連想
この頃わたしの脳内に、ちょっとした異変が起きている。
瞬間的に記憶が途切れるのだ。
外出は目的地があるから出かけるのだが、車に乗って三叉路に行きかかる前に、「ハテ、どこへ行くんだっけ?」と、数秒間、頭が真っ白になり、進路をためらってしまう。自分の用事で自分だけだったらこういうことはない。カミさんの買い物に付き合って、彼女が横に座っているときが多い。他人事のように行き先をいい加減に聞いていたことが原因なのかも知れないが、ちょっと不気味である。
脳の中がジグゾーパズルだとしたら、ピースがどんどん抜け落ちていく感じで、「年をとったから」で済ますには恐いマダラ現象だ。
昨日20年ぶりにナンチャンに会った。南という名前だが社内の通称がナンチャンである。
広いスーパーのレジを抜けたところに、製氷機がある。冷凍物を買った客が家まで保冷するための氷を溜めている。その説明メモを熱心に読んでいた。
確かわたしより年下だから、60を過ぎた年令になる。ジャージー姿に上っ張りを羽織り、見た目でも生気が欠ける様子だ。
声をかけると、一瞬いぶかりながらも「ひさしぶり」と応えてきた。目が異様に老いている感じで、前歯も抜け落ち、頭の前あたりにモジャと髪は残っているが、全体に存在感の薄さが増していた。訊くと、糖尿を患って7年になると言う。早めに症状が見つかったので、これという後遺症もなく通院で済んでいるらしい。
それに比べたら、おれはまだイケルかな。こんないやらしい優越感をつい持ってしまった。こういう心情が嫌いなくせにと自己嫌悪に陥りながら別れた。
体格のいい奥さんは今、宅配の仕事をしていると言っていた。以前何回か会っているが、頑張り屋で人の良い、アチャコに顔立ちの似た人だった。
そういえば、昔から何故「アチャコ」と名乗るようになったのか気になっていた。
花菱アチャコという漫才師は1974年逝去だからそう遠い事ではない。
本名は変哲のない‘藤木徳郎’で、寺の小僧や材木屋の丁稚などを経て、山田五十鈴の父の一座に入ったのが漫才への第一歩になったらしい。
わたしがよく聞いたのはラジオで、「お父さんはお人好し」だったか。浪花千栄子が妻役で、賑やかなドラマだった。
たしか、15人家族だったと思う。それも、戦後の個人主義のはしりのようなバラバラの家庭だが、貧乏生活の中、なんとか家長としてまとめていく主人公‘藤本阿茶太郎’の悲喜こもごもを描いたものだ。
このオッサンは支離滅裂の八方破れだが、何故かいつも丸く収めてしまう理屈なしの特技を持っていた。
「ほんまにもう、ややこしい。おとっつぁんは、ウロがきて、どないしてええやら、わからんようになったわい」
こんなセリフを独特の間で相手を説得してしまうのだ。台本作家の長沖氏は大した人だった。
では何故‘アチャコ’と名乗ったのか。二つの説を見つけた。
大阪弁で、アベコベのことを『あっちゃこっちゃ』と言うらしい。また、こまめに動く人を「ようアッチャコッチャ(あっちこっち)するわ」と、これは理解できる。そういう人だったらしい。
また彼自身の話と言うことで、旅回りの小さな一座でチョンチョンと幕切れの拍子木を打つ役を受け持っていた。幕切れ多くは「アアッ!」というセリフで終わるので、
「ええか、アアッ、チョン!やで。忘れなや、アアッ、チョン!やで」と教えられ、それがつまってアチャコになった(長沖一「上方笑芸見聞録」)とか。
わたしとしては最初の方が自然の流れに見えるが・・・。どちらにしても永年の疑問がほんの少し解けたという、粗末な連想を重ねた結果でありました。
今日は祝日。昔の紀元節。おれの誕生日。法律上68才になる。
【ホンマにもうめちゃくちゃでござりまするがな】
この頃わたしの脳内に、ちょっとした異変が起きている。
瞬間的に記憶が途切れるのだ。
