「ご飯の大盛りはサービスです」
これ、有名な老舗うなぎ屋さんで見た張り紙です。
どう、感じますか?
外来語と言う言葉が、独り立ちして、それなりの解釈に
なっていくのは良いのですが、「サービス」については、
もう、前から問題ありと思うわけです。
・「こちら、サービスです」→無料
・「これは、サービス特価品です」→儲け無用の激安
・「もっと、サービスしてくださいよ」→もっとマケロよ!
という具合で、サービスという言葉は、まるで、
「相手に対し一方的に奉仕する事」の意で、
日本中に浸透しています。
サービスに対価があるという概念が、
非常に希薄になって当然です。
ほんとうに、日本人は「サービス」を理解していないと
言われても仕方が無いですね。
でも、サービスの意味を真剣に、考え直さなければ
ならない時期に来ていると思います。
こんな経験は、有りませんか。
JRの「みどりの窓口」で、新幹線の切符を買うために
並んでいて、なかなか進まず長い列で順番待ちを
している人が、イライラして怒鳴りだすという光景です。
そして、窓口で今、発券して貰っている人も、
後ろの人に悪いなぁと思う事です。
この事は、実は「サービス」を理解していないし、
日本独自の解釈の結果です。
「サービス」が良く理解されている国では、
こんな事有り得ないそうです。
どうしてかというと、今、窓口で切符を買うために
係員と話しをしている人は、「現在サービスを受けている」
という、認識があるからです。
窓口の人との、やりとりは「自分の料金に含まれており、
十分なサービスを受けるのは当然」という、気持ちが
本人にも、後ろの人にも有るからです。
ですから、時間をかけて切符を買っている人に
文句をいう人は少ないんですね。
ただ、明らかに平均以上に時間が掛かれば、
それなりに常識で判断されるでしょう。
どうして、このような独自の解釈が日本に、
定着してしまったかと考えると、
日本は「モノ作りの国」ですから、モノ以外に対価を
払う感覚が薄いのではないか。
これは、漠然としていますね。
視点を変えてみると、
文化的に日本人が理解できないのは、現代の日本には、
差別や階級が事実上存在しない事が、
理由ではないかと思えます。
→(存在するしないの論議をする事の認識はあります)
この事は「お金を払って何かをして貰う」ということに、
抵抗感があるのですね。
なんだか自分が偉そうで気が引けたり、照れくさかったりします。
「老々介護」の世帯が介護保険を使わない、使いたくないの
気持ちが、ここに現れているのではないでしょうか。
この感覚は、日本の「平等」が根底にあるのでは
ないかと思えます。
人種差別とか階級社会、その是非に言及するつもりは
全く有りませんが、白人と黒人、侵略者と原住民という、
使う側と使われる側という図式が、文化的に染み付いて
いる国では、お金を払って何かをして貰う、ということに、
国民全体が慣れているのだと思います。
日本では、そのような感覚は、お手伝いさんを雇えるような
金持ちや、偉い人?に限定されていて、極、一般的な
庶民レベルでは馴染みが薄いのでしょう。
事実として、日本人のサービスに対する理解の薄さが
この「差別、階級の無さ」「人を使う事に対する無頓着さ」
「サービス=無料、という認識」などの思想につながって
いるんじゃないでしょうか。
ですから、極端かもしれませんが、
介護保険、年金問題にしても国、政府、役人が、もともと、
サービスの意味を理解していないし、理解しようとしないことから、
起きてきた事だと言えないでしょうか。
また、給食費を払わない、理不尽な要求をする
親などが出てくるのでしょう。
「サービス」の新しい意味として学問的に、
「相手の立場に立って、相手の求める所を尊重する。
すなわち、お客本位で、サービスする事」であると、
定義付けられるようになってきました。
現代では、価値観も、どんどん変化するので
「サービス」の意義も内容も、変化していくのでしょう。
人は、それに追いついていけないようですが!
これ、有名な老舗うなぎ屋さんで見た張り紙です。
どう、感じますか?
外来語と言う言葉が、独り立ちして、それなりの解釈に
なっていくのは良いのですが、「サービス」については、
もう、前から問題ありと思うわけです。
・「こちら、サービスです」→無料
・「これは、サービス特価品です」→儲け無用の激安
・「もっと、サービスしてくださいよ」→もっとマケロよ!
