団塊の世代で、セカンドライフに日本の大道芸をライフワークとすべく奮闘しているオヤジの話です。

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今年も麻布十番納涼まつりは終わりましたが…。  [2010年08月25日(水) ]
今年も夏恒例の麻布十番納涼まつりが、旧盆休み明けの週末の3日間(8月20,21,22日)開催され、大勢の人、特に若い年代の人が、「アザブ ジュ・バァ〜ン」に押寄せ、相変わらず大変な混雑ぶりでござった。去年も記事をアップしましたが、この祭りは、花火もなければパレードや踊りもない、屋台が集まった不思議なお祭り?なのに、何故こんなに人が集まるのかといつも疑問に思っていたのですが、今年ようやくその訳が判明したのでござる。というのは、祭りの土曜日に練馬に住んでいる娘一家が遊びに来て、満一歳の孫を手前共に預け(手前はこちらの方が楽しかった!)、若夫婦で十番商店街に繰り出し、帰ってきたら『嗚呼,楽しかった!満足した!!ビール片手に、ウニの焼き物やブランド牛の串焼きや、屋台定番のたこ焼きなど色々食べることが出来た!!!』と嬉しそうに感想を述べたのでござる。その時手前は、「なるほどそうかこれは食欲旺盛な若い世代が、色々な屋台のバラエティに富んだ食べ物を500円前後で気楽にそして手軽に食べることが出来るから人気があるのだ!」と今頃になって始めて真実を悟ったのでござる。
しかしいくら夜店の「屋台」が集まったお祭りといっても、やはり客足を止める様なイベント企画があり、今年も商店街のほぼ中央部にあるパテオ十番と言う広場にステージが設けられライブショウや色々なパフォーマンスが披露されたのでござる。手前は、昨年念願叶ってこのステージで地元デビューを果たすことが出来たのですが、今年も再び地元の大道芸人として登場することになったのでござる。今年は、2回目ということで、前座ではなく最終日の日曜日の第一部のトリで17時45分より出演したのですが、やはり日曜日の夕方ということで、大勢のお立会いのお客様に恵まれ、「独楽芸」と「ガマの油売り」を披露したのでござる。独楽芸で『刃渡り』の時、途中で独楽の回転が落ちてきたので、失敗しないようやり直したら、難しい技であることを印象付けたようで、成功して終わった時は、いつもより大きな拍手と歓声が上がり、却って良かったようでござる。今年もご近所にお住まいのセカステの「ぶるーむーん」さんを始めとして、友人が大勢応援に駆けつけてくださり、お蔭様で投げ銭・放り銭も昨年よりも増えておりました。この場をお借りしてお立ち会い頂いた皆様方に厚く感謝申し上げます

いつもはここで祭り報告終了となるのですが、今年は「おまけ」があるのでござる。というのは、納涼祭り最終日の日曜の朝に、高校時代の同窓生から連絡があり、同窓生の知人が「おらがくに自慢」のブースで山形の「尾花沢すいか」と「尾花沢牛の串焼き」を売っているので、客寄せとして、手前に「バナナの叩き売り」ならぬ「すいかの安売り」の掛け声を上げてくれないか?との要請があったのでござる。この知人の方は、埼玉で養護施設を運営されており、手前は昨年のこの施設の新年会に呼ばれて大道芸を披露した時お会いした方で、今回はその施設運営費を捻出するためにも、はるばる麻布十番まで出て来て頑張っておられるので、手前も勿論一肌脱ぐことにしたのでござる。もっとも生来このようなことは大好きで、丁度『バナナの叩き売り』の実戦演習にもなるので、絶好の機会と喜んでいたのでござるが。しかし当日の夕方は手前のステージの出番があったので、それを終えてから、バナナの売人風衣裳に着替えて、午後7時ごろおらがくに自慢の尾花沢の夜店に駆けつけたのでござる。(人混みで、実際は牛歩でござったが)。早速、バナナの叩き売りの口上を応用して、「さぁ〜さ、ジャンジャンバリバリ、山形尾花沢特産の最高級すいかを売っちゃうよ!今ここで食べなきゃ後悔するよ!後悔先立たず、提灯もちは後立たず!」などと大声を張り上げたら、途端に何事が始まったのかとお客が集まってくれて、「結構毛だらけ!見上げたもんだよ 屋根屋のふんどし!」で、どんどん売れ出したのでござる。これにつられて隣の牛の串焼きも焼くのが間に合わないほどになってきたのでござる。手前は突然登場したので、尾花沢のすいかや牛肉の味を知らないまま、「とにかく美味しいよ!最高だよ!」と無責任に言い続けていたのでござるが、実際味わったお客様は、みなさん満足そうな顔をされておられたのでホットした次第でござる。手前もその美味しさを実感するべく、お客の列が途切れた時に味わさせて頂く予定であったが、結局その暇もなく予定終了時間の一時間前の8時過ぎには、すべて完売となってしまい、手前にとっては、幻のすいかと牛串焼きとなってしまったのでござる
こうして残念ながら美味を賞味することは出来なかったが、手前の大道芸がお役に立つことが出来たようで、何となく満足感に浸り、そのあとのビールの味は最高でござった。

こうして今年は「おまけ」がついた納涼祭りとなり、お祭り大好き人間として十分楽しむことが出来たのでござるが、いつもはこの祭りと甲子園の高校野球が終わると途端に秋の気配を感じ涼しくなるのに、今年は相変わらず猛暑が続いており、『一体どうなっちゃたの?!』と心配しておりまする。(完)

