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at 05:39
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クジの店 [2008年04月05日(土)
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花盛り [2008年04月02日(水)
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今朝8時に総合病院へ行った。 肝臓のエコー検査を受けるためだ。 γ-GTBの値がここ数年高止まりで、数日前クリニックの医者が一度検査しろと紹介状を書いてしまったのだ。身を案じてのことだと分かるが、半分は余計なお世話と思った。 朝飯を喰った後、カミさんが「検査だったらご飯食べたら駄目じゃないの」と言う。喰う前に言えよと「血液検査じゃないからいいんじゃないの」と、いつものように目一杯腹を満たしてしまった。 へへへ、やっぱり駄目だった。正確な値が出ないと言うのだ。そもそも79が上限なのに 160である。おかしくないはずがない。だが、だがだ、去年は200を越えていたことを思えば、40も下がっているではないか。 その精進をもって考えれば大したものだ。 だが医者からは冷たく「出直すように」と告げられた。従って、診察代はタダ。タダ好きにとって、2時間を無駄にしたことより、なけなしの小遣いを守られたことにホッとしたのである。 ついでに花見でもしていくかと近くの公園に寄った。ウィークデイの11時頃なので、当然空いている。警備員も手持ち無沙汰、露店のアンチャンたちものんびり。花はまさに満開で、車でなければ焼きそば肴に一杯したかったが、自分を誇らしげに表現している桜たちを愛でるだけにした。 桜たちの素晴らしさをどう表したらいいのだろう。彼ら(彼女ら?)が居る場所、生い立ち、風雨との交わり、無自覚の価値ーこの頃は、こういうこと考えるのがめんどうくさくなって、感覚に任せて撮った。 Posted
at 17:15
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さくら雨 [2008年03月30日(日)
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淡い春 [2008年03月23日(日)
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at 12:47
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菜花(はな)のきらめき [2008年03月08日(土)
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からっ風 [2008年02月26日(火)
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自撮像 [2008年01月03日(木)
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自画像ならぬ自撮像は面白い。 週に1回ほどしか鏡の中の自分を見ることがない。髭は電気カミソリで顔をなで回し、手で剃り残しを見つけている。髪は2,3度、起きたときにブラッシングする。週1回のご対面は、安物の電気カミソリなので首あたりに残ってしまうのを安全カミソリで剃るときである。 くどくど説明したが、正直に言うと鏡を見るのが嫌なのだ。自分が持つ像との隔たりが年々広がり、顔にイメージを合わせられない。先ずは弛みである。顔全体を上から下へローラーをかけた結果、目尻や頬、首がでれーっと垂れ下がっている。筋力が重力に負けだした事実が残る訳だ。 特に瞼の下の弛みは、目鼻口以外に新しい部品が出来たようで情けない。 すべては加齢と不摂生が積もったものなので、文句は自分以外に言えないが、眉毛と結びついた円形はまさに狸である。 こんなことを言いながらも、もし整形するかと訊かれたら、ふざけ口調で「no thank you」と断る。 自撮像を見ながら気をつけなければと思ったのは“歯”の周辺だ。だんだん噛み合わせが悪くなり、口の右端が下がりつつある。頭はてっぺん以外はまだ良いようだが、毛が糸より細く、なんとも情けない。洗髪したあとはドライヤーを使ったこともトニックをかけたこともなく、タオルで拭いたままほったらかしが悪いのかも知れないが、今更変える気もない。 