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祇園山笠 [2008年05月12日(月) ]

祭り前は変哲もない田舎町だ。嫌いではない雰囲気。


4,5月は祭りの多い時期である。
このあたりでは続けて山笠がある。
「山笠があるけん、博多たい」というが、なにも博多だけの専売ではない。
田川郡糸田町の祇園山笠が5月10,11日にあった。
【近くの行橋市の今井祇園の流れをくむこの祭りの起源は、京都八坂神社の祇園御盆会にあると言われ、1700年頃からの伝統行事とされている】

高さ6メートル・重さ2トンあり、2本の担ぎ棒を藤カズラで屋台に縛り付けた担ぎ山笠。屋台の上に合戦場面を演ずる勇壮な武者人形を乗せ、城郭や城壁を桧の葉や若竹で摸すなど、その飾付けは豪華絢爛にして迫力満点だ。飾り山笠を担いで鉦と太鼓のリズムに合わせ、独特の掛け声「エンヤヤッサ・コラヤッサ」とともに町内を練り歩く勇壮な祭りだ。
40人から50人の屈強な若い衆ー確かに若くはあるが、中には頑丈とは言えないタイプも混ざっている。だが勢いとは恐いもので、汗だくになりながら押したり引いたりしている姿を見ると、みんな頼もしい。
引く組が“エンヤヤッサ・コラヤッサ”と声を上げ、後の押し組はそれに応える。
山車の上の若者が音頭を取って、アドリブで笑わせる。
エンヤヤッサ・コラヤッサ
  (エンヤヤッサ・コラヤッサ)
糸田の町は 良いとこバイ
  (糸田の町は 良いとこバイ)
エンヤヤッサ・コラヤッサ
  (エンヤヤッサ・コラヤッサ)
花園ラーメン うまかバイ
  (花園ラーメン うまかバイ)
ときにはスポンサーの宣伝もするが、ネタがなくなると、
エンヤヤッサ・コラヤッサ
  (エンヤヤッサ・コラヤッサ)
そこのネェちゃん イッ○ツやらせんね

などとえげつなくなる。
これも怒鳴り声と汗に紛れて祭りをつくりあげる大きな要素になっている。こんものでもなければ面白くない。とにかく茶髪の兄ちゃんたちにかかっている。そんな勢いがあった。

筑豊では、
直方祇園山笠(直方市)
飯塚祇園山笠(飯塚市)
川渡り神幸祭(田川市)
八屋祇園(豊前市)
中間山笠(中間市)
春日神社例大祭(宮若市)
日吉神社祇園祭(宮若市)
いなつき祇園山笠(嘉麻市)
岡湊神社祇園山笠(遠賀郡芦屋町)
東黒山祇園山笠(遠賀郡岡垣町)
老良祇園(遠賀郡遠賀町)
島津の祇園祭(遠賀郡遠賀町)
糸田祇園山笠(田川郡糸田町)
苅田山笠(京都郡苅田町)
とあり、地域ごとの特徴が結構はっきりしている。

そもそも祇園山笠は、巡行することで集めた厄を祓うという意味で執り行われるらしいが、単なる年中行事としても地域にもたらすものは大きい。
‘祇園’と聞くと、京都の舞妓さんを連想するが、本来は「祇樹給孤独園(ぎじゆぎつこどくおん)」の略で、祇園精舎は【 (梵) Jetavanavihra
須達(しゆだつ)長者が釈迦とその弟子に寄進した寺。中インドの舎衛(しやえ)城の南に旧跡がある。もと祇陀(ぎだ)太子の林園で、須達長者を給孤独(ぎつこどく)とも呼んだことから、祇樹給孤独園、略して祇園という。祇陀林。逝多林(せいたりん)。給孤独園(ぎつこどくおん)。】とある。

とにかく、どぎつい法被をまとい大声で喚き、酒をカッ喰らって憂さを晴らせば、楽しい祭りである。



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具墨(ぐずみ)になり [2008年05月11日(日) ]
肌がくすんできた
目鼻が古い板壁に浮かぶ紋様になる
粗い色合いのなかに
節穴のアクセントが
なんとか顔の面子を保ち
風雪によるのか
朽ちていく過程がどうだとばかりに
あまりにも明らか