外出は目的地があるから出かけるのだが、車に乗って三叉路に行きかかる前に、「ハテ、どこへ行くんだっけ?」と、数秒間、頭が真っ白になり、進路をためらってしまう。自分の用事で自分だけだったらこういうことはない。カミさんの買い物に付き合って、彼女が横に座っているときが多い。他人事のように行き先をいい加減に聞いていたことが原因なのかも知れないが、ちょっと不気味である。
脳の中がジグゾーパズルだとしたら、ピースがどんどん抜け落ちていく感じで、「年をとったから」で済ますには恐いマダラ現象だ。
昨日20年ぶりにナンチャンに会った。南という名前だが社内の通称がナンチャンである。
広いスーパーのレジを抜けたところに、製氷機がある。冷凍物を買った客が家まで保冷するための氷を溜めている。その説明メモを熱心に読んでいた。
確かわたしより年下だから、60を過ぎた年令になる。ジャージー姿に上っ張りを羽織り、見た目でも生気が欠ける様子だ。
声をかけると、一瞬いぶかりながらも「ひさしぶり」と応えてきた。目が異様に老いている感じで、前歯も抜け落ち、頭の前あたりにモジャと髪は残っているが、全体に存在感の薄さが増していた。訊くと、糖尿を患って7年になると言う。早めに症状が見つかったので、これという後遺症もなく通院で済んでいるらしい。
それに比べたら、おれはまだイケルかな。こんないやらしい優越感をつい持ってしまった。こういう心情が嫌いなくせにと自己嫌悪に陥りながら別れた。
体格のいい奥さんは今、宅配の仕事をしていると言っていた。以前何回か会っているが、頑張り屋で人の良い、アチャコに顔立ちの似た人だった。
そういえば、昔から何故「アチャコ」と名乗るようになったのか気になっていた。
花菱アチャコという漫才師は1974年逝去だからそう遠い事ではない。
本名は変哲のない‘藤木徳郎’で、寺の小僧や材木屋の丁稚などを経て、山田五十鈴の父の一座に入ったのが漫才への第一歩になったらしい。
わたしがよく聞いたのはラジオで、「お父さんはお人好し」だったか。浪花千栄子が妻役で、賑やかなドラマだった。
たしか、15人家族だったと思う。それも、戦後の個人主義のはしりのようなバラバラの家庭だが、貧乏生活の中、なんとか家長としてまとめていく主人公‘藤本阿茶太郎’の悲喜こもごもを描いたものだ。
このオッサンは支離滅裂の八方破れだが、何故かいつも丸く収めてしまう理屈なしの特技を持っていた。
「ほんまにもう、ややこしい。おとっつぁんは、ウロがきて、どないしてええやら、わからんようになったわい」
こんなセリフを独特の間で相手を説得してしまうのだ。台本作家の長沖氏は大した人だった。
では何故‘アチャコ’と名乗ったのか。二つの説を見つけた。
大阪弁で、アベコベのことを『あっちゃこっちゃ』と言うらしい。また、こまめに動く人を「ようアッチャコッチャ(あっちこっち)するわ」と、これは理解できる。そういう人だったらしい。
また彼自身の話と言うことで、旅回りの小さな一座でチョンチョンと幕切れの拍子木を打つ役を受け持っていた。幕切れ多くは「アアッ!」というセリフで終わるので、
「ええか、アアッ、チョン!やで。忘れなや、アアッ、チョン!やで」と教えられ、それがつまってアチャコになった(長沖一「上方笑芸見聞録」)とか。
わたしとしては最初の方が自然の流れに見えるが・・・。どちらにしても永年の疑問がほんの少し解けたという、粗末な連想を重ねた結果でありました。
今日は祝日。昔の紀元節。おれの誕生日。法律上68才になる。
【ホンマにもうめちゃくちゃでござりまするがな】
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at 09:53
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すなかけばばあさん、わたし、ゲゲゲの鬼太郎の古いファンでして、 そのせいか、カミさんからは不届きにも『ヌリカベ』と呼ばれています。デカイ顔のせいでしょうから、これも「しかたねぇ」ことでして・・・。