団塊と呼ばれ、後から後から、寄せる波を、どう言う訳か世間は十羽一絡げで、見たがるのです。皆、自分ラシク生きて行こうと、思いながら人生をやってきたのに・・・。60歳になって後ろを見たら、本当に色々なモノが観えます。前を見たら、やはり色々なモノが見えます。そんなことを気侭にやって行こうと思います。気侭に、気楽にお付き合い下さい。*カネオア マクレ:ハワイ語で、気侭なオジンの事。

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「最近思う事」 その5  [2009年05月18日(月) ]
酒癖の悪い人

<毎日テレビに顔を出し、親しまれ真面目な好青年と
 思われていた人間が一夜にして警察の御厄介になり、
 新聞、テレビはもちろん、世界中にそのニュースが
 流れたというのですから、人間何が起こるか判りません。

<しかもその原因がストレス解消のためでもある
 「お酒」にあるとしたら「飲酒」ということを、一般論ではなく
 「自分とお酒」を真剣に考えたいものです。

<酒好きということと酒癖は違うし、自分が飲むとどうなるか
 自分の飲酒量の限界を知っておくことです。
 ただ、そうした理性が働いていれば、問題は無いのですが
 その理性が働くなることが「お酒」の怖いところです。

<私は、今は時々しか酒は飲みませんが、若い頃は
 結構飲んでいました。自分から、仕事から、周りから、
 逃げたいと思っていたのか?単に、あの人に会いたい話を
 したいから、一人が寂しいから、これが究極かもしれなかった。
 
<それでも、色々な人がいたなぁー、普段は大人しいが飲むと
 ガラッと変わる奴、自慢をする奴、泣く奴、議論好きな奴、
 愚痴ばかりの奴、目が据わる奴、記憶が無くなっても平気な奴、
 トイレで寝てる奴、吐いてまた飲む奴、寝てる奴、他人と意気投合
 する奴、それでもみんな、良い人間だったなあー。


美味しいお酒

<酒癖については、落語にも笑い上戸、泣き上戸、怒り上戸など、
 色々ですが、英国保健省が、飲んで大騒ぎするという悪名高い
 同国の飲酒文化を改善する策として、酒癖の悪い人を9種類に
 分類した記事を見たので、それをご紹介します。

 @ストレス解消型:
   忙しかった一日の終わりに気分を
   鎮めるために飲む人。
 A共同体型:
   何かに属したいという気持ちから
   飲む人。大人数で飲む。
 B快楽主義型:
   刺激を求め、自制を失いたいと願う人。
 Cマッチョ型:
   余暇の大半をパブで過ごす人。
 D旧交温め型: 
   友人と連絡を取り合う手段として飲む人。
 E体制順応型:
   組織の一員になりたいと言う気持から
   飲む人。
 F退屈型:
   退屈しのぎに飲む人。
 Gうつ型:
   癒しを求め、安全を感じたいと
   思って飲む人。
 H別宅型:
   パブを「もう一つの家」と見なす人。

 
 この人達は酒癖が悪いとは思われない。
 のですが、問題は飲んでいけない時間に
 飲みたくなり、それを抑えられない人、
 ちょっと一杯が、もう一杯になり、
 終わらなくなる人。
 言葉を換えると、
 「楽しい夜遊びは、お酒を沢山飲むこと」
 という考え方をする人。

                     お酒の友ですよ!

<こうなると、いわゆる「アルコール依存症」と
 言われることになりかねないのです。
 これはもう自覚というより、治療が必要になります。
 
<「自分の酒癖」をはっきりさせることが第一です。
 これは男性だろうが、女性だろうが、年齢にも、
 関係ありません。ましてお酒を飲んでの自動車運転は、
 人間として論外です。

<お酒は、楽しく飲むものですし、人間同士の
 付き合いをスムーズにすることのできる、
 結構な方法の一つです。時には、自棄酒になることも
 あるでしょうが、飲んだ後は「スッキリ」の気持ちに、
 なりたいものですね。


<お酒をあまり飲まなくなっても、お酒のある席の
 雰囲気は好きだし、飲むことの良き影響は、
 大切にしたいものです。

<結局、お説教じみたことになったかもしれませんが、
 残りの人生で、どの位の時間を酒の席に置けるか、
 判りませんから、一つの区切りと考えてお読みください。
 お付き合いありがとうございました。


焼酎のお湯割りに美味しい梅はいかが!

