シニア向けコミュニティ STAGE ステージ
50歳未満お断り! 紳士と淑女の知的コミュニティ (シニア向けコミュニティ STAGE ステージ) http://www.stage007.com

団塊・だんかい・ダンカイと後から後から、寄せる波を、どう言う訳か十羽一絡げで、世間は見たがるのです。皆、自分ラシク生きて行こうと、思いながら人生をやってきたのです。60歳になって後ろを見たら、本当に色々なモノが観えます。前を見たら、自分を見ながら、そんなこんなで気侭にやって行こうと思うばかりです。気侭な親父に気楽にお付き合い下さい。*カネオア マクレ:ハワイ語で、気侭なオジンの事。

プロフィール
<< 2008年08月 >>
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
最新コメント
最新トラックバック
リンク集
団塊世代(男介世代)の事 その2 [2008年05月18日(日) ]
前回に続いて「男性の介護」について、自分の経験も
交えて書かせていただきます。

いまや在宅での家族介護の担い手は、
四人に一人が男性という時代になりました。
しかし、キビシイ現状として高齢者虐待の全国調査によると、
1万2千件以上の被害のうち、虐待者の半数以上が男性で、
これは女性の3倍。

これはどうして起きてしまうのか?

大部分の男性の場合、仕事のようにキッチリやろうとしたり、
人に頼るのに抵抗感を持っている人が多いのです。
さらに、介護も家事も慣れていないために、
ストレスがたまるんですね。

私の場合は、父親の介護期間が8年間も経験していたので、
この点はパスできました。

どうしても、男性は下着や化粧品を買うのにも戸惑います。
まして、排泄や入浴の世話、認知症への対応、
仕事との両立、それにストレス、不眠、
そして、まさか自分が介護するとは思わなかったなど、
様々な悩みが出てきます。
それが重なってくると、先が見えずに投げやりになる事もあります。


             近所の公園に咲くマロニエの花(トチノ木)

私の場合は、どうしても、家に中が暗くなりますから、
努めて明るく振舞います。
母親に苛立つときには、逆にあえて優しい言葉を掛けるように、
しています。すると、母親から感謝の言葉が返ってきます。
母親にも付き合いや趣味などの生活がありますが、
最低月に一回は、母親と一緒に外食したり、ドライブ、美術館見学など、
外出を心がけています。そういうやりとりの中で気分を鎮めたり、
落ち着けたりしましたから、虐待を防げたのかもしれません。
また、長年お世話になっているケアマネ、ヘルパー、民生委員の
方たちの周囲の助けが大きい存在です。
また、最近は「男性介護の会」や勉強会、ブログやウェブサイトなど、
様々な形で少しずつ男性介護者の援助体制が出来てきています。


男性は、中々本音が出せないですが、こういう「上手に逃げる場所」を、
利用して苦労を語り合って「辛いのは自分だけじゃない」と判ったり、
本音を吐き出してスッキリしたりする事で、元気になれるのです。
近場でこうした会があったら、勇気を出して参加をオススメします。
黙って聞いているだけだっていいんです。
介護に役立つ技術や工夫も仕入れられますからね。

最後に、ポイントをまとめてみます。

1.仲間をつくること。
2.出来ない事は周囲に頼ること。
3.自分自身の時間を持つこと。
4.自分の老いも自覚し、健康を守ること。
5.介護には完璧はありません。


私は、現在有料老人ホームに、非常勤で週に3〜4日、
勤務させていただいています。
ここでの経験が、とても助かっています。

こんな内容でも、皆様のご参考になれば幸いです。

Posted at 14:49 | 介護 | この記事のURL
コメント(3) | トラックバック(0)

団塊世代(男介世代)の事 その1 [2008年05月11日(日) ]
ナガラク、ご無沙汰しておりました。
仕事の事、プライベートの事、色々有りまして、
更新できませんでした。
何とか、落ち着いてまいりましたので、
ぼちぼちと参らせていただきます。

さて、久しぶりのブログですが、やはり、身近な問題である、
介護について書かせていただきます。

もう、一般的になっております「男介世代」についてです。
ご想像の通り、男の介護です。
駄洒落的に、使っているらしいのですが、中々ぴったりと来ます。

高度成長期を、仕事一筋にやってきて、
バブル崩壊とかリストラなんかの
波風を受けて、やっと定年。
そして、何も無ければ、生活のステージを、
会社から家庭、地域へと切り替えるハズだった!

