色は匂へど 散りぬるを −−− (諸行無常)
我が世誰ぞ 常ならむ  −−− (是生滅法)
有為の奥山 今日越えて −−− (生滅滅已)
浅き夢見じ 酔ひもせず −−− (寂滅為楽)

プロフィール
<< 2010年03月 >>
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

最新コメント
最新トラックバック
名前が欲しい  [2010年03月14日(日) ]
 我が故郷の山、皿倉山の七合目付近、
車も通れる一般登山道、その道路(下)を良く見ると、
何やら由緒ありそうな、立派な古い石橋が見える。

今の時期なら、ご覧のように良く見えるが、
これから若葉が吹き出し、夏になると生茂るので、
意識して見て、チラッと見える程度です。


登山者も自分が、橋(?)の上を歩いている、
と気付く人は、まずいないだろう。
地元の人でも、この橋の存在を知ってる人は少ない。

それは、橋としての名前が付いたプレート類が、
何処にも見当たらないからです。




何故だろう?
国土交通省では、どんな小さな橋でも名前を付けているそうだ。
それが無いと言うことは、この石橋は橋ではない?

帆柱ビジターセンターで係りの人に尋ねたら、
  この石橋には、名前は無いとのこと。
  しいて言えば、「皿倉(山)の石橋」、
  戦時中、皿倉山の山頂に高射砲や軍事機材を上げるのに、
  その重量に耐えられる様に、登山道を補強した時、
  造ったのだろう。
こんな答えが返ってきた。



だから、これは橋ではなく補強道の一部?
軍事機密なのだろうか、関係資料は一切残って無いらしい。

今からでも遅くは無い、ちゃんと名前を付けて(公募がいい)、
そして、この橋が出来た経緯を書いた看板も作って立てれば、
有名になること間違いなし。なのだがなぁ!

  何々、国交省の認定がないと橋とは云えない?
  そんなの、全く関係ないだろう。

最近、下に降りられる階段も付けられた。
やっと少し、世間から注目されるようになった様な気がする。

ここを通る度に、 「わたしに名前を付けて下さい。」
と、訴えている様な気がしてならない。
早く名前を付けて、日のあたる場所に出して遣りたいのだが、。

Posted at 08:05  | 郷土  | この記事のURL
コメント(12)  | トラックバック(0)

雪の鷹見神社  [2010年03月11日(木) ]
昨日は朝から、雪・ゆき・ユキ、3月の雪は何年ぶりだろう?

最近のことは、直ぐ忘れるので分からないが、
40数年前、高校を卒業した年、3月1日の卒業式の数日後に、
大雪が降ったのを覚えています。

昔のことを良く覚えていて、最近のことは直ぐ忘れる。
認知症の初期症状だと言う。 危ないなあ?

午後3時前、少しおさまったので徘徊(鷹見神社コース)に、
出かけた。
鷹見神社は、前回の記事に載せているので、
説明抜きで3月の雪をご覧下さい。
前回は、無かった本殿へ向かう参道です。

Posted at 07:22  | 日記【日々の出来事】  | この記事のURL
コメント(18)  | トラックバック(0)

桜はまだかいな?  [2010年03月08日(月) ]
梅は、殆んど散ってしまったのに、
寒の戻りでしょうか、ここ2、3日寒いです。
水曜日の予報に、雪のマークが、

昨日、ちょっと寒かったが、近くの鷹見神社へ徘徊しました。
由緒が書かれた石碑には、
  御祭神は
    伊奘冉尊(いざなみのみこと)
    速玉男命(はやたまのおのみこと)
    事解男命(ことさかのおのみこと)
  慶雲2年(705年)、役小角が熊野三山の神を勧請し
  鷹見大権現を創祀し、遠賀川十ヶ村の鎮守として
  祀られました。

と書かれていました。 古くて由緒ある神社です。

最近はこのコースが多いです。  
家から、ぐるっと廻って1時間コース。

鳥居の横の桜は、確実に蕾を付けていました。
そして、土筆も、
数も少なく、採るには忍びがたき、カメラに収めました。


もうすぐ、桜も咲いて春爛漫になります。
ここの桜は、綺麗ですよ。

待ちきれない方のために、去年ので我慢を!
えっ、秋の紅葉も?
それなら、春夏秋冬まとめて、どうぞ!
(1年間の徘徊の結晶です。)

