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奥山にヤマメ・アマゴ・岩魚を求めて25歳から今日まで渓流釣りを趣味として参った私です。今も数すくない現役として頑張っています。釣り日記以外にも、つれづれな想いも書こうかと思料。遠慮ない応援・叱責をお待ちしています。

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◆浜松祭りの旅 [2008年05月06日(火) ]


この連休の2〜5日、長男の住む浜松に出かけた。
浜松祭りは3〜5日に行われ、昼間は100町を超える日本一の大凧揚げ大会が中田島砂丘で、、夜は80台の絢爛豪華な御殿屋台の山車行列がある。3日間で100万人が観光に来るという。

400年も続く凧揚げは午前中は各町内の初節句の子供の名前と家紋入り特注大凧を揚げ、午後は凧揚げ合戦で10畳もの大凧で他町内の凧を糸切り合戦して落とす。



私の長男の次男が丁度初節句とて、名入り大凧(三畳大)を揚げるので、そのお祝いと応援で出向いたわけである。なにしろ町内会で凧を揚げてもらうには、制作費・三日間の揚げ手人件費で30万円かかるので、私どもジジ・ババもいくばくか拠出支援した。



一度の凧揚げは30分ぐらいだ。順番が来ると組長がその旨を告げ、大凧の前に初節句の親子を立たせラツパと太鼓を鳴らし、30人位がエイエイと叫び手を振りかざす。次いで大凧を手拍子とともに揚げはじめ、上空50〜100メートルまで引いて揚げ、頂点に達すると手を離し徐々に高度を落とす。半分ぐらいになると、再びロープを引き元の高度まで揚げるの繰り返しが20分続き、最後は組長の合図で地上に降ろす。父親はロープ引きの先頭に立つ。この間ずっと鳴り物隊は応援演奏だ。降ろした凧を立てその前で組長の祝いの挨拶があり、親子は町内の組子に肩車されて組テントまで戻る。最後に万歳三唱で初節句凧揚げが終わる。とまあ、こういった手順で式は行われるのだった。私共も挙げてもらう親子と一緒に行動し、組子がビデオやカメラをすべて撮ってくれます。
この祝い行事が三日間続くので30万円は決して高くはないと思う。ん!!! 親馬鹿かもね。でも可愛いわが子を町内の大勢が祝ってくれるのだから良しとしよう。

4日間、旨いものばかり食べまくったので、帰宅後計ると体重2キロ増。でも体脂肪率は何故か逆に大幅ダウン。といった今日6日です。

写真1 会場の大凧 このとき55ヶの凧が乱舞
写真2 孫の大凧
写真3 私達三世代

Posted at 21:54 | 旅行 | この記事のURL
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◆仙台旅行レポート(3完) [2007年06月09日(土) ]


いよいよ最終日。
今日は夕方の航空便で大阪に戻るのでPM3に空港に着くまでの時間しかない。

今日の目的は、廃藩置県で城を放棄して、26代が移り住んだ伊達藩時代からあった「真山藩屋敷」の跡地の探索だ。この26代・真山総三郎為経が家内の曹祖父だ。



当時の藩屋敷の一帯は今は東北大学のキヤンパスだ。広大なキャンパスに入りそれらしき標識を探すも跡地は発見できず。ふと見かけた建物に「東北大学史料館」とあり、ここに飛び込み責任者に会う。文学部の専任講師の方で、無理なお願いにもかかわらず、館員と資料探しに奔走(写真1)され、ついにその場所を特定いただく。



写真2の古地図のピンク個所が目的地だ。「16代・真山今之助重常」の名称が記載されている。で、その場所の現在地はと調べて貰うと、大学北正門前の教会敷地だとのこと。何度もお礼を述べてここを辞する。



早速教会(写真3)を訪ね牧師さんに面会。これこれしかじかと述べ、この敷地内に「行人塚」がないかを尋ねるがそれらしき跡はないと。「行人塚」は16代に子がなく、真田幸村の孫を養子として迎え17代にしたとき、その17代が大阪夏の陣で戦死した幸村を弔う碑を藩邸内に建立したとある。牧師の話によると、この教会は明治20年に建てられ今日まで数回建て替えされたと。当初は丘陵地形だったが、何度かの区画整理で今の平地になったという。その過程で取り壊されたのではないかとも。

