仕事も恋もバリバリの現役です。
うそです。仕事は現役で、プロフィールにあるごとく貧乏暇なしゆえ、
 投稿は気分次第です。

プロフィール
リンク集
Gone with the wind [2008年04月23日(水) ]
                  K626

  一月ほど前、モーツァルトの新しい肖像画が発見されたことが大きくマスコミに報じられましたね。

  クラシック音楽に関心のない人は「へえ、そうだったの、ふう〜ん」で、もうそのようなことはすっかり脳裏から消え去っているのは当然のこととして、私はあのニュースに思わず身構えてしまったのです。

 「モーツァルトなる単語」が耳目に触れるやいなや長年の習性として即座にK626を連想し、私の心は凍りついてしまうのです。

  K626はモーツァルト最後の作品「レクイエム」(死者のためのミサ曲)を指し、不気味ないわくつきの未完の名曲であります。

  もう随分前のことになりますが、この「レクイエム」のカセットテープを買い、その夜早速耳を傾けたのですが、途中で半ば反射的に一時停止のボタンを押してしまったのです。

  全身に鳥肌が立って震えが止まりませんでした。
  「慄然たる」とはこのようなことを言うのでしょうか、クラシック音楽に親しむようになって四十数年、後にも先にもこのような感覚に襲われたのは初めてでした。

  もちろんそのとき、その後起きることなぞ知るよしもありませんでした。   
  が、思わぬ事態が発生したのです。

  何と、半年の間に、バタバタと親戚や親しい知人の葬式のオンパレード。

  それまでは仕事関上の付き合いなどで出席する葬儀は時々あったのですが、次々と続く親しい人々の訃報に、「この曲のせいだ!もう、このレクイエムはお蔵入り」とばかり、カセットテープを仏壇にあげ、以後二度と聴くまいと心に決めたのです。
 
  それ以後仕事中、BGM替わりに鳴らしているFM放送でも、西洋式のお経っぽい曲を耳にすると即座に消す習性になってしまっていたのです。

  それから十数年経ったある春の日、宝塚在住の親友と六甲山にドライブしたのですが、クラシック好きな私に気を利かせたつもりなのでしょうが、なんとこともあろうに、カーステレオでこのレクイエムをかけるではありませんか!

  思わず命令口調でストップするように言ったのですが、彼には「そんなこと、お前の思い過ごしや、ただの偶然や!」と一笑に付されたのです。

  ようし、こうなれば毒を食らわば皿までも・・・・
  半ば忘れかけていた荘厳美を堪能したのは言うまでもありません。


  果たせるかな、その大きな大きなつけが回ってくるのに1か月かかりませんでした。

  数日前家に元気な姿で遊びにきていた父の親友がぽっくり、いや〜な予感に包まれ始めたとき、1人息子が九死に一生の大怪我で二か月の入院、「レクイエムのつけもこれで終わってくれれば御の字だ」と思ったのも束の間、なんとこれが序曲であるとは・・・・・・

  息子の退院と入れ替わるように、父親が癌宣告され急遽入院。
 周囲が重苦しい雰囲気に包まれている間に、大事な仕事仲間が交通事故死、引き続きその春、息子がストレートで東大の法学部に入学し、私もわがことのように喜び合った親友の自殺、そして元気に闘病の父を見舞ってくれた叔父と伯母を思いがけず連続して父より早く見送くることになり愕然としている間に、父の葬儀の日を迎える。

  なんと、なんと、その葬儀の日に、他生徒たちから反感や嫉妬を買うほどに私をことさら可愛がってくれた中学時代の恩師が突然倒れ、そのまま桜の花びら同様風とともに去りぬ・・・・

                 そしてあれからこの四月でちょうど十五年。

  「それにしてもこのレクイエムはなんという曲だろう。

  これはもう音楽などというものではないのではないか。・・・・・・・

私には、もはや音が作った音楽とは思われない。

  それは、人間がつくった音楽ではない、と言っても同じことだろう。」 と、

  この曲を評してある有名な音楽評論家が書いた本の一部を毎年桜が 散ったころに思い出すのですが、私にはこのレクイエムは「モーツァルトの仮面を被った悪魔」が創り出したものにしか思えないのです。

                     おわり 

Posted at 14:49 | この記事のURL
コメント(16) | トラックバック(0)

<< 2008年04月 >>
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
最新記事
最新トラックバック