67年付き合ってきた顔だ。嫌いなときもあるが愛着はある。自分の顔を自分が嫌がっても誰か褒めてくれるわけでもないし、いじいじしていても得はないし、ジジィとしての覚悟を決められない中途半端を指摘されるだけだ。 こんなことを書いていたら、掃除するからしばらく出ていろとカミさんが言ってきた。わたしの都合など訊かれたためしがない。無視していたら周りから徐々に責めてくる。ではと、近くの公園へ出かけた。桜の枯れ木が久しぶりの青空を背に浮き出ている。 どこからか「コッコッコッ・・・」と規則正しい音が聞こえてきた。よく見ると2羽のコゲラである。幹の上の方で一心に木肌を突っついていた。縞模様の小柄な体を固定してトンガリくちばしを上下させ、中の虫を掘り返しているのだろう。10秒ずつ移動しながら「コココココココ」。メジロのように始終周囲を気にすることなく、カメラにも無関心に朝飯の最中というところか。カミさんに追い出されなければ会うこともなかった。 久しぶりの晴れ間は清々しかった。 Posted
at 13:35
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動物園って? [2007年12月27日(木)
]
年に2回欠かさず行くところのがある。 櫛田神社の近くにある蕎麦屋と、動物園だ。 動物園は特に決めていない。小倉だったり福岡の海の中道だったりと、季節と気分次第だ。 昨日は福岡市立動植物園に行った。 植物園はほぼ平らだが、動物園の起伏は激しく、いつ行ってもハァハァしてしまう。わたしだけではない。子連れのお母さんたちは「ここにいるから勝手に見てらっしゃい」と、ベンチをベースキャンプにしてどっかと座り込んでいる。何年経っても変わらない風景で、公営のやる気のなさがそちこちに見られる。 入り口から右方向は巡ったが、左側のライオンなどの猛獣地域は、坂を見上げただけでウンザリしてやめてしまった。特に身障者には辛い造りの動物園だ。 撮ったのはゴリラ、犀、象、サイ鳥、エミュー、猿など。 ただ漫然とでは時間をかける意味がない。テーマなどと大げさではないが、いつも感じる檻や塀に居なければならない動物たちの気持が気になる。なって当然の事柄だ。そこが気に食わないとでも言おうか。多くは写真に語らせたい、なんて大それた思惑はないが、なんとか少しでも近づきたい。 写真で人に訴える難しさをヒシヒシと感じる。 今回は単に動物撮影ではなく、「園」とはなんだろうと思うところを撮りたかった。前にも同じようなことをアップした記憶がある。世界各地からど生き物を集めて、一定のエリアに閉じこめ展示する。人間は現地まで行かずともある程度の生態を知ることが出来るわけだ。だったら、人間種にもそれがあっていいのではないか。アジア、ヨーロッパ、オセアニア、アメリカ等に分け、募集に応じた人たちがそれぞれの風俗習慣に従って生活する姿を公開する---ウーン、これも飽きるだろうな。動物は演技をしないところが良いんだから人間なんて比ではなかろう。 カニクイザルの檻を何気なくみると、♂がチン○コをいじくっていた。初冬の暖かい陽射しを浴びながら縁側で爪を切る感じで、引っ張ったり揉みしだいている。隣の♀は知らん顔でまどろんでいる。この一景でびっくりしたわたしが隠す特技の人間であることがはっきりした。在るものは在る。退屈したらそれを扱って不思議ではない。無心でそれにいそしんで当たり前だ。ふんどしから始まって隠したり半分出したり、売ったり買ったり商売にする“人間”の恥ずかしさである。 “展示”する意味がそこにあるのかも知れない。自分が自然界で如何に恥ずかしい存在なのか、それを教えてくれるだけでも動物園は意味があるというわけだ。 ゴリラは深い塀の奥で沈思黙考。犀は昼寝かふて寝か魅力在る寝方だ。象が最も気にかかった。ドテッとしている生き物ほど神経質といわれる。わたしはドテドテとしているが例外といおうか、本物のドテなんだ。人間みんな、そうかも知れない。チン○コを隠さない猿は絶対そう思っている。この写真を撮ったが、猿さんに公開の許可を取っていないのでアップしませーん。「猿でもナントカ陳列罪だぞ」というのが人間なんだよな。 Posted
at 19:47
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公園にて [2007年12月19日(水)
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古神 [2007年12月04日(火)
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