心臓を裏返すと痛い
外が内になり中が外になり
さらけ出て
鼓動がさらけ出て
元の基の
dokkin dokkinがむき出しになり
縦横の血管に血が走るのを見ていると
遠い昔の
母の青く透き通った乳房に
細く浮き出た線を憶い出し
自分を懐かしく見つめて痛くなる
これがくすみということか

くすんでいく

Posted at 17:04 | | この記事のURL
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都々逸もどき 2 [2008年05月10日(土) ]




      暮れて日暮れて 飛ばないあんた
        
              惚れりゃここまで 飛んできて


                          *飛行機雲に思いを寄せて

Posted at 13:01 | 写真 | この記事のURL
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くすみ色 [2008年05月09日(金) ]






Posted at 20:56 | 写真 | この記事のURL
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都々逸もどき [2008年05月07日(水) ]


濡れてしおれて すぼめる肩に
 
      ‘ねぇ’と呼びかけ 傘をさす



                       てなこと、ありやせんかねぇ。

Posted at 18:30 | 写真 | この記事のURL
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公園の朝 [2008年05月07日(水) ]


桜が散り
チューリップは
ぽとんと花を落とし
藤も色あせてきました
そうです
夏の始まりなんです
藤のカーテンが上がり
ツツジの彩りがお客さん




若葉がどんどん
夏の色に向かっています

まったくどうなんでしょうか
次から次に花が替わり
次から次に時季を乗り換えて
ぼくは
年老いることなんぞ忘れてしまいます
たまにはいっとき
春を一年続けて下さい
秋でもいいです
冬はいりません
わがままを言うと
夏は蝉がうるさいので
少しにして下さい

Posted at 05:25 | 写真 | この記事のURL
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炭坑はよみがえるか? 再生のシンボル [2008年05月04日(日) ]


♪月が出た出た の炭坑節で“あんまり煙突が高いので さぞやお月さん煙たかろ”と唄われた二本煙突は、今でも筑豊地方のシンボルである。
去年3月で完成から100年経つので傷みがかなり激しく、煉瓦や繋ぎ目の劣化で剥がれて落ちる危険な状態になった。高さ45メートルは26階建てビルに等しく、台風や地震による倒壊の怖れが出てきたのだ。また、旧三井田川鉱業所伊田竪坑櫓と同第一・第二煙突(二本煙突)が、この年の10月2日付けで、正式に国登録有形文化財(建造物)へ登録されたこともあり、田川市は厳しい財政状態ながら、去年10月に全面的な補修に取りかかった。
【竪坑櫓と二本煙突は、現存する明治期のものとしては全国でも最大級の規模を誇り、登録基準である『国土の歴史的景観に寄与しているもの』に該当するとして、高く評価されています。田川が誇る筑豊炭田のシンボルであり、全国的にも貴重な産業遺産です。
なお、当該文化財の正式名称および概要は、以下のとおりです。
■旧三井田川鉱業所伊田竪坑櫓 1基(登録番号:40-0051) 
 【構造】鉄骨造    【竣工年】明治42(1909)年
■旧三井田川鉱業所伊田竪坑第一煙突  1基(登録番号:40-0052)  
 【構造】煉瓦造   【竣工年】明治41(1908)年
■旧三井田川鉱業所伊田竪坑第二煙突  1基(登録番号:40-0053)  
 【構造】煉瓦造   【竣工年】明治41(1908)年』(田川市石炭・歴史博物館)

早速煙突の周りを囲む足場が組まれた。まるでツインビルのようで、これはこれで面白い風景をつくっていたが、作業は無事に終わって、今年5月早々に足場が外された。

はからずもこれと並行して、松原地区にあった旧炭住の住人も4月末で新しい団地に移り住み、今は無人である。よくぞ今まで我慢を重ねて住んでいたものだと思うほど朽ちている。早々に立入禁止の札が棟毎に貼られたが、名残を惜しむ人々が結構訪れている。