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花火は長岡に限る!  [2010年08月09日(月) ]
7月の半ば頃、何気なしにTVを見ていたら長岡花火の話題を流しており、日本三大花火の一つで日本一といってもおかしくないと言っていたので、隅田川や東京湾の花火大会を見慣れている手前にとって、「日本一の花火とは一体どんなもんなのか」とムラムラと好奇心が湧いてきたのでござる。早速インターネットで調べてみるとたしかに凄いようだが、今頃突然思い立って8月2日か3日の花火大会を見に行くのは到底無理だとは思いつつ、念のために長岡花火大会見物のツアーを検索してみると、案の定、殆どの見物ツアーは『満杯』との表示ばかりで諦めかけたところ、最後に3日の格安パックツアーがまだ残っているのを偶々見つけたのでござる。8月は毎週、手前の大道芸の予定が入っているので、今年の夏休み旅行は出来ないと思っていたので、これは好機!と思い詳細検討しないまま、とにかく申し込んで急遽カミさんと連れ立って見物に行くことにしたのでござる。その後旅程表が送られてきたが、さすが格安のツアーだけあり、当日の昼頃東京を上越新幹線で発って、何故か?長岡まで行かず手前の越後湯沢で降り、そこから貸切バスに乗り、途中時間つぶしのため残雪を利用した雪貯蔵庫見学と地酒の試飲(やはり手前は、策略に引っかかり一本地酒を買ってしまったが!)の酒蔵に立ち寄ったあと、夕方長岡の花火会場に向かい、見物後は又バスで、はるか離れた苗場まで深夜に戻り一泊して翌日帰るというものでした。冬スキーで有名な苗場プリンスホテルもこの時だけ開放しているようで、そのため温泉浴場などは利用出来ず残念至極でござった。(翌朝見たら何と15台の花火見物のバスが駐車しておりました。)
しかしながらやはり花火見物を看板にしているツアーだけのことはあり、手前共の席は、広い信濃川河川敷の有料桟敷席の一番前で、正に目の前で花火が打ち上げられる格好の所でござった。早速一杯やり始めほろ酔い加減となった19時30分より開始のアナウンスで待望の豪華絢爛な花火ショウが始まったのでござる。ここでは、花火を打ち上げる前に、必ず花火の紹介とスポンサー名などがアナウンスされ、これが丁度よい間合いとなっており、一層雰囲気を盛り上げていて、東京ではもう味わうことのできないものでござった。
先ず一発目からいきなり、超大型スターマインの登場で、正に目の前で、ヒュウ〜という音と共に火炎が上がり、間もなくドカッ〜ンという地響きを伴った轟音が鳴り響き大きな華が一気に開き、これで度肝を抜かれたのですが、次から次と同じようにスケールの大きな花火が打ち上げられ痛く感激したのでござる。合計39発の超大型花火の中で、手前が特に感激したのは、橋に花火が仕掛けられ瀑布のように見せた「ナイヤガラ大瀑布」と長岡の武将直江兼統の生涯をイメージした「天地人花火」と中越大地震からの復興祈願花火「フェニックス」でその圧倒的なスケールと演出は今まで見たことがないものでござった。その凄さを手前の文章表現力のなさでリアル伝えることが出来ないことご勘弁くだされ。その代わりこちらをご参照ください。
そもそもこの長岡の花火大会は、1945年8月1日のB29大空襲にて長岡市街地が殆ど焼き尽くされたが、その復活を願い、一年後戦災復興祭りとして、江戸時代から続いていた花火大会を大規模なものとして開催し、その後市民の共感を得て年々盛んになってきているとのことでござる。とにかく花火に対する意気込みが違うのがひしひしと伝わってきており、中には長岡高校昭和44年卒同期の還暦花火打ち上げ実行委員会がスポンサーとして、素晴らしい超大型ミュージックスターマインを打ち上げていたのが強く印象に残っておりまする。我々のツアーグループの中に、大曲などあちこち見物してきた花火の追っかけ族と思われるご婦人がおられたが、やはり今まで見た花火大会の中では、群を抜いて素晴らしい花火だと感嘆されておられました。又、余談ながらやはりグループのなかで荒川花火会場の近くに住んでおられるという78歳のご婦人も一人でツアーに参加し元気に花火を楽しんでおられ、全く脱帽ものでござった。70.80働き盛り!

こうしてあっという間に二時間余にわたる素晴らしい豪華なショウが終わってしまったが、はるばる長岡まで花火を見にきた甲斐があったと思ったのでござる。しかしながら、新たな問題が出てきたようで、それは「もう他の花火大会をみても、つまらなくなるのではないか?」と言う贅沢な悩みでござる。最後に一言、目黒の秋刀魚ではないが、『花火は長岡に限る!』(完)

