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立ちション考 [2008年04月24日(木) ]
先日、久しぶりに立ちションベンをした。
これでも常識男なので、結構後ろめたい気持だったが、まわりにそれらしい施設もなかったので、車を停めて田んぼの真ん中で失礼した。さすがに畦道に立ってという訳にもいかず、水が枯れている側溝に降りてみた。目線がかなり低くなり、もしどなたかが通りかかってもごまかせる姿勢になれる。子供の頃はもっと堂々とチン○コをコントロールして、角度を上げて射程距離を更新したものだが、今はこそこそと周囲をはばかる情けなさである。老い人はこんなところにもその現象が出る。
ところでイギリスにはこんな法律があると聞く。
『男性が公共の場で小便する場合、自分の車の後輪に向かい、右手を車についた姿勢なら合法である』
合法の訳をいろいろ考えてみた。先ず車が無くてはいけない。それに、あくまで自分の車と明記している。これはあくまでドライブ中にモヨオシしたときの処置に限っている。車でまわりの視線をさえぎるということしか思いつかない。
“右手をつく”。何故右手なのか。左手でモノを引っぱり出さなければならないが、いやいや、引っぱり出してから右手をつくのだから、ただ方向を決めるなら左でいいわけだ。
いつ頃立法化されたのか分からないが、イギリス人らしい分かったようなそうでないような決まりだ。きっと、こねくり回した理屈があるのだろう。是非知りたいものだ。
ついでにこんなのもあった。
『エレベーター内で放尿してはいけない。(シンガプール)』
それまではやっていたのかよ、といった感じだ。シンガポールといえば、チューインガムの持ち込みが厳しい国だ。違反すれば最高刑は懲役2年というのに、国民性とはいえ面白い。
インドの『牛を見ながら小便してはいけない』は理解できる。ヒンドゥ教にとって牛は神聖な存在だからだ。牛にひっかけるならともかく、見ての所業も駄目というのはどうかと思うが・・・。

江戸時代、上方では尿も肥料になるということで、公衆トイレがあって、立ち小便は少なかった。江戸では尿は畑の肥やしにならないとして、そんじょそこらの裏通りで男女共々シィシィしていた。つまり、外での排泄行為は日常目に入る風景の一つということで、少なくとも小用に限っては“のぞき”行為は意識されておらず、町内のたわいない出来事として片付けられていたに違いない。話題性がないから瓦版のネタにもならなかっただろう。
良い悪いは別にして、人は大らかさを無くしていく。公序良俗や公衆衛生が根付くにつれて改善されていくのだが、わたしの子供時代、戦後の貧しさもあって、トイレの板壁は節穴だらけだった。だから江戸時代のかけらくらいは想像できる。

初夏、田をわたる風を受けながら、放出生理の快感を味わいつつ・・・。

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豊岡を訪ねて 4 〈目的3〉 [2008年02月23日(土) ]
30分の準備時間のあと、ピアノ演奏付のディナーショウが始まった。参加者はおよそ100人ほどだ。
わたしは一人なので、他のグループと同席で頂くことになった。
加古川から来た4人のご老人(老人クラブかなにか)と妙齢のご婦人の5人+わたしというメンバーが円卓を囲んだ。
メニューは和食会席とか。ソフトドリンクは無論、ビール、ワインはフリーとくれば、酒に卑しい心根のわたしとしてはこの際ガッポガッポといただくことにした。様々な形の器にチョコチョコと手をかけたシェフの心づくしがまぶしい。日頃B級グルメを信奉(半分仕方なく)しているので、こんなゴッツォーは滅多にお目にかからない。しかしやたらと凝っている。この後も次々に運ばれ、飲んだり喰ったりしゃべったりと楽しんだ。
ピアノからはやさしいメロディが、時々キーを間違うご愛敬とともに流れ、やがてピアノバー並にカラオケが始まった。別グループの女性が「いい日旅立ち」をリクエストしたが歌うことにイヤイヤして間が持たなくなった。こういう時に、酔っ払ったわたしはつい余計なことをする癖がある。それならと買って出たのである。歌いだして、これはヤバイと思った。循環器が弱っていて息切れするのだ。なんとか歌い終わり拍手を頂いたが、まさに赤面ものである。
3時間を楽しみ、ロビーに出ると、まだ雪は深々と降りしきっている。そんななかを温泉の湯煙が静かに立ち揺らいでおり、まさに音のない‘深々’という形容がスクリーンのように窓の外に見えた。