Posted at 17:22  | 最近思う事  | この記事のURL
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大好き、炭酸!  [2009年05月18日(月) ]
炭酸飲料、大好きです。

私は炭酸飲料が大好きです。
ワインもシャンパンなどスパークリング・ワインが好きだし、
ジュースも炭酸入りが大好き、ウィスキーも炭酸で割って飲む。
ついでにラムネ菓子まで好きとくれば、ドライアイス以外は、
炭酸系は何でも口に入れる体質としか言いようがなかったのです。

              シャンパン美味しそう…

処で、コーラを始め炭酸入りジュースというのは、
炭酸の苦みというか辛味を抑えるために、糖分が多いのです。
その結果、糖分の過剰摂取は太る原因ともなるのは目に見えています。
当然糖尿病の原因ともなるわけです。
若い頃は、コーラをがぶ飲み。
これが爽快な気分にしてくれたものでした。

しかし、今となっては健康志向が先になって、
好物といえども、やたらに飲むわけにはいかない。
ダイエットコーラもあるけど、心理的には同じこと。

そこで試行錯誤の結果、炭酸のみを
ストレートで飲むことにしたのです。
そうです、糖分抜きのあの炭酸水を飲むのです。
こう言うとなんでと言われそうですが、
慣れてくるとこれが案外美味しいのです。
炭酸の圧力も糖分入りのジュースより強く、
炭酸好きの私には嬉しい限りです。
また、メーカーによって味が違うということも驚きの発見でした。
炭酸水に味の違いなどあるのかと聞かれそうだが、
泡の立ち方、舌触りが全く違うのです。
他に味が無いだけに、その差は歴然と口の中でハジケルノデス。

ということで、ここしばらく炭酸の妙味に浸かり切っていたのでした。

が、ある時体重計に乗ってみて驚くことに、最近は、
適度に運動もしているのに、体重が思うように減っていないのです。
そこでよくよく考えてみると、ようやく原因らしきことに気が付いたのです。

炭酸は当然辛口ですね。私が考えるのには、
食事前に飲む辛口のお酒と同様に、
食欲を増す働きが有るのでは!
炭酸水そのものは、カロリーは無いが、
飲んだ後は食欲が、増して
料理の量が多くなっているようです。
そして、おのずと体重やほかの値が増大する
結果となるのではないだろうか。

              美味しそうな料理ですが・・

あぁー、メタボにはなりたくないーです。
やっぱり炭酸は毒なのだろうか。
どなたか、究極の解決策をご伝授ください。

ちなみに、私が飲んでいる炭酸水は、色々ありますが・・・

・サンペレグリノ、サンベネデット、ペリエナチュラル、サンブノア、
 ゲロルシュタイナー、アズーラ、オキシジェン、ラストチカ等々、

その時の気分やレストランにおいてある銘柄で選んでいます。
最近はミネラルウォーターと同様、通販でも簡単に手に入ります。

夏場は、ウォッカやジンをトニックウォーターで割って飲むのが
大好きです。

スパークリングワインやシャンパンも手軽に飲める時代ですから、
そのまま飲むのもいいですが、カクテルで飲むのも良いですよ。
シャンパンのグラスの中の気泡の上がり具合を、見るのも、
楽しいものです。



Posted at 11:04  | お酒の友  | この記事のURL
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新型インフルエンザについて  [2009年05月18日(月) ]
新型インフルエンザ、拡大しているようですね。

<大阪でも発見されているし、妹がいる神戸も大変だそうです。
近所のお子さんの居られる家庭では、「働く女性が子供を、
どこに預けるかの問題が出ている」とのこと。
日曜に保育園の休園が決まったので、ベビーシッターを
頼もうにも争奪戦になっており、共働きなら、おいそれと
休めない状況なので、本当に困っていると聞いているそうです。

当初の判断が強毒性の可能性ありでしたから、
まずそこから始めたのは良いと思いますが、
現在は毒性が無いことが確認された時に、
どうするかの問題が現在だと考えられます。
事前の準備が無い問題ですから、
当局者の臨機応変の対応能力が問われる場面ですね。

おそらく準備されていた対策も「そうなれば、その時に考える」
で有ったように見られるし、そういう考え方は現実的でしょう。

もし、政治的判断に際し問題になるのは、

・それでも「安心」を求める世論をどう判断するか

・統計的に必然として生じる死亡者報道にどう答えるか

とりあえず、今の厳戒態勢のままなら、新型インフルエンザに
対する政治評価は傷つかないでしょう。
しかし、この継続は医療にも、国民生活にも大きな影響が
出るでしょう。もう出始めていますけど…。

このまま続けるのも悪影響があるし、やめるのも
問題が生じる危険性をはらんでいます。
しかし、こういう時に指導力を発揮するのが
為政者の務めとも言えますし、もうその段階に
なっていると思いますが・・・

