧家では、歴史のある雛人形や家具が展示される「街並み散歩ギャラリー」とうイベントが開催され、町を訪れる人々の目を楽しませてくれます。
写真の正面の山は、東城の名の由来ともなった「城山」です。山の名前を五品ヶ嶽(ごほんがだけ)といいます。
地元の小・中・高校の校歌には「有栖川」の名とともに「五品ヶ嶽」の名が登場します。
地元の宮氏という豪族が城を築き、その後に隣町の庄原市西城町(旧・比婆郡西城町)に新たな城を築いた後に、それぞれ西の城・西城、東の城・東城と呼ぶようになったといいます。
東城は備後と備中の国境に位置し、安芸と備後の二国を領した広島藩にとっては国防上も重要な位置づけとなりました。
関が原のあと、広島藩主となった猛将・福島正則の時代には、三家老の一人であり、家康から名指しでその戦ぶりを称えられた長尾隼人が城主として1万石を拝しました。
福島藩改易後に広島藩主となったのは、ご存知・忠臣蔵の赤穂浅野家の本家である浅野家。
やはり、東城には浅野家の家老がこの地に赴任してきます。
城山には昔の面影を残すように、自然豊かな原生林に囲まれて、頂上の石垣後、古井戸、平、銃座などがところどころに残っています。
今日は大好きな私の田舎のほんの一部を紹介させていただきました。
Posted
at 18:55
| 故郷への想い
| この記事のURL
コメント(9)
| トラックバック(0)
岡山で同期の仲間が集う [2008年06月11日(水)
]
先月末から岡山で高校時代の仲間が集い、そのあと故郷へ帰省。
帰京後は、留守中の残務整理に追われて2週間ぶりのステージ訪問です。
ご無沙汰の段お許しください。と、まずは言い訳。
この先、しばらくの間、岡山から私の故郷 広島県東城町(現・庄原市東城町)への旅にお付き合いのほどお願い申し上げます。
今回は、岡山在住の友の企画で、首都圏から5人、関西から4人、広島から3人が集合。総勢14人(男性7人女性7人)のミニ同期会となりました。
会場の関係で、同期全員への案内はムリというわけで、声掛けは幹事の独断。
ま、気心の知れた者どうしの集まりということで、会場の瀬戸内市邑久町の「岡山いこいの村」に着くやいなや、全員の到着を待つことなく、昼間から一風呂浴びたあとはシュポンとビールの栓を空けてさっそく一杯。
瀬戸内海を望む山の上にある宿からは、眼下に日生諸島、その向うに小豆島、天気次第では遠く四国の屋島ばかりか鳴門大橋までも見えるという。
早い時間からほろ酔い気分で絶好調。そのまま宴会に突入するも、瀬戸内の新鮮な魚をはじめとするせっかく料理も半分ぐらい手をつけただけで、ついつい一杯、また一杯。
さらに午前0時過ぎまで、延々と宴は続くのでありました。
その分、朝ご飯はしっかりいただきました。
岡山の幹事役、奈良から参加のビール大好き男、そして私の3人は、もちろん朝からビールもしっかりと。
「もう! また飲んでる」と、女性陣はいささか呆れ顔。
2日目の予定は、車で参加したベンツとプリウス2台、そしてチャーターのジャンボタクシーに分乗して周辺観光です。
最初に訪ねたのは「閑谷学校」。1670年、岡山藩主池田光政公が重臣津田永忠に建設させた世界最古の庶民のための学校といわれています。
小高い山に囲まれた名前の通りの閑静なたたずまいは、さぞや思う存分勉学に勤しめただろう。
もっとも「酒なくて何の・・・・」というクチの私なんぞは、1週間で脱走を企てたに違いありませんが・・・。
続いては備前焼の窯元、そして「備前長船刀剣博物館」と、備前の名所を訪ねて目の保養(・・・・欲しいなと思った備前焼の逸品には手が出ませんでした)。
岡山駅近くの中華レストランで「お別れ昼食会」。飲兵衛3人はここでも生ビールに持ち込みの焼酎で打ち上げ。
翌日の小学校の同期会に参加するために帰省するという、関西から参加の友の愛車に同乗させてもらい、一路広島県東城町へ。
Posted
at 17:56
| 故郷への想い
| この記事のURL
コメント(9)
| トラックバック(0)