「48年の現場写真見つかる
2008年8月12日の琉球新報引用
米軍統治下の1948年8月6日に、伊江島で起こった
米軍弾薬処理船(LCT)爆発事故直後の現場写真が、
県公文書館が米国国立公文書館で収集した資料から見つかった。
船から約90メートル離れた家屋が破壊された様子や、
360メートル先まで飛び散った船の破片、
散乱する死体など、102人の死者を出した
爆発のすさまじさを表している」とあります。
当時のことは、お年寄りから聞かされてはいましたが、
写真を見て、改めて事故の悲惨な様子を知りました。
そして、戦争の怖さも知りました。
本当に辛く悲しい気持ちです。
このような事は、二度と起きて欲しくないと強く願います。
沖縄県公文書館より引用
事故現場から約90メートル離れたところにある破壊された家屋の様子。
450メートル後方に部分的に破壊されたコンセットハウスが見える。
爆心地から360メートルの地点まで吹き飛んだ輸送船の残骸
米国国立公文書館から収集した伊江島米軍弾薬輸送船爆発事故
(1948年8月)に関する資料など3簿冊を公開しました。
(平成20年8月6日)
1948年8月6日に伊江島の波止場で発生した米軍の弾薬輸送船
(LCT1141)の爆発事故に関する米軍の内部資料です。
その日は夏休み中だったこと、たまたま地元の連絡船が入港して
いて多くの人が出迎えに来ていたことなどで、
死者107人、負傷者70人を出し(米軍事故調査委員会報告書)、
米軍統治下の沖縄で最大の犠牲者を出す事故となりました。

爆心地から30〜35メートル離れた地点に散乱する遺体を前にする地元民。
X印が爆心地、XX印が爆発した輸送船の残骸
この事故で多くの子供達や住民が犠牲になりました、
本当に辛い悲しい出来事だったことでしょう!
記事に載せるのもためらほどの惨劇の写真ですので、
編集しました。
戦争がどんなに悲惨なものかをこの写真をとおして
多くの方に伝えられたらと思います。