これを聞いて合点がいった。16代総三郎(家内の曽祖父)は明治17年に藩邸を売却してその金でアメリカ留学し、ビール製法の技術を持ち帰り、北海道や各地で日本のビール製造にに尽力した。17年に売却した土地に20年に初代教会が建ったのに合点がいく。
かくて一番至難のテーマがクリアできて大満足の最終日となった。

これにて一件落着と、このあとはのんびり観光とする。

こから西方5分の仙台青葉城に登り城跡や伊達政宗の騎馬像を観て、頂上茶屋で政宗御膳をいただく。このあとのんびり一般道経由仙台空港着。
女性二人組はここぞとばかりふんだんに土産物を買い、方々に宅配している。よほど気分がよいのだろう。

帰宅後の今日も「牛タン燻製」「笹かまぼこ」「銘菓・萩の月」を賞味している私であります。

以上が、仙台旅行レポートでした。明日から渓流釣りも再開。それとアユ釣りにも行かせていただきま〜すっ。奥方のご機嫌、ことのほかよろしい。私にとっても大成功!!!

Posted at 09:26 | 旅行 | この記事のURL
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◆仙台旅行レポート(2) [2007年06月08日(金) ]
今日はルーツ探索の二日目、家内の祖母出身地・大崎市である。

真山藩28代の菩提寺「真昌寺」に行く。和尚不在にて奥さんに昔話を聞き、墓所参拝。



墓所は昭和60年に29代が改築し、累代の墓が周囲に再配置されていた。写真1

ついで信州諏訪氏の武士であった初代がこの地に移封されたとき(1350年鎌倉幕府の命)、一緒に分祀した諏訪神社に詣でる。写真2



明治の廃藩置県で取り壊された「真山城址」を訪ねる。写真3の上の丘陵にあり、今は平らな城跡が果樹園になっていた。



最後に29代の居宅を訪ねるが、アポなしだったため所用不在とて面会できず。

本日の予定は完了したので、夕方まで観光タイムとする。

20キロ北上し、東北三大温泉の一つ鳴子温泉郷に行き、間食に名物そばを食す。これがまた超うまかった。
この頃から強い雨に遭い、10キロ上の鬼頭温泉入湯を目指すもPM4で立ち寄り湯は閉まり断念。このあたりは荒雄川といって有名なC&R区間とて仕舞寸法40センチの渓流竿と小物一式持参するも、時間不足と豪雨のため断念。
もう一度鳴子に下り旅館の「緑色の湯」に入り満足。

あとはのんびり仙台市のホテルに戻り就寝。
すべてアポなし訪問だったので会えない人もあったが、目的の80%を達したのでこれで良しかなと。代わりに念願の「緑色の湯」に入れてカバーできた。

Posted at 09:13 | 旅行 | この記事のURL
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◆仙台旅行レポート(1) [2007年06月07日(木) ]

5.30〜6.1の三日間、家内のご先祖ルーツを訪ねての旅行記。

家内の祖父は石巻市出身の医者。
祖母は仙台北部・大崎市の小藩「真山家」の18代真山総三郎の長女。

はじめてのご先祖探しとて、家内の妹も急遽参加での三人旅。主役は直系の孫二人とて、私は御付の人兼レンタカードライバーとして奉仕する役。これで長年の放蕩のツケがチャラになると思うが、甘いかな〜?

初日・古文書「真山領主実録」を携えて仙台空港着。
昼時とて空港内のレストランで先ずは腹ごしらえにと、仙台名物「牛タン定食」に舌鼓。

でレンタカーを借りて一路石巻市へ。祖父の本家を訪ね再従兄妹と歓談。本家の墓参。
夕飯をご馳走になる。これがまた地場の珍味だらけ。鮪・生ウニ・鰹の刺身・子持ちシャコほかいろいろ。中でも絶品は「ホヤ」、みな初対面とて完食したが、辞去したあとでの感想は食えたもんじゃないと一致。

夜10時仙台のホテルに入り、初日スケジュールは達成。
本日のトラブルは、知らない車とてナビの目的地設定にテンヤワンヤしたのと、高速の入口で運転席ウィンドウを開けるとき、隣のボタンを誤って押したとみえてハッチバックドアを開けたまま走行したこと、ぐらいかな。
写真は真ん中下が「ホヤ」の酢の物。食べている途中で撮影したもの。



ホヤは三陸沿岸の特産、軟体動物で、岩場に固着している。
海のパイナップルとも呼ばれるが、地場以外では食しない。
食感は、コリコリしたイソギンチャクで、そのものにはこれといった味はなく、味付け次第で化けるかも。酒の肴になるかもね。写真2は外観と中身を詰めたもの。

