シカゴジャズ
アメリカは第1次世界大戦への参戦(1917年)(大正6年)を受けて網紀粛正の気運が高まり公娼制度
廃止に伴って寂れていきました。此処を活動拠点として
多くのミュージシャン達は活動の場を失って、ミシシッピ
ー川を北上してシカゴへと移っていくのです。ジャズの拠
点は次第にシカゴへと替わりながら,ますます栄えていく
のです。1920年代に入るとシカゴには多くのジャズクラ
ブが開かれキング・オリバー、ジェり−・ロール・モートン
それにジャズ史上初の白人バンドを結成したトム・ブラ
ウンらがシカゴ・ジャズの基盤をつくるのです。
そして1920年7月にルイ・アームストロングがシカゴに
やって来てキング・オリバーと共に演奏活動を始め白人
プレーヤーであるジミー・マクポート、バッド・フリーマン,
そしてベニー・グッドマンと言った面々が活躍するにいた
ってシカゴ・ジャズが確固たるスタイルを確立して行くの
です

1920年例の禁酒法が施行され 酒の製造及び販売と運輸が出来なくなりました。なおこの禁酒法では飲料
用アルコールの製造と販売及び運搬などが禁止された
ものの自宅内における飲酒は禁止されてはいません
結局アルコールを隠れて飲ます場所が出来てくるわけ
です。
スピーク・イージーと言う言葉があります。禁酒法時代
にもぐり営業をしていた闇酒場のことで、こっそりと酒
を注文するというのがこの語源だと云われています。
映画「ベニー・グッドマン」のなかでアリスが初めてグ
ッドマンと会う場面でアリスの兄が地下の階段を降り
て小さな覗き穴から中の男に声をかけて入れてもら
いますが、あれがスピーク・イージーです。こうしてお
酒は地下組織のギャング達による莫大な資産となっ
ていくのです。禁酒法時代の末期の1929年のニュ
ーユークには均3万2000軒のスピーク・イージーが
あったと言われています。ニューヨークの高級レスト
ラン・バーとして今も健在の21クラブの地下酒蔵セ
ラーは、当時のスピーク・イージーの超高級店であ
った為現在もこの店はもぐり酒場時代の隠し扉を名
残りとして見ることができるそうです。
このスピーク・イージーのオーナーは大抵はギャン
グが経営しており客にサービスするアトラクションと
してジャズが発達し踊りはチャールストンが流行し、
ラジオが普及し流行歌は勢いずき、映画はサイレン
トからトーキーになり、この時代をロアリング・トウェン
ティ騒々しい20年代と呼ばれました。
1929年(大正4年)10月24日世界大恐慌が起こ
りシカゴでもほとんどのクラブが閉鎖されジャズのメ
インステージも徐々にニューヨークへと移動して行く
ことになります。

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at 17:45
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