最近、北海道で露天掘りをしている石炭が、発電用の需要を満たしていると言われている。2005年当時、年間消費量1億7707万トンのうち99%以上が輸入されていた。国内採掘量はたったの125万トンである。だが、原油の高騰やオーストラリアの採炭量が水害で落ち込んだことや、中国の輸入が増えてきたことから、1トン13000円と高くなり、北海道のトン当たり10000円の価格が見直されてきたのだ。
北海道電力では道内炭坑に増産を要請し、これまでの2倍に当たる年間100万トンを購入するという。このコスト安に、製鉄、製紙会社などが注視している。問題は要求される増産体制がすぐには出来ないことだ。
ならば筑豊ではどうだろうと、つい考えてしまう。無論かなりの資本投資が必要で、インフラだけでも多くの時間もかかるだろう。これはやはり国家的なプロジェクトで取り組まなければならない。また、環境の面でも石油よりCO2の排出が増え、技術開発は欠かせまい。技術に生きる日本としてはなんとしても、石炭のガス化および液化を実現して欲しいものだ。
これまで九州で生産された石炭の総量はおよそ16億トンで、埋蔵量としてはまだ80億トンが残っていると見積もられている。
では世界的にはどうなのか。
IATAや「BP統計2004」によると、石油の可採年数は41年、天然ガス67年、ウラン61年である。そして石炭はあと約192年といわれる。エネルギー資源としてはまだまだ採れるわけだ。

煙突が装いを新たにし、炭住が3−5階建ての洒落た団地に生まれ変わった。高齢少子化はやむを得ないが、せっかくの資源を眠らせておく手はない。年はとっても、おいちゃんおばちゃんはまだまだ背筋はピンと伸びている。筋もピンと入っている。貧しくてカップ酒を惜しむように飲む日々であっても、川筋気質は生きているのだ。二本煙突のようにシャキッとしているのだ。条件はそろっている。蘇らそうではないか。再生しようではないか。



Posted at 17:01 | 日記 | この記事のURL
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ポピーは まよった [2008年05月03日(土) ]


あなたはどこから とんできたのですか?

だれもふりむかない まちはずれの
あってもなくても きがつかない
くさむらがあって
あなたはそこを たずねてきました
きっと よていなんかなくて
きまぐれな かぜにのって
きまぐれな たびのせいで
たずねてきました

ぼくなんかより きまぐれで
ほんとうに きまぐれで
よくもまあ ずうずうしくもまあ
はなを さかせたものです
なかまも いたでしょうに
すねて ひとりで
めだとうと しているんです

そりゃ てんきはいいですよ
もう なつみたいですよ 
だからといって
ぼくのめのまえで 
さかなくても いいではないですか
きっと
そよと ふかれて
そよと かぜにふかれて
ゆら ゆらゆららと
たおやかに ゆれるようすを みせたくて
ざっそうより めだちたいんです
いっておくけど そうかわりません
ざっそう といわれている
たくさんの くさには
いっぽんいっぽん なまえがあります
ほんとうは ちゃんとなまえがあるのに
めんどうだから おぼえてもらえません

ざっそうといっしょに
ゆれたら いいではないですか
みぎに pipipopepepi
ひだりに raririrarare
ばったのgasagosokosoと いっしょに
ゆれて みましょう
どうせまた 
とんでいくのでしょう
だから ぼくでよければ
あなたを つんであげましょう



Posted at 14:18 | 写真 | この記事のURL
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ラジオ体操の勧め [2008年04月30日(水) ]