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「藪入り」でまたまた閻魔様のご登場です!  [2010年07月30日(金) ]
1月16日と7月16日は、藪入りといわれ昔の商家の奉公人は、年2回のこの藪入りの時だけ、お店を休んで実家に帰ることができたようで、また地方によっては、嫁が実家に里帰りする日になっていたそうですが、今では休みも多くなり、又、いつでも里帰りできるようになった為、「薮入り」という言葉は死語化しておりますが、この日は閻魔様の縁日でもあるのでござる。この日は、地獄の釜の蓋が開くと言われており、地獄の鬼も罪人を責める仕事がお休みとなるので、閻魔詣をする慣習があるのでござる。昭和半ば頃までは、この日に子供達がお婆さんなどにお寺に連れられて地獄絵を見て怖がり、うそをつくと舌を抜かれるから、うそをついてはいけない、悪いことをしてはいけないと自ら悟ったものですが…。
以前、川崎にある一行寺(いちぎょうじ−閻魔寺とも呼ばれている)というお寺は、この2日だけ客殿に安置された閻魔座像と地獄極楽図が一般にご開帳されることを聞いたことがあるので、閻魔様の『追っかけ族』としては、参らないわけにはいかないということで、WEBで確認した上で、7月16日に参拝に赴いたのでござる。(マタマタ閻魔様の話で誠に恐縮でござるが、ご勘弁願いたい!)一行寺は、京浜川崎駅から2−3分のところにあり、川崎宿の開設に伴い1631年に創建されたお寺で、川崎本陣が火急の際の宿泊者の避難場所となっていたとのことでござる。さていよいよ閻魔様ご対面となったわけですが、客殿の正面にどっしりと安置されている閻魔様は見慣れた威厳のあるご尊顔をされており、さすがに閻魔寺と呼ばれるだけのことはあると感激したのでござる。その後、客殿の周りに飾られている地獄極楽図16幅を拝観したのですが、やはり地獄の恐ろしさを生生と伝えている迫力ある絵でしたが、手前にとっては馴染み?!になってきた絵であり、思わず絵解き口上の文言が浮かんできたのでござる。更に閻魔寺のユニークなところは、この開帳日になんと『閻魔寺寄席』が開催されるということで、今年で5年目になるとのことで当日も16時から18時まで閻魔様の前に高座が設けられ落語などが披露されたのでござる。手前も落語は好きなので、勿論拝聴する事としたが、閻魔様の前で寄席とはと不思議だったので、住職様にその訳を伺ったところ、参拝にこられた方に喜んで貰うために、当初は宿場話や、怪談話や閻魔様にちなむ命の大切さなどの話が披露されたようですが、その後年々好評となり、川崎市などの後援を受け地域振興の行事と一つとして、閻魔寺寄席となったとのことでござった。当日は、平日で暑い日だったにも拘わらず、100人を超える観客で客殿一杯となり、さらに驚いたのは、真打の落語家が二人も登場し本格的な寄席だったということで、当日の寄席の出演者は、前座の桂宮冶、江戸紙切りの三遊亭絵馬、真打の古今亭菊千代と桂歌助の4名で、演目は何と「明烏」など閻魔様には全く関係ない題材でしたが、どれも素晴らしく本当に楽しむことができ、あっという間に終わったような感じでござった。更に更に手前が今回知って驚いたのは(今頃知ったのか!という非難の声が聞えますが…)、落語界では、女性の真打が二人おられ、そのお一人が古今亭菊千代師匠だということで、噺は「厩火事」でしたが、亭主に愛情あるかどうか心配している髪結い女房を、実に生き生きと表現し、さすが真打だなあと感心した次第でござる。
普段怖い顔をされている閻魔様も、楽しい噺を目前で聴かれて、この日だけは『笑う閻魔様』になられたのではないかと思ったのでござる。無料でこのような本格的な寄席を楽しむことが出来たのは、誠にありがたく、これもつくづく閻魔様のご利益と思い、これからも閻魔様の「おっかけ」として頑張っていこうと改めて意を強くして帰途についたのでござる。

さて最後にこれに関連して手前の興行の宣伝でござる。実は旧暦で薮入りの日8月16日には、手前が前回と同様に、地獄絵の絵解き口上を行なうことになっております。下記にその宣伝文を載せておりますので、ご興味ある方は、是非お立ち会い下さい。ただ落語は、ありませんことご了承願います。下の写真は、前回の時のものでござる。

六道地獄絵の公開及び絵解き口上のお知らせ
                              
1.日時: 平成22年8月16日(月曜日)午前9時より午後4時迄
(但し、絵解き口上は 10時、12時、14時の三回)
2.場所: 神奈川県川崎市中原区下小田中
2−36−1  
      曹洞宗 向冨山『安楽寺』本堂 客殿
3.展示物: 安楽寺所蔵『六道地獄絵』掛軸 11軸
4.絵解き口上: 大道芸人 麻布十兵衛
5.詳細内容:
川崎市中原区にある向冨山安楽寺は、天文初期(1523年)に創建され、480余年の歴史を有する曹洞宗の名刹です。その後、幾多の星霜を経て、明治時代には「私立時習学校」が開設され川崎の教育史にも名を残した名刹であり、現在は31世文良師が住職を務めております。この名刹には、江戸時代中期から所蔵している「六道地獄絵」があり、1年に2回1月16日と8月16日に一般公開されております。今年1月16日の公開日に絵解き口上を行ないましたが好評であったので、この次の公開日である8月16日に、今回も現住職から特別許可を頂き、同所にて、昔から伝わる絵解き口上を披露し、地獄絵の解説等を行う予定にしておりますので、地獄絵を今までご覧になったことのない方や絵解き口上等にご興味を持っておられる方など是非お越しください。

麻布十番納涼祭り

更に手前の宣伝で申し訳ありませんが、8月22日(日)地元麻布十番の納涼祭りで、今年も手前が出演することになりました。御用とお急ぎでない方は、麻布十番に見物がてら、遊びにきてください。お待ちしております!
1.日時:8月22日(日)17:45より18:00まで(15分間)
2.演目:ガマの油売りの口上(江戸独楽芸と英語抄訳アドリブも含む)
3、場所:麻布十番商店街 パテオ十番特設ステージ
                                   以上

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またまた「笑う閻魔様」の話でござる!  [2010年07月21日(水) ]
以前、益子の『笑う閻魔様』のことを色々WEBで調べていたら、神奈川県海老名市にも「笑う閻魔様」がおられることを知り、閻魔様の追っかけ族としては、近郊なので勿論参拝しないわけにはいかないと思い焦がれていたのですが、7月10日(土)に何とか時間が取れ、ようやくご対面に伺うことが出来たのでござる。こちらの笑う閻魔様は、小田急線の海老名駅東口から徒歩30分ほどのところで、昔の村集落の雰囲気が漂っている一角に、大谷観音堂がありその境内の閻魔堂に鎮座されているのでござる。大谷観音堂は、大きくはないが、江戸時代からの独特の風情が残っており地元の人の信仰を集めていると感じられ、この観音堂には、七不思議のお話があるそうで、1.水飲み龍、2.枕返しのお地蔵様、3.のぞき小僧、4、相生のカヤ、5.笑う閻魔様、6.乳房のイチョウ、7.イボトリの地蔵様、という昔話が伝えられているようです。(詳しく知りたいかたは、こちらをご参照くだされ。)
その七不思議の一つでもある閻魔様にいよいよ待望のご対面となったのでござるが、コンパクトサイズの閻魔堂の中におられ、今まで拝観した中では一番小さな閻魔様でしたが、やはり見慣れた様相をされた閻魔様で、威厳のある感じでござった。さて、益子の閻魔様のように、大きく口を開けて大笑いされておられるかというとそうではなく、確かに口を開けておられるが、一見しただけでは笑っているとは、直ちに思えない感じでござった。ここの閻魔様のお顔は、やましい心を持った人には「憤怒の相」、心正しい人には「哄笑の相」に見えるとのことで、手前はすぐには笑っていると思わなかったので、やはりやましいところがある?!のかもしれぬ。しかしながら、しばらく見続けていると何となく口元が笑っているようにも見え始めましたが…。
昔話によると、農作物を盗んだと疑いをかけられた貧しい百姓が、無罪を訴えたので、閻魔様の前でみんなの裁きを受けることになり、閻魔様に無罪を訴えたら、閻魔様は笑われたあと、「本当の悪人を今あぶりだしてやる」と言って、正直者よと言われていた別の百姓めがけて、口から火を噴出して気絶させてしまったという話で、やはり閻魔様は、正義の味方でありがたい地蔵菩薩様なのでござる。これでますます閻魔様が好きになり、追っかけ族になって本当によかったと思い、いずれあの世で本当の閻魔様にお会いする前に、出来るだけこの世におわす閻魔様にお会いして、そのご報告をしようと思ったのでござる。会員様の中で、閻魔様に関する(特に「笑う閻魔様」は大歓迎!)情報を色々ご存知であれば、ご教授願えれば幸甚の至りでござる

