年に2回欠かさず行くところのがある。
櫛田神社の近くにある蕎麦屋と、動物園だ。
動物園は特に決めていない。小倉だったり福岡の海の中道だったりと、季節と気分次第だ。
昨日は福岡市立動植物園に行った。
植物園はほぼ平らだが、動物園の起伏は激しく、いつ行ってもハァハァしてしまう。わたしだけではない。子連れのお母さんたちは「ここにいるから勝手に見てらっしゃい」と、ベンチをベースキャンプにしてどっかと座り込んでいる。何年経っても変わらない風景で、公営のやる気のなさがそちこちに見られる。
入り口から右方向は巡ったが、左側のライオンなどの猛獣地域は、坂を見上げただけでウンザリしてやめてしまった。特に身障者には辛い造りの動物園だ。
撮ったのはゴリラ、犀、象、サイ鳥、エミュー、猿など。
ただ漫然とでは時間をかける意味がない。テーマなどと大げさではないが、いつも感じる檻や塀に居なければならない動物たちの気持が気になる。なって当然の事柄だ。そこが気に食わないとでも言おうか。多くは写真に語らせたい、なんて大それた思惑はないが、なんとか少しでも近づきたい。
写真で人に訴える難しさをヒシヒシと感じる。
今回は単に動物撮影ではなく、「園」とはなんだろうと思うところを撮りたかった。前にも同じようなことをアップした記憶がある。世界各地からど生き物を集めて、一定のエリアに閉じこめ展示する。人間は現地まで行かずともある程度の生態を知ることが出来るわけだ。だったら、人間種にもそれがあっていいのではないか。アジア、ヨーロッパ、オセアニア、アメリカ等に分け、募集に応じた人たちがそれぞれの風俗習慣に従って生活する姿を公開する---ウーン、これも飽きるだろうな。動物は演技をしないところが良いんだから人間なんて比ではなかろう。
カニクイザルの檻を何気なくみると、♂がチン○コをいじくっていた。初冬の暖かい陽射しを浴びながら縁側で爪を切る感じで、引っ張ったり揉みしだいている。隣の♀は知らん顔でまどろんでいる。この一景でびっくりしたわたしが隠す特技の人間であることがはっきりした。在るものは在る。退屈したらそれを扱って不思議ではない。無心でそれにいそしんで当たり前だ。ふんどしから始まって隠したり半分出したり、売ったり買ったり商売にする“人間”の恥ずかしさである。
“展示”する意味がそこにあるのかも知れない。自分が自然界で如何に恥ずかしい存在なのか、それを教えてくれるだけでも動物園は意味があるというわけだ。
ゴリラは深い塀の奥で沈思黙考。犀は昼寝かふて寝か魅力在る寝方だ。象が最も気にかかった。ドテッとしている生き物ほど神経質といわれる。わたしはドテドテとしているが例外といおうか、本物のドテなんだ。人間みんな、そうかも知れない。チン○コを隠さない猿は絶対そう思っている。この写真を撮ったが、猿さんに公開の許可を取っていないのでアップしませーん。「猿でもナントカ陳列罪だぞ」というのが人間なんだよな。
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at 19:47
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生殖だけでは済まない高等?な行為といえるかな?
でも、かなり無心でした。
わたしは、と振り返ると面白いかも知れませんね。