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【 織田信忠(再び) (歴史エッセイ 68) 】 [2007年08月24日(金) ]

妙覚寺にいた信忠は、本能寺の変を知り、父を救援に
向かわんとしたが、炎上を見て間に合わずと悟り、そこで
自らも死を覚悟したのだが、いやしくも織田家の総領と
しては軽挙であったと言わざるを得ない。大阪に逃れ
信孝・丹羽長秀と合流するのがベストと思えるが、安土城
に逃れる手もあったと思う。当時ここには戦さ上手で
知られた蒲生賢秀・氏郷父子が居り、天下の名城に
篭もれば、織田の家臣たちが次々と駆けつけたはず。
信長次男ではあるが、阿呆で知られた北畠信雄が、
こともあろうに火をつけて燃やしてしまったのだが、
そんな出来事も防ぐことが出来たわけ。

なんとしても、生き延びねばならぬ立場を放棄した
信忠の振る舞いが悔やまれる。信忠に信長の発想力
が引き継がれていたとの前提ではあるが、織田政権が
長期にわたっていたら、産業革命も電力の利用も、
世界のどこにも先駆けて日本がそれを為したとして
不思議ではない。

日本史における最大の痛恨事であった。





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Posted at 10:07 | 歴史エッセイ | この記事のURL
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【 二条城 (歴史エッセイ 67) 】 [2007年08月23日(木) ]
現役のサラリーマン当時に、二条城を建立したのは
誰かで賭けをしたことがある。

織田信長が流浪の足利義昭のために、二条の地に城
を建て住まわせてやった。だから建立者は信長だと
信じて疑わなかったのだが、敵は写真を持っていて、
その写真には徳川家康建立の石碑があり、ボクは賭
け金の100ドルを獲られたのだが、未だに納得が
得られずにいる。

京都の街は何度も大火に遭っており、その度に多く
の建物が焼け落ちている。徳川家康が建てたものだ
って、少なくとも天保8年の大火では焼け落ちている。

日本には260年にわたる、徳川氏の治世があり、
歴史の多くが徳川家に都合よく修正されている。

二条城もまた然りだと、ボクはあくまで織田信長が
建立したことに拘りたい。

ところで、このシリーズの前作で、名前を出した
毛利新介と服部小平太だが、桶狭間で敵将今川義元
を見つけて、一番槍をつけたのが服部小平太、そして
首を獲ったのが毛利新介であったことを付け加えて
おく。この時今川義元は、毛利新介の小指を喰いちぎ
る抵抗を見せた。

その毛利新介が、明智光秀の大軍を相手に、織田信忠
に殉じたのに対し、服部小平太の方は豊臣政権の中で
生き延びる。

最後は関白秀次の失脚に連座する形で改易の上、切腹
の仕置きを受ける。

両名とも今川義元を討ち取るという大手柄を立てた割
には、厚遇されていない。信長の眼には将器として映
らなかったであろうか。



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Posted at 09:16 | 歴史エッセイ | この記事のURL
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【 織田信忠 (歴史エッセイ 66) 】 [2007年08月22日(水) ]
天正十年(1582)5月29日、織田信長が本能寺
に入るとき、廻りを固めていたのは、森蘭丸など小姓
をはじめ数十名に過ぎない。

が、同じ京に、すでに信長から家督を譲られた岐阜城主
織田信忠も、500名以上の軍勢を率いて、妙覚寺を
宿舎として居た。

もちろん、1万2千と伝えられる明智光秀の大軍の前
には、数十名も500名以上も似たようなものでは
あるが、明智に率いられた軍勢の中で、敵は本能寺と
承知していた者は少ない。

現に光秀が本能寺を囲んだ6月2日払暁、信忠が居る
妙覚寺には軍の一部を派していないのである。

妙覚寺を出た信忠は、二条御所に手勢を移す愚を冒す。

二条御所に居た親王方を他に移すための時間が、光秀
方に有利に働き、いかに桶狭間の勇士、服部小平太や
毛利新介といった織田家の近衛兵が居ようと、多勢に
無勢では戦いにもならず、あたら若い嫡子の生命を失う。

あそこは月の無い闇夜にまぎれ、ひたすら淀川伝いに
西に逃げるべきであった。大阪には信長三男の神戸信孝
と丹羽長秀の軍勢が、四国の長曽我部を撃つべく集結
していた。