しかし、少子高齢化が進み、親の介護が突然、
降りかかってきてしまった。
どうしたら良いか?
頼みの奥さんは、実家の親に付きっ切り、
そしたら、自分の親は、自分が見なければならない。

「介護は、男がやっても出来るじゃないの、カッコ悪くないよ。」
だけど、仕事しかやってこなかった、お父さんは、
パニックになるのは、目に見えている。
とりあえず、家事の一つずつ、こなしていく事が第一となる。
それでも、当初の決意と意欲を持って取り組んでも、
維持し続けるのは難しい。

ビジネスの百戦錬磨の同士でも、
「男介の世代」にシフトした途端に、勝手の違いを、
痛感させられることが多いでしょう。
周囲で見ているだけでなく、「男介の世代」への
支援プログラムを本気で考える時に来ている。

少し前に、「亭主の代わりは無いけれど、市長の代わりはある」
として、妻の介護のために、職を辞した市長も居りました。が、
高齢者が高齢者を介護する「老々介護」のケースは、
珍しくも今はありません。

              庭に咲く、ライラック


また、数年前の新潟の地震では、住民の普段から
地域内のお年寄りの事を気にかけ、
被害のときも、真っ先に安否を気に掛け、
真っ先に安否を確認し助け出したというケースがありました。

小さな親切や、お節介は大きなお世話であり、迷惑だとして、
敬遠したり、他人のことに無関心な風潮がありますが、
地域ぐるみで高齢者を気遣う心配りが必要です。


安心できる世の中は、
人と人との関わり合いが有ってこそです。
目に映る高齢者の姿は、
明日の自分の姿でもあります。


(この項、続く)

Posted at 15:50 | 介護 | この記事のURL
コメント(9) | トラックバック(0)

今年を振り返って [2007年12月30日(日) ]
皆様、お元気でお過ごしでしょうか
私も元気で忙しい日々を送っておりました。
2ヶ月ぶりの更新です。
介護の仕事に入って8ヶ月、最近は利用者様のお世話だけでなく、
ケアプラン、心理的なケア、アクティビィティー(レクリエーション)などの
プラン、実行等も業務の中に入り多忙を極めております。
合わせて、ヘルパー研修仲間の方々との行動も多くなり、
ブログの更新も侭なりませんでした。
コメントを頂きながら、お返事も出来なくて恐縮しております。

今年も押し詰まりヨウヤク、この一年間を振り返る余裕が出来ました。
何とかこれからの人生に進むべき方向が、見えて参りました。
そんな気持ちを、来年の事を考えながら纏めました。


思いに応えるために・・・

人は皆、キラキラと輝いてこの世に生まれてきました。
家族を初め周囲の人々に祝福され、見守られ、
多くの人が幸せな時間を過ごした事と思います。
生まれてからの数年間と同様、晩年の数年間も人生の中で、
大切な時間であり、その期間をいかに過したかによって、
その方自身の人生の評価が決まると、言ってもいいでしょう。

そして、その大切な時間を私達は託され、
利用者の方々と共に過しています。

若くて元気な頃から、晩年は介護施設で生活するという事を、
考えて生きてこられた方は、あまりいないと思います。
しかし近年、高齢化がどんどん進み、
介護保険がスタートした事から、
他の介護サービスと同様、一般の方が
介護施設についての情報に触れる機会も増えてきました。

そして家族の介護負担が増す中で、
介護サービス付きの入居施設も格段に増え、
そこで生活する要介護高齢者も増えてきました。

実際の介護現場では、多くのスタッフが利用者一人ひとりの
生活の現状に真剣に向き合い、その方の喜びや楽しみ、
生きがいのために全力で頑張っています。

「あなたが要介護者になったとしたら、どのような生活を望みますか?」
といったテーマでグループワークすると、
「自由にさせて欲しい」「ほっといて欲しい」
という意見が必ず出されます。
他人に自分のことを決められるのではなく、
自分のことは自分で決めたいという
当たり前の要望ですが、かなりの割合で出されます。

加齢による身体能力の低下や機能の喪失などによって、
私達は自分の意思決定そのものも難しくなり、
認知症などの疾病によって意思決定そのものも、
難しくなっていきますが、それでも、
自分の事は自分で決めたいと思うのです。