まあ、夏になれば嫌でも終息する観測も十分ありますから、
選挙のことしか考えられない頭しか無いのなら、
あえて、考えられるリスクを冒さないかもしれません。



つまらないことが頭に浮かびました。
現時点では関西に集団発生しています。
これが東日本、東京に飛び火したら、
国会も当然マスクで論戦、記者会見もマスク。
テレビでは、バラエティ番組で笑うための客というか、
参加者もマスク付きで、笑っているのがわからないなんて・・
当然出演者もマスク姿、社会的影響が大きいところですからね

ここ1〜2週間の動きが注目されます。
とりあえず、勤めている介護施設では、
出勤時もマスク、仕事中もマスク、
うがい、手洗いの励行で対応しています。
もちろん海外旅行は禁止になりました。

知人で、ある学校のPTA会長をしている人から、
この地域では4月以降もインフルエンザの流行が
治まらず、5月に入ってからも学級閉鎖が出ています。
保健所から、「メキシコでは3月頃から新型インフルエンザと
似た、病状が発生していたと聞いている。
とっくに日本に入ってきているのではないかと思う。
この地域のインフルエンザもA型なので、きちんと
調べれば新型かもしれない」と言っていました。
本当かどうかは判らないけれど、考えられる事です。

今回のことで、日本の政治を真剣に考える
きっかけになればと思います。

*「桜の話シリーズ」は、まだまだ、続きますからね

Posted at 08:18  | 雑記帖  | この記事のURL
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桜の話 その3  [2009年05月07日(木) ]
>今回は、桜の種類の話を中心に書いて見ます。
途中で脇道にソレマシタラ、ご勘弁のほどを


【ソメイヨシノとヤマザクラ】

・古代人と現代人で桜への思いが微妙に異なるのは、
 時代のせいばかりではなく、それぞれ見ている桜の
 品種が違うせいであるようです。

・現在東京にある桜は、そのほとんどがソメイヨシノです。
 これに対して、源氏物語や古典詩歌に登場する桜は、
 そのすべてがヤマザクラ。

・染井吉野と山桜。この二つの桜は見た感じが、少し
 違います。染井吉野が爛漫なら、山桜は清楚。
 霞か雲かと見間違うばかりの染井吉野に対して、
 山桜の華やかさは凛としています。


ヤマザクラ
                        ソメイヨシノ

・源氏物語の「紫の上」は桜にたとえられました。
 が、豪華に咲き誇る染井吉野を、「紫の上」に
 重ねてはなりません。紫の上を思うには、
 山桜の気品を思わなければなりません。

 山桜は遠い昔からこの列島に自生していた桜です。
 分布の中心は西日本で、有名な吉野の桜は山桜です。

・これに対して、染井吉野の歴史は新しく、幕末維新の頃
 登場しました。花のお江戸は豊島郡、今の巣鴨あたりに
 あった染井村の植木屋が作ったらしい。
 あるいは、植木屋が偶然変わり種を見つけ、染井村で
 量産したとも言われています。
 いずれにしても、染井吉野は園芸用の交配種です。
 それが100年余りで全国を席巻し、今では桜と言えば、
 人は染井吉野を思い浮かべるようになりました。

・染井吉野の特徴は、山桜に比べて花の数がとにかく
 多いことです。桃色の雲の様に花を咲かせてます。
 しかも、若葉の前に花をつけ、若葉なしに満開を
 迎えるから、それこそ花一色になります。
 木の成長もはやく、10年もしないうちに花を咲かせる。
 増殖は挿し木で済む。授粉や結実の必要がないのです。

・花の寿命は山桜の方が少し長いようです。
 結実を求めないソメイヨシノは命を惜しまず、
 一気に散り果てるけれど、実を残さなければならない
 山桜は、花の命を惜しむのかもしれません。

・落花の時、染井吉野の絢爛たる花吹雪には息を
 飲むほかありません。その美しさばかりでなく、
 そのいさぎよさに感心する人もいます。
 そこに何か凄惨なものを感じて戦慄する人も
 いれば、死に急ぐ花の哀れを思う人もいます。
 染井吉野の散りざまは、どこかしら近代的な、
 複雑な感慨を呼び起こすようです。

・山桜の散り方は、もっと古代人風です。
 のどかに散る。自らの命を惜しむかのように
 して散る。見る人に惜しまれながら散る。
 その雰囲気は昔の歌がよく表しています。

  ひさかたの
      光のどけき春の日に
          しづ心なく花の散るらむ

  

【桜の種類】

・花の本によると、日本には2〜300種類の桜があるそうです。
 そのほとんどは桜の愛好家や育種家が作り出した園芸種です。
 それに対して、昔からあった自生種は10種類くらいです。
 それも元をたどれば数種類に行き着くといわれています。
 そのうち主要なものが、西日本の山桜、東日本の彼岸桜、
 北日本の蝦夷山桜(大山桜)です。