信長の嫡子信忠がこれに合流したら、辺りの織田家中は
挙げて信忠の元にはせ参じ、中国高松城からの秀吉大帰し
もなく、秀吉の晩年の愚考の数々、中でも朝鮮征伐も
無かったことになる。

武田勝頼を滅ぼした実績を見ても、信忠は弟の信雄・信孝
よりは、遥かに優れた人物であったと見る。

織田家の政権は続き、秀吉のやりたい放題も、家康の幕府
も日の目を見なかった。


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Posted at 10:21 | 歴史エッセイ | この記事のURL
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【 菊池一族 (歴史エッセイ 65) 】 [2007年08月21日(火) ]
利尊氏が九州に落ち延び、奇跡的な勝利に恵ま
れ勢力を再生して東上し、結果は室町幕府の開府に
至るのだが、その運命を賭けた多々良浜の決戦の、
南朝方の大将が菊池武敏。

長兄の武重は京に上っており、新田義貞の軍に
参加。箱根竹の下の戦いで「菊池千本槍」の名を
轟かす。

弟の一人、菊池武吉は湊川の戦いに楠木正成の
傘下に加わり、戦場離脱の機会があったにも関わ
らず、楠木の生き残りが刺し違えて死ぬのに加わ
っている。

一族を挙げて後醍醐に忠誠を尽くした義の一族と
ボクは思い続け、今もなお菊池の名に感動を覚え
ている。




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Posted at 14:08 | 歴史エッセイ | この記事のURL
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【 懐良親王 (歴史エッセイ 64) 】 [2007年08月19日(日) ]
ハードボイルド作家、北方謙三氏の、もう一つの
顔は歴史作家である。

題材は南北朝時代、それも南朝が吉野から
賀名生に追い込まれ、足利が内部分裂を
始める頃が多い。

後醍醐の第十皇子、懐良親王は征西将軍として
九州に派遣され、苦労の末に肥後の南朝方、
菊池武光の協力の下に、いったんは全九州を
統一することに成功する物語。

「武王の門」上下2冊は、ちょうど10年前に
読んだのだが、あらためて読みなおしたところ。

このシリーズは、ボクは小4前後に「少年倶楽部」
の記事に影響され、楠木正成と一族の活躍に
魅入られたことから始まったが、当時楠木に次いで
ボクが心を惹かれた一族が菊池氏だった。

いったん九州に落ちた足利尊氏が、多々良浜の
戦で、菊池・阿蘇の連合軍を打ち破るのだが、
あの南朝方の敗北が、ボクは惜しくてたまらない。

長じてから、後醍醐ほどイヤな天皇は居らんと
思うようになったのだが、少年期に刷り込まれた
南朝方の武将たちへの想いは消えないのである。






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Posted at 13:46 | 歴史エッセイ | この記事のURL
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【 松平信康 (歴史エッセイ 63) 】 [2007年08月18日(土) ]
長篠の合戦で武田軍が破れた時
織田・徳川の連合軍の一隊を指揮しているのが
松平信康。時は1575年。

これから4年後に、信康は武田勝頼に通じたこと
を理由に切腹させられている。長篠で共に戦った
大久保忠世に無実を訴えながら。

史書は織田信長が、我が長子・信忠よりも力量の
優れた信康を警戒して、無理難題を押し付けたこと
になっているが、 徳川の時代は260年にも及ぶ。

果たして史書に書かれたことが真実か。

家康の事だ。親子の間に何かのトラブルがあった
のかも知れない。

武田はこの合戦の後、急速に衰えていく。

まさか信康が勝頼に通じたとは思えない。




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Posted at 12:42 | 歴史エッセイ | この記事のURL
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【 村上水軍(更に) (歴史エッセイ 62) 】 [2007年08月17日(金) ]
NHKが放送した「その時歴史が・・」で、
村上元吉が毛利の指示の元に、伊予松前城を攻め
敗退した、その敵とは東軍に従軍していた加藤嘉明
の留守部隊。それに河野氏の旧遺臣たちが加わって
いたのだと判明した。

河野一族は、秀吉が天下人となり、瀬戸内の通行料
を徴収する行為がケシカランと成敗され、追い詰め
られて一族が寺にこもって自決をし、そこで途絶えた。
1585年のことで、関ヶ原の15年も前のこと。

