アメリカでは1920年にラジオ放送が始まりました。1920年代末には全米の約3分の2の家庭にラジオ受
信機が行き渡りこの普及は、ジャズに大きな影響と変
化をもたらしたのです。(日本での放送開始は、NHKの
愛宕山山頂から電波が出されたのは1925年です。
)ラジオから流れる音楽としてピッタリだったジャズは、
ラジオの普及と比例して全国に広がり、レコード生産
の一般化とも相まって、さらに活況を呈することにな
ります。

ニューオリンズからシカゴへと拠点を」移しつつ、さらにニューヨークやカンザスシティ、そして西海岸へと広
まっていったジャズはラジオ放送だけでなく、劇場やレ
コード吹き込みのために演奏される様になり、いつ演
奏しても同じ演奏が同じ時間で出来る様に、編曲され
たジャズが必要になっていくのです。これが次第にスウ
イング・ミュージックと呼ばれる様になったといわれて
います。又、1920年代のアメリカは第一次世界大戦
に勝利し、好景気に沸いている時代でもありました。

ところが、1929年10時24日の木曜日、俗にいう暗黒の木曜日にニューヨークの株式相場の株価が突
如大暴落し、大恐慌時代へと突入することになるの
です。
アメリカの経済は一気に破綻し、銀行も企業も相次い
で倒産、多くの失業者が街にあふれかえり、自殺者も
かなり出たと言われます。そして、アメリカの不況は
国内だけにとどまらず、全世界へと広まっていくので
す。失業者となったのはジャズ・ミュ^−ジシャンも例
外ではありませんでした。
ジャズで生計を立てることが出来なくなったミュージ
シャンの多くが、転職を余儀なくされ、スターミュージ
シャンさえも仕事を求めてヨーロッパにまで足を延ば
す有様でした。そんな状況はニューディール政策な
どで経済が安定する1930年代前半まで続きまし
た。

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at 14:00
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コメント(4)
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大橋巨泉ーー懐かしい名前が出てきましたね。
そうですね、私がまだ10代後半ですからね。
ラジオが全盛期で、深夜放送に夢中でした。
志摩由紀夫や三国一郎、帆足まり子等のパー
ソナリティー達のMCというかDJに憧れたもの
です。
映画は封切りの日には必ず、早朝割引で入
場し指定席で鑑賞したものです。