♪ 人みな花に 酔うときも
残雪恋し 山に入り
涙を流す 山男
雪解(ゆきげ)の水に 春を知る
「坊がつる讃歌」です。
ご存知でしょうか? 知らない方も先に進んで下さい。
写真は平冶岳に登る途中、ピンク色はミヤマキリシマです。(数年前のものです。)
毎年、今の時期になると九重はミヤマキリシマが見頃になります。
いつも、皿倉山ばかり登っている我が腐れ縁の連中も久しぶりに、
ミヤマキリシマ観賞と洒落込んで、九重登山の計画を立てました。
我々が行くのは、法華院、坊がつる、段原、大船山(だいせんざん)、
など等、これらが登場する「坊がつる讃歌」を、思い出しました。
九重を歌ったこの歌、実は替え歌なんです。
元歌(原歌)は広島高等師範(現広島大学)の”山岳部の歌”で、
その内容はよく分かりません。
それはさて置き、「坊がつる讃歌」の誕生は九州大学の学生が
アルバイトで、法華院の「あせび小屋」の小屋番をしていた頃、
長雨が続き、暇を持て余していた彼らは「替え歌でもを作ろう。」
と云うことで出来たのが、この「坊がつる讃歌」です。
(昭和27年の夏です)
私がこの歌を覚えたのは昭和30年代の終わり頃で、
何処で覚えたのか、記憶にないが、山仲間の間(山の会)では、
良く唄われていました。 全国的に有名になったのは
芹洋子さんが唄った昭和53年からです。
NHKの「みんなのうた」、「紅白歌合戦」でも唄われました。
そのきっかけは、
昭和52年夏、芹さんの阿蘇山麓・野外コンサートが終わった夜、
宿舎のテントにギターを持った若者たちが遊びにきて、
みんなでワイワイガヤガヤやっているうちに、若者たちがこの
「坊がつる讃歌」を唄い、芹さんにコンサートで歌ってみたら、
と勧めたそうです。
その年の秋、福岡市で行われたコンサートの最後で、
「 阿蘇で、若い人達から、こんな歌を教わりました。
もし、ご存知の方がおられましたら、一緒に唄って下さい。
♪ひ〜と み〜な は〜なに♪ 」
一小節が唄い終わらないうちに、あちこちから歌声が聞こえ、
やがて大合唱となりました。
これには芹さんも大感激、大変驚かれたそうです。
その後、NHKで唄われるようになり、全国に広まりました。
でもその前に、この歌を広めた第一の功労者は西鉄のバスガイドさん」、だと言われています。
ガイドさんの虎の巻、歌の教本の中に、「坊がつる讃歌」が
載っていて、貸切バスでよく歌われていました。
それとレコード化されていない、勿論、テレビ、ラジオでも唄われた
ことのない歌が若者の間で広まったのは、 ”うたごえ喫茶”や、
当時の青年サークル(青年団)なんかで良く唄われていました。
「幸せなら手をたたこう」、なんかも一般に流行する前から、
よく歌われていました。 ですから、
「坊がつる讃歌」も芹洋子さんが唄う前に、福岡の若者の間では
既に広まっていたので、コンサートでの大合唱も当然だったと思います。
(坊がつる讃歌の誕生に関しては「法華院 EXPRESS vol.013」を参考にしました。)
この写真は数年前、大船山(だいせんざん)の中腹から写したもの
です。中央の三股山は、やまなみハイウエーの長者原から、
見るのとは全く逆で裏側からです。
左端の谷間(下の方)に見える赤い屋根が法華院温泉で、
手前の緑の草原が坊がつる、左の山から噴煙が上がっている
山は硫黄山です。
(処で、九重にいつ行くかって? 6月9、10日を予定しています。)
芹洋子さんが唄っている歌と元歌(以前、九州で歌われていた歌)
とは歌詞も曲も微妙に違っています。
一番は同じですが、二、三、四番の元歌を載せました。
作詞:神尾明正/松本征夫
作曲:竹山仙史
二、 石楠花谷の 三俣山
花を散らして 薮わけて
湯沢に下る 山男
メランコリーを 知るや君
三、 みやまきりしま 咲き誇る
山はピンクに 大船の
段原さまよう 山男
花の情けを 知る者ぞ
四、 四面山なる 坊がつる
夏はキヤンプの 火を囲み
夜空を仰ぐ 山男
無我を悟るは この時ぞ
残雪恋し 山に入り
涙を流す 山男