城崎温泉駅は更に日本海側の山陰線を二駅先に行ったところにある。
朝から容赦なく雪が舞い、ここ出石での散策はあきらめて、タクシーで豊岡駅に向かった。これでは城崎も同じ状態という予想はついたが、帰りの特急まで5時間もあるので行かざるを得ない。
着いたらやっぱり雪まみれで、おまけに人まみれでもあった。日曜日だからだろうが、歩くほどにいやになってきた。狭い地域である。ジャリジャリの雪道である。土産物屋も蟹を食べさせる店も、どこもここも人人人で、狭い間口に空きを待つ人の列。普段なら昼時でも客が10人という駅前食堂も満杯だ。そんな中にもぐり込んで、ざるそば大盛りを頼んだ。わたしは一人なので当然相席になるが、若いカップルを目の前にして、そばをズルズルとは、なんとも喰いにくい。
http://www.kinosaki-spa.gr.jp/infomation/miyage/etc/etc.html#02
このページを見る限り、結構いろいろ面白そうなところがあるのだが、なにせ足元が悪く、歩く気にもならない。円山川からの支流が温泉街を二分する形で流れているが、そこでまあまあの写真一枚が収穫となった。
駅前の無料休憩所で時間をつぶしながら見ていると、駅口からは30分おきに観光客が押し寄せている。温泉街の情緒のかけらも見られなかった城崎だった。三つめの目的は完全に失敗に終わった。

今回の豊岡滞在は15時間。天気に恵まれなかったが、いくつかの出会いがあった。列車内でのおしゃべりも久しぶりだった。ひとりブラリは良さそうだが、目的があって、移動や宿泊での時間を楽しめる旅程の方が良いという結論になった。



Posted at 19:36 | エッセイ | この記事のURL
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豊岡を訪ねて 4 〈目的2〉 [2008年02月22日(金) ]


宿泊先のホテルのページを見ていたら面白そうなイベントを見つけた。
万葉の和歌を現代風に歌い上げる「岡本三千代と万葉うたがたりコンサート・万葉の春ー草木花を歌う」だ。これは滅多にあるものではない。正直、万葉和歌を理解する能力はまったくない。しかし、万葉言葉でどんな風に歌うかとなると興味が沸々と湧いてくる。すぐネットで申し込み、2番目の目的にした。

万葉を現代のポップス調にのせて歌うという
試みは20数年前から行われたと、会場で買い求めたCDの解説にあった。
CDのタイトルは、
「岡本三千代作品集 恋歌5」で、[しただみわらべうた」「越中三賦ー序奏、二上山の賦、布勢の水海を遊覧する賦、立山の賦」が入っている。

演奏のプログラムは、
*サンバ DE ツバキ
巨勢山の
  つらつら椿 つらつらに
  見つつ偲ばな 巨勢の春野を
(巨勢山の多くの椿よ、今は秋景色として見ているが、春の椿の満開の巨勢の野を賞美したいものだ)

*もうすぐ春
石激る 
  垂水の上の さわらびの
  萌え出ずる春に なりにけるかも
(岩の上をほとばしる滝のほとりのさわらびが、萌え出る春になったなあーかな?)

といった項目一覧は、
*梅の園
*花ごよみ
*家持爛漫
*散りな乱れそ
*春秋競憐歌
*花咲く少女たち
に分かれて、それぞれの詩歌が選ばれている。
メンバーは写真右から、
岡本三千代ーエレクトーン
大岡美佐ーヴォーカル
園田知子ーヴォーカル
木原三知子ーフルート
山寺寿子ーピアノ
の5人で、平均40才代と思う。

ポップス系音楽のポイントは「ビート」に尽きると思う。8ビートや16ビートの心地よさは、自然にからだが動き、わたしのように音痴気味であってもリズムを楽しめる。それにフワッと万葉の詩がかぶさり、透明な歌声(芹洋子風)が流れる雲のように会場を漂い、間をぬってフリュートの不思議な柔らかさが包み込んでいく。面白い感触だった。
ヒップホップするわけでもなく、聴く限りではべらぼうな冒険ではない。和歌とて謳いあげるもので、そのリズムが底流にある気がする。今回聴いた限りでは女性ばかりだが、岡本さんの活動を初めて知ったところなのでなんとも言えない。まだまだ試すバリエーションがある気がする。
メンバーの衣裳は、飛鳥時代の色彩なのか、派手さを押さえた節度のあるソフトな雰囲気が、柔らかな素材から生まれている。
万葉うたがたりのページは、
http://nukata.jp/index.html
ラストナンバーは参加者共々「千の風になって」を歌って締めくくられ、1時間のコンサートは終わった。