・蝦夷山桜というのは、同じピンクでも、花の色が濃いようです。
 彼岸桜は、花は小振りですが、色は染井吉野と同じです。
 山桜の花の色はもっと淡く、その淡い色を桜色と言いました。

蝦夷山桜
             彼岸桜

・これらの野生の桜のうち、彼岸桜は独特の性質を持っていて、
 若葉が出る前に満開になります。これも染井吉野と同じです。
 実は、染井吉野の片方の親が彼岸桜なのです。

・染井吉野のもう片方の親は、南伊豆に自生している大島桜で
 あるとされています。これは山桜の南方適応型の変異種で、
 純白の花を咲かせます。花の大きさは、彼岸桜とは比較に
 ならないほど立派です。染井吉野は、この立派な花を
 受け継ぎました。


             大島桜

・京都の有名な枝垂桜(シダレザクラ)も園芸種ではなく、
 自生種です。意外な事に、これは彼岸桜の突然変異体。
 その昔、東国を旅したものがその情趣に感銘し、京都に
 持ち帰ったといわれています。

・一般的に、自生種すなわち野生の桜を、ひとくくりにして
 「山桜」と呼び、人の手による園芸種を「里桜」と総称して
 います。「山桜」という呼称は、彼岸桜や大島桜等も、
 含めたすべての自生種をさすと同時に、その中の一つで
 ある西日本の山桜に限って使われる時もあるのです。
 読む方としては、ややこしくてかなわないですね。

・人によっては、漢字とカタカナで使い分けています。
 野生の桜を表す時は漢字で「山桜」と書き、西日本の
 山桜だけを指し示したいときはカタカナで「ヤマザクラ」と書く。
 その理屈を延長して、ヒガンザクラ、オオヤマザクラ、オオシマ
 ザクラなどと、ことごとくカタカナで書いてゆくものだから、
 読む方としては困ったもので、チンプンカンプンになってきます。

・また、例えば「ヒカンザクラ」と言う桜。彼岸桜の事ではありません。
 よく見て下さい。ヒカンの「カ」に濁点がないのです。
 「ヒガン」ではなく「ヒカン」です。なんでしょう。?
 悲観桜であるわけないし、避寒桜と言うのも可笑しいでしょう。
 正解は寒い時期に真っ赤な花を咲かせる「緋寒桜」でした。


枝垂桜及び緋寒桜の写真は、今回のページに掲載出来ませんでした。
 5枚の制限が有るためです。次回のページにご紹介いたします。

続く

Posted at 20:39  | 日本の季節行事  | この記事のURL
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桜の話 その2  [2009年05月07日(木) ]
もう、とっくに東京は桜が散って、葉桜になっています。
今、北海道が丁度、お花見で賑わっていますね。

これだけ日本人の桜への執着振りを見るにつけ、
なぜ、この花なんだろうと不思議に思っています。
そこで、思いつくままに書いてみることにしました。



【桜、その原風景】

・桜は太古の昔から、日本に自生していました。
 しかし、その自生地は極めて限定されていたと思われます。
 何故なら、日本の山野を覆っていた暗い森が桜の生存を、
 邪魔していたからです。昔から明るい陽光が降り注ぎ、
 水はけのよい土地でなければ、生きられない桜は、
 鬱蒼とした森を避けて生きていたはずです。
 森が途切れるあたりとか、崩落や洪水で森が途切れた
 跡地などで、人知れずひっそりと花を咲かせていたのでしょう。

・桜が、その生息地を広げていったのは、
 人間の活動によってなのです。

・日本列島の人々が、定住生活を始めた時、
 彼らは森の木を切って生活しました。
 例えば、照葉樹が生い茂る西日本の暗い森は、
 集落の近いところでは、明るい雑木林の空間へと
 変貌をとげていきました。桜は、そこに進出したのです。

・古代の山野に咲く桜は、園芸品種が満ち溢れる
 現代と違って、か弱い花が多かったに違いありません。
 そういう中でも桜は、ひときわ目立っていたでしょう。
 栽培技術の進んだ現代の花々と比較しても、
 桜の美しさは、他の花々より秀でていたでしょう。
 その桜が、人里近くの山々に次々と出現したのです。
 古代人は驚いたことでしょう。

・森羅万象すべてが神であった古代世界では、
 桜は心やさしい妖精となり、
 みめ麗しい女神になりました。
 いつしか人と桜は、さらに近づいて、
 仲の良い隣人になっていきました。

