SP盤もう少し頑張って
1955年私は二十歳です。我が青春時代最高の時です。考えて見ると当時の「成人式」なんて地味で何の飾り気の無いもので、どんな風だったか、どんなことをしたか、全然覚えておりません。1946年11月22日、埼玉県北足立郡蕨町に於いて実施された「青年祭」がルーツだそうです。
「成人式発祥の地」の記念碑が蕨市の蕨城址公園に建立
されているとの事。
私は就職したのですが、電子関係(ラジオやAMPの組み
立て)の仕事の方が忙しく又報酬も多かったので会社をや
めて独立し、好きな時に仕事をやり、あとは映画三昧の生
活をする様になりました。
今で言うフリーターみたいなもんです。
映画三昧とはいえ、毎日と云うわけにはいきません。仕事
を優先したことは,ゆうまでもありません。その代わり映画
の封切りには、出きる限り出かけていました。
当時の封切り館は、朝1回だけ普通料金で指定席フリー
だったので、それが狙い目です。
封切館で思い出すのは、本邦初シネマスコープ作品
聖依の有楽座、初ヴィスタ・ヴィジョン作品ホワイト・
クリスマス東京宝塚劇場でのジュディ・ガーランド、ジェムス・メィスン主演のスター誕生、その5階にあったスカラ座での5っの銅貨等々本当に我が生涯最良の年でした。

あれ
肝心のJAZZ談義はどうなったんだ。今回は映画の話ばっかりになってしまいました。
前回はS盤アワーとL盤アワーの話を話題でしたね。
今回はS盤とL盤に付いて知っている限り思い出し、思い出しながら語ってみます。
S盤アワーは日本ヴィクターが洋楽ポピュラーを売り出す
為、1952年の春に文化放送が始めたのだそうです。
当時電力事情が大変悪く放送中にレコードの回転が狂っ
た等と云う話も有りました。
当時の売りはやはりペリー・コモ、エディ・フイッシヤー、ハ
リー・ベラホンテ、エーモス・ブラザース、ペレス・プラド、ア
ーサー・キッド、スリー・サウンズ、グレン・ミラーetc。
こういった40年代からのアメリカポピュラーの流れをはぐ
くむアーティスト達だったのです。
そして次々と新しい曲がS盤を通して発売され、ロックン
ロールの誕生と同時にS盤最高のスターとなったエレヴ
ィス・プレスリーを日本に最初に登場したのはS盤だった
のです。

L盤アワーは当時の洋楽界はコロムビアの独走といった感じだったがS盤の伸び上げが因で日本コロムビア
が、1949年にLimitedのLの頭文字をとって発売した
のだそうです。L盤のリストには(レコード番号L-1)レイ・
ノーブル楽団「夢路はるかに」をはじめダイナ・ショワー
の「ボタンとリボン」、フランク・シナトラの「ホワイト・クリ
スマス」ザヴィア・クガート楽団の「ベッサメ・ムーチョ」、
ドリス・デイの「アゲイン/イッツマッジック」そしてL盤
アワーのテーマ曲はパーシー・フエース楽団の「恋をし
て』等云L盤アワーのスタートは1955年頃東京放送(
現TBS)で始まりS盤アワーより2,3年遅れた様です。
両番組は1963年頃まで続々とヒット曲を出し、19
60年代に次々と登場した音楽番組の先鞭を付け、ヒ
ット・パレードは花盛りとなりました。

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at 18:06
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やはり音楽番組が今までAM放送では聴かれなかっ
SP盤はもう少し頑張りたいよ