という具合で、サービスという言葉は、まるで、
「相手に対し一方的に奉仕する事」の意で、
日本中に浸透しています。
サービスに対価があるという概念が、
非常に希薄になって当然です。
ほんとうに、日本人は「サービス」を理解していないと
言われても仕方が無いですね。
でも、サービスの意味を真剣に、考え直さなければ
ならない時期に来ていると思います。
こんな経験は、有りませんか。
JRの「みどりの窓口」で、新幹線の切符を買うために
並んでいて、なかなか進まず長い列で順番待ちを
している人が、イライラして怒鳴りだすという光景です。
そして、窓口で今、発券して貰っている人も、
後ろの人に悪いなぁと思う事です。
この事は、実は「サービス」を理解していないし、
日本独自の解釈の結果です。
「サービス」が良く理解されている国では、
こんな事有り得ないそうです。
どうしてかというと、今、窓口で切符を買うために
係員と話しをしている人は、「現在サービスを受けている」
という、認識があるからです。
窓口の人との、やりとりは「自分の料金に含まれており、
十分なサービスを受けるのは当然」という、気持ちが
本人にも、後ろの人にも有るからです。
ですから、時間をかけて切符を買っている人に
文句をいう人は少ないんですね。
ただ、明らかに平均以上に時間が掛かれば、
それなりに常識で判断されるでしょう。
どうして、このような独自の解釈が日本に、
定着してしまったかと考えると、
日本は「モノ作りの国」ですから、モノ以外に対価を
払う感覚が薄いのではないか。
これは、漠然としていますね。
視点を変えてみると、
文化的に日本人が理解できないのは、現代の日本には、
差別や階級が事実上存在しない事が、
理由ではないかと思えます。
→(存在するしないの論議をする事の認識はあります)
この事は「お金を払って何かをして貰う」ということに、
抵抗感があるのですね。
なんだか自分が偉そうで気が引けたり、照れくさかったりします。
「老々介護」の世帯が介護保険を使わない、使いたくないの
気持ちが、ここに現れているのではないでしょうか。
この感覚は、日本の「平等」が根底にあるのでは
ないかと思えます。
人種差別とか階級社会、その是非に言及するつもりは
全く有りませんが、白人と黒人、侵略者と原住民という、
使う側と使われる側という図式が、文化的に染み付いて
いる国では、お金を払って何かをして貰う、ということに、
国民全体が慣れているのだと思います。
日本では、そのような感覚は、お手伝いさんを雇えるような
金持ちや、偉い人?に限定されていて、極、一般的な
庶民レベルでは馴染みが薄いのでしょう。
事実として、日本人のサービスに対する理解の薄さが
この「差別、階級の無さ」「人を使う事に対する無頓着さ」
「サービス=無料、という認識」などの思想につながって
いるんじゃないでしょうか。
ですから、極端かもしれませんが、
介護保険、年金問題にしても国、政府、役人が、もともと、
サービスの意味を理解していないし、理解しようとしないことから、
起きてきた事だと言えないでしょうか。
また、給食費を払わない、理不尽な要求をする
親などが出てくるのでしょう。
「サービス」の新しい意味として学問的に、
「相手の立場に立って、相手の求める所を尊重する。
すなわち、お客本位で、サービスする事」であると、
定義付けられるようになってきました。
現代では、価値観も、どんどん変化するので
「サービス」の意義も内容も、変化していくのでしょう。
人は、それに追いついていけないようですが!
Posted
at 02:12
| 介護
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コメント(11)
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子鹿さま、いつも有り難うございます。
ミルフィーユさま、コメント有り難う御座います。
This waiter gives good (poor) service. の場合のserviceは客扱いの良し悪しを言っているのであって、客は受けたサービスに対してチップを置きますので無償ではありませんね。
勤め、勤務、業務とか公共事業(postal service), 奉仕、部局、兵役などを表すにも使われますね。
serviceには日本で使われる「おまけ」「値引き」の意味はありませんが、似たような外来語は他にも沢山あり、日本人同士のコミニュケーションに支障がないのであればserviceではなく「サービス」という日本語として使うのはあながち間違いではない、と思いますが如何でしょうか?