EPが出ました
1949年頃かな、進駐軍の払い下げのVディスク等に混じってEPが少しずつ入っていました。秋葉原のジ
ャッンク屋にコネがあったので、やはり払い下げ(戦場用
)のプレイヤーを手に入れて聞いていました。その時、聞
いた音は今でも忘れません。
今までは、レコードに針を落とすとパリパリとかバリバリ
とか言っていたのが、いきなりガンと音楽です。
(専門用語ではS/N比が良いといわれます)
SP時代には考えられないの事なのです。

LP(払い下げ)も時々安く手に入りました。この中にデュク・エリントンやカウント・ベイシィそしてベニイ・グッ
ドマン等のスイング曲に会ったのです。
本格的に日本でEPやLPが動きだしたのは、1956年
以降だと思います。

EPやLPに変わる時色々問題が有ったようです。発案者は長い曲を1枚のレコードに録音するのには回
転を遅くする事を考えたのです。実用化に際し、最初C
BSに話を持って行ったところ、当時レコード界を牛耳っ
ていたRCAがこの方式を拒否したのです。そして今ま
でおこなってきた新方式(SP盤を数枚重ねる)のオート
チエンジャーで連続再生する事を提案したのです。
回転を遅くして録音する方式は採用されこれがEP(Ex
tended Plying)レコードの始まりです。
1949年頃から各社でEPやLPを発売すろようになり、
LPはCBSがオペラ「運命の力」と云うのを初録音した
そうです。

RCAは目黒の雅叙園で1949年で報道関係者にEP盤とオートチェンジャーを公開したそうです。
日本初プレスはLPで1951年でブルーノ・ワルター指
揮、ベートーヴェンの交響曲「第9番」でこれはマスタ
ーをアメリカから取り寄せたものだそうです。
国内初録音初プレス第1号は、日本ヴィクターが出し
たコルトー来日記念の「ショパン ピアノ曲集」だったと
のこと。又EP国内初プレス盤は1951年に出したダイ
ナ・ショワーの「ブルー・カナリー」ですが、マスターは
やはりRCAのものだったとか。
EPの大きな穴はオートチエンジャー用で他社はアダプ
ターかレコードの真ん中に三叉をつけ、オートチエンジ
ャーではその三叉を折るというもの。当時はこのEPを
中心に発展して来ました。
小遣いを貯めて皆んなEPを買った経験があるのでは
ないでしょうか。

私実を言うとP盤アワーに付いては、あまり記憶に無いのです。少しですが調べてみたので書いて見ま
す。
日本放送が1957年春頃スタートをさせました。レコ
ード界はドーナツ盤の発売が軌道に乗り始めていまし
た。ポリドールもこの時期DP1001として、リカルド・
サントス楽団の「ラ・コンパルシータ」をドーナツ盤で発
売しました。
番組で使用しやP盤は1953年戦後復建された日本
グラマフォン社がドイツグラマフォン社から原盤の提供
を受けて製造開始、ポピュラーのSP盤(10吋)をP盤
と名付けて発売したのです。当時グラマフォンの録音
技術は最高で多くのファンを魅了していました。
アルフレッド・ハウゼ楽団の『碧空」とリカルド・サントス
楽団の『真珠取り」は1957年大ヒットし、ベルト・ケン
プフェルトの『真夜中のブルース』『愛の誓い』星空の
ブルース」の大ヒット、又映画「最後の楽園」のテーマ
曲「ベバーテの夜明け」、トニー・ザイラーの『白銀は
招くよ」、フィルムシフォニイオーケストラの『太陽がい
っぱい」、ウーゴ・ブランコの「コーヒー・ルンバ」等がヒ
ットしました。
他の番組では何処の放送局か分からないのですが
「魅惑のリズム』と云う番組もあったと思います。たし
かマゥント・ヴァーニー楽団の『魅惑の宵」がテーマ
曲でしたね。

この時期にはヒットパレード的な番組がメジロ押しに広がっていくのです。


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