・このようにして、人里近くには雑木林の
 里山があり、里山には桜が有るという
 日本の原風景が出来上がるのです。
 万葉の歌人たちが心をこめて歌い、
 平安の王朝文学がこよなく愛した桜は、
 貴人たちの趣味として、そこにあったのではなく、
 はるか昔に形づくられた、この原風景に、
 根ざしていたのです。
 春ごとに繰り返される現代の花見も、
 桜前線の東進を伝えるテレビニュースも、
 この延長線上にあると言えるでしょう。


【桜の語源】

・桜の語源の話にも、「桜の原風景」を想像してみてください。

・語源の一つに穀霊である「サ神(サガミ)」が、
 鎮座する「場所(クラ)」というのがあります。
 
 サガミは相武、相模という字が当てられる、
 現在の神奈川県付近のことですが、
 元々は「サ神」という神様の名称でした。
 サ神は山の神で、通常は山頂付近の神域に
 住んでおり、其処には人は容易に近寄れませんでした。
 この事からサ神の住む神域の境界線をサカイ(境)、
 そこに設けられた垣根をサク(柵)と言うようになります。

・そして、古代人が農業を営むようになると、
 集落では田植えの時期にサ神に、
 山から下りて頂き、様々な供物を供え豊作を祈願します。
 そこから、田植えの行われる時期(サ神が降りてくる月)を、
 サツキ(五月)と呼ぶようになります。
 また、神様への供え物をササゲモノ(捧げ物)と
 言いますが、これはサ神が下げ渡す物というのが、
 原意で、捧げ物はサケ(酒)、サカナ(魚)、
 サカ菜(山の物、野の物)などで、これらはサ神に
 供える物の意味を併せ持ちます。

・古代人は農作の豊凶や運命の吉凶などを神に祈願し、
 その判断を請うのですが、これはサ神によって、
 運をサダメ(定)、神のサタ(沙汰)やサトシ(諭)を
 持ち、悪事をすればサバ(栽)かれると、
 言う事になるのです。

・そして、サクラの『クラ』は古語で神霊が依り鎮まる座を
 意味し、この事から桜はサ神の依る木となり、
 桜の下で花を愛で酒を飲む花見も本来、
 サ神にサケ(酒)やサカナ(サケ菜、肴、魚)を捧げ、
 お下がりを頂くという意味になるのです。
 また、供え物以外にサ神に喜んで貰う為、
 歌や踊りを披露するようになるのですが、
 奉納舞などを見るサ神の貴賓席がサジキ(桟敷)で、
 庶民は地面の芝の処で見ていた事から、
 芝居の語が生まれたのです。
 ですから、桜の下で酒を飲み、歌い踊るのは
 実に正しい行為だったんですね。

・更に幸福を表すサイワイ(幸い)やサチ(幸)という言葉も、
 サイワイはサ神に祝って貰う意で、
 サチはサ神が千ほど集まって欲しいという意になり、
 サカエル(栄)、サカル(盛)、サク(咲く)なども、
 サ神の祝福によると考え、生まれた古語です。

・また、「古事記」にも出てくる桜の霊である
 「此之花咲耶姫(このはなさくやひめ)」が、最初の
 桜のタネを富士山から蒔いたといわれています。
 「さくやひめ」の名前から「さくら」に、なったらしいのです。
 此之花咲耶姫(このはなさくやひめ)とは、
 この花(桜)のように美しい姫という意味です。
 ちなみに、日本の国花は、桜と菊の二つです。


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Posted at 17:50  | 日本の季節行事  | この記事のURL
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「最近思う事」 その4  [2009年05月05日(火) ]
ムシャクシャをデトックス

>今日、私は、ムシャクシャしていた事を、整理しなければ、
これから先、何も出来ない所まで、ある意味で追い詰められて
いました。仕事でも、思い掛けない事故や、プライベイトでも、
失敗が続き、どれから「やれば良いのか」整理しなければ、
先へ進めない状況でした。

そして、今日、「ウドと浅蜊の酢味噌和え」を作り、「米粉のパン」
を焼きながら、焼けるのを待つ間に、これからの「やらない」事と、
「やる」事を整理しました。

米粉は昨年の12月から、酢味噌和えは先々週から、
事がらの整理は今年の1月から、ずっと「やりたいなぁー」と、
どこかで、思い続けてきました。

ですから、すべて「仔細に見える」「小さい」事ばかりが中心ながら、
とてもスッキリしました。運動したり、岩盤浴に入ったり、行きたい所に、
降り立った時のように、スッキリしました。

これで、「ムシャクシャ」をデトックス出来ました。
行動してしまえば、こんなに小さいことであり、こんなに優先順位の
低いことであり、もう「考えなくて済む」からです。
旅行に出かける時、「思い切って、これとこれだけにしよう、のこりは
現地調達」と、荷物を軽くすることに似ています。