いつも思うのは、果たして私達は、
このような思いに応えられているのかと、いう事です。
どんな状態になっても、生きている喜びを
持ってもらえているのでしょうか。
ちゃんとコミニュケーションを取っているのでしょうか。

その方の人生を素晴らしいものにするのか、
あるいはとんでもないものにするのか、
私達に掛かっているのではないのか、
こんな考えが、頭によぎります。
と言っても特別に肩肘を張るつもりは無いのですが、

そしていつも思うのは、
その方をよく見て、よく知り、そして好きになって、
その方の生活にソット寄り添うスタンスで、
ゆっくりとお付き合いしたい。
という事です。

来年も、この想いで行きたいと考えるのです。


長くなってしまいましたが、最期までお読み頂き有り難うございました。
来年も頻繁な更新は無理ですが、できるだけ、皆様とのお付き合いを
続けたい気持ちは変わりませんので、宜しくお願い致します。

最期に、来年が皆さまにとって
より良き年になりますよう、
お祈り申し上げます。

Posted at 13:03 | 介護 | この記事のURL
コメント(6) | トラックバック(0)

介護と看護 [2007年09月17日(月) ]
介護の現場に入ってみて、
改めて看護とは何かを考えるきっかけになりました。

介護という言葉が使われるようになったのは、
ここ20年ぐらいの事です。
それまでは看護で全てをカバーしていました。
そのために、当時から言葉の意味する所は、
それとなく伝わっていながら、漠然としていました。
国会などでも議論されたのですが、結論は出ていません。
かえって医療や福祉の現場を混乱さえる原因になっています。
介護と看護は確かに重複する部分があります。
そして両者は専門家で無い家族や身近な人による
日常的な生活の営みとも重複しています。
例えば、食事や入浴の介助、歩行の手助けなどは
介護や看護のプロでも無くても誰もがしています。
合わせて看護や介護の専門性とはなんなのか、
その点もあいまいです。


日常生活援助という点で、介護も看護も援助としては
同じことを行います。
しかし、その根底にある思想は大きく異なっています。
現在、理想の上では両者の差は無くなりつつ有りますが、
現状として大きな違いを感じています。

どうしてかと言うと、こんな話しを聞いたからです。
特養(特別養護老人ホーム)では、必要に応じて利用者を
一般の病院に入院させる事があります。
そんな時、これまでなかったジョクソウ(床ずれ)が
できて帰ってくる場合がよくあるというのです。

なぜなのか?
ここに看護と介護の根本的な思想の違いが
あるように思えたのです。

介護はあくまで日常生活援助です。
施設であっても利用者にとっては「家」と同じで、
何より利用者の思いや安楽が優先されています。
病院での看護は、近年見直されていても、
やはり「療養上の世話」が基本なので、
利用者の安楽を考えながらも治療が優先されます。
つまり、基本的に「治療」と利用者の「安楽」を天秤に掛けて、
安楽が二の次になっているのではないでしょうか。

病院では苦痛を伴う行為が必要上行われています。
これは看護の視点から致し方ないこととはいえ、
介護の視点ではありえない事なのかもしれません。
看護者がより専門的な視点で利用者を見るのはよい事であっても、
その裏には「ある程度の苦痛は致し方ない」という
前提が隠れているように思えます。

それに対して介護では、
家族に近い同じ目線で利用者を見詰めています。
看護も介護も利用者の立場を考えるという共通項が
あるように感じますが、様々な違いが有るのは、
そんな基本的な姿勢に関係するのではと考えさせられました。
看護の視点は大切ですが、
利用者の思いを受け止める介護の視点も
考えに入れていく必要があると思います。
続きを読む...

Posted at 12:33 | 介護 | この記事のURL
コメント(15) | トラックバック(0)

今の生活を考える [2007年09月01日(土) ]
介護の仕事をはじめて4ヶ月経ちました。もう新人とは見て貰えません。
初めの頃は早出、日勤業務の流れを覚えるのに必死でした。
今は、担当の利用者様が居るし、アクティビティサークルにも参加しています。
施設での介護の仕事は、利用者様の直接的な介護が中心かと思っていましたが、担当階の会議、ケアプラン会議、担当業務会議などへの参加も仕事となっています。また、日常の記録も大きな仕事です。
こんな新しい生活が始まり改めて、「生活」って考えると判っているようで、
考えているようで実は、自分自身がその内容を「よく理解している」とは
いえないのではと、思いました。
そんな生活概念を考える切り口としては、人、場所、時間、心、など
多くあるように思います。直ぐに思いついた「時間」を基に、今の生活を考えてみました。

