【 大阪船場 】 [2008年06月21日(土) ]
東西二つの横堀川、北に土佐堀川そして南に長堀川と
あわせて四つの川で囲まれた四角の土地を船場と呼ぶ。
戦前の大阪商人にとって船場の中に店を持つことこそが、
ホンモノであり、四本の川の一歩でも外に出たら、そこは
船場のダンさんや御寮んはんから、見下げられる場所で
あった。ここらの機微は、山崎豊子さんの初期の作品に
詳しい。

船場は北から数えて、北浜、今橋、高麗橋、伏見町、道修町と続くのであるが、高麗橋と堺筋の交差する位置に三越があり、高麗橋通りには三井財閥系の会社が立ち並んでいた。
三井銀行や三井生命などと共に、東洋棉花の本社も、
この通りにあって、ボクは昭和三二年にその新入社員となった。
三井物産の再合同は未だ果たされていなかった。

目の前に当時は一軒だけの吉兆があり、夕方になると、
まだ数が少ない黒塗りの高級車がズラリと道を占拠した
ものであった。
先ほど述べた道の順番だが、今橋と高麗橋の間に、実は
もう一本の小路があって、正式名なのかどうか知らぬが、
浮世小路と呼ばれていた。人通りも少なく、車などが走る
ことなんか、まるでなかった。この一帯は幸いにも空襲の
被害を免れていた。
遠方から眺めても、三越と東洋棉花の両ビルが目立った。

与太呂はこの界隈でも、その大きさにも格式においても
おそらく最高のお店であった。ボクが初めて与太呂の暖簾
をくぐったのは、入社三年目のことだった。先輩のおごりで
あった。いつになったら行けるのかと思った吉兆は、ついに今にいたるも入店が叶わず、他の店とはいえ、あれだけ
評判を落としたから、もう行く値打ちがなさそうである。

当時からあった喫茶室の多くを記憶している。伏見町にある一軒に入ったが、たたずまいに昔の姿が残されていて、
この界隈の店を一軒ずつ訪れてまわりたい衝動にかられた。
ボクが入社した吉兆の真ん前のビルは、今はホテルになって三井ガーデンと名乗っている。

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【 高麗橋界隈 】 [2008年06月21日(土) ]
ボクが出した本のからみで、お世話になったお二人と
大阪の高麗橋界隈でお昼をご一緒にする話がまとまり、
六甲アイランドを起点とする阪神高速湾岸線で行った。
これを使うと大阪市内に入るのに二十分で充分である。
問題は市内に入るやいなや渋滞に巻き込まれることが、
しばしばであること。

阿波座で降りると、なにかと至便なのだが、ほぼすべての
道が一方通行となるから、今回は大きく迂回すると決めて
谷町から回り込むことにした。大阪城の近くまで行くことに
なる。
おおよその見当をつけて左折したら、どんぴしゃりその道が
大手筋であった。大阪城を背に西へ進む。
そこに高麗橋があり、それを通る。東京の基点が日本橋で、京都のそれが三条大橋なら、大阪はこの高麗橋となる。
橋が架かる東横堀川は豊臣時代の外堀である。
橋の西詰めで一方通行の指定があるから、それに従って
瓦町通りに入った。運転席の眼前に聳え立つ高層マンションはかつてボクが商社マンとして闘った拠点であった。
国滅びて市中心部きっての共同住宅が建った。
徒歩圏内にオフイスビルが多いから、ここにすめば通勤は楽であろうが、奥様方はどこまでお買い物に行かれるのだろう。

堺筋は北行きの一方通行で、ここを少し北上したら、懐かしい店構えの「菊屋」があり、そこが高麗橋通りになるから西に入る。
最初の角を南に入ると、そこに「与太呂・高麗橋本店」の暖簾を見る。
今日の会合の場所としてボクはここを選んだ。
天麩羅と鯛飯がともに絶品だから。
かつてこの名店は御堂筋にあった。あの広い道にわざと背中を向けて、玄関は一本東に入ったところにあった。
そのあとで店は三和銀行の本店となり、御堂筋に顔を向けた。