岡本三千代さん


偶然にも、同じホテルで「万葉花」の展覧会が催されていた。
http://www.izushi-ngh.jp/event.htm#
そこでは、写真ー岡田憲佳氏、文ー矢富巌夫氏による「万葉歌 植物編」という文庫本が売られていた。発行所はニッポン・リプロで、初版の1996年から5版を重ねている。
1ページに万葉の詩にちなんだ植物のカラー写真、植物の説明、歌意、出典・作者、注釈
が載っている。特に《注》は興味深く、丁寧な説明が、より詩の楽しみを引き出す。「動物・風月編」も出版されている。

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豊岡を訪ねて 2 [2008年02月19日(火) ]


豊岡へ近づくにつれ、だんだんわたしの予想
が確信に変わった。多分「大げさな」と人は思うだろうが、観光以外に初めて日本海の町に来たのだ。イメージと実状のズレをどれだけ楽しめるのか、結構大げさなことなのである。

“豊岡市の概要”
http://www.city.toyooka.lg.jp/www/genre/0000000000000/1000000000609/index.html
【 豊岡市は、平成17年4月1日、兵庫県の北東部に位置する1市5町(豊岡市、城崎町、竹野町、日高町、出石町、但東町)が合併してできたまちです。
 市域の約8割を森林が占め、北は日本海、東は京都府に接し、中央部には母なる川・円山川が悠々と流れています。海岸部は山陰海岸国立公園、山岳部は氷ノ山後山那岐山国定公園に指定され、多彩な四季を織りなす自然環境に恵まれています。
 平成17年9月には、国指定の特別天然記念物・コウノトリが自然放鳥され、人里で野生復帰を目指す世界的にも例がない壮大な取組みが始まりました。
 産業は、農林水産業、観光業などが盛んです。特に観光業では、全国的に有名な城崎温泉をはじめ、西日本屈指の神鍋スキー場、但馬の小京都・出石城下町などを有し、年間の観光客は500万人以上にのぼっています。また、地場産業としては、全国の4大産地の一つであるかばんや出石焼などの生産が行われています。】

豊岡という市に関しては、検索すれば概ね知ることが出来るので省くとして、到着からのありさまを記しておこう。
到着時間11時に遅れもなく、豊岡駅に着いた。迎えは11時半なので、駅売店でここの地方紙を買って読むことにした。
神戸新聞しかない。いうなれば兵庫新聞だ。但馬の地域ニュースとして、コウノトリのご当地らしく、一羽の雄を放し飼いから飼育に替える記事があった。理由は近親婚の弊害とある。飼育数は日本一で、野生化を目指しての活動を根気よく続けている。赤ちゃんを運ぶ以外の知識はないが、有意義なことに違いない。『豊岡17センチ、香住21センチーきょうも降雪予報・「注意を」と気象台』とあるように、予定が雪に阻まれる可能性はいよいよ大きくなった。
毎日新聞の「たじま」版では、『巧みな技でコウノトリー城崎町の伊賀さん・切り絵はがきが人気』と、ここでも鸛(こうのとり)が話題になっている。
ホットコーヒーを飲み終わったところで時間になったので、駅の玄関で待つことにした。しかしどうだろう。当然雪だらけだ。それも車の轍でグシャグシャになっている。市の玄関口ともいえる駅前ロータリーが、歩くに一苦労二苦労の状態だ。地元の人はともかく、観光客を含めた訪問者も結構いるのだから、こまめに除雪した方がいいんじゃないのと思ってしまう。
側面に「豊岡市役所」表示のバンがやって来た。これがお迎えと、なんとなくわかる。目が合い、わたしの名前を呼ぶ。うなづく。中年前の女性が歓迎してくれた。もう一人の参加者を乗せて会場へ向かう途中、3年前の河の氾濫の話になった。
河とは上から下に「流れる」ものだが、ここではほとんど流れが見えないと言う。これが決定的な氾濫の条件になった。その時、本流の円山川河口は満潮だった。そこに大きな台風が海から吹き荒れ、海水が逆流して支流にまで押し寄せ、結果として堤防が決壊した。考えられない自然現象が不幸にも重なったのだ。その対策なのか、川沿いの土手や河原では、雪の中の大がかりな工事現場が見られた。
田んぼはまさに雪原となり、地吹雪まがいの風景で車の四囲が覆われた。「エライときにエライところへ来てしまった」と、雪に縁のない人間は心細くなる。





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豊岡を訪ねて 1 [2008年02月18日(月) ]