「本当はどうでもいいこと/いつかはやったほうがいいから、
やらなきゃと思っていること」を、ズルズル引きずり続けると、
それを無意識に考え続けてしまいます。

そうすると、重い荷物で肩が凝るように疲れてしまいます。

そういう時は、今日の様に改めて〈今〉の自分が「やりたい」
のか「やりたくないのか」を、クリアにします。
その上で、実際に「やる」のか「やらない」のかを、
その場で決めます。

ここで、重要な事があります。

「やらない」と決めることは、「やる」と決めること以上に、
ハードルが高い場合があります。
「やらない」と決めること=逃げていると捉えることに、
なると考えられます。しかし、それは「今の自分の見方に過ぎない」
「他の見方もある」ことに、注意することは必要です。

そして、「やらない」と、キチンと決めた自分のことを、
しっかりと自覚して褒めてもいいでしょう。
「やる」と決めたことは、今すぐ行動します。

もしかしたら、その後もう一度、「今、この瞬間、何をしたい?」と
考えたら、さっき「やらない」と決めたことを、「やりたい」と、
思うかもしれません。

そうしたら、この〈今〉に忠実に、改めて「やりたい」を、
行動に移します。自分では「ムシャクシャのデトックス」は、
〈今〉に忠実であることが、大切と考えます。

何か、支離滅裂かもしれませんが、
本当に在るのは、作り変え不可能なのは、
〈今〉だけですから・・・・・・。

こうして、少しでも余分な負荷をなくし、
身軽になった自分に、自分のこれからの
大切な人生について思考して、
生きていくことです。

自分ながら、「デトックス」を定期的に行う必要性を
考えながらも、なかなか出来なかったのも、
「この考え方」を「やる」「やらない」と
決められなかったからです。

最後になりましたが、「ウドと浅蜊の酢味噌和え」と、
「米粉のパン」のレシピ等については、「料理」の
ジャンルでご紹介いたします。
また、予告しました「桜の話」も、G.W.中に「やる」事に
いたします。 

Posted at 17:48  | 最近思う事  | この記事のURL
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桜の話 その1  [2009年04月13日(月) ]
日本人はやっぱり桜が好き

<春は卒業、入学、就職などの「人生の節目」となる季節でもあり、ちょうど咲き誇る「桜」が、感動的なシーンを効果的に演出してくれます。
桜は、一気に開花する華やかさ、開花からわずか2週間ほどで落花して
しまう儚さ、花びらが風に舞い散る風情など、全てにおいて美しく、
幻想的な印象を強く私たちに刻みます。
「桜」が日本の春を代表する花であること、
日本人がイメージする「花」であることは
間違いないことでしょう。>

                       2枚共、井の頭公園の桜です。

自分なりの桜の名所を

<三大花見、五大桜などとも称される桜の名勝が全国各地にあります。
有名な大阪「造幣局の通り抜け」のような桜並木や公園。
沢山の桜の木々を鑑賞できる場所もあれば、一本で人の心を魅了する
一本桜」の銘木も各地にあります。
逸話のある桜の銘木を訪ね歩く旅人もいるようです。
私たちの町にも、外からの人からの注目を集めるような
銘木があるかもしれません。調べるのもいいかもしれません。

お花見シーズンは、ことに「名所」と呼ばれる場所は、
人が溢れかえっていたり、はたまた、花の下で賑やかな宴会が
行われたりと、何を見に行っているのか分からないようなことに
なる場合も・・・・。そんなことを考えると、意外にも近所の公園や
近隣のお家の庭に、見事な花を咲かせている桜を見つけること
も有りますから、お散歩しては「自分なりの桜の名所」を、
見つけるのも楽しいかもしれません。>

河津桜
                                寒 桜

桜以外の花見もいいですよ

桜の花が咲く頃から、日本では多くの花が盛りとなります。
花の種類や地域によって開花の期間は、桜前線同様異なります。
九州と東北では1〜2ヶ月程も開花の時期がズレテいたりもします。
インターネットなどで、花暦を調べることもできますから、
お目当ての花の開花期や名所を調べて、花見のプラン
たてるのも楽しいのではないでしょうか。>

今回は、忙しい中でも、しっかりと私なりの「お花見」をした時の、
写真を交えて、桜のことを書きました。少し時期がズレマスガ、
「桜の話」について、4回ぐらいに別けて書かせて頂きます。
また、勝手な主観を混ぜていくかもしれませんが、
お付き合いのほどを・・

                      新宿御苑の桜

Posted at 16:58  | 日本の季節行事  | この記事のURL
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水が届ける春  [2009年04月02日(木) ]
皆様、お久しぶりです。3ヶ月振りのブログです。
少しは余裕ができましたので、再開させていただきます。
新年に入ってから「忙しさ」がドカーンと、来てしまいました。
仕事や遊びで多忙でも、充実した日々を送っていました。


                         ミナトミライの初日
東京ミッドタウン・クリスマスイルミネーション

そんな事をしている内に、季節は4月になっていました。
東京でも、桜開花宣言が出て、花冷えが続いて、
蕾も待機状態ですね。今日あたりで四分咲きでしょうか?