【今日のおまけ】
これは、私の日別アクセス数です。
いつもは100前後、多い日でも200前後です。
最近の或る日、2000近くまで上がっていた。
誰かさんの説によれば、内閣情報局が色々調査しているらしい?
(とうとう、シニアコムと同様に危険人物に認定されたのか?)
ひょっとして、CIA、いやKCIA、はたやロシアFSBの仕業かもしれない。

Posted at 08:25  | 日記【日々の出来事】  | この記事のURL
コメント(18)  | トラックバック(0)

かね懸けの松  [2010年03月05日(金) ]
 前回アップした立場茶屋・銀杏屋(いちょうや)より約1里、
黒崎宿寄りに、「かね懸けの松」があります。(旧長崎街道筋です)
なんと、我が家のすぐ近くでした。

ここは「菅原神社」勿論、菅原道真公をお祀りしています。
別名、「涼天満宮」と呼ばれています。

「涼天満宮」と呼ばれている謂われと「かね懸けの松」のことを、
説明した看板がりました。
以下がその写しです。

涼天満宮(すずみてんまんぐう)
 この神社は、菅原道真公をお祀りしている
「菅原神社」です。
前の道路は旧長崎街道で、境内にあった大松
の下で旅人が休息したので、この松は「夢想の
松」、「涼み松」と呼ばれ、いつしか神社も
「涼天満宮」と呼ばれるようになりました。
 今では松の木も枯れてなくなってしまいまし
たが、次のような言い伝えが残されています。
 江戸時代正徳年間(1711〜1716)のあ
る年、長崎の熊部新治郎という人が所用で京都
に上る途中、ここで休息し、松の枝にお金の入った
荷物を掛けたことを忘れ立ち去ってしまいました。
 翌年新治郎が帰郷の時、再び立ち寄ってみた
ところ、荷物はそのまま残っていました。新治
郎は神のおかげと感謝し、石鳥居を寄進したと
いうことです。それから、この松の木は「かね
懸けの松」と呼ばれるようになりました。
            北九州市教育委員会


この鳥居が熊部新治郎さんが、寄進された石鳥居です



風化が激しく、よく読み取れれません。 それに旧字体で、
(左) 石工 □□□衛□□□
(右)・・・□□□新治郎□□、と書いているのだろうが、
   新冶の前後がよく分からない。



境内(本殿横)に、何代目かの「かね懸けの松」がありました。


郷土・地元の歴史に触れるって好きです。
ここの鳥居は300年近いもので、「かね懸けの松」と同様に、
長崎街道を行き来する人々をずっと見守ってきたと想うと、
これからも大事(大切)にしたいですね。

おまけ  今日の言葉 

Posted at 15:27  | 郷土  | この記事のURL
コメント(14)  | トラックバック(0)

街道筋の雛祭り  [2010年03月02日(火) ]
近くに、旧長崎街道が栄えた頃の「立場茶屋」(たてばちゃや)が
残っています。
立場茶屋とは街道筋の宿場と宿場の間にある休憩所のことです。


旧長崎街道の黒崎宿と木屋瀬宿の間にある立場茶屋が、
この銀杏屋(いちょうや)です。
築100年以上のものを、平成8年市が整備して一般公開
出来るようになりました。

当時は、
この銀杏屋は一般の人は利用できず、所謂お偉いさん専用で、
参勤交代の諸大名をはじめ長崎奉行、巡見使などが、
休憩した所です。


ここの「ひな祭り」も今年で9回目、
期間は、2月20日(土)〜3月14日(日)10時〜16時

 先週、土曜(27日)に、行ってみました。
地域の方々から寄贈された「ひな壇飾り」や、、
ひな壇に彩りを添える「さげもん」や「糸まりの下げ飾り」、
「大小の糸まり」「竹びな」「巨大びな」等々、手作りのひな祭りです。

Posted at 11:25  | 郷土  | この記事のURL
コメント(18)  | トラックバック(0)

今日の日記  [2010年02月25日(木) ]
2月25日(木)
今日も20度を越す陽気、昼からは曇り空。
そんな中、近くを徘徊しました。

道脇に、目に付くのが、オオイヌノフグリとホトケノザ。
もうすっかり春ですね。


梅が満開、10羽近いメジロが蜜を吸っていました。
コンデジじゃズームにしても写らないです。

イチョウの木に止まっていた鳥、もの凄い数でした。
近づいて3倍ズームで、何て言う鳥だろう?