最後に余談ながら、先日TV番組「ナニコレ珍百景!」を見ていたら、手相で頭脳線と感情線の間に両手とも十字がある方が出て、珍百景に認定されたのですが、その後気になって手前の手相を見たら、何と両手にもっとくっきりとした十字線があるではありませんかこれなら手前もテレビに出られたのに!と悔やみましたが、この十文字を両手に持った人は確かに珍しいとのこと。この歳になるまで、全く気がつかなかった!!その後調べたら、神秘十字形と呼ばれ、信心深い性格を持つ人で、神仏の加護があるようで、だからこそ閻魔様の追っかけ族になったのかもしれないと妙に納得した次第でござる。(完)
写真は「笑う閻魔様」ですが、ガラスで覆われていたので、多少見にくくなっております。下の写真は閻魔堂でござる。

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明治神宮奉納演武の報告でござる!  [2010年07月14日(水) ]
 先日の日曜日(7月11日)朝9時前に、原宿駅そばの明治神宮大鳥居付近に老若男女、様々な恰好(なかには和服姿もあり)をした得体の知れない70名ほどの一行がたむろしていたが、そのうちぞろぞろと、社務所に向って歩き始めたのでござる。これは果たして何の集団かというと、手前が属している居合の会の『居想会』の集まりで、何と栄えあることに明治神宮本殿前で『奉納演技』を行なうことになっていたのでござる。社務所内で全員白い稽古着に黒の袴、白足袋に着替えると、それまで烏合の衆のようだったのが、さすがに侍のような一団に急変し、独特の緊張感が漂い始めたのでござる。
今回の奉納演武は、5月に新橋駅前広場の演武でお世話になった烏森神社の宮司さんの特別な御計らいで、明治神宮鎮座90周年をお祝いし、烏森神社崇敬団体である居想会の本殿参拝と奉納演武が可能となったもので、居合の会の明治神宮奉納演武は始めてとのことでござる。日々修練してきた武道で心身を鍛えてきた証として、神前にて演武を行なうということは、明治天皇陛下がご天覧なさるに等しいということで、大変名誉なことで、畏れ多くもありがたいことなのでござる。事前に演武位置等確認した後、10時過ぎには全員揃って普段入ることのない本殿の中で参拝し、お祓いを受けた後、8組に分かれて、本殿前広場にて一般参拝客のお立会いのもと、演武を披露したのでござる。さすがに参拝客が多く、手前の大道芸の普段のお立ち会い観客より多いぐらいで、時々神殿に向う花婿・花嫁の行列も通り過ぎて行く風景も見られたのでござる。
手前も勿論演武者の一人として参加し、「水月」「響返し」「前腰」「夢想返し」という4つの形を披露したのですが、やはりこのような荘厳な環境の中で演じるのは、文字通り「身が引き締まる思い」で『凛として』というものを実感することが出来たのでござる。大道芸で人前にて演技をすることには慣れていても、やはりかなり緊張していたようで、あっと言う間に演武は終わったが、何とか無事に出来たのは、やはり普段の稽古のお蔭で体が覚えていてくれたからで、如何に稽古が大切か改めて感じた次第でござる。もともと手前が還暦近くになって手習い始めた居合は、大道芸での侍姿の見栄えを何とかカッコ良くし、且つ健康維持の為にと始めたのでござるが、このように厳粛なところで、演武をするとはついぞ思っていなかったので、本当に貴重な経験が出来、大変ありがたいことだと思っておりまする。考えてみますれば、今世間を騒がしている大相撲の世界では、横綱だけが明治神宮で「奉納土俵入り」が出来るのですから!
お蔭様で心配された雨も降らず無事演武を終えた会員全員、晴れやかな顔をして「天晴れ!」という感じでござった。最後に代表より、「演武そのもの以上に素晴らしかったのは、皆さんの終始よく保たれた緊張感と明治神宮を敬う姿勢でした。」とのご挨拶があり、お神酒を頂いたあと社務所にて弁当で会食して、解散となったのでござる。
最後にこのような貴重な体験を出来たのは、明治神宮、烏森神社の方々や神社総代や会の代表と今回の世話役の皆様のお蔭だと思い、ここをお借りして厚く御礼申し上げます。(完)
尚、御用とお急ぎでない方は、居想会のHPの表紙をご覧下さい。演武時の雰囲気を良く伝えている写真が載っております。