カタカタと下駄の音を鳴らしながら、町の広場に集まると、
♪タンタカタカタカ タンタカタカタカ タカタカタカタカタァ 
と、ラジオ体操のピアノ前奏が、晴れわたった夏の早朝に風に乗って聞こえてきた。昭和20ー30年代のやせ細った少年少女は、体をぎこちなく動かしながら、「今日はなにして遊ぼうか」と、夏休みの特権を精一杯に生かすために目を輝かせる。
真っ黒な背中の皮の剥き合いが始まる休み後半になっても、あと7日、あと6日と、しぶとく遊びの姿勢は崩さない。宿題の未消化だけがふくらんでいくが、ラジオ体操をしていると机より蝉や鮒、蛙や小川のイメージが次々に襲ってくる。したがって、朝ご飯をかき込んで一目散にトンズラしては、昼飯時に帰宅して怒られることの繰り返しだった。
もしラジオ体操がなかったら、結構おとなしく宿題をこなしていたかも知れない。大人の今になっても、勉強しなかったのは体操のせいにしておいた方が、気楽に夏休みを話せるというものだ。

ラジオ=ラヂオ体操とは、そもそもと語るだけの知識も興味もないが、気になって検索した結果は次の通りだ。
【昭和03年11月   旧ラジオ体操第一は、
逓信省簡易保険局が昭和天皇ご即位の大礼を記念し、「国民保健体操」という名称で制定され、NHKの電波にのって放送開始
  昭和05年07月   東京神田和泉町でラジオ体操の会(子供の早起き大会)開催〜ラジオ体操会の始まり〜
  昭和07年07月   旧ラジオ体操第二を制定
  昭和14年12月   旧ラジオ体操第三を制定
  昭和21年04月   旧ラジオ体操を中止し、新ラジオ体操(第一〜第三)を制定し、放送開始

この頃から今風になる。
  昭和22年09月   新ラジオ体操の放送中止
  昭和26年05月   現行のラジオ体操(ラジオ体操第一)の放送開始
  昭和27年06月   現行のラジオ体操第二の放送開始
  昭和28年07月   夏期巡回ラジオ体操会の開始
  昭和31年09月   ラジオ体操の普及奨励に寄与した功績の著しい個人又は団体を対象に優良団体等の府県別表彰を開始
  昭和32年10月   テレビ体操放送開始
  昭和37年03月   常陸宮殿下のご来臨を得て、「全国ラジオ体操連盟」の結成式を挙行
  昭和37年10月   1000万人ラジオ体操祭の開始、優良団体等の全国・地方表彰の開始
  昭和45年08月   第9回1000万人ラジオ体操祭中央大会を大阪府万国博覧会内お祭り広場で実施
  昭和53年07月   ラジオ体操50周年記念第17回1000万人ラジオ体操祭中央大会の実施(東京都内)
  昭和53年10月   ブラジルでラジオ体操会が発足
  昭和63年08月   ラジオ体操60周年記念第27回1000万人ラジオ体操祭中央大会の実施(長野県内)
  平成04年08月   第31回1000万人ラジオ体操祭中央大会を大阪市長居陸上競技場で実施
  平成10年08月   ラジオ体操70周年記念第37回1000万人ラジオ体操祭中央大会の実施(東京都内)
  平成11年09月   国連の国際高齢者年にちなみ「みんなの体操」を制定
  平成15年12月   ラジオ体操が「2003毎日スポーツ人賞文化賞」受賞 】