そして、周りを見て気がついたのは、
キラキラ輝く、池や川、海、
水の温むのを感じられ、春が近いぞーと言うこと。

湘南の海

暖かそうな日差しが差し込み、
キラキラと輝く、水面も美しいものです。
実際に手を入れてみると、
冬の凍てつく冷たさと違い、
ほんの少しヌルンで、
春を感じさせてくれました。

日常生活の中でも、
起きぬけに顔を洗ったとき、
お皿を洗うとき、
洗濯をするとき、
トイレで手を洗うとき、
ダスターを洗うとき などなど・・・・・、

ふとした瞬間に、水に「温み」を感じて、
思わず、春が来たんだなぁーと感じます。

水が運ぶ春、日常の中で指先には、
もう、春が届いていました。

               表参道クリスマスイルミネーション

そんな、春になってから考えるのも、
遅いかもしれないけれど、チョット学生時代の気分で、
今年は、どんな年にしようかななんて、・・・・・・・

結果の全ては自分次第!

テーマ(大げさな)は、
いい意味での「ダウンサイジング」
不景気な意味での「規模縮小」ではなく、
「規模最適化」に、近いかなぁー。

生活をシンプルに整理して、
「自分に出来ること」を、粛々とやっていこうと思います。
一方で、「自分に出来ること」を、一つ一つ増やしていく、
勉強の年にも、したいですね。
実際には、年初から、この事で忙しかったのですが・・・・

ある日のブランチ

こう書くと、エラク地味な感じだけれど、イメージとしては、
「いっち、にぃーの年」。
「さ〜ん」までの助走の年ですね。

こんな感じで、スタートです。

あ!写真は年末から最近まで行った所のものです。
これで「まとめ」とさせて頂きます。

*写真は5枚以上は掲載出来ないようです。

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変えられないもの、変えられるもの  [2008年12月31日(水) ]
皆様、ご無沙汰しておりました。

本当に久しぶりに、STAGEを覗いております。
外は、いつもの年の瀬より暖かいと感じています。


今年もいよいよ残すところ、後、4時間余りとなりました。

この時期は毎年同じようなことを言ったり、
書いたりしているような気がします。
年末というのは、そういうものなのでしょう。

そして新年を迎えて気分が変わったり、高まったりするのも一瞬で、
その後はまた、いつもの日常に戻り、日常に流され、
季節の移ろいの中での繰り返しが、人の一生なのかもしれません。

ただ一つだけ確実なのは、同じ時の流れでも、
去年と今年とでは、確かに違うということです。
そして今、いる自分自身は、この瞬間だけ、
そこに存在するものなのだということです。

人の心も、体も、姿もウツロナものです。
確実なものは今のこの瞬間しかない。
だからこそ今の時間を大切に過ごさなければ、ならないと思います。

ただ、この時期だけは、今年1年を何となく感傷的に、
振り返ってみるのも良いのでは、ないでしょうか。

私は私らしくあったのだろうか。
私が私らしいとは、何かに気付く事が出来たのだろうか。
私は本当の自分に辿り着いているのだろうか・・・。
どこまで行けば答えが見つけられるのだろうか。

このブログは特別な目的をもって書いているものでは
ありませんし、自分の「心の叫び」を表現する一つの場所として、
勝手に思いつくままのことを書いてきました。

只、ここに自分の素直な感情や思いや考えを書くことで、
自分が自分自身の何かに、気が付くかもしれないと、思っています。
結果的に、そのことが私自身に与えるモノも、あるのだろうと、
思っているし、そのことで変わるものもあるのです。
そう、考えています。
だから、誰かが読んでくれなくても、書くことが有るうちは、
書き続けていきたいと思っています。