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シニアボランティア講座のご案内でござる!  [2010年06月16日(水) ]
手前は、施設等のお年寄りに、昔懐かしい日本の大道芸を気楽に楽しんでもらいながら、手前の経験回数を積み重ね、芸の向上を図りたいということで、ボランティア活動も行なっており、港区社会福祉協議会の「みなとボランティアセンター」にボランティアとして登録しているのでござる。この「みなとボランティアセンター」は、ボランティア活動の紹介やボランティア募集などで積極的に活動してきており、最近は更に一層活発化しているようでござる。月に一回は『ボランティア情報』という情報紙を発行しており、様々なボランティア情報を伝えており一見の価値ある素晴らしいものでござる。(昨年の2月にこの情報紙で恐れ多くも手前がボランティアとして紹介されたことがあり、手前のブログにもアップしております。)この情報紙の発行の他に、ボランティア講座というものも開催されており、今年の3月には水戸黄門の「うっかり八兵衛」で有名な高橋元太郎さん(スリーファンキーズのメンバーと言った方が懐かしいかも!)が、講師として来られ『セカンドライフの過ごし方−人生は出会い、ふれあい、支えあい』というテーマで講演があったのでござる。手前も拝聴しましたが、「いろいろな人に出会い、その方々の支えによって人生は創られる。人との出会いによって元気をもらい、感謝しながら明るく生きるということが大切だ!」というメッセージをユーモアと体験談交えながら話されたのが今でも印象深く残っておりまする
さて平成22年度のシニアボランティア講座は、7月24日(土)午後1時より5時まで芝公園福祉会館3階集会室(港区芝公園2−7−3)で開催される予定で、今回のテーマは、『CHANGE!! 新しい生き方をはじめよう!』で、「ボランティアという新しい生き方を始めた先輩たちのお話を聞き、何が出来るかを考え、体験し、報告会を2回にわけて行う」(2回目は9月5日)というものですが、何と『驚き、桃の木、山椒の木』で、手前がその第一回目の講座でおこがましくも先輩役の講師の一人として登場するではありませんか??!!この話があった時、手前はボランティア活動歴も浅く、まだまだ若輩者で、人様の前でそのような話をするような者ではござらぬと固辞したのですが、「参加された方に大道芸を披露してもらい、きっかけや体験談を話して貰えばそれで結構です!」ということで、厚かましくもお引き受けした次第でござる。果たしてどのくらいお役に立てるか甚だ疑問ですが、ともかく手前の大道芸披露で講座に参加された方々にも喜んで頂ければありがたいと思っておりまする。
尚、この講座は、2回開催され、その間にボランティア体験が出来るという、今後ボランティア活動を始めてみたいとか、ご興味を持っておられる方には、最適な講座だと思いますので、シニアコム会員のご参加を是非お薦めする次第でござる。(センターの広報担当のようになってしまって恐縮でござるが)念のため、センターに確認したところ、この講座の参加資格は港区在住や在勤の人限定ではないということなので、近くにおられる方で、ご関心のある方は「みなとボランティアセンター」に直接お問い合わせや申込をしてください。(完)

念のため、写真のチラシにある講座詳細を下記します。

平成22年度シニアボランティア講座
CHANGE!! 新しい生き方をはじめよう!


「ボランティア」という新しい生き方を始めた先輩たちのお話を聞き、何が出来るかを考え、体験し、報告会を行ないます。(2回講座)あなたもCHANGE!!してみませんか?

第1回   7月24日(土) 午後1時〜5時  芝公園福祉会館3階 
● 新しい生き方を始めた先輩達のお話
  活動のきっかけ、体験談、大道芸の披露など
   (講師:佐藤邦隆氏、麻布十兵衛) 
● 活動先受け先担当者のお話
● 夏!体験ボランティア説明、活動先決定

体験    7月26日(月)〜8月31日(火) 
       場所は活動先に準ずる
       (期間内のうち2日以上体験します)
     
第2回   9月5日(日) 午後3時〜5時 芝公園福祉会館
● 体験報告会と今後の課題や活動について
       
対象: 40歳以上の人、定員: 30名(申込み先着順)、
参加費: 300円(夏!体験ボランティア参加費)別途ボランティア保険代
申込み締切: 7月22日(木)
◆ 申込み・問い合わせ みなとボランティアセンター
港区芝公園2−7−3 TEL 3431−2081 FAX 3438−2755 
       担当:廣木
                 

                              以上

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汽車ポッポに乗って参りました!  [2010年06月05日(土) ]
前回、『笑う閻魔様』を拝顔するために益子まではるばる遠征したことをご報告致しましたが、今回は登板予告をした益子に往く時に乗車した真岡鉄道の昔懐かしいSL列車(蒸気機関車)体験乗車記でござる。東西、東西、始まり!始まり!!
手前は、特に鉄道ファンというものではないので(子供頃、大人になったらその当時一番早かった特急「つばめ」の運転手になりたい!と夢見たこともござったが)、わざわざ遠い所まで行って、SL列車に再び乗ってみたいという強い気持ちはなかったのでござる。(手前がSL列車に乗ったのは、小学校の頃、御殿場の夏季林間学校に行った時の御殿場線で、トンネルに入る度に一斉に窓を下ろしたのを今でも強烈に覚えておりまする。)ところが益子のことをインターネットで色々調べている内に、真岡鉄道の下館から茂木(途中に益子)まで、週末は汽車ポッポが何と今でも一往復運行されていることが判ったのでござる。もともと好奇心の強い手前のこと「これはチャンス、乗らずにおられようか」ということで、10時37分下館発に間に合うように赴いたのでござる。下館駅に着くと、手前を待っていたかのように発車準備を整えて黒煙を上げているSL列車とご対面となったのでござる。車体は思っていた程大きくはなく「C12」という車両で、製造年月は昭和8年11月で、(80歳近くでも現役で活躍している!!)客車は茶褐色の鉄製で、窓が手で簡単に上下出きる懐かしいもので、3両連結となっていたが、それに乗り込みいよいよ出発進行!先ず「ピィ ポー」というあの力強い汽笛が響き渡り、その後溜めておいた白い蒸気が「シュ〜」という音と共に一斉に勢いよく吹き出して、その後「シュシュ ポッポ、シュシュ ポッポ」の音共ともに動き出したのでござる。その瞬間何となく忘れかけていた記憶が一瞬にして蘇えったような気がしたのでござる。あの独特な汽笛は強烈で、最近こんな音色の素晴らしい迫力のある音は聞いたことがないと痛く感激し、すっかり上機嫌になってしまったのです。その後ガタゴトと走り出したのですが、さすがに窓を開けっぱなしにしておくと、懐かしい匂いの石炭の煙と水蒸気が入って来て、また髪は何となく煤がついたような感じでござったが、これも風情のうちということで我慢・我慢!でござった。
実際に乗車して本当に良かったと気がついたものがあり、それは何か?というと、汽車ポッポが通り過ぎる沿道では、殆どの人が立ち止まってニコニコと手を振って見送ってくれることで、こんなほのぼのとした風景は最近見合わせたことがないということであった。特に子供達が一生懸命手を振ってくれているのが嬉しくて、手前も思わす笑顔となり自然に手を振り返したのでござる。見ず知らずの人同士が蒸気機関車によって連帯の気持ちが何となく育まれているような感じで、現代社会で失いかけている「何かしら」を見たような感じでござった。最高速度は75KM/hということで、自動車より遅いが、スピード追求の現代世界では到底見ることの出来ない風景であり、それが故、汽車ポッポが今でも愛され続け、こうして運行されているのではないかと思ったのでござる。出来れば東京までこのSL列車に乗って、ビール片手に弁当を頬張りながら帰ってみたいと思ったほどでござる。新橋駅前の広場にあるようなSL展示物とはならないで、一日でも長く現役で活躍して、蒸気機関車が醸し出す「あの素晴らしい感動」をいつまでも伝えて欲しいと思っておりまする。どうですかシニアコムの皆様方、今でも現役で活躍しているSL列車に試乗して、あの懐かしい感情に浸りながら、機関車の持つパワーを分けてもらってみては如何でござるこのような貴重な体験が出来たのも、ひとえに「笑う閻魔様」のご利益のお蔭でござる。ありがたや、ありがたや!(完)写真はC12蒸気機関車と途中停車の真岡駅で、駅舎がSLの恰好をしております。尚、6月中は定期点検中のため、運行休止とのことでござる。