今ではテレビ体操に引き継がれた部分もあると思うが、無理せず気楽に体を動かすにはもってこいである。
国内のみならず、海外の日本企業で採り入れているところもあると聞く。そういえば、わたしも数十年、会社勤めの時に経験している。よく見ていると、ダラダラや無駄な動きが覆い。仕方なく体を動かしているタイプは本当にみっともない。むしろやらないほうが周囲はいらいらしない。他方、やたらと張り切って、目的を果たしていない人もいる。
例えば、手に腰を当てて反り返るところがあるが、反っくり返ればいいというものではない。首は常に背骨と一体化していないと意味がない。両腕を上げて反るところも同じだ。体の硬い人ほどその傾向がある。
まともにすればどんな良いことがあるのか。
先ず、ラジオ体操なら、激しい動きやゆったりした動きが組み合わされており、短時間で効率よく全身を動かすことができる。
わたしの場合、息切れがどんどんひどくなっているが、呼吸器系の運動能力低下と脚力低下が原因とか。ラジオ体操の胸を伸ばす運動や深呼吸で呼吸器系を鍛え、両脚で跳ぶ運動や脚を曲げ伸ばす運動で脚力を鍛えることができる。体の硬さも体を前後に曲げたり、体を回したり胸をそらす運動によって、背筋や腹筋を鍛えるとともに柔軟にし、腰痛の慢性化を防ぐ。基礎体力がつく訳だ。
第1・第2で計26種類の動きを組み合わせて出来ているが、これを正しく実践すると、脈拍は安静時の約2倍の100以上に上がり、約60キロカロリーを消費するという。
成人男性の場合、1日あたりの望ましい運動量は300キロカロリー。このうちの5分の1をラジオ体操で消費すれば、残りはウォーキングや日常的な活動で十分消費される。だが、ウオーキングで脚以外の筋力をつけたり、背中から腰にかけての筋肉を柔らかくするのは無理だが、ラジオ体操なら、激しい動きやゆったりした動きが組み合わされており、短時間で効率よく全身を動かすことができる。
とかなんとか知ったかぶっているが、実は中京大学体育学部の湯浅景元教授の「図解本当はすごい『ラジオ体操』健康法」(中経出版)からの引用である。

体を動かすことが好きだったにもかかわらず、どんどん億劫になっている。動かなければ錆びつくことぐらい分かっていても、老い人の無精はとどまるところを知らない。せめて、せめてでも日に2回はラジオ体操をすると決心した。これでまた子供の頃の遊びボケに少しは戻ることが出来るかもしれない。

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聖火無惨 [2008年04月28日(月) ]
【聖火リレー:留学生動員「中国大使館が関与」 オーストラリア当局者 - 毎日jp(毎日新聞)
DATE:2008/04/27 06:11
URL:http://mainichi.jp/select/world/news/20080426k0000m030064000c.html

今回の聖火リレーなるものを見ていると、徳川綱吉の犬公方を連想する。
当時のお犬さまは自分の存在価値が人間より上だとは思いも寄らなかった。もし自覚があれば、「お、この頃何故か待遇が良いな」となるが、犬は犬である。犬と聖火を置き換えてみればいい。
聖火も同じだ。そもそもなぜ‘聖’火なんだ。どこが聖なるものなんだ。
【ギリシア神話に登場するプロメテウスがゼウスの元から火を盗んで人類に伝えたことを記念して、古代オリンピックの開催期間中にともされていた。聖火は、1928年のアムステルダムオリンピックで再び導入されて以来、近代オリンピックの一部であり続けている。現在の聖火リレーは、1936年に開催されたベルリンオリンピックで、ナチスによって導入された】という所以があるが、まだ分からない。
オリンポスで太陽から採火という魅力的な儀式からはほど遠い、寝違えた首の痛みのようなけったいな聖火である。
特に‘今回’の聖火は、中国のねじれた想い
が燃えているようで、チベットの怨念と中国の‘愛国’が燃料の気がする。
長野での無意味なリレーが無事に終わったが、政府主導としか思えない集人力なのか、インターを声高に歌いながら大きな紅旗をうち振るっているプロレタリアがイベントの意味を忘れて道路を真っ赤に染め、「中国ガンバレ!」と絶叫していると錯覚した。一方、ウィグルの青い旗、「フリー チベット!」の声。現代の国威発揚とは、住民や観客の迷惑など屁とも思わず、大人数でわめくことではない。両者共々、半分ぐらい五輪の旗を持てば、「ああ、これはオリンピックのためのリレーなんだ」と思うことが出来たろうに、情けない感覚である。
後生大事に聖火を護送して何が残る。少なくとも賞賛は同類の国しかあるまい。こんなことをして無事に聖火を中国に持ち帰ったとして、本当に歓びがあるのだろうか。持ち込まれた国々の迷惑顔を見れば、「絶対に聖火を消すな」などと中国は言えないはずだ。オリンピックの歴史にどのように残るのか、チベットに変化が生まれるのか、まともに競技が出来るのか、見守っていこう。

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