普度勝会という名の行事が18日〜19日(前後各1日に準備と整理日がある)京都府宇治市の黄檗宗の総本山「万福寺」において開催された。
この普度勝会という行事は本来道教の祭事である。古くは中国の南方地方で広く行われていた行事である。普度とはあまねく広く、済度するということで、わかりやすく言えば仏教の施餓鬼供養と同種の行事である。
普度勝会は本来「普度会」というのだが、間に「勝」の字を入れてあるのは、成功を祈願するという意味である。
現在中国のおおくの仏教寺院でも普度会は行われているにはいるが、この万福寺で催されている行事とは形式がかなり違うようである。
この万福寺で行われている普度勝会は古くから日本在住の福建省福清地方出身の華僑が明治時代から長崎の同じ黄檗宗の寺院である崇福寺で執り行ってきたものである。本来道教の祭事である普度勝会が仏教寺院である崇福寺で行われてきたのか?それは黄檗宗の開祖「隠元禅師」が福建省福清地方の出身であったことから、故郷の習俗からくる催事を他の宗教形式で行うことを認めたと推測される。
福清地方出身者の多くは日本に移住してきた初期には「かつぎ呉服の行商」で生計をたてていた。そのため彼らの多くは日本各地に散在している。そこで年に一度の普度会にきて、情報交換・金品を融通さらには子弟の婚姻など福清地方出身者のコミニュニティの重要な拠点となってきた。しかし彼らが常に長崎まで赴くことはかなりの労力と財力もいるので戦前に京都府宇治市の黄檗宗の総本山「万福寺」が日本の中で中心に位置し、かつ呉服商にとって重要な都市であることから、ここでも同様に執り行えるよう便宜を図ってもらったのである。
現在は長崎の崇福寺・神戸の関帝廟そしてこの京都府宇治市の黄檗宗の総本山「万福寺」と3か所で開催日時は異なるが、それぞれの地区の福建省福清地方出身の華僑が中心になって執り行っている。この京都で行われる普度勝会がいまでは最も規模が大きく、参拝者も多い。
私自身は全く信仰心のない無神論者である。そのためここで線香の一本も上げたことはない。ただ会の主催者にはお気持ちだけの「寄付」はしてきた。この普度勝会には45年前の大学一年のころからボランティアでお手伝いに不定期ではあるが、時間の許す限り華僑の福祉と思って通っている。
今回のボランティアたちの年齢も非常に高く、平均は60歳を超えているだろう。こうした伝統行事も主催者の高齢化。後継者不足など将来の存続できるかその見通しは暗いと思う。