追伸・生ウニは私一人でたいらげました。あはははは。

Posted at 09:15 | 旅行 | この記事のURL
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◆とうとう行くことに決定 [2007年05月14日(月) ]


念願の地に遠出することに決めた。今月末30日から二泊三日で。行き先は仙台。

と書くと、はは〜ん、渓流釣りで東北遠征か、と思いますよね。
私もそうしたいところですが、釣竿持参なしなんです。うーん、残念。

実は、私の家内のご先祖のゆかりの地に、初めて足入れしようというわけです。
ここだけの話、内緒なんですが、家内は城主の末裔でして、死ぬまでに一度この目でその地を訪ねたいとかねがね言っていたものですから。
場所は仙台北の大崎市(旧古川市)、1350年から延々28代続いた「真山藩」がそれで、今も地名に「真山○○」と呼ぶ地区が25ヶ所あって、その中心に「要害」という城跡があります。
なんでも、ご先祖は諏訪氏といって信州上田の武士だったが、鎌倉幕府の命で東夷征伐のためそこに移封され、以後ずっと定着、真山城主と呼ばれたが、徳川幕府からは伊達藩傘下の小領主となった。明治維新の廃藩置県とともに26代は城を政府に明け渡し、以後平民として仙台市片平町・真山屋敷に住む。屋敷内に「行人塚」と呼ぶ真田幸村の弔い塚があるそうです。
家内はこの26代の長女の孫にあたります。(写真はその当主)
26代には男子できず、家老の子を養子にして、27代、28代と続いてはいますが血縁は切れています。
以上のことは手元にある家系図と領主録に記載あるもの。

というわけで、先祖ゆかりの地をこの目で見に行くことにした次第。
釣りはさておき、今度だけは家内孝行しに行って参りま〜すっ。
長年の我侭のツケをここで一気に返済できるかな?

Posted at 08:30 | 旅行 | この記事のURL
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◆ミステリー旅行 [2007年05月02日(水) ]


私には二男一女がいる。
上の二人は結婚して都会にいるが、次男坊は独身で同居中だ。
建築設計士でCAD設計を10年やっている。
30代なので前から結婚を勧めているが、面倒くさい結婚はいやだと言う。
「親をみてるとそれが判る」と言うのが憎たらしい。
生涯結婚しないとも宣言する。
が、上の二人も同じことを言っていたが、ある日突然結婚すると言ってきたので、さほど気にはしないことにしている。



この次男にはある奇妙な癖がある。
行き先不明のドライブ旅行に時々でかけることだ。
一人だったり友達とだったりで。
ある日突然ちょっと出かけるという。
どこにと聞くと、わからんが、走りながら行き先を決めるという。
取り敢えず東西南北だけ決めて出発する。日帰りか泊まりかも決めずに。

かくて、その夜電話してきて、今どこそこに来た、今夜はここに泊まると連絡がある。
それは、四国松山、瀬戸内海小豆島、琵琶湖一周、伊勢志摩、能登輪島だったりする。
旅行社のバス旅行で「ミステリーツアー」というのがあるが、それと同じだ。

一度なんかは九州博多に着いたが、気が変わって日帰りで戻ってきた。
往復1400キロを一人で運転して。まるで長距離トラックなみではらはらさせる。
以前日記に書いたが、日帰りで兵庫県から東北宮城に名水汲みに行った知人があると。
これはまあ、同好者4人で交代運転で走りっぱなししたから出来たこと。

もう一度なんか、私共夫婦がマイカー旅行で岐阜の白川郷に居たときのことだ。
次男から携帯に電話あり、「今、箕面にいる」と。ふーん、長女が大阪府・豊中市に住んでいるので、そこに遊びに行く途中かと思い「気をつけてな」と電話を切った。
その1時間後再び携帯が鳴った。「今、白川郷に着いた」というのだ。
えーっ、なんでここに来れるのかと驚いた。会って聞いてみたら、「今、美濃にいる」と言ったそうだ。美濃は名古屋と白川郷の中間だ。突然思い立ってやってきたという。一緒に昼食して、本人はとんぼ返りで白山スーパー林道経由で帰っていった。一度スーパー林道を走りたかったらしい。

聞くと「今しか出来ないことをやる」という。

まあ、あんなこんなで、ミステリーツアー好きのわが次男ではある。
これから先、どうなることやら ???