16,17日の2日をかけて兵庫県豊岡市を訪ねた。
目的はいくつかあり、それについては順番にアップしていく。

わたしが中学生の頃、地勢として日本列島の大まかな特徴を示す言葉に、表日本に対して“裏日本”があった。山陰地方、北近畿、北陸地方、旧出羽国(東北地方日本海側)に当たる。県では、新潟県、富山県、石川県、福井県、鳥取県、島根県といわれるが、ときにはこれに青森県、秋田県、山形県が含まれる場合もある。加えて、日本海に面する地域があるとして京都府北部と兵庫県北部、山口県北部も、裏日本に含まれることがある。
解釈にもよるが、東京や大阪、名古屋といったヘソのある面は日が当たり、当然裏側の背中は日陰になるわけだ。といってしまえばそれまでで、ではその“裏”に住んでいる人たちはどう思っているのだろう。
1970年代に住民の苦情からNHKが真先に使用を自粛し、「日本海側」「太平洋側」という呼称に改められた。特に新潟県選出の田中角栄政権になると、他のメディアも自粛するようになった。差別そのものだったのだ。

話が前後するが、17日の帰りのタクシーで運転手とそんな話になった。
ここ豊岡は、新潟ほどの豪雪地帯ではないが、そこそこ厳しい冬の生活があるという。やはり雪解けの春を待つ心情は、寒いながらも陽を燦々と浴びているわたしからすればなかなか理解は出来ない。東北秋田の友人宅を真冬に訪れたときのことを思い出して、陰鬱な鉛色の雪雲が垂れ込める毎日は、たった5日ほど泊まっただけでもやり切れない。それが2,3ヶ月ともなると、口数も少なくなり、「我慢、堪える」風土となり、発露として太棹に託したジョンガラの激しさになるのだろう。
幸か、豊岡はそこまでいかず、かといって明るさ一辺倒ともいかない、はなはだ中途半端な地域のようだ。去年は雪が降らなかったと聞くし、今年も今まではたいしたことなく、たまたまわたしが訪れた日にドンドコドンドコ降ったらしい。城崎の温泉街をネットで流しているライブカメラでも、屋根の雪が見えたり消えたりで、予想もつかない気紛れな寒気は想定外だったということだ。

姫路から播但線に乗り換え、途中和田山で山陰線となって豊岡へ向かった。この和田山あたりを境に陽から陰になっていくような車窓の変化がある。中国山脈を乗り越えた時から徐々に雪景色が増えていく。

大阪発で臨時に走っている「特急はまかぜ」は「カニかに特急」ともも言われ、6車輌のほとんどは関西方面からの団体客で占められている。日本海に面したカニの特産地である兵庫県城崎(きのさき)を目指すわけだ。
わたしの指定席はカニ喰いツァー参加のオッサンたちの中に埋没しており、何故か「あれ、来たの?」てな感じで、席を向かい合わせにして談笑を止めようとしない。60過ぎた男たちでも、仲間と楽しい旅ともなれば、人の迷惑に思いが至らない情けなさである。特にその邪魔をする気はないが、わたしとて座りたいし、権利は充分ある。もう一度指定席券を示して席を空けるよう言うと、渋々席をたっていった。
日本人には、主張していい人が多数に押されて我慢してしまうところがある。自分の権利はしっかり保ち、なおかつ相手が弱いとみると人の権利を平気で無視する。老若男女問わず、その傾向が強まっている。
最初はやさしく相手の過ちを指摘し、相手の態度でわたしは刻々変わっていく人間なのだ。ごり押しされたらどんどん強い気持になっていくという、あまり得な性格ではないが、今更丸いの枯れたのとはいかない、偏屈爺になるのかも知れない。

やっと指定の窓際に座り、日本のどこにでもある中途半端な田舎風景を、余韻を冷ましながら追うのだった。
わたしがいかに先見性を持つかという証拠がある。実は楽観していたわけではない。雪の恐るべきゲリラ性は知っていた。従ってちゃんと雨用の靴(ビニール性の深靴)を履いてきたのである。式に出るからして、一応スーツ姿ながら、見る人にとっては不思議な格好に見えただろうが、そこはオシャレに対して不感症に近いので、ドタドタと音を立てて歩けるのだ。姫城あたりまでは少し後ろめたさもあったが、豊岡に入ってのち、その真価は十分発揮されたのだ。
車窓はやがて雪一色になってきた。これ見よがしに靴を見せびらかして、昼の握り飯を頬ばる気持ちの良さ。おじさん、おばさんたちは一様に新品のスニーカーで、ねえちゃんたちは流行りなんだろうか、バカ高いヒールのサンダル履きみたいなやつだ。
と気持ちよくなったところで次回につなぐ。