明日は春の嵐になるらしい。怪しげな雲の様子です。
春一番も吹くと言う。


そうそう、我が家のさくら(サクランボ)の開花宣言です。
かの有名な「ほばしら錦」です。
鉢植えですが、結構多くの実が成ります。

Posted at 18:37  | 日記【日々の出来事】  | この記事のURL
コメント(16)  | トラックバック(0)

南蔵院の釈迦涅槃像  [2010年02月21日(日) ]
今年、初めてのウォーキングは、
篠栗四国霊場八十八ヶ所巡りから
実際は19ケ所礼所巡りでしたが、信仰心が無いので、
そんなの、どうでも良かった。
ただ、お目当ては、
ブロンズ製としては世界最大の南蔵院の釈迦涅槃像
宗教心が無くても、ひと目みたいです。

まずはJR篠栗駅からスタート。
前の日は雪が降ってたのに、
青空が広がって気温もグングン上がって、少し汗ばむ。。



国道の南側を歩きまして、途中、反対側に見えたのが鳴淵ダムと
JRの筑前山手駅(橋の上にホームがあります)



絶好の場所から見た、南蔵院の釈迦涅槃像



涅槃像の大きさは、全長41m、高さ11m、重さ300トンで、
ブロンズ製としては世界最大です。
どの位の大きさかと言えば、ニューヨークの自由の女神、
ジャンボジェットの胴体と同じくらいの大さだとか。。



ゴールの城戸南蔵院前駅、ホームからも涅槃像が見えました。
約10Kmのコースは、天気も良く清々しい気分で歩けました。

念願の釈迦涅槃像も遠くからと、真近かでも見られたし、
申し分ないウォーキングでした。
今年も、快適に歩けそうです。(♪ ランラ、ラン)

Posted at 08:48  | ウォーキング  | この記事のURL
コメント(24)  | トラックバック(0)

母校の思い出  [2010年02月12日(金) ]
2月の雨は冷たい。
それでも、工事は進んでいた

ここは私が卒業した小学校です。
こと既に遅し、校舎の姿は消えていた。
思い出の場所が消えてしまうなんて、寂しいかぎりです。

廃統合で廃校になり、主がいなくなって4年、とうとうこの日が来ました。




卒業して、もう半世紀以上、
当時の状況を、思い出せと云っても無理だが、
校長先生が、女性だったことは覚えています。
今では当り前かもしれないが、
当時は珍しく、全国で2〜3人だった。と聞いています。

卒業式の時、その校長先生の挨拶で、最後に保護者に向かって、
「6年間、預かっていた大事なお子さんをお返しします。」
と言われたのには、子供心にも吃驚しました。
「えっ、おれ達、学校に預けられていたのか?」

それでかどうか、分からないが、先生達は厳しかった。
女の先生でも、平気で往復ビンタを張っていた。
(今なら大問題になるだろうな?)
昭和20年代〜30年代前半、戦前からの先生も居れば、
戦前教育を受けた戦後採用の先生も、
男女同権・民主教育、今、思えば先生達も迷っていたのでは?
でも、ビシビシやられたのも懐かしい想い出です。

余談、
高校に入って、1年の時の担任が、その校長先生の息子さんでした


昭和30年の学校の周辺(卒業アルバムより)

Posted at 16:25  | 郷土  | この記事のURL
コメント(26)  | トラックバック(0)

魁皇、錦を飾る  [2010年02月07日(日) ]

幕内最多勝新記録達成した大関魁皇関、
出身地の直方(のうがた)市と福岡県から「栄誉賞」が贈られ、
そのの表彰式と記念イベントがありました。


午後1時前に行ってみたら、もう大勢の人だかり。
そして、魁皇関が現れると、われんばかりの歓声と拍手。


福岡県知事、直方市長、後援会長、友綱親方も出席していました。


大相撲初場所3日目、
千代大海に送り投げで勝って、幕内通算808勝、
千代の富士の記録を破って、単独1位になりました。
現在815勝です。

お祝いは、賑やかなのがいい。
紅白餅、5000セットを景気よく!