追伸:
大道芸宇都宮公演のお知らせ
手前の大道芸の報告については、特にこれというトピックもないので最近アップしておりませんが、6月12日(土)は手前の属している大道芸研究会の合宿行事の一環として、訪問先の宇都宮で大道芸を披露することになっておりますので、お近くにおられる方は、是非お立ちよりください。
タイトル;大道芸研究会25周年記念宇都宮公演
1.日時:平成22年6月12日(土)14:00 開演 17:00 終演
2.場所:宇都宮市オリオンスクェア(オリオン広場)
   宇都宮江野町8番3号
3.見物料: 無料 (但し投げ銭は歓迎!)
4.予定演目:南京玉すだれ、ヴァイオリン演歌、筑波山正調ガマの油売り、マジックショウ、剣舞、金のガマ吊り上げの術、大道易学六魔、不動金縛りの術、江戸独楽芸とガマ口上、バナナの叩き売り 
(一部変更する場合もあります)赤の部分が手前の出番です。
更に詳細必要な場合は、こちらに先ずメールを頂ければお返事等致します.
azabu_jyubei@yahoo.co.jp
以上

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『笑う閻魔様』を拝観して参りました!  [2010年05月24日(月) ]
昨年の11月に「深川ゑんま堂の閻魔王参拝」の話をアップしたところ、閻魔様の大ファンという当会員のnontyanさんから嬉しいコメントを賜り、深川の閻魔様情報の御礼として、秘密にしておられる益子の『笑う閻魔様』のご紹介を頂いたのでござる。
nontyanさんは早速深川に行かれ閻魔様にお会いしたようなので(流石大フアン!)、手前としても、「一度笑う閻魔様を参拝しないわけにはいかぬ」と決意していたにもかかわらず、今まで大道芸や居合などの行事や世事等に追われ訪問のチャンスがなかったのですが、5月15日の土曜日はポッカリと予定が空いたので、早速インターネットで検索して栃木県の益子まで赴いたのでござる。笑う閻魔様のお寺が「西明寺」という名前で、手前の家の菩提寺と同じ名前であるのにも興味を引かれ、又、益子へは下館から週末は、汽車ポッポ(SL列車)が運行されているということを知り、これにも乗ってみようとなったのでござる。(この真岡鉄道SL列車は郷愁を誘う味わい深い素晴らしいものであったが、この乗車記は、次回のお楽しみ!お楽しみ!!別に期待していないぞという声が聞えておりますが…。)
益子は関東地方なのに意外に遠く、家を朝8時に出て、地下鉄大江戸線(新御徒町)つくばエクスプレス(守谷)関東鉄道常総線(下館)真岡鉄道と乗り継いで益子に到着したのは、何と11時30分近く、東京―大阪間より時間が掛かったのでござる。途中住宅地や田畑ばかり平坦で風景の変化も筑波山以外は特になく、改めて関東平野というものは本当にダダ広いなあ!と実感したのでござる。益子は陶器で有名な所だが、門外漢の手前はそちらには目もくれず、益子駅より4KMということなので、駅の電動式レンタサイクルを借りて西明寺さんを目指したのでござる。(西明寺は丘陵部の中腹にあったので、電動付は大正解!)都会近くにあるお寺とは違ってこちらの西明寺は、丘の中腹部の木立に囲まれた立派な寺院で、737年に草創され坂東20番札所で本堂や楼門や三重塔は国指定重要文化財となっており、これを拝観するだけでも価値のあるところだと思ったが、とにかく本堂に参拝した後、直ちにお目当ての閻魔堂に向かったのでござる。閻魔堂は1714年に建立され、寄棟造り、かや葺きで質素な建造物ですが、堂内には、閻魔大王、地蔵菩薩、奪衣婆、善童子、悪童子の五体の仏像が並んでいるということで、いよいよ堂内に入り「笑う閻魔様にご対面〜!」となった次第でござる。
たしかに閻魔様が笑っておられるのです!それも舌を出して!!閻魔様は怖い顔が定番ですが、このような表情をした閻魔様は始めてでござった。そこで問題です!
『笑い閻魔様は、どうして笑っているのでしょうか

