先日、久しぶりに立ちションベンをした。
これでも常識男なので、結構後ろめたい気持だったが、まわりにそれらしい施設もなかったので、車を停めて田んぼの真ん中で失礼した。さすがに畦道に立ってという訳にもいかず、水が枯れている側溝に降りてみた。目線がかなり低くなり、もしどなたかが通りかかってもごまかせる姿勢になれる。子供の頃はもっと堂々とチン○コをコントロールして、角度を上げて射程距離を更新したものだが、今はこそこそと周囲をはばかる情けなさである。老い人はこんなところにもその現象が出る。
ところでイギリスにはこんな法律があると聞く。
『男性が公共の場で小便する場合、自分の車の後輪に向かい、右手を車についた姿勢なら合法である』
合法の訳をいろいろ考えてみた。先ず車が無くてはいけない。それに、あくまで自分の車と明記している。これはあくまでドライブ中にモヨオシしたときの処置に限っている。車でまわりの視線をさえぎるということしか思いつかない。
“右手をつく”。何故右手なのか。左手でモノを引っぱり出さなければならないが、いやいや、引っぱり出してから右手をつくのだから、ただ方向を決めるなら左でいいわけだ。
いつ頃立法化されたのか分からないが、イギリス人らしい分かったようなそうでないような決まりだ。きっと、こねくり回した理屈があるのだろう。是非知りたいものだ。
ついでにこんなのもあった。
『エレベーター内で放尿してはいけない。(シンガプール)』
それまではやっていたのかよ、といった感じだ。シンガポールといえば、チューインガムの持ち込みが厳しい国だ。違反すれば最高刑は懲役2年というのに、国民性とはいえ面白い。
インドの『牛を見ながら小便してはいけない』は理解できる。ヒンドゥ教にとって牛は神聖な存在だからだ。牛にひっかけるならともかく、見ての所業も駄目というのはどうかと思うが・・・。
江戸時代、上方では尿も肥料になるということで、公衆トイレがあって、立ち小便は少なかった。江戸では尿は畑の肥やしにならないとして、そんじょそこらの裏通りで男女共々シィシィしていた。つまり、外での排泄行為は日常目に入る風景の一つということで、少なくとも小用に限っては“のぞき”行為は意識されておらず、町内のたわいない出来事として片付けられていたに違いない。話題性がないから瓦版のネタにもならなかっただろう。
良い悪いは別にして、人は大らかさを無くしていく。公序良俗や公衆衛生が根付くにつれて改善されていくのだが、わたしの子供時代、戦後の貧しさもあって、トイレの板壁は節穴だらけだった。だから江戸時代のかけらくらいは想像できる。
初夏、田をわたる風を受けながら、放出生理の快感を味わいつつ・・・。
これでも常識男なので、結構後ろめたい気持だったが、まわりにそれらしい施設もなかったので、車を停めて田んぼの真ん中で失礼した。さすがに畦道に立ってという訳にもいかず、水が枯れている側溝に降りてみた。目線がかなり低くなり、もしどなたかが通りかかってもごまかせる姿勢になれる。子供の頃はもっと堂々とチン○コをコントロールして、角度を上げて射程距離を更新したものだが、今はこそこそと周囲をはばかる情けなさである。老い人はこんなところにもその現象が出る。
ところでイギリスにはこんな法律があると聞く。
『男性が公共の場で小便する場合、自分の車の後輪に向かい、右手を車についた姿勢なら合法である』
合法の訳をいろいろ考えてみた。先ず車が無くてはいけない。それに、あくまで自分の車と明記している。これはあくまでドライブ中にモヨオシしたときの処置に限っている。車でまわりの視線をさえぎるということしか思いつかない。
“右手をつく”。何故右手なのか。左手でモノを引っぱり出さなければならないが、いやいや、引っぱり出してから右手をつくのだから、ただ方向を決めるなら左でいいわけだ。
いつ頃立法化されたのか分からないが、イギリス人らしい分かったようなそうでないような決まりだ。きっと、こねくり回した理屈があるのだろう。是非知りたいものだ。
ついでにこんなのもあった。
『エレベーター内で放尿してはいけない。(シンガプール)』
それまではやっていたのかよ、といった感じだ。シンガポールといえば、チューインガムの持ち込みが厳しい国だ。違反すれば最高刑は懲役2年というのに、国民性とはいえ面白い。
インドの『牛を見ながら小便してはいけない』は理解できる。ヒンドゥ教にとって牛は神聖な存在だからだ。牛にひっかけるならともかく、見ての所業も駄目というのはどうかと思うが・・・。
江戸時代、上方では尿も肥料になるということで、公衆トイレがあって、立ち小便は少なかった。江戸では尿は畑の肥やしにならないとして、そんじょそこらの裏通りで男女共々シィシィしていた。つまり、外での排泄行為は日常目に入る風景の一つということで、少なくとも小用に限っては“のぞき”行為は意識されておらず、町内のたわいない出来事として片付けられていたに違いない。話題性がないから瓦版のネタにもならなかっただろう。
良い悪いは別にして、人は大らかさを無くしていく。公序良俗や公衆衛生が根付くにつれて改善されていくのだが、わたしの子供時代、戦後の貧しさもあって、トイレの板壁は節穴だらけだった。だから江戸時代のかけらくらいは想像できる。
初夏、田をわたる風を受けながら、放出生理の快感を味わいつつ・・・。
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at 12:00
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