魁皇 博之(かいおう ひろゆき)37歳
福岡県直方市出身で友綱部屋所属

若・貴兄弟及び曙とともに1988年3月に初土俵。
貴乃花と同い年だが、誕生日は魁皇の方が19日早い。

魁皇関の記録(平成22年1月場所現在) 
通算成績:983勝652敗154休(通算勝利数歴代2位、132場所)
幕内成績:815勝533敗137休(幕内勝利数歴代1位)
幕内在位:99場所(歴代1位)
大関在位:57場所(歴代2位)

去年の年間最多勝は横綱白鵬の86勝(4敗)でしたが、
魁皇は48勝(42敗)です。 これが日本人力士の最高です。
日本人力士、もっと頑張って貰わないと! 情けないです。

魁皇は地元では絶大なる人気です。
2001年10月 JR福北ゆたか線の電化開業で、博多・直方間を
走る特急に、「かいおう」と言う名が付けられました。
「特急かいおう」です。 現在1日2往復しています。

年齢から云って、いつまで続くか分からないが、
今年の九州場所も、元気で迎えて欲しいです。

Posted at 11:13  | イベント  | この記事のURL
コメント(18)  | トラックバック(0)

北九州の言葉  [2010年01月31日(日) ]
 小倉生まれで 玄海育ち 口も荒いが 気も荒い
ご存知、「無法松の一生」です。
”口も荒い”、言葉とは?

北九州市は、小倉を中心とした町ですが、
昔風に言えば、豊前国と筑前国の町が一緒になった町であり、
又、工業都市として各地から、人が集まって出来た町でもあります。
それ故に、北九州の言葉は近くの遠賀川沿い(筑豊)の川筋言葉や、
博多弁とは違う、独特な言葉が生まれています。


 以前、びったれ(無精者)、びびんこ(肩車)を紹介しましたが、
今現在、北九州で良く使われている北九州弁を紹介します。

身近に、北九州出身の人が居たり、
お子さんの伴侶(恋人)が北九州の人だったら、
相手を理解する為にも、「どうぞ、ご参考に!」

1.北九州弁で、一番目立つのが、「〜っちゃっ」と言う言葉。
言葉の語尾に付けて強調する言葉です。
例、「好きっちゃっ」 「違うっちゃっ」

2.「〜やろ」 「〜やん」 「〜やけ 会話の語尾に付けて使う。
訳、「〜でしょう」 「〜だよ」 「〜だから」

3.「なしぃ?」 「なしてぇ? 語尾を上げて、女性が良く使います。
訳、「どうしてなの?」 「なぜ?」

4.「しゃーしぃー」 「せからしい」 男性及び年配の女性が使う
訳、、「うるさい」 「さわがしい」

5.「かてて」「かってて
子供の遊びで良く使います。「仲間にかてて」「仲間にかってて」
訳、「仲間に入れて」、「仲間に加えて」

6.「なおす
母親が子供に向かって「さあ早く、そこのおもちゃ、なおしなさい。」
これは別に、おもちゃが壊れているから、子供に早く修理しなさい。
と言ってるのではなく、
訳、「早く、片付けなさい」と言こと。

7.「なんかかる」 例、「柱になんかかる」
訳、「柱にもたれかかる」

8.「はわく 例、「庭を、(ほうきで)はわく」
訳、「ほうきで掃く」

9.「こまめる」 
訳、「両替する」ことです。

10.「しかぶる 
訳、おしっこの「お漏らし」のことです。

どうでしたか? 
ここに挙げた言葉は、今でも良く使われているものばかりです。
私は北九州の言葉こそ、全国何処でも通用する共通語と思っていた。
それが通じないことが分かった時、軽いカルチャーショックを受けました。


Posted at 19:12  | 雑感  | この記事のURL
コメント(26)  | トラックバック(0)