答え:『「ははは・・」という笑い声がお地蔵様の真言だからです。』
西明寺のHPの解説には、『閻魔様の横には地蔵菩薩が立っておられます。閻魔は五七日本尊地蔵菩薩の化身とされています。どうして、お地蔵様が地獄にいるのでしょうか?悪いことをしたのでしょうか?いいえ、違います。それは、地獄に落ちた人を救う為です。お地蔵さまは「他人の為なら地獄にまで行く」という菩薩行を実践する人なのです。お地蔵様は決して怒らず、いつも笑みを浮かべています。そして地蔵菩薩の真言は「おん、かかか、びさんまえぃ、そわか」「オーン、ハハハ、ヴィサマェー、スヴァーハー」(笑い声) お地蔵様の心が笑い声だから、その化身の閻魔は笑っているのです。』ということで、やはりここの閻魔様も深川の閻魔様と同じでお地蔵様の化身だったのでござる。その地蔵菩薩様は、閻魔様の右横に柔和な顔をされて立っておられました。反対側の左横には、あの恐ろしい三途の川の奪衣婆の像があり、今まで見てきた奪衣婆の中では一番怖い顔をして片膝立てて座っているのです。この婆さんに睨まれ「娑婆で貰うた経帷子を脱げよ!寄越せよ!」と責め立てられれば、胸に掛けたる六文銭と共に直ちに差し出してしまうと思われるほどのド迫力でござった。閻魔様の前面の両サイドに善童子と悪童子の像が立っているが、どう見ても童子には見えず、怖いオヤジサンとしか見えなかったので、手前の勝手な解釈では、童子ではなく地獄で生前の所業の善悪を調べる検察官で、地獄絵口上に出てくる『右におられるのがホッショウ神、左におられるのがマホウ神』ではないかと思ったのでござる。薄暗いお堂の中で、五体の仏像様が集まって地獄界を具現しているので、本来恐ろしいものである筈なのに、怖いと感じなかったのは、やはり笑う閻魔様と地蔵菩薩様がおられたお蔭だと思い、何となく手前も地獄から救われたような感じになったのでござる。シニア・コムの皆さんも、例え将来地獄に突き落とされても、地蔵菩薩様の化身である笑う閻魔様に救ってもらえるよう、いまから顔見知りになっておくべきで、一度参拝されては如何?でござる。手前は、笑う閻魔様にお会いして、何となく生地獄からも一時的にも救われたような気分となり、はるばる益子まで訪ね来た甲斐があり、本当に良かった!と思い、閻魔様のファンクラブの一員となりそうな予感がしております。(完)
写真は『笑う閻魔様』と閻魔堂とその内部の模様で、右の奥に地蔵菩薩様がおられます。

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サラリーマン憩いの新橋烏森での白昼のある怪事件?!の話でござる。  [2010年05月07日(金) ]
新橋烏森といえば、ご存知の通り居酒屋や焼き鳥など様々な飲食店が密集した飲み屋街で、仕事帰りのサラリーマンが気楽に一杯やる為に立ち寄る晩のオアシスともいうべきところで、手前も、40年程前に社会人となり、会社が霞ヶ関界隈にあった頃からしげしげと通い続けているところなのでござる。ほろ酔いのサラリーマンのTV街頭インタビューには、駅前の汽車ポッポ広場が必ずバックとして登場し、その時々の世俗の状況を伝えている著名なスポットでござる。
ところがその広場で先日、何と白昼に多くの群集に囲まれた中、『ある集団が、所狭しと刀を振り回す怪事件?!』があったのでござる。(残念ながらこれはTV報道されなかったが…。)「それはえらいこっちゃ!あの秋葉原無差別事件と同じか?!」とご心配された御仁も多々おられると思うが、ご安心召され!乱闘事件のようなものではなく、烏森神社の祭礼の一行事で、実は何を隠そう(別に隠してはおりませんが)居合の奉納演武だったのでござる。そもそも、5月4―6日は烏森神社の例大祭の日で、特に5日は神輿の渡御があり一番盛り上がる日で、神輿渡御の前に、汽車ポッポ広場で神事があり、その行事の一つとして手前が属している居想会の奉納演武が行なわれたのでござる。何故奉納演武か?というと烏森神社は武運ゆかりの神社で、居合の会員の中にこの神社の総代の方がおられ、そのご縁から、奉納演武が実現した次第なのでござる。
烏森神社は、平安時代の940年に東国で平将門が乱を起こした時、むかで退治の説話で有名な鎮守将軍藤原秀郷(俵藤太)が、武州のある稲荷に戦勝を祈願したところ、白狐がやってきて白矢の矢を与えた。その矢をもって、すみやかに東夷を鎮めることができたので、秀郷はお礼に一社を勧請しようとしたところ、夢に白狐が現われて、神烏の群がる所が霊地だと告げた。そこで桜田村の森まできたところ、夢想の如く烏が森に群がっていたので、そこに社頭を造営した。それが烏森稲荷の起こりとのことでござる。
手前は、居合の稽古時にこの烏森神社奉納演武のことを知り、『呑兵衛の手前を今までずぅ〜と見守り続けて頂いた神社さんのありがたい祭礼行事なので、参加しない訳にはいかぬ!』ということで、何とか予定を遣り繰りして、手前も奉納演武に参加致したのでござる。当日は、30名程の会員が集合し4班に分かれて、初夏の晴天の下、多くの祭礼関係者や見物客の方に囲まれた中で、居合演武を披露したのでござるが、手前にとっては、神社境内での演武経験はあっても、このようなオープンスペースで多くの観客に囲まれての演武は始めてで、大道芸披露より大分緊張しましたが、終わったあとは、当日の五月晴れのように、何故だが実に晴れがましい気分となり、自分で言うのもおこがましいが、正に『天晴れ!天晴れ!!』でござった。
一連の神事後、今度は揃いの半纏を渡されて、この集団も神輿の担ぎ手として渡御に参加することになったのでござる。全部で三基の神輿があり、二番目に大きい神輿を居合集団が担ぐこととなり、広場を出発して駅前ビル一周の渡御に繰り出したのでござる。手前は、地元町会の祭礼で慣れていることもあり直に調子を合わせられ、久しぶりに血が騒いだのでござる。やはりあの威勢のいい掛け声は本当に結構なものでござるな。会の若い人の中には、神輿を担ぐのは始めてだという人もいたが、次第に慣れて楽しんでいたようでござった。こうして一時間ぐらい担いだ後、再び広場に戻り、その後地元の方は夕方まで地域一周の神輿渡御を続けるが、手前共の一連の神事参加は終了となりお開きとなったのでござる。もともとお祭り大好きの江戸っ子故、このような行事に参加出来たのは、本当に嬉しく、満足感と快い疲労感が漂い、その後のビールは最高の味でござった。(完)
PS:写真は居合の場面と神輿渡御です。尚、最後の写真は、この文章とは何ら関係はござらぬが、今年は手前の初孫の初節句で、その時に飾ったものでござる。