放送では村上水軍の大将とされた村上武吉も、遠く
長門の玄界灘に面した寒村に流されて、海の大将の
面影もない。

したがって、「海の関ヶ原」なんてものはなかった。




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Posted at 11:13 | 歴史エッセイ | この記事のURL
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【 村上水軍(続) (歴史エッセイ 61) 】 [2007年08月16日(木) ]
村上水軍について、NHK・松平に訊ねたいことが
まだあった。

放送では村上武吉率いる村上水軍が、四国で東軍方
に組した伊予・松前城を攻め、敵方の略に乗って
敗戦とあった。事実この戦いは行われ、当時は家督
を継いでいた武吉の息、元吉が討ち死にしている。

さて、この頃東軍に組して、村上元吉を討ち取った
敵将とは誰なんだろう。伊予だから河野一族かと思
うが、秀吉の太閤時代に「海賊働き」は禁止されて
いるから、河野はとっくに没落している。関ケ原の
後にも河野という大名は居ない。

敵は案外、同族の来島村上だったのか。ならば昨夜
の放送は妙なことになる。村上水軍が瀬戸内の制海
権を持つ構想自体がおかしくなってしまう。




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Posted at 09:53 | 歴史エッセイ | この記事のURL
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【 村上水軍 (歴史エッセイ 60) 】 [2007年08月15日(水) ]
以前、NHK「その時歴史は動いた」で、
村上水軍を取上げていた。松平の語りは
相変わらずのリキミ過ぎで、まことに聞き
づらいが、その内容に於いても、疑問符が
多く、どこまで本当だろうと首を傾げざる
を得なかった。

松平流によれば、関ケ原当時の村上水軍は
村上武吉の統率下に一本にまとまっていた
かに語られた。

村上水軍は、能島を本拠とする村上武吉の
勢力の他に、因島村上、来島村上と三手に
別れ、関ケ原当時にはそれぞれが別行動を
とっている。

三つの村上氏は、時として敵となり相戦う
のである。能島の本家村上は毛利に組して
いるが、来島村上に至っては、関ケ原当時
は徳川の一手となっている。明確に武吉と
は敵対する立場である。

因島村上も小早川に所属している。三島三家
がバラバラなのに、どうやって村上水軍が
瀬戸内海の制海権を握り、遠く知多半島まで
進出して東軍をおびやかすことが出来たのか。

伊勢から知多半島の辺りには、西軍に属した
九鬼嘉隆が活躍していた。能島村上が九鬼の
傘下に居たというのならまだ分かる。村上
三島を挙げて統帥し、知多半島まで攻めた
というハナシは、どうやってこしらえたのか。
それを松平に訊ねたい。

              





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Posted at 09:47 | 歴史エッセイ | この記事のURL
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【 俘囚 (歴史エッセイ 59) 】 [2007年08月14日(火) ]
ヒドイ差別語、いや侮蔑語である。

安倍氏は、出羽の清原氏と共に俘囚と呼ばれて
いた。

俘囚だから、わざわざ陸奥守を派兵して退治する。

現代のイスラムだからブッシュが派兵するのと
変わらぬ構図である。

安倍氏の長、頼時は新任の陸奥守・源頼義と同音の
ヨリヨシを遠慮して、改名まで行って従順に振舞って
いたのである。

思うに、彼らは縄文人であったのだろう。
狩猟や木の実採取で生活の糧を得ていた。
その副次効果で金を発見した。

平安朝としては、土地に密着し集団生活を送る弥生
人が望ましい。縄文人にも水田を作らせ稲作農民と
する。それが平安朝の意図するところ、それを実行
させる為の陸奥守であろう。

源頼義のイメージは良くない。
カレは金が欲しかったんじゃないか。
前九年の役は、源頼義の安倍氏に対する挑発から
始まった戦である。安倍氏から見たら、売られた
喧嘩を耐えに耐えた末の、仕方なき応戦であった
と思う。

俘囚。実に嫌な言葉である。そこには中華思想が
ある。中央こそが「正しく美しい」。僻地は野蛮
である。安倍氏は平安朝に従順に服しながらも、
朝敵にされた。

気の毒な氏族だと思う。
              





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