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おれはジジィかな? [2007年12月25日(火) ]
ジジィの定義はなんだろ。
年を取った人が自覚する老年は今や75歳以上という説がある。
だが、世間では65とも70ともバラツキがあり、国は年金を受け取る年令を勝手にどんどん上げて、今では65才からだ。これはなにも親切でもなんでもない。
ジジババが増え若者が減る現象は急に始まったことではない。こんなこと、統計を取ってる役人やそれを参考にする政治は分かっていたことだろう。戦争や疫病が起こらない限りは簡単にシミュレイト出来るはずだ。だから高給取りの税金喰食いと言われるし、事実その通り。
それはともかく、病院代はジジィにも容赦なく上げてくる。たしか本格的なジジィになる75歳以上の無料も無くなった。
それにしても病院は本当にジジババばかりだ。特にウィークデイの午前中はほぼ占領されている。そんな中に居るとどうにも憂鬱になる。互いにそう感じていることだろう。
年を取ると自分の言いたいことは相手がどう思おうとしゃべりまくる。それも「ここが悪い、あそこが痛い」と訴えることが多い。仲良く会話をしているかと思うと、顔は向き合っているが話はまったくのすれ違い。耳を傾けているのは、おれのように盗み聞いてシラけているジジィだけだ。これもタチが悪い。

若者を何才までと位置づけるのも難しい。
30ぐらいまではいいと思うが、中学生に言わせるとオジサンオバサンだそうで、これはあまりにも可哀想だ。やはりどんな感覚の持ち主かで決まる。20才でもジジくさいのが居るし、40過ぎようが幼いのもいる。
数字としての年令(時間の経過)は認めるが、年取るにつれて変わっていく微妙な作用というか、個々違う生理や社会への意識まで引っくるめてああだこうだ判断するのは乱暴すぎる。特に企業は採用又は退職の基準を大雑把に決めて、必要な人材までも「あんたは60になったから辞めて」と捨て去っている。いかに馬鹿なことをしているのか考えることもない。確かに楽でいい。

時折、歳月に晒されるという年令の美学があってもいいと思う。日本ではあまりにも即物的に割り切って、自ら味気ないものにしている。だったら自分にも他人にも遠慮することなく、老いを〈追い求める〉ことにするか。

“空しく浮き雲と与(とも)に太虚を行き、
 心力共に尽きて宿る所無し、

 この秋は何で年よる雲に鳥” 芭蕉

老いは、死を凝視しなければならないところに本当の辛さがあるのは認めよう。

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格付け=権威か? [2007年11月22日(木) ]


銀杏が本当に散り始めた。
街中にいると、人々の装い、店頭の野菜などで秋を知るのだが、秋から冬への着替えという点では銀杏の色づきを見るのが手っ取り早い。風が一吹きするたびにヤケになって散っていく。黄金色の魅了を知っているように、これみよがしに三角形の出来損ないの葉っぱが一旦高く舞い上がり、ヒラホラ足元を敷き詰めていく。空気はやっぱり冷たくなった。

ミシュランというタイヤ会社が世界のあっちこっちの食い物屋のランク付けをしている。
星印3個が最高で、2個1個もそれぞれ意味があるとか。数ではパリ、ニューヨークを抜いて東京が1番になった。何ごとも1番は良いのだが、思った通り東京に住む一部の方々は大騒ぎだ。多分、この道では権威があるのだろう。
今日、詳しい内容の本が発売になった。料理はもちろん、品格や清潔さ、もてなしなどが記してあるらしい。格付けの結果と理由が分かる。
こういうとき、必ずわたしのようなひねくれ者がいる。ミシュランが格付けした。ミシュランの基準である。そんならその格付け内容を格付けするのは誰なんだ。
確か、アメリカあたりで企業のランク付けをしているところがある。金融業、製造業などのジャンルに分けて、「これは伸びる、これはヤバイ」と、世界中の会社を舐め回して評価する。評価する側のチェックはだれがするんだろう。
今や少なくとも日本で大企業といわれるところ、老舗といわれるところの一部は、自ら信用を失墜させている。あんな大きな会社がインチキしたりごまかしたりするはずがないーそれが「する」のであり「してきた」のであり、他も「するであろう」と思われ始めた。権威や信用で培われてきた“名前”がドロドロ溶け始めている。残念ながら教師、医師、警察という、我々の世代では三大権威といわれてきたところも、時には「スケベ、ゴマカシ、ウソ」3要素が当たり前になり、公務員の公務員たる姿勢はいうに及ばずだ。厚顔無恥は何世紀経とうが死語にならず、歯ぎしりしすぎて臼歯が馬並にすり減るのも当分続くようだ。
正義=権威を謳ってきた国アメリカになぞらえば、正義などない。あるのは武力の強弱による恫喝の仕方がうまいか下手かだ。中国、ロシアも同じで、日本政府はあっち見てウロウロ、こっち見てソワソワの部類にはいる。弱いなら弱いで、泳ぎ方ぐらいズルするならまだしも、その勇気さへない。そのくせ、政治家さんの中では「大物」と自他共に格付けされたとされる人もいる。

