見つけた神社は恐ろしく荒れていた。
田舎町の、それも片隅にひっそりと消えかけた「大宮」という名の神社ー大正に建立されたとあり、思わず車を停めてしまった荒れようである。
【大宮神社という名前の神社は日本全国に存在する。「大宮」という語は神社を敬っていう言い方の一つで、氏子などから「大宮」と呼ばれていた神社が、それに「神社」をつけて社名としたものなどである。よって、祭神は一定ではない。】
手水場も無く、石の階段は凸凹で、枯れ草で覆われ、危ないことこの上ない。無論、宮司もその住処もなく、小さな祠が神社の証としてポツンと置いてある。建ててあるのではなく、どこかで造って運んできたようだ。中には一応、家庭にあるような新しい神棚が納まっているので、誰かは気遣って最低条件だけは揃えているようだ。それだったら掃除ぐらいして欲しいのだが、勝手に来て勝手に文句を言えるわけがない。小ぎれいに整えられているより野趣があっていいと思えば、気にもならない。要するにその辺の神社の体を為していない魅力があった。
参拝に訪れる人もなく、蜘蛛の巣だけは何回も紡いでいるせいか、かなり丈夫に出来ていて、切れ方はプッツンと音がしそうだった。
狛犬の台座に「産子中」と彫ってある。字面から産土神が祀られていると思う。
日本人にとって神社は最も身近で抵抗のない宗教対象だ。鈴を鳴らしてパンパンペコは当たり前に身についており、特に願うことが無くても「拝んだ」気持ちで心もなんとなく落ち着く。そこには深い信心ではなく、山や海での日の出を拝む気持ちに似ていて、狂信にはしる一神教とは性格を異にする、穏やかで安まるものがある。
陽射しも弱まり、雲の形が丸くぼやけてきた。秋は深まる一方である。
Posted
at 17:53
| 日記
| この記事のURL
コメント(0)
| トラックバック(0)