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【 新しい友人 】 [2008年06月19日(木) ]
いかなる神の思し召しなのでしょうか。
このところ、新たに親しくなった友人の数が
急増中なのです。
本来は「ひとみしり」するパパゲーノ。
それが会う人、会う人と友人としての固い握手を交わす。
どうやらボクは友人を作る盛期に達したらしい。
神はボクの未熟ぶりを憐れみたもうたか。
それで二回りほども精神年齢を調節されたのか。
ならばボクの精神年齢は、ようやく50歳になったばかり。
信長じゃないんだから、ニンゲン50年で終わるわけには。

Posted at 23:11 | 華麗な生活 | この記事のURL
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【 漁師の手取りはいかほど? 】 [2008年06月19日(木) ]
日本人が食べる魚類の順位は
イカ、鮭、マグロの順だという。
トップのイカ漁が採算割れだという。
いったいイカ漁師の手取り収入は
小売価格の何%になるんだろう。
セリに掛ける費用や、漁協や仲卸の
マージンはいかほどなのか。
日本ほど中間マージンが多い国も
滅多にないから、お聞きするわけ。

Posted at 23:04 | 華麗な生活 | この記事のURL
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【 はじめに言葉ありき 】 [2008年06月19日(木) ]
発言者はライス国務長官である。
「北朝鮮をテロ指定国家リストから外す」と米政府高官としては初の明言である。
その心を読み解く。
いまとなっては、核武装も無い日韓両国は同盟国として
頼りがない。
いい加減にあしらって、北朝鮮と同盟を組む。
そんなバカなとお怒りめさるな。
焼夷弾で非武装・非戦闘能力の女子供を、平然と焼き殺し二種類の原爆を二種類ともに実験の対象とした。
そこまで憎悪した日本と安保同盟を組んできたじゃないか。
ならず者と罵った北朝鮮と同盟を組んだところで
何の不思議があるものか。
ブッシュ政権にとって、邪魔でならんのが日本の世論。
拉致問題の解決なくして国交正常化はあり得ない。
「いい加減にせいよ、この小僧」とブッシュがホンネ。
慌てた福田が膝を屈し、「圧力はやめます」
厚顔無恥の福田も、国民には正直に言えないから、
なんとも意味不明の発言で語尾を濁すわけ。
二重外交は国家の恥だと、それが世界の常識であろうに、山拓、加藤、管直人、福島みずほといった超党派の売国議員同盟が、結局はブッシュと金にすりよっての勝利となるのか。
これからこの国はどうなる。
早く、みんな日本国から分離して独立しようじゃないか。


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【 返してなんか要らんよ 】 [2008年06月15日(日) ]
JALのハイジャックで世を騒がしたのは1969年のこと。
その妻にわざわざ応募したバカオンナどもの一部が、
ヨーロッパを舞台に、北の拉致活動に参加していた。

そんな連中は、永遠に祖国の山河を見ることなく
どこかで勝手に野垂れ死にしたまえ。

アメリカが北を自ら「ならずもの国家」のリストに入れて、
それを都合が悪くなり、日米同盟など無いがごとく、
米朝国交正常化を図らんとする。
今更そんなスタンドプレイでブッシュの功績とは、
誰も認めないであろうに。

そんなアメリカの都合のために、ハイジャック犯を返されて、その条件に、国家の大方針を変更させられようとしている。


「一歩前進」とか「新展開」とは、どのクチを使っていえるのか。

国を売ってでも、売名と利権を得たいヤマタクに、町村も高村も、それに福田も一味とは、何と情けなき国になったもんだろう。

ここまで耐え忍んでこられた横田さんご夫妻の気持ちを
結局理解が出来ていないことを、福田は露呈した。

なお、前回「佐伯」と書いたのは「斎木」の誤りでした。

斎木は「こんな難題を突き付けられた」と、全国民に向かって、発表するべきであろう。全国民がキミの辛い立場に同情し、福田や町村じゃ回答が困難なことを解決する声をあげるから。

