会場の裏側に、家周りが旧家といえる建物があった。手入れを怠っているか一時中断している庭があり、柿が鈴なりに実っている。脇に切り取った竹が20本ほど立てかけてあり、草も味のある生え方で、年を取った夫婦が息子の帰りを待っているような風情である。勝手な想像を巡らしながら、下り坂になった帰路を歩いていった。
わたしの田舎道は、中学の登校道だ。静岡駅を境に、南側は幅広ながら未舗装道路で、表駅と違って‘駅南’と呼ばれ、少々田舎ッぺのエリアだった。駿河湾に面した大浜海岸までは、殆どが田畑で、発掘されて騒がれた登呂遺跡も田んぼの真ん中。町名も中田というところの国鉄宿舎が住み家だった。昭和30年前後の話である。
そこから安倍川畔にある大里中学までは約4キロ。道幅が2メートルほどの、田んぼを貫く田舎道そのものである。雨が降ると穴凹だらけで、まだゴム長など買ってもらえず、下駄と重い番傘である。晴れると土埃が舞い上がり、芳しい匂いもそちこちから香ったが、それが当たり前の時代だ。小川でエビガニやら小魚で遊んだことも当然である。
2年前に訪れたときは、滅茶苦茶開発が進んで、面影のオの字もない。味気ないアスファルトとコンクリートと住宅が覆い尽くしている。日本全国、同じ流れに乗っていたので、大げさに言うことではないが、松崎の道は、それに比べたら雰囲気がかなり残っていると思った。進歩が変化とは限らない。変わらない逞しさが良いというと、ジジィになったなと言われる。しかしよく晴れたものだ。あまりにもカラリとしていて、これ以上思うこともないくらいだ。
基山を経て、また久留米で時間調整だ。小1時間ある。蕎麦には懲りたから他のものをと駅前を見渡したが、これといった喰い物屋が見当たらない。やっと見つけた。普段はカミさんが食べないので口にしないラーメンと餃子である。それもここ発祥の久留米ラーメンだ。早速セットで630円(ラーメンだけでは450円)を頼んだ。
ウーン、久しぶりの禁断のラーメンであったが、それなりのブランド名であったが、特製麺と自慢げだが、不味い!まずい!マズイ!ここでもモサモサの口当たりだった。ケチつけるつもりはないが、残念。
というわけで、さてどうしようかと所在なく駅前の石ベンチに座っていると、近くの木からカチカチッという音がする。見上げると、大きめの鳥が橙色の木の実をついばんでいた。
佐賀周辺にはカチカラスと呼ばれるカササギが居る。鴉とは姿も鳴き声も違う優雅とさへいえる鳥で、呼称の所以は「豊臣秀吉の朝鮮出兵をしていた時、佐賀藩祖の鍋島直茂という人が、鳴き声であるカッチという発音が〈勝ち〉に通じるので持ち帰ったそう」で、そもそもは韓国では国鳥・吉鳥といわれる。観光でここいらを通るたびにガイドは必ず同じ話をするので憶えていた。
なんやかや言う割には大した行動をしたわけでもないのに、やはり年を取った証拠なのかも知れない。ウム、自戒せねば。
というわけで、久大線、日田彦山線とのぼって帰宅した。
途中、豆畑で老夫婦がのんびりと収穫していた。
約12時間の行程ながら、わたしには久しぶりの遠出で、ヒィハァしながら歩いた成果があったかどうか。というより、成果を期待するものではないと結論づけたい。
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面影もないとは情けないものです。匂いさへ残っていません。ただ同級生たちの顔に、かすかに当時の笑顔を見ることが出来ます。ジジィになるほど薄れていくものですが・・・。
叔父様のこと、事前にお聞きしていればと残念です。
今回はなつさんの想いも知って、楽しい訪問になりました。ありがとうございました。