自分の生活を考えると、
ハードでは住まいとしての「自宅・家」が有り、仕事のための空間として「施設」が有り、買い物やリフレッシュなどをする空間として「店」がある。
自分はそれらの空間や時間を区切って移動し、何らかの影響を周囲に与え、逆に周囲から影響されながら時間が流れていく。
ソフトでは、「住まい・家」「施設」「店」の各々に別な人が居て、
その各々で自分は別の自分となって、あるいは同じ自分を通じて人々と接し、時間が過ぎてゆく。誰一人ととして自分と同じ時間を同じハード、ソフトで経過している人はいない。また、誰一人自分がその瞬間、何を考え何を感じたかを理解し判っている人は居ない。
最終的には、どんな人も生活と言う時間経過の中では一人である。

人は一人である事に不安を感じるために誰かと接し、その瞬間も共有する事で自分は一人でないことを実感しようとする。自分のことを話し、相手の話しを聞き、喜び、怒り、哀れみ、楽しむ。その連続が生活であり、大きくは人生なのだと考える。自分と話す相手は、自分とは異なる時間の中に身をおき、自分とは異なる経験をしたかけがえのない「一人」である。だから「尊敬」も生まれ、その話しを聞くことが楽しみにも通じる。この一つの体験を通じ、人は社会とのかかわりを実感し、社会的存在としての自分の「身の置き所」を得る事になる。

続きを読む...

Posted at 14:39 | 介護 | この記事のURL
コメント(10) | トラックバック(0)

「ご飯の大盛りはサービスです」 [2007年06月20日(水) ]
「ご飯の大盛りはサービスです」

これ、有名な老舗うなぎ屋さんで見た張り紙です。

どう、感じますか?

外来語と言う言葉が、独り立ちして、それなりの解釈に
なっていくのは良いのですが、「サービス」については、
もう、前から問題ありと思うわけです。

・「こちら、サービスです」→無料

・「これは、サービス特価品です」→儲け無用の激安

・「もっと、サービスしてくださいよ」→もっとマケロよ!

という具合で、サービスという言葉は、まるで、
「相手に対し一方的に奉仕する事」の意で、
日本中に浸透しています。
サービスに対価があるという概念が、
非常に希薄になって当然です。
ほんとうに、日本人は「サービス」を理解していないと
言われても仕方が無いですね。

でも、サービスの意味を真剣に、考え直さなければ
ならない時期に来ていると思います。

こんな経験は、有りませんか。

JRの「みどりの窓口」で、新幹線の切符を買うために
並んでいて、なかなか進まず長い列で順番待ちを
している人が、イライラして怒鳴りだすという光景です。
そして、窓口で今、発券して貰っている人も、
後ろの人に悪いなぁと思う事です。

この事は、実は「サービス」を理解していないし、
日本独自の解釈の結果です。

「サービス」が良く理解されている国では、
こんな事有り得ないそうです。
どうしてかというと、今、窓口で切符を買うために
係員と話しをしている人は、「現在サービスを受けている」
という、認識があるからです。
窓口の人との、やりとりは「自分の料金に含まれており、
十分なサービスを受けるのは当然」という、気持ちが
本人にも、後ろの人にも有るからです。
ですから、時間をかけて切符を買っている人に
文句をいう人は少ないんですね。
ただ、明らかに平均以上に時間が掛かれば、
それなりに常識で判断されるでしょう。

どうして、このような独自の解釈が日本に、
定着してしまったかと考えると、

日本は「モノ作りの国」ですから、モノ以外に対価を
払う感覚が薄いのではないか。
これは、漠然としていますね。

視点を変えてみると、
文化的に日本人が理解できないのは、現代の日本には、
差別や階級が事実上存在しない事が、
理由ではないかと思えます。
→(存在するしないの論議をする事の認識はあります)

この事は「お金を払って何かをして貰う」ということに、
抵抗感があるのですね。
なんだか自分が偉そうで気が引けたり、照れくさかったりします。

「老々介護」の世帯が介護保険を使わない、使いたくないの
気持ちが、ここに現れているのではないでしょうか。
この感覚は、日本の「平等」が根底にあるのでは
ないかと思えます。