Posted at 19:12 | 華麗な生活 | この記事のURL
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【 どこに進展があるんだ!】 [2008年06月14日(土) ]
町村や高村は、何をネゴトを言ってるんだ。
北に制裁の一部解除とは何ごとか。
佐伯が帰国したのは、よほどの無理難題を押し付けられた証拠だろう。
こんなもんアメリカの圧力に決まっている。
もうオシマイのブッシュ政権なんか無視してしまえ。
それとも山崎の利権外交に内閣をあげてなびきたいのか。

Posted at 08:41 | 華麗な生活 | この記事のURL
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【 タイヘンだ!声が出ない 】 [2008年06月14日(土) ]

緊急事態が発生しました。
12日(木)に東京へ行き、久しぶりに一泊。
昼は上野で旧満州国奉天市にあった小学校の
同期生の会合に参加。
普段はメールでの会話に頼り、肉声の交換が無い分、
頑張ってオシャベリをしすぎた。

それに続いて夜はメンバーが入れ替わり、
またまたハシャギすぎて、相当に声帯を酷使。
その結果、昨日午後の透析に行ったら声が出ない。

パパゲーノは当分筆談で行くことにします。


Posted at 08:30 | 華麗な生活 | この記事のURL
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【 酷暑の大阪 】 [2008年06月10日(火) ]

ジャケットなら偶には羽織るが、キチンとネクタイをしたのは
いつ以来のことだろう。
60本以上を捨てたのが十年以上前のこと。それが僅かに
残っていて、その貴重なネクタイを締めたのだ。

ナゼって、今日はこのボクにお呼ばれがあったからです。
名前を書けば、ほとんど誰もが知っている、女性経営者の
最先端を行く方。
社長を継がれたご長男と、その妹に当たる方とで、
大阪本町のビル群の一つ。その地下にあるウナギの名店。
初対面であったが、ご両者はボクのブログを読んでおられ、
こっちの中味はバレバレとあって、気取っている余裕なんかない。

美味しくいただいてから、御本社を訪問。そこに会長が待機してくださっていた。会長にお目にかかるのは、今日で三度目。
そんな経営者ファミリーは、ボクを親戚の一人かと思えるような、誠に打ち解けた雰囲気で遇してくださった。
会長に言われた言葉に中に、ボクを大喜びさせたこと。
「まだこんなヤンチャな人が残っていた」。
ボクは最大の誉め言葉と受け止め、酷暑の大阪から、だいぶ
マシと思える神戸に帰り、いただいた鶴屋八幡の極上の和菓子を社員たちと分けて賞味した。

いい歳こいて、臆面もなく本を五冊も出した。
その大胆さのおかげで、今日という嬉しい日が待っていた。


Posted at 21:14 | 華麗な生活 | この記事のURL
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【 異国の丘 】 [2008年06月10日(火) ]

久方ぶりにNHKの歌謡ショウを見た(聴いた?)。
作曲家吉田正の命日に当たるそうで、彼の教え子たちが
揃っての歌番組だったが、ボクがこの番組にチャンネルを
合わせたのには理由があった。
戦後間もなしに、誰の作曲とも知れぬまま、巷の各地で
歌われだした「異国の丘」という曲であった。

ソ連は日本がポッダム宣言を受諾することを知り、
まさに火事場泥棒のごとく、参戦と称して乱入し、北方領土を戦争終了後に奪い取り、満州在留邦人を言葉には表わせられない地獄道に落とした。

俄かに動員された新兵たちの多くを捕虜としてシベリアに連行、僅かな食糧で過酷なノルマ(ロシア語だ)で捕虜を虐待した。

そんな哀れな境遇に落とされた捕虜たちの中から、
誰が作ったのかも明らかでない歌が歌われた。

先立って帰国できた人たちから、日本内地にその歌が広まった。
その作曲者が吉田正であることが後に明らかになる。

出演者たちが威儀を正して斉唱する中に、KYのバカ女が一人。
真っ赤なドレスで一人だけ嬉しげに両手で拍子をとっていた。
そのバカ女の名を公表する。そいつを八代亜紀という。


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