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やはり満開の桜の下は最高でしたが…!?今年の花見報告でござる。  [2010年04月08日(木) ]
 今年も桜の開花宣言が早々と出されたのに、その後底冷えの寒さがずぅ〜と続き、いつ満開になるのか?花見はいつになったら出来るのか?と一人で勝手にやきもきしていたのですが、ようやく4月に入ると満開となり、花見というムードが一斉に漂い始め、なんとなくホットしたのでござる。やっぱり日本人にとって花見は切り離すことのできない年中行事のビッグイベントだと思っておりまする。
やっと花見ムードが盛り上がった先週の土曜日(4月3日)手前は、『柴又さくら祭り』に花見と大道芸の披露を兼ねて参ったのでござる。場所は葛飾柴又の寅さん記念館の上にある江戸川土手にある柴又公園で、ここからは寅さんの映画で必ず最初のシーンに出てくるあの懐かしい河原風景が一望できるところで、思わず「男はつらいよ!」の唄を口ずさんでしまうところなのでござる。この公園内に立派な桜の木があり、その下に屋台や大道芸広場があり、花見としては最高の設営で、当日は天気も申し分なく、風は多少あったが、心地よいといった感じで(気分次第でそのように感じるのかも知れぬが!)、早速花見を楽しみながら、大道芸の準備を行なったのでござる。当日の大道芸のプログラムは、手前の「江戸曲独楽芸とガマの油売り」のほか、パントマイムやジャグリング、更に何とベリーダンス!も組み込まれ、それぞれ2回行なわれ、花見に来られたお客さんに喜んで頂いたようでござった。今回手前の曲独楽芸は野外では始めてなので、風などの影響を受けて、果たして上手くいくかと案じておりましたが、何とか無事にこなすことが出来、その時感じたのは、満開の桜の下で、観客にも恵まれ、日本の大道芸を披露できるのは、非常に気持ち良いことだということと、やはり桜の下では、曲独楽芸のような伝統芸の方のが「絵になる!」ということでござった。手前が、大道芸を続けているのも、このような雰囲気が好きで、他人を喜ばせることより、むしろ自らが楽しんでいるからではないかと思った次第でござる。いずれにせよ日本の大道芸には恰好の場所で、且つ寅さんゆかりの地で演じることが出来たのは至福の極みで、演技後の花見酒は最高でござった。
翌日の日曜日は、孫の顔見たさに花見を口実にして、練馬にいる娘のところへ、デパ地下で豪華弁当を買い求め(これを餌にして!)、花満開の石神井川のほとりへ娘一家と花見に出かけ、多少肌寒かったが、久しぶりにファミリーでの花見もやはり乙なもので、結構毛だらけでござった。月曜日は地元町会の花見の宴が町内にある公園で開催される予定であったが、降雨のため翌日順延となったが、火曜日は天気もよく気温も上昇し、夜桜見物には最高の晩でござった。しかし、この花見で思わぬ大失敗をやらかしてしまったのでござる。さて、その大失敗とは?!それは「飲酒○○!」なのでござる。
それは、飲酒運転(そうだったら今頃収監されてこのブログも書けない筈!)ならぬ「飲酒演技」で、とんだ大恥をかいてしまったのでござる。公園内の大きな桜の木の下で、顔見知りの仲間が30人以上も集まり18時ごろから酒宴が始まったのでござるが、手前は、仲間同士の花見ということで、あとで余興を披露するということより、花見の雰囲気に乗り遅れないようにという意識の方が強く働いて、いつもより飲むピッチが早かったのでござる。上等の美味い日本酒が出されたので、飲み逃がすまい!という呑兵衛のスケベ根性も輪を掛けたようでござる。こうして余興タイムの時にはすっかり出来上がってしまっていたのでござる。手前は、花見に相応しい皿廻しと曲独楽芸と南京玉すだれの道具を用意しており、ご指名が掛かったので酔っ払っているにも拘わらず演技を始め、何とか皿廻しは無事終えたものの、独楽芸に移った途端、末広という芸で、扇の上に独楽を乗せることが出来なかったのでござる。自分では大丈夫だと思っていても、高速で回転している独楽を扇の天辺に移す動作が、酔っ払っているため遅くなり、タイミングを逸して独楽を落としてしまい、面目を失しない「こまった、こまった、こまどり姉妹!」なってしもうたのでござる。そのとき脳裏にふと浮かんだのは「飲んだら乗るな!」というあの警語で、もし車の運転だったら大事故を起したのではないかということでござった。お立会いの仲間から、「失敗もご愛嬌の内!」と慰めの声を掛けられたが、とにかくみっともなく、今後は「飲酒演技厳禁」の誓いを立てたのでござる。ここで座が白けると困るので、即座に南京玉すだれに切り替えて何とか花見の宴を盛り上げたのでござるが、手前はすっかり凹んでしまっていたのでござる。宴のお開き近くで、酔いが醒めてきたころリベンジとして、末広を披露し今度は成功裡に終わったが、「時 既に遅し!」でござった。シニアコムの皆さんも、くれぐれも「飲酒○○にはお気をつけ下さい!こうして最後は、ほろ苦い花見とはなったが、今年もお蔭様で十分に花見が楽しめたという満足感を得ることができたのでござる。(完)写真は柴又まつりの風景でござる。

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