こんな風に、誰がなんのために「格付け」して喜ぶのか、わたしには分からない。そうです、わたしは貧乏人です。だから三ツ星の2万3万する食い物は、わたしにとってはもはや食い物ではないのです。喰えないものは食い物ではないからです。

せっかく物静かに語りだしたのだが、やはり日頃溜まっているウップンがどうしても洩れてくる。お屁だったらバッ!!の一発で済むが、世の出来事への不満は五臓六腑にしみ込み加齢臭になって、カミさんあたりから文句を言われる。これはいくらゴシゴシ洗おうとコロンをぶっかけようと決して無くならない。新聞テレビネットから遠ざかれば自然消滅して、本来の得も言われぬ芳しい香りを発するというわけだ。分かってくれないだろうな。
星は星でも、わたしは七つ星テントウ虫を見ていたほうがいい。食べはしませんよ。







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喰うこと [2007年11月11日(日) ]
自慢じゃないが、67年生きてきて朝飯を欠かしたことはない。少なくとも食べなかった記憶はない。
朝飯は良いものだ。一日の始まりとして、これほどふさわしい行事はない。
昨夜いやいや食べたものでも、朝になると「旨い旨い」になる。元々朝型人間なので、夜が近づくにつれて凋んでいくせいもあるが、
朝飯となると、何故こうも浮き浮きするのだろう。我ながら時々おかしいと思う。
朝食担当としては、目が覚めると先ず味噌汁の具を考える。昨日は豆腐に若布だったから、玉ねぎと油揚げにしよう。メカブはあったかな?あとは納豆に海苔でよかろう。
今は夫婦二人だからこんなところだが、食べ盛りの息子二人が居た頃は大変だった。共に働きながら家事分担でなんとか凌いできたが、その頃から我が家には朝食の場が欠かせなかった。なにがあろうと家族全員しっかりと食べ、話をし、連絡し、確認し合って、一日を始めていたからだ。

国立教育政策研究所の2005年度調査によると、朝食を1人でとる孤食は、小学生で20・1%、中学生では41・6%にもなる。いくら生活の形が変わったといっても、あまりにも家族の原則を無視している。餌ではないのだから食べればいいというものではない。
当然テレビを見ながら食べ物を口に運ぶ「作業」になり、まともに箸を持てず、食事のマナーも学べない。こういうことは親が小うるさく言うものだ。もっとも親が出来ない傾向もあり、いずれはフォークを使うか、2本揃えて逆手に持って使うことになるかも知れない。ちょっとした知日派の外国人に教えてもらうことになるかも・・・。
何故かメシの話になると、自分でもおかしいほど生き生きしてくる。現在飢えているわけではないが、戦後の飢餓を経験しているからか、喰うこと自体に喜ぶ気持が根付いている。生存の基本はいつも魅力に満ちているものだ。

「吉兆」や「赤福、御福」など経営世代が代わるにつれて、老舗という謳い文句は単なる金儲けの道具になり、初代の志からどんどん遠のいていくようだ。わたしはそもそも、ブランドを信用しないタチだ。値段が高くて旨いを喰わせるー当たり前ではないか。金をかければいい食材が手に入り、腕のいい板前も雇える。それを適当に「もったいぶり」で飾り、仰々しく仕立てる。“一見(いちげん)さんお断り”なんていう看板を麗々しく掛けているところに、わたしはまったく興味を持たない。行けないから僻んでいるのではない。見たり聞いたりするだけで、先ず嫌悪感が生じる。
「安くて美味しく」みんなが食べに来る努力こそが、本当の経営である。看板にすがって、中身に見合わない料金を設定する奇しさに、店も客も気付くべきである。とはいえ、それをステータスとしている人は「ご勝手に」だが・・・。

そんなことより、食品がどんどん値上がりしている。3束100円だったエノキが1束80円になったのには驚いた。ほとんどが原油高騰でハウスものや運送に金がかかるのだろうが、野菜全般でも1,2割高が実感だ。原産地が不明だったり偽装したり、加工品の中身が表示と違っていたり、賞味も消費も知らないデパ地下だったりしているうえに、エンゲル係数が毎月上がっていく。これから本物を当たり前の値段で買える時が来るとも思えないが、嘆いても始まらない。さあ、朝飯でもつくるか。

Posted at 06:11 | エッセイ | この記事のURL
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小郡を後に [2007年11月01日(木) ]