Posted at 11:20 | 旅行 | この記事のURL
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◆九州旅行レポA(完) [2007年03月31日(土) ]

つづきの第三日。
今日は都井岬から宮崎県を海岸沿いにバスで北上する。そのまんま東知事に会えるかも? ここ宮崎県は昭和40年代は新婚旅行のメッカだった地。
景観のよい「堀切峠」、青島の「鬼の洗濯板」、断崖絶壁の「馬ヶ背」を見て、本日メインの「高千穂峡」に入る。



日本の滝百選に入る「真名井の滝」が有名(写真1)。ここは平家の落人でも著名な地。釣り好きの私は村人に聞くと、この源流にヤマメがいるとのこと。残念、今回は竿持参せず。夕方、阿蘇のホテルに着く。

第四日。
午前中、阿蘇周遊。「白川の湧き水」、ついで「草千里」、そして「阿蘇ファームランド」。



草千里は標高1000メートルに位置し、すぐ近くに噴火口あるも活火山とて火口には行けなかった(写真2・噴煙の火口を2キロに望む)。



午後出発し、福岡県の「柳川で川下り」(写真3・おぉ情緒ある〜)、夕方小倉からの新幹線で大阪着。
夜も遅く連れの家に泊めてもらい、翌日夕方帰宅した。

期待していた九州のサクラは四分咲きでチョット残念。
九州土産をどっさり買い込んだが、読者には送れないのがもひとつ残念!!!


Posted at 08:07 | 旅行 | この記事のURL
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◆九州旅行レポ@ [2007年03月30日(金) ]


私達夫婦と家内の妹夫婦の四人で、25日から4泊5日で南九州にツアーで旅行してきた。
すみませんね〜、皆さん忙しく働いていらっしゃるのに。まあこれもリタイアしたシルバーの特権でしょうか。私も現役の頃は死ぬほど働き、その反動でか気侭な趣味人生にどっぷりというところ。

初日。
早朝の地震は列車の中とて、まったく分からず車中のアナウンスで知る。大阪発の北陸行き雷鳥などが不通とか。



大阪南港発・フェリー「さんふらわー号」に夕方乗船(写真1)。四人一室の寝台室だ。夕・朝食はバイキング。展望風呂に入るが、外は真っ暗。9時消灯とて何もすること無し。左右にローリングするのがチョット気持ち悪い。

二日目。
朝9時、鹿児島県の志布志港着。このあと道中はすべて観光バス。



鹿児島市内で、黒酢を試飲、「島津公の名園」で昼食(写真2は名園内の大砲前で私達夫婦・またもや顔バレバレ)、薩摩焼酎の試飲、かるかんの試食などの後、宿のある宮崎県・都井岬に向かう。

ここ都井岬は120頭あまりの野生馬がいる。運がよければ近くで見れるとか。ラッキーにも車窓から数グループを見て宿に入る。荷物を預けさっそく「野性馬」探しに出る。



いたいた、二頭、近づいて撮影。5メートルに寄ると歯を剥いて威嚇された。夕方なので写りはよくないが撮影できた。貴重な写真となる(写真3・二頭がじゃれている)。


Posted at 18:20 | 旅行 | この記事のURL
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◆通称「枯葉マーク」の話 [2007年03月17日(土) ]
         

正式名称は「高齢運転者標識」で、3年前から70歳以上は車の前後に付けることになった。付けなくても罰則はない。かくいう私も有資格者だが普段は付けない。だが例外をつくった。

昨秋家内と信州高原に旅行した。片道450キロのうち8割が高速道路の運転だ。そこでこの旅行だけは「枯葉マーク」を付けてみた。なんと効果絶大、まわりが遠巻き運転してくれたのだ。「やっぱなー付けてみるもんだ」と嬉しかった。
ところが時にはジャスト制限速度の運転者が前にいるもの。やむなく追い越すが、そのうち追い越しの快感が湧き上がり、一般車も次々と追い越しをしてしまった。「おいジジイなにすんだよー」と他車から見られたような気がする。
そういえば高速道路では「枯葉マーク」を全く見かけなかった。

お蔭で早着し、そのご御嶽山の開田高原・乗鞍高原・上高地と快適な旅行を楽しんだ。

 どもども 【(゜゜) (。。) ペコッ  □\(.. )】 反省しきり -----「年寄りの冷や水」

Posted at 18:42 | 旅行 | この記事のURL
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