雪解(ゆきげ)の水に 春を知る
「坊がつる讃歌」です。
ご存知でしょうか? 知らない方も先に進んで下さい。
写真は平冶岳に登る途中、ピンク色はミヤマキリシマです。(数年前のものです。)
毎年、今の時期になると九重はミヤマキリシマが見頃になります。
いつも、皿倉山ばかり登っている我が腐れ縁の連中も久しぶりに、
ミヤマキリシマ観賞と洒落込んで、九重登山の計画を立てました。
我々が行くのは、法華院、坊がつる、段原、大船山(だいせんざん)、
など等、これらが登場する「坊がつる讃歌」を、思い出しました。
九重を歌ったこの歌、実は替え歌なんです。
元歌(原歌)は広島高等師範(現広島大学)の”山岳部の歌”で、
その内容はよく分かりません。
それはさて置き、「坊がつる讃歌」の誕生は九州大学の学生が
アルバイトで、法華院の「あせび小屋」の小屋番をしていた頃、
長雨が続き、暇を持て余していた彼らは「替え歌でもを作ろう。」
と云うことで出来たのが、この「坊がつる讃歌」です。
(昭和27年の夏です)
私がこの歌を覚えたのは昭和30年代の終わり頃で、
何処で覚えたのか、記憶にないが、山仲間の間(山の会)では、
良く唄われていました。 全国的に有名になったのは
芹洋子さんが唄った昭和53年からです。
NHKの「みんなのうた」、「紅白歌合戦」でも唄われました。
そのきっかけは、
昭和52年夏、芹さんの阿蘇山麓・野外コンサートが終わった夜、
宿舎のテントにギターを持った若者たちが遊びにきて、
みんなでワイワイガヤガヤやっているうちに、若者たちがこの
「坊がつる讃歌」を唄い、芹さんにコンサートで歌ってみたら、
と勧めたそうです。
その年の秋、福岡市で行われたコンサートの最後で、
「 阿蘇で、若い人達から、こんな歌を教わりました。
もし、ご存知の方がおられましたら、一緒に唄って下さい。
♪ひ〜と み〜な は〜なに♪ 」
一小節が唄い終わらないうちに、あちこちから歌声が聞こえ、
やがて大合唱となりました。
これには芹さんも大感激、大変驚かれたそうです。
その後、NHKで唄われるようになり、全国に広まりました。
でもその前に、この歌を広めた第一の功労者は西鉄のバスガイドさん」、だと言われています。
ガイドさんの虎の巻、歌の教本の中に、「坊がつる讃歌」が
載っていて、貸切バスでよく歌われていました。
それとレコード化されていない、勿論、テレビ、ラジオでも唄われた
ことのない歌が若者の間で広まったのは、 ”うたごえ喫茶”や、
当時の青年サークル(青年団)なんかで良く唄われていました。
「幸せなら手をたたこう」、なんかも一般に流行する前から、
よく歌われていました。 ですから、
「坊がつる讃歌」も芹洋子さんが唄う前に、福岡の若者の間では
既に広まっていたので、コンサートでの大合唱も当然だったと思います。
(坊がつる讃歌の誕生に関しては「法華院 EXPRESS vol.013」を参考にしました。)
この写真は数年前、大船山(だいせんざん)の中腹から写したもの
です。中央の三股山は、やまなみハイウエーの長者原から、
見るのとは全く逆で裏側からです。
左端の谷間(下の方)に見える赤い屋根が法華院温泉で、
手前の緑の草原が坊がつる、左の山から噴煙が上がっている
山は硫黄山です。
(処で、九重にいつ行くかって? 6月9、10日を予定しています。)
芹洋子さんが唄っている歌と元歌(以前、九州で歌われていた歌)
とは歌詞も曲も微妙に違っています。
一番は同じですが、二、三、四番の元歌を載せました。
作詞:神尾明正/松本征夫
作曲:竹山仙史
二、 石楠花谷の 三俣山
花を散らして 薮わけて
湯沢に下る 山男
メランコリーを 知るや君
三、 みやまきりしま 咲き誇る
山はピンクに 大船の
段原さまよう 山男
花の情けを 知る者ぞ
四、 四面山なる 坊がつる
夏はキヤンプの 火を囲み
夜空を仰ぐ 山男
無我を悟るは この時ぞ
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