でも、ここ5ヶ月ばかりは、STAGEを覗く時間も無かったのは、
それだけの理由がありました。その事についいては、
今後、追々、書き綴ってまいります。




人は一人で生きてはいけない。
他者と関わりをもつ中で、初めて社会生活を営む事ができる。

しかし、時として、自分以外の他者はストレスともなる。
考え方や行動パターンの違いに思い悩むことも多いでしょう。

しかし、物事のすべての原因を他人のせいにしても、
何も変わらないでしょう。判り切っていることですが・・・。

人類が誕生して以来、最も困難なことは他人を
変えるという事なんですから・・・。

他人と過去は変えられない…。

しかし、自分と未来は変えることはできる。
もう、こんなことを言えるほど、若くはないのですが・・・。

そこに希望を見出したいものです。

夢とか希望とは持つものではなく、
そこに向かって歩んでいく先に、有るモノなのですから・・・。



今日も、長々と思い付くままに書いてしまいました。

皆様、よいお年をお迎えください。

皆が幸せな1年になりますように。

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お盆はいつですか?  [2008年07月16日(水) ]
関東地方も、そろそろ梅雨明けらしい、暑い日が続いています

梅雨明けの青い空、早く見たいです。

今は新暦のお盆の時期となりました。(本当は今日で終わりですけど)
お盆といえば、一般的には
8月15日を中心に行われ、
お盆休みといえば、やはり
8月15日前後になりますね。

でも、これは日本全国一緒ではなく、地域によって違います。
旧暦7月15日だったのが、新暦以降いくつかのパターンになりました。

@ 7月15日
A 8月15日
B 旧暦7月15日を新暦に置き換えた日(今年は8月15日になります。)
C その他


私の周囲の都市部は7月、
農繁期で忙しい地方は8月になったとか、
薮入り(奉公人が正月と盆に帰省すること)の
風習の関係だとか、その理由は、いくつかの説があるようです。


以前から、代々東京に住んでいる家は7月だと
聞いていたのですが、実際にそうしているという方に、
余りお目にかかったことがないのです。
実のところはどうなんでしょう。と、思っていました。

ちなみに私の家では、私の代で東京に住んでから
三代目になりますが、8月15日にお盆を行っているのですが

そんな中、お世話している
利用者様のお一人のご実家が浅草だというその方は、
小さいころから、お盆といえば、7月。
社会人になって、なんで巷のお盆休みが8月なのか、
不思議だったと話してくれました。
そして、きっと東京は地方出身者が多いから、
皆が田舎に帰省するためなんだ。と、理解していたそうです。
いろんな会社が休みになるんだから、
すごいなぁーと思っていたそうです。
その方にとって、8月のお盆休みは単なる
夏休みでしかありませんね。

今はお盆ということで、お話を聞いた日は、
おめかしをなさっていました。
今日あたりはご家族とお墓参りをされて、
ご実家で送り火をされていることでしょう。

この、お盆の過ごし方は、
今までも同じだし、これからも同じでしょう。
文化も、場所によって違うって事、面白いですね


お盆の由来

それぞれの宗派や日本各地の風習によって違いますが、
一般的にはお盆には先祖の霊が帰ってくると考えられています。
そのご先祖の霊をお迎えして供養するというのが、お盆の行事です。

お盆は、正式には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といいます。
略してお盆というようになったと言われています。
そもそもこの行事は、お釈迦様のお弟子の目蓮尊者が、
餓鬼道に落ち苦しんでいる亡き母様を救おうと、
お釈迦様の教えに従い、夏の修業期間のあける、
7月15日に多くの衆僧に食事を振る舞い供養し、
その功徳によって母様は、極楽往生を遂げることができました。
この故事が盂蘭盆会の始まりと言われています。

その日が7月15日であった事から、この期間に、
ご先祖様の霊を我が家に迎えてご供養を捧げ、
また、仏さまの浄土に送り帰す「盂蘭盆会」の
行事が行われるようになったといわれます。

迎え火・送り火、オガラの火は感傷的になります。

お盆の期間は、毎年の7月13日から16日の4日間です。
いわゆる旧盆は8月13日から16日に行われます。
お盆には、「先祖の霊が帰ってくる際の目印として、
提灯に火を灯して飾る」というのが昔からの風習です。
(提灯ではなく、灯篭を飾る地域もあります)
13日の夕方に迎え火を焚き、ご先祖の霊を迎えます。
そして16日の夕方、送り火を焚き、ご先祖様にお帰り頂きます。

胡瓜の馬と茄子の牛

我が家では、お花と、父の好物の羊羹と豆大福、それと、
胡瓜の馬と茄子の牛を捧げます。
お線香はいつも父が寝る時に焚くと、
ス〜っと眠りに就いたラベンダーのお香です。
胡瓜の馬は来る時は少しでも早く、おいで下さいとの意味で、
茄子の牛はお帰りは、ゆっくり急がずにドウゾの意味です。
ご先祖の霊の乗り物として、用意するのです。

皆様のお盆の過ごし方は、どうなさるのでしょうか

Posted at 22:42  | 日本の季節行事  | この記事のURL
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