人種差別とか階級社会、その是非に言及するつもりは
全く有りませんが、白人と黒人、侵略者と原住民という、
使う側と使われる側という図式が、文化的に染み付いて
いる国では、お金を払って何かをして貰う、ということに、
国民全体が慣れているのだと思います。

日本では、そのような感覚は、お手伝いさんを雇えるような
金持ちや、偉い人?に限定されていて、極、一般的な
庶民レベルでは馴染みが薄いのでしょう。
事実として、日本人のサービスに対する理解の薄さが
この「差別、階級の無さ」「人を使う事に対する無頓着さ」
「サービス=無料、という認識」などの思想につながって
いるんじゃないでしょうか。

ですから、極端かもしれませんが、
介護保険、年金問題にしても国、政府、役人が、もともと、
サービスの意味を理解していないし、理解しようとしないことから、
起きてきた事だと言えないでしょうか。
また、給食費を払わない、理不尽な要求をする
親などが出てくるのでしょう。

「サービス」の新しい意味として学問的に、
「相手の立場に立って、相手の求める所を尊重する。
すなわち、お客本位で、サービスする事」であると、
定義付けられるようになってきました。
現代では、価値観も、どんどん変化するので
「サービス」の意義も内容も、変化していくのでしょう。
人は、それに追いついていけないようですが!

Posted at 02:12 | 介護 | この記事のURL
コメント(11) | トラックバック(0)

介護サービス [2007年06月07日(木) ]
今回は介護保険のサービスについて、基本的な考え方を少し書いてみます。
STAGEに参加されておられる方達は、元気に多方面に活躍されておられるので、直ぐに介護保険を利用される方は少ないと思います。しかし、身近になったときに、直ぐ行動起こしてもサービスを利用できるまで、結構時間と手続きに手間が掛かります。(手続きなどについては、自治体の窓口・老人福祉、高齢者福祉・に詳細な手引きが用意されていますので、機会が有ったら手に入れられる事をお勧めします。)

介護はサービス業なのです。介護保険は「受益者負担」を基本としています。
これは、利用者がサービスを利用すると、サービスに対する対価を支払うということです。サービス料金の一割です。(介護保険で9割補填します)
利用者の所得額は関係有りません。(生活保護所帯は負担軽減処置が有ります)
ですから、介護保険で定められたサービスと業者を選択して利用することになります。
ただし、利用者の身体、環境によって、7段階に利用できるランクが決められており、それぞれのランクで毎月の利用金額の上限以内でしか介護保険は利用できません。オーバーするサービスは利用者が実費負担することになります。(通常は介護保険内で収まるようにしています)
 
サービス内容と上限金額とのバランスを考え、業者と利用者との間をコーデネイトするのが、ケアマネージャーです。利用者の状況に応じたケアプランを立案してくれます。
利用者は希望するサービスや業者へのクレームなどは、ケアマネージャーに言って改善などをして貰うことになります。

介護サービスは、自宅か施設のどちらかで利用することになります
どちらにするかは利用者の状況によって決めます。
自宅で介護を利用することを「居宅介護」といいます。(施設介護は別の機会に書きます)ここで活躍するのが、ホームヘルパーさんです。調理や洗濯・掃除を生活介護、排泄や入浴など利用者の身辺に関わる事を身体介護といいます。
勘違いされてトラブルになるのが、ヘルパーさんは家政婦とは違います。
介護保険では、生活介護、身体介護それぞれ出来ることと出来ないことが、ハッキリと決められています。ですから、ついでに草取りをしてくださいなどは、やりたくても出来ないのです。(詳細は、また説明します)
大事なのは、介護保険の考え方として、利用者が自立できるように手助けをするということです。利用者が出来ることは出来るだけやって頂き、何でもかんでも、介護する側の都合でしてしまうのは介護ではないということです。この違いを忘れると、勘違いやトラブルの元になるので、しっかりと認識して利用することです。

介護する側から言うと、相手がこうして欲しいと思った時に初めて、やらせていただける。それが本来の介護の意味です。基本となる理念は自分が、されれば嫌な事はしないという事です。

長くなりましたが、介護保険のサービスの意味など少しは理解していただければ、幸いです。
続きを読む...

Posted at 00:56 | 介護 | この記事のURL
コメント(10) | トラックバック(0)