会場の裏側に、家周りが旧家といえる建物があった。手入れを怠っているか一時中断している庭があり、柿が鈴なりに実っている。脇に切り取った竹が20本ほど立てかけてあり、草も味のある生え方で、年を取った夫婦が息子の帰りを待っているような風情である。勝手な想像を巡らしながら、下り坂になった帰路を歩いていった。
わたしの田舎道は、中学の登校道だ。静岡駅を境に、南側は幅広ながら未舗装道路で、表駅と違って‘駅南’と呼ばれ、少々田舎ッぺのエリアだった。駿河湾に面した大浜海岸までは、殆どが田畑で、発掘されて騒がれた登呂遺跡も田んぼの真ん中。町名も中田というところの国鉄宿舎が住み家だった。昭和30年前後の話である。
そこから安倍川畔にある大里中学までは約4キロ。道幅が2メートルほどの、田んぼを貫く田舎道そのものである。雨が降ると穴凹だらけで、まだゴム長など買ってもらえず、下駄と重い番傘である。晴れると土埃が舞い上がり、芳しい匂いもそちこちから香ったが、それが当たり前の時代だ。小川でエビガニやら小魚で遊んだことも当然である。
2年前に訪れたときは、滅茶苦茶開発が進んで、面影のオの字もない。味気ないアスファルトとコンクリートと住宅が覆い尽くしている。日本全国、同じ流れに乗っていたので、大げさに言うことではないが、松崎の道は、それに比べたら雰囲気がかなり残っていると思った。進歩が変化とは限らない。変わらない逞しさが良いというと、ジジィになったなと言われる。しかしよく晴れたものだ。あまりにもカラリとしていて、これ以上思うこともないくらいだ。

基山を経て、また久留米で時間調整だ。小1時間ある。蕎麦には懲りたから他のものをと駅前を見渡したが、これといった喰い物屋が見当たらない。やっと見つけた。普段はカミさんが食べないので口にしないラーメンと餃子である。それもここ発祥の久留米ラーメンだ。早速セットで630円(ラーメンだけでは450円)を頼んだ。
ウーン、久しぶりの禁断のラーメンであったが、それなりのブランド名であったが、特製麺と自慢げだが、不味い!まずい!マズイ!ここでもモサモサの口当たりだった。ケチつけるつもりはないが、残念。

というわけで、さてどうしようかと所在なく駅前の石ベンチに座っていると、近くの木からカチカチッという音がする。見上げると、大きめの鳥が橙色の木の実をついばんでいた。
佐賀周辺にはカチカラスと呼ばれるカササギが居る。鴉とは姿も鳴き声も違う優雅とさへいえる鳥で、呼称の所以は「豊臣秀吉の朝鮮出兵をしていた時、佐賀藩祖の鍋島直茂という人が、鳴き声であるカッチという発音が〈勝ち〉に通じるので持ち帰ったそう」で、そもそもは韓国では国鳥・吉鳥といわれる。観光でここいらを通るたびにガイドは必ず同じ話をするので憶えていた。

なんやかや言う割には大した行動をしたわけでもないのに、やはり年を取った証拠なのかも知れない。ウム、自戒せねば。
というわけで、久大線、日田彦山線とのぼって帰宅した。
途中、豆畑で老夫婦がのんびりと収穫していた。

約12時間の行程ながら、わたしには久しぶりの遠出で、ヒィハァしながら歩いた成果があったかどうか。というより、成果を期待するものではないと結論づけたい。





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小郡を訪ねて 3 [2007年10月31日(水) ]


右側に、臨時の駐車場になっている三井高校のグラウンドを見ながら更に進むと、一部通行止めの札があった。
大きめのテントが5張りほど張られ、2,30人の係りの人が忙しく準備に取りかかっていた。
こちとら、やっと着いたことと歩き疲れからどこか坐れるところはないか探したが見当たらない。
天気はほどよく晴れ、近くの旧い住宅は静かに佇んでいる。普段は人の行き来も少ない落ち着いた場所という感じだ。
そんな中の小郡市松崎・桜馬場に、野田宇太郎の“水鳥”詩碑があった。
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   水 鳥
みづうみ

たったひとつのやさしい部分

みづうみ 

声のない微笑の輪

はねをつけてとび立つ

ひそやかな愛


それを撃つな
         『旅愁』より
----------------------------------------横幅は21メートルぐらいだろうか。さほど大きくもなく、水鳥にちなんで床面にはサラサラと水が流れており、碑としては演出されていた。



10時40分頃から受賞などのリハーサル?があり、一般を除いた小中学生らがおねえさんの「あっち向け、こっち見ろ」の指示に、
こわばった表情で従っていた。
わたしは周りをウロウロして所在なく写真を撮っていたが、だんだん人が増えてきて、テント内やその周辺は動きづらくなってきた。こういう場では必ず胸にリボンを付けるよう言われる。主宰者側は目印になって分かりやすいだろうが、どうも落ち着かない。典型的な自意識過剰で、それがわかるから余計に落ち着かず、ぎりぎりまでポケットにしまっておく。いっそのこと帽子をかぶらせて、その形や色で判別すれば面白かろうが、偉い人にトンガリ帽子なぞをあてがったら「クリスマスじゃない!」と、怒って帰ってしまうかも知れない。
わたしは一番後に座った。ここからは椅子のうしろの貼り紙がよく見える。市長席、議長席、議員席、文化協会会長席、国会議員席などと、こういう自治体主催の催しに必ず見られる議会、役所関係者が半分以上を占めている。これは退屈になりそうだと覚悟した。
あとは来賓、報道、受賞者及び選者、野田氏ゆかりの人といった具合である。そのテントをぐるりと一般参加者が取りまき、およそ150人ほどが揃った11時に式が始められた。

献花や献詩朗読、入賞者表彰とすすみ、式次第は「合唱」となった。
最初に、おそろいの緑のユニフォームをまとったおじさんおばさんグループが「松崎の道」を唱った。共に、作曲者である山田レイ(日へんに令)子さんも着物姿で合唱された(左端)。

  ‘松崎の道’
ははありき
ちちありき
われは をさなく

ちちははの
はかにこけむし
われもはや おい

かえりきぬ
をさなごころに
おもいでのみち

ののはなの
さきみだれたる
松崎のみち

         野田宇太郎 詩
         山田 レイ子 作曲

今でも「ののはなの さきみだれたる」面影が確かにあった。来る道すがら、昔はきれいだったであろう小川が流れていた。日本のどこにも見られた風景だが、両親共々古里としてあった松崎は、野田氏にとって歌い上げるほどの“道すがら”だったに違いない。歩く人によって、単なる田舎道にも数々の想いが散りばめられている。そんな道を、人それぞれ持っているに違いない。歩いているに違いない。



校歌にも似たものを感じる。
学び育った学校の歌ーわたしの時代はなにかにつけて唱わされ、その時は仏頂面だっただろうが、50年以上経ってもちょっと出だし
を教えてもらえば、すらすら出てくる。
小学校時は転校だらけで、一つも憶えていないが、中高は出来る。
子供たちの出番で最初に唱われたのは、野田氏作詞(森脇憲三・作曲)の「立石小学校校歌」だ。
一番だけ記してみた。

“光と風の 空はるか
 今日もそびゆる 城山は
 明朗の性 育みて
 学ぶわれらの 希望を燃やす
 学ぶわれらの 希望を燃やす
 立石 立石 立石小学校”

地名と名所を適度に織り交ぜ、心得やスローガンをやさしい言葉でくるんで唄えるという、力まない元気さが良い。
20人ほどの生徒は「つばさ」と銘打ったお揃いで、緊張もあったが口をいっぱいに開けて、唱って聴かせてくれた。
このあと、松崎に伝わるわらべ歌の「お城のサー」も唱ってくれた。

“おしろのサー おんさむらいしゅが
おかごで いっちょうけ いっちょさまドン
ドンとのさまは どのかみさまよ
こうこうしながの さやかのドン
おんよしわらの よねぞうさー こめぞうさー
ほうきではわくが おとひめさん
ほら ひーに ふーに 
やーに ここのとうかえして おしろのサー”
どこの童歌も、意味は完全には掴めないが、なんとなく調子に乗せられて口ずさむ楽しさがある。ボイス・レコーダーを持ってこなかったのが残念だった。



野田氏の次男ご夫婦が横浜から駆けつけ、謝辞を述べた。あまりこういう場になれていないようで、時々言葉に詰まりながらも訥々と話す姿勢に親しみを感じた。

この後、事務局から「野田宇太郎・文学資料館」や「筑後松崎宿」の説明、公民館での昼食を兼ねた露店のお知らせなどがあって、約1時間で終わった。
また駅までえっちらおっちら歩かなければならない憂鬱が先に立って、食事を摂る気も起こらず帰ることにした。

【野田宇太郎生誕祭 市民ら150人が参加 小郡の偉人しのぶ
小郡市出身の詩人、野田宇太郎(1909‐84)の生誕祭(西日本新聞社など後援)が28日、同市松崎の詩碑前で開かれた。市民ら約150人が参加し、郷土の偉人をしのんだ。
野田が愛したコーヒーを遺影にささげる恒例の儀式に続き、献詩コンクールの入賞者らによる受賞作の朗読が行われた。野田が校歌を作詞した地元・立石小学校の児童による校歌斉唱もあり、子どもたちの元気な声が秋晴れの空に響いた。
野田の三男、野田龍彦さん(63)=横浜市在住=も訪れ「多くの方に集まっていただき、感無量です」とあいさつした。】
=2007/10/29付 西日本新聞朝刊

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